独歩の独り世界・旅世界

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ランタントレッキング Lantang Trekking 1) Kathmandu~ Syabrubesi~ LamaHote

<Langtang Trekking,初日、Kathmandu ~ Syabrobesi >

 カトマンズからランタントレックの基地となるシャブルベシSyabrubesiまではバスがあったが130kmの距離を実に8時間を要した、、が、それはまだましだったようで、そのバスはExpressだったかDeluxeだったかの名称のノンストップバスだったのだけれど、それより安いローカルバスはカトマンズ朝6:00発のシャブルベシ16時着で、何と10時間もかかるのだった、、いや、それはまさに聞きしに優る過酷な道だった、といえた、、前回述べた理由でわたしはマネジメントも一切任せてしまっていたからローカルバスの値段もわれわれが乗ったバスの価格も知らなかったけれど、わがガイドChhapte氏はそれはもとより承知で7:00発のノンストップバスのticketを買っていてくれたのだった、、それだけでなく、それに乗るために6:00にはホテルまで迎えに来てくれ、そこから歩くと3~40分かかるニューバスパーク(Naya Bus Park)まで、より安い乗り合いワゴン車もあったのだけれどタクシーを使ってくれ、6時半にはナヤバスパークからはちょっと西に寄ったカカニKakani・トリスリバザールTrishuli Bazar・ドゥンチェDhunche方面行きのバス発着所についていた、、そこで発車までの時間近くの茶屋に入り軽い朝食、それらすべてが今日からの彼の支払いに含まれていた、、ということはタクシーにしても茶屋にしてもすべてネパール人価格だったはずだが、それはわたしのネライでもあったのだ、、たぶんそのほうが安く、かつスムーズにことが運ぶであろうという‥、そしてそれは最後までうまくいったと思っている(いや、実際もし前の日にこのバスのticketを自分で買うことを想像するだけで、それはわかる‥)、、

当日朝のバス乗り場付近、見えてるバスがわれわれが乗ったバス002_640x427

 7:00発のバスは少々遅れて出発したが、すぐに山道に入り、こんなところパスが通るの?と思われるような道をバスは飛ばす、、といっても道が道だから限度はあったのである、、1時間でHimalayan View Pointのひとつと教えられたKakaniへの分岐、そのさきの小さな街道村で小休止、そこから同じような険しい道を2時間走って10:10amこの街道最大の街トリスリバザールに着いた、、そこで30分ほどの朝食、トイレ休憩、そこでも彼はお茶はいらないか、何か食べないかと気を使ってくれるがそれらすべてを断った、、そこからバスは更に高度をましていく、、そのバスは半分以上が世界各国のトレッカーで占められていた、、彼らには必ずガイドがついていたのだが、ちょうどわれわれの前の席の二人組み女性(後でドイツ人女性と知った)のガイドが、奇しくもわがガイドと親友のような間柄で、ま、こういうことは時々あるそうだが、その朝バスに乗り込んで以来ずっと話し続けている、、そしてどうやら彼女らの向かうところとわれわれのコースは一緒だったらしく(ランタントレッキングコースもいくつかバリエーションがあった)、その後全行程8日間追いつ抜かれつしながら同じ宿に泊まりわたしも彼女らと親しくなっていく、、そのほかに日本人らしき顔も見えていた、、トリスリバザールからは高度がましただけでなく道は更に悪路となった、、で、とうとうバスを降りなければならないところにさしかかった、、それは乗車前からシャブルベシまで行くには一ヶ所乗換えが必要と聞いてはいたが、それが土砂崩れのため道が遮断されてしまって、まだ復旧されていないのでその間は歩かなければならないということだとは知らなかった、、わたしはある地点から道が狭くなるか険しくなるので別のバスが待機していて乗り換えるのだと思っていたのだが、何と次のバスの待機地点まで山道を30分くらい、しかもその一部はぬかるんだ泥沼状態のところを靴を脱いで裸足にならないと越えられないところを歩かなければならない、などとは想像もしていないことだった、、早くもトレッキングの難所にさしかかった思いで注意深く歩いていると、その脇を10才前後の女の子が、その区間のポーターとして誰かが依頼した荷物を担いですたすた追い越いこしていく、その姿には感動させられた、、たまたまその不通区間が地元民にとっては臨時の収入源になっていて老若男女がポーターをやっていたのだ、、ぬかるみの下は岩肌でわたしは久しぶりの裸足でその上を直接歩いてくのにずいぶん難儀したが、はじめから裸足の彼女たちはそんなところでもたもたしていたら仕事にならなかったからである、、で、かれこれその区間の通過(バスの乗り換え)に、ちょうどそこには臨時の茶店もできていて昼時も重なったので昼食休憩として1時間半くらいとっていたのだろうか?13:30ころようやく乗り換えたバスは発車した、、ま、そこだけでなくトリスリバザール~ドゥンチェ間の道はことほど左様にすさまじいものだったのだ、、普通は四駆でないと進退きわまるガードレールもない山岳路を、たぶんオンポロバスだからいけるのかもしれないが、今はバスが通るようになっていたのだ(10年くらい前から?)、、時速10~15kmくらいしか出せないようなそんな道をみれば8時間も納得するのであった、、

