独歩の独り世界・旅世界

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カトマンドゥ 4) last days in Kathmandu 2 , ドゥリケル Dhulikhel

  そこは想っていた以上にいいところだった、、ドゥリケルDhulikhelはカトマンズから東に32km、ナガルコットから南に11~12kmのところにあって、標高が1500mくらいと聞いていた、、その日(9/29)朝7時過ぎに顔なじみのフロントマンに荷物を預かってもらい明日戻る予定と告げてホテルを出、7時半にはシティバスパーク(Old Bus Park or Ratna Bus Parkともいう)に着いていた、、たまたま発車間際のDhulikhel行きのバスがあって飛び乗る、、すぐに発車したバスはカトマンズ市街を抜け、飛行場のあたりから日本の企業が造ったらしい日本・ネパール友好道路を通ってバクタプルへ、そのあと道路は少し狭くなったがずっと舗装道路は続いて9時頃手前の街Benapaに着く、、そこで結構停車してそこからは少し登って15分くらいでドゥリケルに着いた、、

 そのときはガイドブックを持ってなかったから、その街がどのくらいの規模でどこに適当なホテルがあるのかもわかっていない、、それでドゥリケルのバスパークで降ろされキョロキョロしていると何と突然、ヒマラヤが飛び込んできてしまった、、あらぁー、見えてるではないか!!、、不意をつかれた感じ?心の準備ができる前の突然の展開にうれしい悲鳴を上げていた、、早速何枚か写真をとってどこかもっといいビュウポイントはないか探してみる、、とちょっと先に一軒の雑貨屋さんがあって、その前あたりが前に遮るものがなくてよさそうだったので少し歩く、、で、また何枚か撮ろうとしたとき、この旅最後のドジに気づいたのだった、、今回の旅では写真に関して何回か失敗をしているが(素人ゆえに)、シャッターが押せない、、押そうとするとピィピ、ピィピと通告音が鳴る、どうやらメモリーがいっぱいということらしかった、、‥どうしよう??、、PCはホテルに置いてきているから落としこみができない、、そのとき持っていたカメラは予備用でメモリーはせいぜい100枚程度しか写せないものしか入ってなかった、、しかも間の悪いことに既存のデータを落としていなかったから、すべて消せないものばかりだった、、その店はネパールでは一般的な、食料品が主な雑貨屋だったが、店頭にベンチ(椅子の場合もある)が置いてあったから、たぶんお茶も飲ませてくれるだろうと思って聞いてみた、、店番のおばさんはすぐにチャイ(ミルクティ)を作ってくれ、それをもらってベンチに座ってなすすべなくヒマラヤを見惚れていた、、実はその店の上がホテルだった、、こんなに見晴らしのいいところなら、ここに一泊すれば最高だと思って、部屋が空いてるかと聞いてみると、わからない、そこはオーナーが別だから上に行って聞いてみろというニュアンス、、で、上って受付を探すも受付らしきところはなく人も誰もいない、、もしかしたらやってない‥??下に戻って、英語の通じないおばさんに一生懸命そのことを伝えると、ケータイでどこかに電話をかけてくれ、そのベンチにかけて待っていろとのジェスチャー、、しばらくすると上からおっさんが降りてきた、、そのおばさんとおっさんの関係はわからなかったが(たぶん兄弟?)、そのおっさんがここのオーナーで英語を解した、、部屋は空いてるとのことで見せてもらう、、おっさんについていくと2階がバストイレなしの部屋が3部屋くらいあって400Rs、3階が食堂とオーナーと居宅、4階にバストイレつきの部屋が二つあって600Rsと説明してくれ、すべて空いているからどこでも好きなところを選んでくれとのことだった、、そのホテルの周りには一、二軒ホテルらしい建物があったが、いずれもここより立派な建物だったので値段も相応に思われた、、たぶんこのホテルはわたしからみてもっとも立地がよかった(展望がきいた)だけでなく、もっともわたしに相応しい宿(安宿)に思えた、、で、宿泊客が他にいないので2Fのトイレなしでもよかったのだけれど、4Fの部屋からの眺め、部屋の前がテラスになっていてそこからの眺めに比べると、どうしても2Fは見劣りした、、これはこの際奮発してバストイレつきのほうにしなければ、と思って4Fを550Rsにしてくれればそっちを選びたいというとあっさりOKとなった、、部屋が決まって残るはカメラの問題だけになる、、が、あろうことか部屋選びをしている十数分間の間にヒマラヤは雲の下に隠れてしまったのであった、、それでも、たぶんまた晴れるだろう、それにここは他にも見所があったから、写真が撮れなくてはここまで来た意味がないではないか!?、、そう思ってたいして重要でなさそうだった画像選んで20枚近くを消去してしまった、、しかしあとから思うにそれも少し早すぎたのと消しすぎてしまったようだった、、というのも結局そのときだけでヒマラヤは二度と顔を出してはくれなかったからであった、、

