独歩の独り世界・旅世界

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ポカラ Pokhara 8/30~9/3

わずか数分顔をのぞかせたマチャプチャリ 017_640x427

 ポカラまでのバスは7:50発で515Rs だった、、ポカラまでは265kmだったが7~8時間かかるとのことだった、、300Rsの部屋は前日の800Rsの部屋と同じく扇風機の調節(強弱)が利かず役に立たなかったが、薬が効いたのか鼻水は止まりよく眠れていた、、朝食はチャイと前の晩の1/2でも食べ切れなかった焼きそばをパンにはさんで焼きそばパンを作ってあったので、それですます、、 バスはほとんど定刻に出た、、30分でバイワラの北にあってバイワラより大きな街Butwalに寄る、、ここはテライ平原を東から西に横断している幹線道路の走っているところで右に行けばNarayangath経由でカトマンドゥへ、左はNepalganj方面への道、そして直進がポカラへの道ということで交通の要衝だった、、そこを過ぎると道はだんだん山道にさしかかったが、その道はインドの山道と比べても細い上に悪路だったため、たった250~260km道のりだったがそれだけの時間がかかる、ということだったのだ、、つまり平均30kmくらいしかスピードをだせないのである、、で、前にもどこかで書いた記憶があるが、このくらいのスピードでの山道走行というのは適度なゆれで最も眠りを誘うを早さでもあったのだ、、だからその間の車窓をほとんど覚えていない、、おまけに時々目覚めて山道の景色を何枚か撮ったのだが、あとで間違ってそれらを全部消してしまうというドジをやってしまった、、なのでバイラワ~ポカラ間の写真がないのはバッテリーの充電忘れでなく、ま、いってみればボケからくるものだった(バッテリー充電忘れもその類だが‥)、、そんなんで35年ぶりのポカラについたのは15時40分、やはり8時間かかっていた、、

 ポカラ到着の1時間前ころから、わたしは目覚めていてずっと車窓を注視していた、、その辺りが前衛にある山々の峠越えで、晴れていればアンナプルナ・マチャプチャリのヒマラヤ連山が見え出すはずだったからである、、しかし、ま、めったにやらない取り込み前の写真を消してしまってもそれほど痛手ではなかったのは、それらの写真は撮れなかったからであった、、雲に覆われていて影も形も見えなかった、、もちろんヒマラヤのモンスーン明けは10月からで一ヶ月も早すぎることは承知していた、、それでも雲の動きによってはチラッと見えたりするのではないかという期待は、まったくばかげた夢想であったことを峠を越えたときに目にした雲の厚さから容易に判断できたのであった、、だからポカラについたとき、もちろん35年という歳月は特にポカラのような観光地においてはめまぐるしい変化をきたしていて、当時のかすかな面影さえも見つけることはできなかったのはしかたなかったとしても、そのときは12月だったので毎日マチャプチャリの麗しき姿を目にしていたから、せめてそこにそれがあったのなら、あーポカラに戻ってきたなぁ、という実感もわいたであろうが、なんか初めての街についたような感じであった、、