トリスリバザールで朝食休憩003_640x427

山深い道を行く006_640x427

トラックが動けなくなった現場、ここでしばらく待たされる005_640x427_2

最初のバスはここまで、左側がガイド氏、その右に荷物を背負っているポーターの女の子が見えている007_640x427

遠くに見えるバスを降ろされて延々山道を行く010_640x427

その先のぬかるみの現場を裸足になって越える012_640x427

30分くらい歩いた先に待機していたバス、、右側は臨時の茶店013_640x427

 バスを乗り換えて少し行くとドゥンチェDhunche手前のチェックポストがあって、トレッカーは漏れなくTIMSカードの提示を求められ同時にランタン国立公園の入域料3000Rsを徴収される(たぶんそれも20ドルと聞いていたが、今年になって30ドル-または3000Rsになったとスディールさんがいっていた)、、そこから5~10分でトリスリバザールからこちら街と呼べる唯一の街ドゥンチェに到着、14時になっていた、、30分ほど停車、このバスには行商人も乗っていて大量の物資をバスの屋根から降ろしていた、、ここからはゆるやかに下っている道を山肌に沿っていく、、いくつかの村を通り過ぎしばらく行くと今度はトリスリ河Trishuli Riverに向かって一気の下りとなった、、九十九折を下って川沿いの道を15分、まだ新しい橋を渡るとシャブルベシだった、、到着は15:20、バス停脇のたぶんこの街一番と思われるホテルに彼はわたしを案内してくれた、、もちろん安いホテルで構わないといってはあった、、しかしどうもここが彼の常宿のようであった、、わたしの隣の部屋にドイツ人女性二人、、部屋は広くてきれい、ホテルの前庭とシャブルベシはホテル前の通り数百mに何軒かのホテルとわずかな商店があるだけの街であったが、その通りが見下ろせた、、ベッドが二つだったのでてっきりチャプテ氏も同じ部屋だと思っていたら、どうやらガイドたちには彼ら用の部屋があるらしく、そこで一緒に寝るとのことだった、、夕食時もわれわれのあとで彼らは彼らで一緒に食事をとることも後で知った、、夕食までだいぶ時間があったので一通り前の通りを歩いてみた、、ここに温泉でもあれば山が迫ってて日本の温泉場といった風情、、ところがなにやら温泉もあるとのこと、しかしそれは河のそばの露天のようで、そこまでの登り降りが厳しそうでいくのはよした、、前の川がトリスリ河で明日から遡行するランタン渓谷との出合い(山の言葉?合流点の意)が望まれた、、なかなか絵になるところではあった、、

ドゥンチェ手前のチェックポスト015_640x427_2

ドゥンチェの街016_640x427

九十九折を谷底まで一気に下る、、その向こうにシャブルベシがあった、、022_640x427

この立派な橋(手前に古い橋がまだある)はネパール・中国友好橋とのことで2011完成とあった、、その手前左に小さな発電所、シャブルベシの街はここから前方へ歩いて5~10分024_640x427