着いたとき見えていたヒマラヤ、これが最初で最後になろうとは‥!? ; 3枚041_640x480 042_640x480 043_640x480

 荷物を置いてホテルのオーナーに、カーリーテンプルがあると聞いてるが、それはどの辺なのか?とそこへの行き方を教えてもらう、、ドゥリケルはヒマラヤ展望だけでなく、カーリーテンプルやレンガ造りの古い家並みが残る昔の古都で、由緒ある寺院がいくつか点在しててとても趣のある街とのことだったので、それらを散策しヒマラヤの日の出を拝むには一泊が必要、いや一泊して損はないと思っていた、、だから日帰りも可能だったのだけど迷わず宿を決めたのはそのためだった、、で、時間はたっぷりあって、なおかつヒマラヤが見えなくなってしまったので、とりあえず出かけるしかなかった、、丘の上にあるというカーリーテンプルKali Mandirを目指す、、ホテル前のバラビセBarhabise、コダリKodari、そしてチベット国境へと続いているアルニコハイウェイArniko Highwayから外れて商店街を行くと左右に学校や役場?、郵便局、警察署、アーミィキャンプなんかのある中心街になっていて、更に行くと大きな菩提樹と祠のある分岐に行き当たる、、そこから右に折れて山道になった、、が、中腹にある大きな仏陀像のところまでは参道の形で階段が造られていた、、たぶんネパール人参詣者が多いということなのだろう??、、そこまできつい登りで仏陀像前で休憩、ここからドゥリケルの街が俯瞰できた、、カーリーテンプルは更に丘?というか山の上にあって、ホテルのあったところ(バスパーク脇)からだと1時間くらいかかったか?、結構な山登りだった、、カーリーテンプルの祀られていた丘の上は、そこも恐らくネパール人に人気の観光スポットだったからと思われるがコンクリートの建物が造られていて、その上に展望塔まで建てられていた、、視界は360度だったが残念ながらヒマラヤはそのときもまだ雲の中だった、、それでもここからの眺めはさぞ素晴らしいだろうということは容易に想像できた、、しかし残念ながらそこにいる間にその想像が現実となることはなかったのであった、、

写真を撮っているあたりがバスパーク、写真左の建物がわたしの泊まったホテル、、045_640x480

下がそのホテル、、わたしは文中4階建てと書いていたが、よく見ると5階建てだったようだ、、わたしの部屋は5Fの向かって右だったことになる、、尚この写真は次の日の朝撮ったものでベンチがまだ出てない、、

