独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 12)ストク Stok、スピトク Spituk

 前日にビールは控えたものの、その朝も頭痛は残っていた、、どうやら高山病順応が失敗したということか?それでも前日と同じころホテルをで、歩いているうちにその症状は軽くなって、同じころにバススタンドについた、、顔なじみになった茶屋でチャイをいっぱいもらい、いつものようにビスケット(10Rsで買ったビスケットが4,5回分の朝食となった)の朝食、その日もバスが2,3台停まっていた、、一台は昨日確認したアルチ、そしてもう一台にはすでに乗り込んでいた欧米人のカップル(たぶんドイツ人?)がいて、どこ?と聞いたところ、ストクという答えだった、、ストク?一瞬どこだったかと思い返しながら礼をいってもう一台のところへいってみた、、が、それもスピトクでなかった、、たぶんティクセ方面だったと思う、、どうやらスピトクへ行くバスは来ていないようだった、、そのうちストクのバスのドライバーが来て、そろそろ発車かと思われたので、そのドライバーにこのバスは何時に出て何時に戻るのかと聞いてみた、8時に出て10時に戻る、それ以外にストク方面のバスはないとのことだった、、もっとちゃんと聞けばよかったのだが、ストクまでは1時間くらいのはずだったから、わたしは10時をストク発と思い込み、現地に1時間くらい停車し戻るものと勘違いし、ならばストクゴンパを1時間でみて回れば同じバスで帰ってこられるのではないかと自分に都合のいいように解釈してそのバスに乗ってしまった、、で、バスは昨日通った街チョグラムサルChoglamsarから右折して河を渡り、荒涼とした荒地から緑のある山すその村までちょうど1時間かかってストクに着いた、、そして念のためもう一度確認してみるとこのバスはすぐに折り返しそのあとバスはないといわれた、10時というのはそのバスのレーの到着時間のようであった、、そして先のドイツ人カップルはそのことを承知しており帰りは歩くつもりであることを知る、そのバスにはほかにも欧米人が何人か乗っていた、、先のカップルとはそのあとほとんど同一ルートを歩くことになるのだけれど、そのほかのツーリストとはそのあとで顔を合わせることはなかった、、考えられたのは、大変素朴で、背後の山並みや遠くにレーの街とその背後の雪山が見渡せる景観があって、ほんとのんびりしてもいいかなと思わせるこの村にもゲストハウス・ホテルが何軒かあったので、そこに滞在する人たちだったか、あるいはそのバスの終点が、その背後に連なる山々への登山・トレッキングの拠点となっていたので、そこで待機していた荷馬・ロバ(もちろんガイドも)とともに山に向かったかであろうと想像された、、そしてようやくわたしも、帰りは歩いて帰るしかないことを悟るのであった、、