 わたしにとっては(そのときはわたし一人ではなかったし、またここを訪れる誰しも同じだと思うが)ポカラはマチャプチャリMachhapuchhreとペワ湖(Phewa Tal)に象徴された、、だからその片方が消えていても、宿は特に決めていなかったが、その周辺にたくさんあるレイクサイドLake sideにするつもりだった、、ポカラのバススタンドは昔もそこにあったのか?全然記憶はなかったが(35年前にはバススタンドなんかなかったはずだ)ついたところからレイクサイドまでは少し距離がありそうだった、、トゥクトゥクかタクシーを使うしかない、そのドライバーが適当なところに連れて行ってくれるだろう‥と、そんなつもりでいたところ、バスを降りたら珍しく何人かの客引きに囲まれてしまった、、彼らはドライバーなのか宿の呼び込みなのかがよくわからなかったが一応彼らの売り込み口上(セールストーク)を聞いて、まずレイクサイドで絞って次に価格で絞ろうと思っていたら、ひとりが片言の日本語を話し、レイクサイドの宿まで車で連れていくといってきた、、まだ新しい宿でそこから山も湖も見える、料金は500Rs~気に入らなければ他を探せばいい、ともかくレイクサイドまでただで乗せてってやるというのだった、、なんかうますぎる話にも思えたが、タダで乗せてってくれるのなら騙されてみようとその車に乗ってしまった、、その男はドライバーでもなく宿のオーナーでもなく、連れてってくれた宿のオーナーと友達だといっていたが、彼がいったことに嘘はなく、少し湖畔からは距離があったが確かにレイクサイド地区の新築のホテルにわたしを連れていった、、そのホテルのオーナーも片言の日本語を話した、、彼(ホテルのオーナー、まだ若かった)はこのホテルはとある日本人と共同出資で建てたものであること、だから宿泊者も日本人が多い、どうかここに泊まってくれといって4階建ての空いてる部屋を案内してくれた、、階が上るごとに部屋代はアップした、、そのときもまだネパールの宿代相場がよくわかってなかったが、最初の言い値では階下の一番安い部屋500Rsから一番上の部屋1500Rsまで何部屋か空いていた、、まだ新しかっただけでなく、広々とした階上の部屋は内装・調度・設備からして贅沢すぎる感じ、その上見晴らしがよく晴れてればマチャプチャリがきれいに見えること請け合いだった、、どうせならここしかないと思って交渉してみる、、1200Rsまで下げたがわたしは長く泊まるつもりだから1000Rsにしない?と聞いてみた、、ダメなら他を探すつもりでいたら、あっさりOKがでたのでそこに決めてしまった、、想定より高かったが、その分想定よりずっといいホテルに想定より楽に落ち着くことができたのであった(その部屋の写真もホテルの外観の写真も消してしまった中にあった、、ま、たいしたことではないが‥)、、

 しかしポカラはずっと天気が悪かった、、ここであらためてわたしの旅の条件みたいなものを確認してみると、少なくとも1,物価水準、滞在費が日本の1/2以下であること、、2,気候温暖、暑すぎず寒すぎないところ、、3,いろいろな意味で適度な刺激(好奇心をくすぐるなにか)があること‥、をインド・ネパールに限らずわたしは旅の対象地に求めていた、、で、インド・ネパールはどうだったかというと、1,2,はどちらもクリア(インドの場合2,はラダックにおいてということで)、3,についてはあらためていうまでもなくインドは世界でも最も刺激のある国のひとつ、もしかしたらその筆頭ではないかといつも思っている‥、、ではネパールの3,とはなんだったのか?何を求め、何をしたかったのか?というと(今はあまり構えて旅してないが)、周知のようにネパールは世界の屋根といわれる山国であって、その最大の魅力はわたしにとってもヒマラヤだった(もちろん他にも興味の尽きないことがたくさんある国であるが)、、ちょうど今年は三浦雄一郎氏が80歳越えでエベレスト登頂が話題になった年であったが、わたしは65にして日本の3000mさえも諦めねばならない衰え方だった、、だからヒマラヤに登るなんてことはハナから考えてはおらず、ただ見るだけ、そしてできたら写真に撮りたいというのが今回のネパールの目的?であった、、が、それにしては季節が中途半端だったのである、、ヒマラヤの好天は10月のモンスーン明けから、ということが定説だったが、それには一ヶ月も早かったのだ、、だからポカラの悪天候は最初からわかっていたことでもあったのだが‥、、

 その後目にしたカトマンズほどではなかったが、ポカラもホテル、食べ物屋についでトレッキングを扱う代理店・トラベルエージェンシー、トレッキンク゛グッズを扱う店が多かった、、そしてわたしも天気がよかったらトレッキングには(トレッキングは山歩きということで、ネパールでは登山は入山料、トレッキングは入域料という形で明確に登山と区別されていた)でかけるつもりでいた、、今では登山だけでなくトレッキングもこの国の観光の目玉(財源として)になっており、主に三つのエリアがその対象地となっていた、、東のほうから順に1,エベレストEverest周辺、、2,カトマンズから北のランタンバレーLangtang Valley、、3,そしてポカラからのアンナプルナAnnapurna周辺エリアの三ヶ所で、アンナプルナエリアはまたその中でいくつかのルートがあった、、すでに35年前にそのうちのひとつのルートの一部をわたしは歩いたことがあった、、アンナプルナ山群エリアのトレッキングルートとして主なものは二つあって、1,はアルナプルナサーキットコース Annapurna Circuit Trek、アンナプルン山群をぐるっと一周するコースで2週間以上かかり、最高地点5410mの峠越えがあった、、2,はアンナプルナ内院コース Annapurna Sancutuary Trekといって、マチャプチャリB.C3700m、アンナプルナB.C4130mまでの往復10~12日かかるルートであった、、35年前は1,のルートはポカラからジョムソンJomson、ムクチナートMuktinath辺りまでしかトレッキングではいけなかったと思うが、われわれは一週間かかるジョムソンまでもいけず、ツレの体調不良のため4日目くらいで引き返していた、、今回はそのときのリベンジの意味で、せめてジョムソンまでは行きたい、、行きか帰りのどちらかは飛行機を利用しようと考えていた、、