072_640x480 044_640x480_35Fに部屋を確保したときすでに雲がヒマラヤを覆っていた、、下にチェックポストが写っている

カーリーテンプルのある展望台へ行く途中に、この巨大な仏陀座像があった046_640x480

同所からドゥリケルの街が俯瞰できた、、047_640x480

同方向を更に登った頂上から見ている、右下に上の仏陀坐像が見えている 050_640x480

頂上からのヒマラヤ方向、、この雲は取れなかった、、051_640x480_2

  思っていたより小さな祠だったカーリーの脇にそれを守りながら商いをしているといった感じで、おばさんが座してみやげ物を広げていた、、わたしにコンクリート剥きだしの展望塔を指して、上まで登れるよと教えてくれた、、そこを登っても登らなくてもそこからの展望は変わらないと思われたが一応足跡を印す、、しばらくそこでヒマラヤが晴れるのを待ったが、その間他に観光客の姿をみることはなかった、、結局それ以上いても無駄とあきらめて下ることにし、帰りがけにお布施代わりの心づけをおばさんに渡した、、ナガルコットでもそうしたようにヒマラヤが隠れてしまっている腹いせに花の写真を撮る、、その無粋な展望台の下に可憐な花が咲き乱れていたからであった、、そうでもなければ見逃していたであろう美しさがそこにあった、、それで満足して2,3分下ったところにあった茶店まで降りる、、ちょうど昼頃で何か食べるものがあるかと聞くが、わたしの言葉が伝わらなかったか、相手の言ってることがわからなかったか、なさそうな返答、それでも炊き上がったご飯とダルバートの具をみてそれをくれといってみたが、やはり相手のいってることがわからない、、そのうち何人かの人がやってきてそれを昼食として食べだした、、わけわからずわたしにもそれをくれとしつこく言うと分けてくれた、、どうやらそれはそこに来た人たちが事前に注文して作ってもらった食事で、誰にでも出すメニュウではなかったようだった(そういえばトレッキング中も客の注文をとってから作り出していたのを思い出す)、、その一部をご相伴に与ってしまったようで、よくわからないまま食べ終わって食事代を払おうとするといらないという、、それではわたしのゴリ押しになってしまうから、その辺のところはわからなくてすまなかったという意味で、少なかったかもしれないが50Rsを置いて礼をいって去る、、いや、それはなかなかうまいダルバートだったのだが、本当のところはわからないままとなった、、この辺は言葉の限界、ガイドのいない一人旅の限界であった、、そのまま来た道を下っていったんホテルに戻ることにする、、実はその峠から先ナモーブッダNamobuddhaを経由してパナウティPanautiという古都まで行くトレッキングルートがあることは知っていたし、また別ルートでそこから尾根道を行ってドゥリケルの街に降りる道もありそうだったが、それは体力の限界・時間的余裕の問題ですべて次回?ということにした、、

これがカーリー寺院?右側に展望塔の一部と座ってるおばさんが少し見えている049_640x480

展望塔の下に咲く花(花の名前は知りません);2枚052_640x480 056_480x640

 ホテルに戻って下の店で、これはカトマンドゥでもよく飲んでいたマンゴージュース(500ml ;80Rs)を買って今度は旧市街散策に出かけた、、そのときの店番は学校から戻ったばかりのかわいい女子高生で、たぶんおばさんのお嬢さんだったと思うが鮮やかな英語を話した、、カーリーテンプルへの道とは反対方向の街並みを行くとそこには茶色のレンガ造りのかなり古そうな建物が並んでいた、、石畳の道を行くとまずガネーシャの寺院Ganesh Mandirがあって、更に行くとそこが昔の古都の中心?のようなところで、そこにはヴィシュヌ寺院Vishnu Mandirとハリスィディ寺院HariSiddi Mandirが建っていた、、そこで休んでいると子供たちが寄ってきてなんだかんだと質問攻めに会い恰好の遊び相手にさせられてしまった、、いや、子供たちのその振る舞いはまさにここがまだ純朴さ素朴さが残されている証のように思えた、、同じ状況にもう一度遭遇する、、それはその近くにあったもうひとつの寺、バグワティ寺院Bagwati Mandirを見終えたあとのことだった、、ドゥリケルというところは先に述べたチベットに向かうアルニコハイウェイと、遥かインドまでへ通じているシンドゥリハイウェイSindhuri Highwayの分岐点でもあったから交通の要衝としてかなり重要な街でもあった、、そのシンドリハイウェイの方もみておこうと思って、それはバグワティ寺院の向こう側を走っていたから、その分岐(T字路交差点)のあたりに行ってみたとき、一人の男の子が話しかけてきて英語でいろいろ聞いてきた、、まずわたしのほうかはどうして英語がしゃべれるのか聞く、、もちろん学校で習うしかなかったのだが、今の小学生くらいの年齢ではみんな片言の英語を話せるようだった、、その子はなかなか達者な英語で、最初は適当に相槌をうっていたが、小学生相手にこちらも真剣にならざるを得なくなるくらい純粋な気持ちをぶつけてくる、、すべての話が英語だったのでかみ合っていたわけではなかったが、なんか気持ちの通じるものがあって最後は写真を撮ってあげて終わりにした、、それだけのことだったが素朴な少年の心にじかに触れられ、そういった純朴さが残っている地を最後に訪れることができたことがうれしくもあった、、ヒマラヤは隠れてしまったけれど、いや、だからこそ、もう一度来てもいいかなと思わせるところだった、、しかし、もしかしたらそういった純朴さはこの地に限らずネパールのどこにもまだ残されていて、それがわたしを惹きつけるのかもしれない、とも思うのだった、、それはタメルではもう見られなくなった美風といってもよかった‥??、、

