独歩の独り世界・旅世界

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ネパール Nepal 入国 2013/8/28

 デリー最終日(8/27)は、汽車の時間が夜の8時発だったから丸一日あいていた、、その一日をどうするかはちょっと難題だった、、荷物は預かっててもらうとして、夕方までどこで時間をつぶすか?あまり金をかけずに、できたら涼しいところ‥??思い浮かんだのは一ヶ所しかなかった、、多少カネはかかるが博物館‥!?、、ついでにトゥクトゥクで回ったときカメラのバッテリーが切れていて一枚も写真がとれてなかったので、近くを少しぶらついてみる‥、、博物館National Museumはトゥクトゥクでデリー見物したときに大統領官邸からインディアゲートに延びるラジパトRaj Path大通りの中間辺りの角にあったのを覚えていた、、そこへは地下鉄を使えば一回乗換えで30分もかからないこともわかっていた、、10時ころ4日間世話になったホテルのフロントマンに荷物を夕方まで預かってもらえないかとお願いしてチェックアウトした、、デリーの地下鉄は乗り継ぎのできないエアポートメトロを別にして5路線が運行されているが、最も重要で込み合っている路線がコンノートプレイスの地下駅Rajiv Chowkに乗り入れている2路線 Blue LineとYellow Lineだった、、ホテルに近かった駅Blue LineのラマクリシュナアシュラムマーグRKAshram Margまでは歩いて5分、次の駅がコンノートのRajiv Chowkで、そこでYellow Lineに乗り換えて2駅目がCentrar Secretariat駅、そこまで10Rs、表に出るとRaj Pathの芝生の辺りだった、、そこから1ブロックで博物館があるのだけれど、そこへは直行せず辺りをぶらついてインディアゲートまで行って写真を撮ったlりしていた(それが前々回のデリー1,に載せた写真です)、、そのうち暑さに耐えかねて博物館に逃げ込んだが、入館料300Rs,カメラの持ち込み料300Rs(いずれも外国人料金)とられた、、そのかわり日本語のオーディオガイドは無料で、その解説があってずいぶんと助かった、、教科書や歴史書でみた覚えのある歴史的に重要かつ貴重な発掘物や展示品であふれていた、、ざっと一通り見ただけだったが4時間かかった、、すごいものをみせてもらったという昂揚感?充足感みたいなものはあったが、それより疲れのほうが上回ってしまった(ゆっくり見れば一日かかると思うが、疲れたのでもういいや、という気になってしまった)、、

以下一つ一つ注釈する力はないので、うまく撮れたもののうち何枚かを載せておきます、、1枚目は博物館の入り口、2枚目がticket売り場、その後が館内で確か1F,2F,3Fからなっていたと思う、、最後のものは屋外の展示だが、それが何なのかはわからなかった、、

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 再び、今度はひとつ先のUdyog Bhawan駅から地下鉄で戻り、荷物を取ってそれでも2時間ほどまだ時間があったのでKamalkakriによつて少し休ませてもらった、、毎日日本食を食べれるほどの余裕はなかったので、というよりそれは贅沢に思えてしまって、ご飯と味噌汁だけもらって夕食とし19時ころ、また来るからそれまで頑張っててくださいと挨拶を交わして店をでた、、そこからニューデリーの駅までは15~20分ほどのはずだった、、ところがPahar Ganjの通りに出ると予期せぬ出来事が起こっていた、、なんかもの凄い人だかりで楽隊が行進しているようだった、、どうやらそれはわたしの泊まっていたホテルの近くにあったラマクリシュナ教団のお祭りのようであった、、山車が何台も出てパレードしていて通りをふさいでいた、、ええ??冗談じゃない、歩けないではないか、、汽車に間に合わなくなる‥!!、急いでなければ暇つぶしの余興として、そのパレードを楽しんだであろうが、そんな余裕はなかった、、他に道がないから荷物を背負って人を掻き分け掻き分け30分もかかってやっとのことで駅に到着したのだった、、そのあとも去年利用していたからわかっていたが、もし初めてだったら何番線か調べて、荷物検査を受けホームを探し乗る列車を探すのは容易なことではなかったのである、、もちろん列車はホームにあってわたしの乗るべき車輌を探していたら、売店に飲み物等を買いにいく余裕はなくなっていた、、すでに相客はもう席についていた、、自分の席を見つけて落ち着くまもなく列車はデリーを離れた(たぶん定刻に‥)、、