 ポカラあたりのホテルはどこもその代理店もかねていた、、わたしのホテルのオーナーMadabu君も、しきりにトレッキングに行かないかと勧めてきた、、わたしもその気があったので、彼から一生懸命情報だけ吸い上げようとしていた、、ポーター・ガイドなしではいけないか?飛行機のticketは手配できるか?入域料・パーミサションがいくらでどこで手続きすればよいか?等々、わたしは空模様を眺めながら毎日この若いオーナーと話しあっていた、、そのなかで最もわたしを驚ろかせたのは、ま、35年の間の変化としてそれは当然のことだったが、わたしが昔歩いたところはすでにバスが走っている、という情報だった、、そしてわたしがいこうとしていたジョムソンまでも昨今ジープ道ができてそれでいけるといって、かつての夢を破ってくれたことだった、、それでも彼としてみれば天気が悪かろうと、わたしがその気になってくれれば仕事になるので、すべて手配できるよ、いいガイドもいるし、日程・体力・予算に応じてルートもいろいろあるから、といって促すのだった、、しかし晴れ間をみいだすことはできなかった、、

 次の日は雨こそ降らなかったが曇り空で、一日ポカラのレイクサイドからダムサイドにかけて、昔を偲びながら歩いてみたが、記憶が薄れてしまったからか、まったく面影が失せていたからか、ともかくこんなところではなかったと昔を懐かしんでいた、、それだけ都会になり俗化していて、わたしのイメージ(記憶?)とは重ならなかったのである、、そのホテルの数、レストラン・カフェ・みやげ物屋が軒を連ねていたが、そのわりに観光客が少なかったのは、やはりまだオフシーズンということだったからだろうか?だとすればポカラ到着時の客の争奪戦もホテルの若オーナーがすぐに値段を下げたのも納得がゆくのであった、、それにしても観光客価格なのかレストランのメニュウをみてけっこう高いのに驚いていた、、ビールも高いし食事も高い、ホテルもいいところに泊まってしまった、、こんなはずではなかったと安い飯屋を探すのにずいぶん苦労することとなった、、

 3日目のことだったか、朝、ほんのわずかの間マチャプチャリが見えていた、、で、もしかしたらとかすかな期待を抱いてポカラのヒマラヤ展望台サランコットSarangkotにいってみることにしてホテルを出た、、まず、近くのバス停からオールドポカラ(旧市街)まで市バスで行き、そこから、昔は歩いて2日ほどかかったNaya Pulというところまで、今では2時間くらいで行くというバスがでるバグランバスパークBaglung Bus Parkを探して旧市街を少し歩き回った、、そのターミナルからサランコットへ行くバスも出ているはずだったからであった、、旧市街も考えられないほどの発展振りだったが、さすがに観光エリアではなかったので昔の面影が残っていて、レイクサイドからくるとなんとなくほっとするような落ちつきがあった、、人に聞きながら30分くらい街ブラしてそこについたが、ま、インドもそうだったが、バスパークといってもオフィスのようなものがあるわけでなく、単なるバスのたまり場、地元の人にはなんら支障はないのであろうが、ヒンドゥー文字のわからないわれわれには情報は皆無といってよかった、、どのバスがどこ行きで何時に出るのかはいっこうに判別できない、、なので例によって地名の連呼で、そのバスの所在をつかむしかなかったが、英語の話せる人が教えてくれたのは、サランコット行きは13時にでるとのこと、そのときは10時ころだったので、歩いたほうが早そうだということがわかりバスを諦め歩きだした、、サランコットというところはペワ湖の北にある丘で、ペワ湖畔からも道はあるとのことだったが、登りに2時間くらいかかりそうだった、、標高差6-700mくらいあったので、バスがあるならそれでいって帰りは歩いて下ってこようと考えたのであった、、オールドポカラからは自動車道をいくことになるが1時間くらいでいけるのではないかと踏んでいた、、ところが案外距離があってその登りも大変だった、、何回かヒッチを試みたが停まってくれず、タクシーも何回か通り過ぎその誘惑にかられる、、おまけにオールドポカラから30分も歩くともう尾根道となって、晴れていればそこからマチャプチャリ、アンナプルナが見え出すのに結局雲しか見えないのであった、、1時間半くらい歩いたころ、サランコットまでまだ30分はかかると思われるあたりで人の乗っているタクシーが停まってくれ乗っていけといわれる、、客の好意か運転手の好意かわからなかったが、それに甘えてしまった、、その二人組みの客はまだ先にいくようだったので、サランコットで降り際に多少の心づけをその客に渡した、、そのおかげで何とか昼ころサランコットの展望台につけたのだった、、