左;Ganesh Mandirとレンガの建物、右;昔の中心地?Vishnu Mandir059_640x480 060_480x640

Bhagwati  Mandir;下2枚 

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そこから街方向、むこうの丘の上にカーリーテンプルがある064_640x480_3

下の写真左の道がSindhuri Highwayで分岐(T字路)の手前、その近くで出会った少年;右066_640x480 068_480x640

 ホテルに戻ったわたしは、また時間をもてあますことになり、4Fのテラスから雲の晴れるのを待つくらいしかなかったのだけれど、そのときそこがたいへん面白い場所であることに気がついた、、見る対象は山だけではなかったのだ、、そのホテルのちょうど真下が、いわゆるチェックポストだったので、そこからコダリ方面に向かう車はすべてそこでいったん停車して、ポリスなのかミリタリィなのかはわからなかったが、その待機小屋まで出向いて荷のチェックを受ける、、トラックだけでなくバスも乗用車もすべて、それは義務のようだった、、その様子や反対側コダリ方面からくる車はノーチェックでそこは素通りできるのだけれど、しかしそこはかなりの急勾配の坂になっていて、特に満載のトラックなんかはやっとのことで登ってくる様を見ているだけで飽きさせないものがあった、、4Fからの眺めはその特等席だったのである、、そのうち雨が降ってきた、、荷にシートがかかっているものもあれば、そこでシート掛けをして出て行くトラックもある、、またバスの中の乗客に外から物売りたちが盛んに販売合戦を展開している、、そんな人の動き、車の動きを4Fから人に知られず見下ろしているのは、あまりいい趣味ではなかったかもしれないが結構楽しめたのであった、、

 そこはトレッキング宿ではなかったから、そこで食事をしなければならないということはなかったのだが、ま、こういうときはそこで食べてあげるというのが気持ちと思って夕食は事前に頼んでおいた、、もっとも無難なフライドライス&スープのほうがダルバートより安かったのでそれを注文し、ビールの持ち込みOKの了解をとってビールを買いに出る、、カトマンドゥあたりでは酒屋の数が結構多かったのだが、下の雑貨屋には置いてなくて買える場所を聞いてそこに行くと缶ビールはなくてビンしか置いてなかった、、その代わりビンの返却不要とのことだったので大瓶(650ml?)を、しかも500ml缶と値段がたいして変わらなかったから、高くてめったに飲めなかったTuborg(カトマンドゥではスーパーでもTuborgはSan Miguel他のビールよりより20~30Rs高かった)を手に入れることができた、、そのときその辺一帯は真っ暗だった、、カトマンドゥでもそうだったが、ネパールは各地で計画停電が実施されていて、どの店もロウソクの灯で営業していた、、ホテルも同じでその日の夕食はロウソクの灯りのなか一人食堂でビールを飲みながら、となったが(結局宿泊者はわたし一人だった)わたしにとってはビールがありフライドライスも悪くなかったから、なんら不平不満はなかったのであった、、ただ本当に残念だったのは、安宿にしてはちょつと洒落た食堂から、晴れてれば文句なしに素晴らしい景観を楽しみながらの食卓になったであろう朝食がとれなかったことであった、、次の朝やはり早めに目覚めたが空模様は絶望的だった、、日の出前にそれでもテラスに出ていたが、日の出すらなかった(雲が厚かったので)、、もうこれ以上そこにいても同じだったから、その洒落た食堂で朝食をとって7時半にはチェックアウトしてしまった、、その日が最終日でなかったら、そこから更にバスで遠くまで行ってみる手もあったかもしれなかったが、ドゥリケルが思ったよりよかったので、それを有終の美としてカトマンドゥに戻ることにした、、バスは15分おきくらいにあってカトマンドゥまで55Rs、帰りは1時間半しかかからなかった、、

上からチェックポストを見下ろしていたが見飽きなかった、、070_640x480

ヒマラヤを堪能しながら朝食がとれるはずだったが‥、、071_640x480