324_640x480_2ジープタクシーで来て、ロバに荷を積み替えてトレッキングに向かう人たち

  319_640x480_2バスの終点からゴンパへ向かう道

 ストクゴンパはそのバスの終点から、バス道ではないが少し戻るかたちで、15分くらい歩いたところにあったのだが、なにやら工事をしている作業員はいたが僧侶の気配はなかった、、先のカップルとしばらく待ってみたが、結局諦めるしかなかった、、が、そこからの眺め及びその背後の山も含めたその建物だけでもそれは十分絵になるものだった、、それらを写真に収め、そのあと下のストクパレスにいってみるというカップルと別れ、わたしは先のバスの終点まで戻った、、この辺がにわかに行き先変更をした情報不足の表れだった、、つまり彼らがいっていたストクパレスこそ、ここの見所であり、そこへ続く道こそ歩いて戻る場合の近道であることを知らなかったのである、、だから戻ったバスストップのところの茶店でレー・チョグラムサム方面への帰り道を確認したところ、今わたしが戻ってきた道をもう一度歩いて戻らねばならないことを知るのであった、、往復30分の無駄足をしてしまったということだった、、気をとり直してまた歩き始めた、、その道はしかしわずかに下っており、のどかな田園風景の向こうにすばらしい眺めが展望できた、、ストクゴンパはその道からちょっと外れていたので、改めて寄ることはせずに、そのまま直進、ちょうどそこまでと同じくらいの道のりのところにストクパレスStok Kharはあった、、ここは200年ほど前にこの辺の王様がすんでいた王宮あととのことで、4層の立派な建造物であった、、中に入るのに50Rsとられたが、中の展示品はそれほど見るべきものがなかった、というか記憶に残っているものがほとんどない、、それよりもここからの眺めがまた抜群で、そこにはわざわざカフェテラスなるものが造られ多くの観光客がそこで憩っていた、、そういえば上のストクゴンパではドイツ人二人とわたしの三人きりだったのに、ここの駐車場にはほとんどチャーターのジープタクシー(スズキの軽でなく)が何台も停まっていた、もちろんここの後にゴンパにいくのであろうが‥、つまりはっきりいってここは(ストクゴンパ&ストクパレスは)、そもそもバスで来るところではないようであった、、30分の遅れがあったのですでにその二人の姿を見かけることはなかった、、果たして歩いて下ったのだろうか‥??一応車で待機しているそのジープタクシーの運転手たちに再度道を確認し(というのはすぐ下あたりに一ヶ所道が分かれているところがあった)、そのあとは一本道インダス河を目指しての下りとなった、、ずっと下方、その川のほとりは緑が点在し、川を越えたあたりがチョグラムサルの街、その左手奥がレーの街その背後に雪を頂いた山並み、このインダス河沿いに開けた地をLeh Valleyとでも呼ぶのだろうか?その左手奥から右手奥まで広大無辺の風景をどう形容したらいいのだろうか(そんなパノラマは写真でも撮れない)?ともかくそれを独り占めにして、負け惜しみでなく歩いてはじめて得られるものではないかと、その数キロの下りはまったく苦にならなかった、、時々後ろからジープタクシーが追い拭いていく、そのあとを目で追っていると道筋がわかる、村の外れあたりから緑がなくなり荒野となるが、石ころだらけの荒地を車は曲線を描いた車道を行くが歩きの場合ショートカットで直線的に下れた、たぶん河まで5~6kmの道のりだったと思う、、山歩きのときの下りを思えばぜんぜんせ楽な道であった、、そうやって歩いていて河まで1~2kmくらいのところまで来たとき、そのときは車道を歩いていたのだけれど、突然ダンプが下ってきて、わたしを見つけて止まってくれた、、乗れといっている、、もちろん歩き通せたと思うがせっかくの好意だったので、チョグラムサルまでいくかと聞くとOKしてくれ、たった5分か10分だったと思うが乗せてもらった、、それに乗ってすぐに、つまり1kmもいったあたりだったと思うが、例のドイツ人二人が前を歩いていた、、それを見てわたしはこのドライバーに頼んだ、できたら彼らも乗せてやってくれないかと、もちろん彼は快く引き受けてくれて彼らのところで止まって声をかけてくれた、、ところが彼らはそのときわたしを目にしたからか、すでにもう河の近くまで来ていたからか、大丈夫だからと身振りで断った、わたしはもしこれがまったく逆のシチュエーション、つまりわたしが彼らの立場だったらやっぱり断ったであろうと彼らの態度に納得したのであった、、ま、そんなことをこのドライバーに説明している暇なく、トラックはインダス河にかかる橋を渡りチョグラムサルに着いてしまった、、このときもお礼の品に困ってしまった、、手持ちに何もなく却って失礼とは知りつつ半分くらい残っていた朝食用のビスケットをすべて彼にわたした、それでも彼は喜んでくれた、わたしは十分な礼のできないこと、ずいぶん助かったことをつたえトラックの高い運転席から降りた、そういえば彼は英語が通じたのであった、、

323_640x480ストクゴンパ ; 2枚 320_640x480
321_640x480レー方面を眺める、鉄塔の右にストクパレスが見える、その上の緑の帯がインダス河河畔
326_640x480ストクパレスとそのカフェテラス ; 下 
327_640x480
328_640x480ほとんど車の通らない道を歩いて下る

 不思議なもので前日ここで乗り合いタクシーを乗り換えたことが役に立つことになった、つまりここからレーまで乗り合いタクシーが出ていること、その乗り場も料金もわかっていたので誰に聞くでもなく、すぐにそれをつかまえ15分15ルピーでレーに戻れたのであった、、それは12時を少し回ったころだった、、9時ころストクについて帰りのバスがないことを知ってどうなるのかと、途方にくれたときには思いもしなかった時間であった、、これならスピトクにも行ける‥??