オールドポカラの街;3枚018_640x427
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バスパークから少し歩いたところにある参詣者が列をなすBindhya Basini Temple
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オールドポカラ歩いて30分くらい登ったところからポカラ市街
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  しかし相変わらずの分厚い雲でヒマラヤ側の展望はきかず、ま、無駄な骨折りとなってしまったが、ペワ湖側の眺めはそれなりにすばらしいものがあった、、そこの茶店で一休みして、店の人に道を聞いてそこから湖に向かって下り始めた、、少し下ると別の車道にでた、、そこは先ほど登ってきた道より狭く舗装もしてなかったし車の通行もなかった、、それをどっちにいったらよいかわからない、、人もいない、、で、しばらくそこで休んでいると学校帰りの子供がきた、、写真を撮ってくれとせがまれ撮ったあとで片言の英語で道を聞くと左方向とのことだった、、が、その道は車道だからしょうがないのだけれどやはり遠回りにみえたので、そのまま真下に下る細い道でもいけるかと聞くと、それは行かないほうがよいということだった、、普通は逆ではないかと思った、、地元の子なら車道でもいけるがこっちのほうが近道だと、その道を教えてくれてもよさそうだったし、わたしの頭の中には直進の山道があると思っていたので、彼らは車道をいったがわたしはそのかなり急な山道を下ってしまったのであった、、が、やはり彼らが正しかったようだった、、途中で道を見失って道なき道を行く羽目になった、、そうしてかすかな踏み跡らしきをたどっていったらしまいに民家に紛れ込んでしまった、、通じなかったかもしれないが、そこのおばさん?あるいはお嬢さんだったか?に詫びて下に行く道はないかと聞く、、その方向を教えてもらっているとその家か隣の家の子供が出てきて、自分が案内してあげるといって、しばらくわたしを導いてくれたのだった、、それで確かな、しっかりした山道にすぐ出られたのだけれど、そこでわずかなtipをあげてその子供と別れてしばらく行くと、またすぐに道はわからなくなってしまった、、かようにその山道ははっきりしなかったのである、、最初に出会った子供たちがいってた通りであった、、急がば回れであった、、それでも何とか下へ下へと下って湖畔に出たとき、近くにあった店先で休ませてもらったが、もうしばらく動くことができないほど疲れきっていた、、地元の人ならたぶん1~1.5時間で降りてくるところ2時間半もかかってしまったのだ、、やはりもう山登り・山歩きは無理かもしれないとそのときも思ってしまった‥、、

サランコットからペワ湖;2枚027_640x427
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サランコットはペワ湖畔に向かって飛ぶパラグライダーの基地でもあった、、031_640x427

最初に道を聞いた子供たち
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次にわたしを案内してくれた子供(この辺はしっかりした山道だった)
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 その日は夕方からものすごい雷雨となった、、そして次の日は雨、、まだモンスーン期なので当分天気の回復は見込めそうもなかった、、それならもうここにいてもしようがないではないか?今回はポカラからのトレッキングは諦めるしかないか‥??、、その話をするとホテルの若旦那Madabuさんは800Rsにするからもう少しいてくれといってきたが、多少長居しても無駄ではないかと思われた、、彼にはカトゥマンドゥまでのバスの手配を頼んだ、、彼は次の朝わたしを送りだすときカトマンドゥで彼の友人でゲストハウスやってるやつがバスの到着するところで待ってるからといってくれた、、わたしはそのゲストハウスに3週間くらい世話になることになった、、

<今回はここに記したようにバイラワ~ポカラ間とポカラの数日分の写真を誤って消してしまったので、写真少な目です、、>