クリシュナ祭?のパレード;2枚082_640x480
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 あとで話をしてわかったことだったが、3Tier/Sleeperは上中下の片側3段ベッドで6人が相客となるのだが、わたし以外はすべてネパール人だった、、そのうちのあるものは仕事、何人かは病気治療とその付き添いでインドに来ていたといっていたが、みんな仲間うちのようだった、、いずれにしろわたしと同じルートを辿ることになる、、インドからネパールへはこれまで2度ほど入国していたが、いずれも飛行機利用で陸路は初めてだったからそれは心強かった、、ひとつだけ難点だったのは仲間うちだったので、ずっとしゃべり続けていて、そのネパール語は聞き取れないので気にならなかったが、一人だけ先にベッドを作って寝るわけにいかなかったことだった、、最上段ならそれも可能だったが、わたしは最下段を選んでいたし、上で寝る気はなかったからであった、、たぶん料金は同じだったと思うが(早いもん勝ちか?)上段は風通しが悪かったり、照明に近かったり、何より昇り降りにたいへんだったからである、、そのときわたしはその日の疲れだけでなく、喉の不調と鼻水がまだ治りきっていなかったからすぐにも横になりたかったのだが1時間半も我慢しなければならなかった、、それでも次の朝、ゴラクプールに1時間ほど遅れて着いたとき(9時の予定が10:10着だった)国境の街スノウリSunauliに行くバスはこっちだといってわたしをバス乗り場まで連れてってくれ、一緒のバスに乗り込めたのはありがたかった、、そのバスはゴラクプールをでると、ずっと田園地帯を北に向かって走った、、途中一ヶ所で昼食休憩があったが、約3時間ほどかかって13:30にインド側ボーダーの街に着いた、、

ゴラクプールのバススタンド088_640x480


 前述のように過去に2回わたしはインドからネパールに入国していたが、たぶん2回ともパトナPatnaから飛んだと思う、、そのときもやはり貧乏旅だったが、それより時間がなかったのでそうせざるを得なかったと、だいぶ昔なのでよく覚えていないがうっすら記憶していた、、で今回は一人旅になってからは時間はたっぷりあったので(帰国便は変更可の10月初旬ネパールからのフライトだった)、何よりこのルートを通ってみたかったこと、そしてこのルートにはいまや世界遺産として有名になってしまったルンビニLumbiniがあったこと、そこもまだいっていなかったので、どうしてもというほどでもなかったが寄れたらよってみようとの想いからこのルートを選んでいた、、もちろん陸路のほうが安上がりということも大きな理由であったが、その選択ができるのも一人になったからであった、、参考までにデリーから国境までのかかった時間とコストを記しておくと(陸路は他にもあるし汽車の運賃も前に記したようにクラスによって金額はさまざまだが)、デリー発のVishali Express AC/sleeperのゴラクプールまでの寝台&運賃は620Rs(1000円くらい?)で13時間の予定が14時間かかった、、ゴラクプールから国境までのバスは3時間で90Rsだった、、ゴラクプールからのバスはけっこう出ているようであったし、乗り合いタクシーも人数が集まればすぐに出ていて料金もそれほど変わらないようだった、、なのでこのルートはデリーやバラナシから陸路でネパールに入る場合(あるいはその逆、ネパール→インド)に最も利用されていて、ある意味簡単で安上がりのルートだったのである、、