 スピトク行きミニバスは13時にでた、、途中空港に停まるかどうかチェック、ところがだだっ広い空港敷地をぐるっと囲むようにして道はついているのだが、肝心のターミナルがどこだかさっぱりわからなかった、、そのうち大きく書かれたDepartureとその先にArrivalの文字を見つけたので、てっきりそこがターミナルだと思い込むことになった、、バスはその先でカルギル・スリナガル方面に向かう本道がら左に折れ、右手にたぶんスピトクゴンパと思われる小高い山(丘?)の城砦寺院が見えてきた、、が、その下を通過しても誰も降りないしバスも停まらなかったので、わたしもそのまま乗り続けてしまった、、その先で多くの人が降りたのでそこでスピトクはどこかと車掌の若いお兄ちゃんに聞いたら、もうだいぶ通り過ぎてしまったほうを指した、、仕方なくそこで降り歩いて戻る、、そして小高い丘とはいえ、山登りとなった、、やっとのことで本堂入り口に着いたときには朝から積もっていた疲れがどっとでて、しばらくは動けない状態だった、、スピトクゴンパは建物内に入れずその頂からの眺めを楽しむだけだったが、目の下に広がる空港(というより空軍敷地)越しにレーの街、その背後の山並みがこれまたすばらしい眺望で何枚か写真に収めたが、おそらくそれらは撮影禁止エリアだったかもしれなかった、、そしてまた歩いて下の道までくだりバスを待ったがなかなか来なかった、そのうち本道との分岐がごくごく近いことに気づき、そこまででる、そこならカルギル方面からのバスも拾える、、実際スピトクの下で待っていたとき何台か本道を行くバスを目にしていたのだった、、気づくのが遅すぎた、というかもう頭がそこまで回らなかったのだった、、が、そこにでるとすぐに一台の自家用車が止まってくれ(別にヒッチのサインを出していたわけでなかった)乗りなさいといってくれた、ありがたかった、、ついてる?ラッキー‥、その日2度目の天恵に感謝せずにいられなかった、、そのドライバーは軍関係の人だった、、ま、先のスピトクの上から眺めても、来るときのバスからの眺めも、レーの街はそのほとんどが軍関係の施設だったのだから、それに従事する人が多いのは容易に察せられた、、が、これほど善意の人がいるとは思ってもみないことだったからそれは少しばかり驚きでもあった、、ほんの十数分であったが月並みな会話を交わし、感謝の意はつたえたが彼に相応しそうなお礼の品物がなかったのでインドやレーのすばらしさを称えるくらいしか気持ちの表しようがなかった、、そうやって15時ころにはレーに戻れたが、もうそのころはだいぶ疲れていてそのままホテルに戻って休むしかない状態であった、、

334_640x480スピトクゴンパ ; 3枚333_640x480 330_640x480_2
332_640x480滑走路の奥がレーの街、全て軍事エリアでたぶんこんな写真公開してはいけないのかも??
384_640x480同じく帰り7/14に飛行場からスピトクゴンパを写したもの

 夕刻、ある考えのもと少し小さめのバックを探しに街にでた、、それは明日いったんこのホテルを引き払う、そしてアルチ方面に向かい、泊まれそうなところたとえばアルチとかサスポルといった村に宿があればそこに一泊して次の日にリキルを回って帰ってくるというものだった、、そのために荷物は全部を必要としなかったし、できればここに戻ってもう一泊するので荷物の大半は預かってもらえないか、ということを事前にここのお兄ちゃんにいったら何も問題はないということだったので、では今のバッグを預かり用として、一泊だけの荷を入れる小さなディバックのようなものを探さねばならないことになったのであった、、 少し資金も足りなくなってきたのでATMでルピーを降ろし、街中にいやほどある土産物屋や運動用具・登山用品店を当たり始めた、その時点ではまだ迷っていた、、二つのイメージがあった、、ひとつは土産にもなりそうなチベット的?もしくはラダック模様といった感じの刺繍をあしらったカラフルなもので布製のものだった、もうひとつは機能的な日本でも買えそうないわゆる登山用バッグ、North Faceとかミレーといったブランド物もあった、、どちらも店が多く店によって商品が多種多様で、また価格にも差があった、、1~2時間も歩きまわって絞っていった、、結論からいうと民芸タイプのほうが若干高かった、もちろん値切ればもっと安くなったと思うが、ちょっといいものは2,000Rs以上した、、一方日本でも買える登山用バッグはインドにしては高いのではないかと思われた、、1,500~2,000Rs、2,000Rsは日本円で3000円である、、日本とそんなに変わらない、、正直いってその半額だったら迷うことはなかったと思うがやはり国際商品は地域差による価格変動は少ないということかもしれなかった、、で、けっこう迷ったのだけれど決め手は、今までによく経験したことだけど、これはわたしが来るのを待っていたのではないかというインスピレーションを与えてくれるような商品(民芸タイプ)に出会わなかったことで、ならばこれからどこでもずっと使えそうな、わりと使いやすそうで機能性を備えた登山用バッグを、あまり知らないメーカーのものだったが1900Rsを1700Rsまで負けさせて買ってしまった、、それは、つぶしがきくといえばきく、ま、無難な選択だったかもしれなかった、、そして早速ホテルに戻り荷を仕分けしてその夜には持っていかない大きいほうのバッグを預かってもらった、翌々日戻ることを約束して、、しかし考えてみればもうひとつ別の選択があったかもしれないことにあとから気がついた、、それはあまりにも高すぎるとハナから除外していたものだったが、もしアルチ・リキルだけなら日帰りチャーターをしても、そのタクシー代は2500Rsくらいだったのである、、こういうのこそ本末転倒というのかもしれないと、そのとき思うのであった‥??、、