バス停前のシャブルベシ一のホテル

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シャブルベシの街026_640x427

前方の谷がランタン渓谷Langtang Valley028_640x427

振り返ってシャブルベシの街、そばを流れるのがトリスリ河(前方ドゥンチェ方面)031_640x427_2

 夕食は好きなものといわれてメニュウをみせてもらったが、やはりカトマンドゥに比べるとそうとう高く感ぜられた、、やはりChhapte氏のマネジメントになるので、何でもよかったのであろうが少し遠慮して頼んだ、、ところがホテルの人の手違いで、もっとひどい夕食になってしまったが、そのクレームはつけなかった、、いずれにしろこれから先‘宿と食事’はすべて同じところでとるらしいこと、ただしガイド氏とは別室・別食になるらしいことがわかった、、一日目は全然歩いてなかったので疲れもなく、気持ちは昂ぶっていた、、

<二日目 Syabrubesi ~ Lama Hotel>

 前回ちょっと触れたが、このトレッキングにでる前にAtithi tourでガイドブックを借りていた、、それにはトレッキングの概要も載っていたからだった、、で、それによるとこのランタンコースは8日間というのが一般的で往路4日帰路4日(帰路は人によっては3日でも可能とあった)、往復とも一日はカトマンドゥ~シャブルベシ間のバスだったから、実質歩くのは片道3日ということだった、、そして二日目はシャブルベシ~ラマホテルLama Hotel(地名;昔僧侶の泊まる宿があったという由来?)というのが、これまた一般的のようだった、、

 その朝はその後だいたい定番となったパンケーキとチャイ(チベタンブレッドやハニーパンケーキ、アップルパンケーキとミルクティかレモンティが定番となる)の朝食をとっていると日本人らしい青年が別のテーブルにいた、、やはり日本語の通じる相手だったが、彼は下ってきた人でこれからカトマンドゥに戻るとのこと、もちろんガイド氏も一緒だったが、よくよく聞くと彼は山ヤさんのようで、このあとエベレスト近くのヌプツェNuptse7879mに登るためのトレーニング兼高地順応トレッキングだったらしく、だから彼にとってはこのコースは楽だったといっていた、、しかしやはり天気はいまいち恵まれなかったらしい、、きっとヌプツェは好天になるよとエールを送って別れ、彼は7時発のバスで、われわれは7時半にそのホテルを出発した、、たったひとりで8000m近い山に挑戦するという頼もしき日本人青年、名前をNagaokaさんと聞いた、、

 ホテルから10分ほどいったところにチェックポストがあって名前等の記入?それもすべてChhapte氏がやってくれた、、その間トレッカーが続々やってくる、、その中に日本人風の顔もあった、、そしてそのときそこであった人たちとはほとんどずっと抜きつ抜かれつの関係となった、、トリスリ河にかかるつり橋をわたるとゲートがあってシャブルベシ本村に入る、河のそばに学校があり、その脇の狭い石タダミの一本道を通っていくと、すぐに村を抜けランタンコーラ(Langtang Khola;ランタン川)に架かるつり橋がある、ガイドブックにはその橋を渡ってランタンコーラの左岸(上流から下流に向かって)を行くとなっていたが、すでに数年前より右岸に新しい道ができていて、ランタントレッキングの一応の目的地キャンジンゴンパKyanjing Gompaへの道は直進とのことだった、、その橋より先民家はなくなり、それでも整備された山道となった、、その辺りの川沿いの道はまだ平坦に近かったから快調に歩む、、シャブルベシ本村から30分?ホテルを出てから1時間休みなしで歩いたあたりで、またランタンコーラにかかる立派なつり橋がある、、たもとに農家があってそこの道端で小休していると後続のパーティがどんどん追い抜いていった、、道はその橋を渡って今度は左岸を行くことになった、、そこから30分最初のゲストハウスのある場所ドミンDomen<1680m>に着いた、、他のパーティもそこで休憩をとっていた、、例によってガイド氏になにか飲みませんかと聞かれるが、その都度いらないと答える、、彼はチャイをもらっていたようだった、、それでふと気づくことがあった、、わたしは他人より水分補給が少なくてすむので、そんなに金も気も遣わなくてもいいとそんなつもりでいたのだけれど、彼の気遣いはむしろわたしやカネにあったのではなく、彼はこういうところで休んだなら多少お金を遣ってあげるのがここに生きる人たちへの思いやり、マナーのようなものだということを暗黙に語っているようだったのだ、、彼だっていくらでも水分なしで歩けたはずだが、その後みていると必ずわたしに何か飲まないかと聞き、わたしがいらないとこたえると彼は自分だけ何かもらっていた、、なのでわたしもできるだけ付き合うようにしたが‥、、

小さな赤い色の小屋がチェックポスト、そこからすぐにトリスリ河を渡るつり橋がある、、038_640x427

つり橋を渡って少し登った辺りからシャブルベシ方面、左下あたりがトリスリ河とランタンコーラの出合い039_640x427

最初の宿場Domen;下2枚、左はこれから行くランタンコーラの上流を見てる044_427x640 045_640x427_2

 その辺りから河の傾斜もまし、それに伴って川沿いの道も登りがでてきた、、Domenの茶店を出てすぐに急傾斜の登りになって、少しあえいでいると若い女の子に追い抜かれてしまった、、ガイドを連れていたが大荷物を担いだ一人旅風で日本人の女の子だった、、もちろん挨拶を交わしてお互いの健闘を祈った、、その後も毎日たいていわたしがどこかで抜かれるというパターンとなった、、そこから次のランドスライトロッジLandslide(地すべり・山崩れの意)Lodge<1800m>まで30分、そこでまた小休止、ここではホットマンゴージュースをもらう、、これはなかなかうまかった、、その下を流れるランタンコーラは激流に近くなっている、、そこからはほとんど登りで巻き道も出てくる、、この上のどこかの宿場の仕事場に戻る(向かう?)地元の母娘と道連れになり、彼女らのぺースに遅れまいと必死についていく、、このあたりからガイドChhapte氏の通訳として力量ががぜん発揮されるようになった、、それまでも気づかなかっただけで、もちろんわたしにとって彼の通訳としての存在は計り知れず大きかったのだけれど、そしてもちろんこのルートではどこでも英語が通じたのだけれど、彼はネパール語・英語・日本語・シェルパ語を使って道行く人々、同行の人々、宿場の人々と縦横にコミュニケーションをとり、また同行のトレッカーたちのまとめ役・中心的存在になっていったのである、、だからこの時点で彼はすでに優秀なガイドであり、わたしの荷を少しもってくれるポーターであり、食住の面倒をみてくれるマネージャーであり、そして通訳兼チームリーダーのような存在となってきたのであった、、彼はわたしがどのような速度で歩いてもぴったりとガードする姿勢も崩さなかった、、Landslide Lodgeから1時間、ほとんど登りできつい行程だったが、その日の昼食休憩地バンブーBamboo<1930m>に11時に着いた、、だいぶ疲れていたのでここの明るく開放感があって、激流が脇を流れ、向こうに山の上から落下する滝が見える宿場バンブーは休むのにとても気持ちのよいところだった、、ここは宿が数軒あったが、そのうちの一軒、たぶん顔なじみのようだったがそこのオープンテラスのようなところで昼食となった、、ポテトとにんにくの炒めものとチャパティ、お茶の昼食はなかなかよかった、、ここで1時間20分の休憩となった、、その間われわれよりだいぶ遅く出たと思われるドイツ人女性二人組みが追いついていた、、またシャブルベシのチェックポストで見かけた日本人らしき男性もここで食事をとっていた、、

Domenを出るとすぐ急坂で、上からみたDomenの宿場とつり橋、ここで日本人の女の子に抜かれる;下、2枚目は前方にLandslide Lodgeが見えてきたところ、、046_427x640 <いずれも世界一美しいといわれるランタン渓谷>047_640x427

母と娘だと思っていたら、Chhapteは仕事場の雇い主と従業員だといっていた042_640x427

昼食場所のバンブー到着、何件かの宿もあった、、オープンテラスの気持ちよいところ060_640x427

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テラスの脇を激流が流れる、山の上から落ちる滝も見えた、、061_427x640_2

  しかしここからの登りは更にきつくなった、、バンブーから左岸を登っていくと30分くらいでまたつり橋があって、再度河の右岸を行くことになったが、その後ランタンコーラを渡ることはなかった、、が、道はますますきつい登りとなっていった、、それでも危険と感じるところはほとんどなかった、、宿場や茶店が適当なところにあって30分くらい登りが続くとバテバテで次の茶店(宿もかねてるところが多い)で休ませてもらった、、そんな中のひとつラムチェ(Ramche、坂の上と下に茶店があったが下のほう)で休んでいるとき日本人の団体が上から降りてきた、、わたしは疲れすぎていたので話はしなかったが、日本語の達者なChhapteが彼らと話をしていた、、後で聞くとヘリコプターでキャンジンゴンパまで飛んで降りてきた人たちだといっていた、、お金を使えば今はそういう手もあることを知る、、というより緊急用も含めてキャンジンゴンパにはヘリポートがあるようであった、、そこからまたきつい登り20分くらい?でアッパーラムチェUpper Ramche<2400m>の宿場、そこでまた少し休ませてもらう、、そこからラマホテルまでは15~20分とのことだった、、そしてそこからはそれほど登らずに14:40今日の宿泊地Lama Hotel<2480m>に着いた、、

下Ramcheの小屋で休憩、左がわがガイドのChhapte氏、右が彼の親友で後ろのほうで休んでいるドイツ人二人組みのガイド氏(名前覚えてない)066_640x427

Upper Ramcheの小屋、ここでも少し休む067_640x427

ようやくたどり着いた最初の宿泊地 Lama Hotel069_640x427

  よくわからないのは、今はLama Hotelという地名になっているそこには7~8軒の宿があったのだけれど、その日のトレッカーは早いもの順にわれわれが宿泊したところに集まっていた、、だからドイツ人女性とも日本人男性とも同じ宿になった(日本人女性はどこの宿だったかはわからなかった)、たぶんわがガイド氏ならびにその友人たちは、各宿場ごとに顔見知りをもっていて、あいてる限りは同じ宿を利用しているようだった、、だからかどうか、またその宿の値段も他の宿の値段も知らなかったが待遇は悪くなかった、、山の宿はもちろんトイレは共同だったがちゃんとした個室をあてがわれ、寝袋を持っていないわたしには毛布(というか布団?)も2枚用意してくれ、寒いと感じたところはどこもなかった、、またここはソーラー発電で電気を供給しており、なんと温水シャワーも利用できたのである、、15時前後にはもう顔なじみになっていたトレッカーが続々到着して、ここの宿は10人くらいで満室となった、、1時間くらい休んでいると雨が降ってきた、、ここまでは比較的天気には恵まれていたが、どちらにしろ樹林帯で視界は開けてなかったから、あまり天気は気にならなかったのだけれど明日は天気がよければ白い峰々が見えだすはずだ、、少し心配になる、、夕食までの時間ストーブのある食堂で思い思いの時間を過ごしていた、、日本人らしい男性はそのガイド氏と日本語で会話をしていたので日本人であることがわかったが、その会話がエベレストではどうだった‥云々で、もしかしたら山ヤさんかと思って声をかけるのを遠慮してしまった、、ヨーロッパの男性は酒を飲んでいたがわたしはガイド氏から止められていた、、高度順応に影響がでるからであった、、わたしはラダックで失敗していたから素直にそれにしたがって、ほとんど部屋で横になっていた、、6時半ころには頼んだミックスカレーとライス(ネパールの定食ダルバートはどこでもあったが、それではなく)の夕食を美味しくいただいて8時には床に就いたが、紅茶の飲みすぎか寝つきは悪かった‥、、あくまでわたしの場合ということでいうと、この日のルートは高低差約1000m、かかった時間7時間、その内訳は歩行5時間、休憩2時間だった、、

われわれの宿泊した宿;右と部屋から;下070_640x427 071_640x427