 ネパールの国境の街がスノウリSnauliと聞いていたが、実際は地続きでゲートがあるだけ、それにインド人もネパール人もここの国境通過はno checkだったから、もしかしたらインド側もスノウリという地名だったのかもしれない‥?そんなことは気にせず、どこでも地続き(ゲートだけ)の国境の街はそれなりの賑わいがあって活気があるな、と感じながら繁華街の一本道をゲートに向かって歩いていく、、両替屋で2000Rsを3200NPS(ネパールルピー、以降本来はNPSと表記すべきところインドと同じくRsとする、、1NPS ; 1円だったから換算は楽になった)に替える、、どうやらこの率は固定のようで、そのあとネパール側でも残ってた分を替えたがレートは変わらなかった、、あやうく行き過ぎるところで誰かがインド側イミグレを教えてくれた、、スタンプを押してもらっただけだが、これだけ人の行き来があるのに、そのとき旅行者つまりイミグレに寄ったのはわたしだけで並んで待つということはなかった、、そして歩いてゲートを越える、そこにいたミリタリーはたぶんネパール側の兵隊だったと思う(服の色が少し違っていた)、その誰かにネパール側のイミグレの場所を聞いて、今度は入国審査、というかここではVISAの取得手続きが必要だった、、前にも書いたかもしれないがインドもVISAが必要で、われわれの場合夜半着のフライトであったから事前に日本で取得していったけれど、ネパールの場合は空港でも国境でも簡単に取れると聞いていたので、とくにVISAは用意してなかった、、その手続きは実際簡単で(写真と手数料が必要)、期間によってその額が15日;25ドル、30日;40ドル、90日;100ドルだったが、30日で足りるかどうか、しかし90日は必要なかったから30日;40ドルを払ってスタンプを押してもらう、、そのわけはよくわからないのだけれどインドとネパールには時差が15分あった、、インド時間14時ころ、ということはネパール時間で何時だったかその場ではわからなかったのだが、15分差だったから、いずれにしろ14時半にはネパールに入っていたことと思う‥、、

インド側国境付近;2枚、ゲートが見えている006_640x427
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ネパール側ゲート;2枚(インド側ゲートとネパール側ゲートの間は十数m??)
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 さてネパールに入ったはいいが、そこからどうするか何も決めていなかった、、とりあえずルンビニへはいってみるつもりだった、、ただ時間も15時に近かったのでその日はどこかで一泊して明日ルンビニにいくのが賢明に思われた(特に急いでいたわけでないので)、、宿泊するところはどこでもよかったが宿のあるところは三ヶ所に限られていた、、1,ここスノウリ、、2,数キロ先のルンビニへ行く道の分岐点にあるバイラワBhairawaの街、そこのほうが大きそうだったし、ルンビニ、ポカラ、カトマンドゥにはそこからバスが出ていた、、3,はその日のうちにルンビニまでいって、そこで泊まる、、ほとんど迷うことなしに2,のバイラワまでとりあえず行ってみることにしたが、そこまでいくバスやミニバスがあるといわれても、どこが乗り場でどのバスが行くのか皆目見当がつかなかった、、やはり言葉が通ぜず文字が読めないと苦労がつきまとう、、やっとのことで乗り合いタクシー(ミニバス)に乗れたものの今度はどこで降りたらいいのかがわからない、、このときばかりはまったくのあてずっぽうで、けっこう見栄えのするホテルが目に入ったところで降ろしてもらった、、周りはなにもなく、草地・砂地・バラックの小屋があるだけの街外れといった感じのその地で、そのホテルだけは立派に見えた、、訪ねてみるとバス・トイレ・扇風機つきで800Rsとのこと、、高い !と一瞬思ったが、そおかぁ、ここのルピーはインドの2/3か、日本円で800円なら仕方ないかと思いなおして、他にどこにホテルがあるのかもわからなかったので、そこに決めてしまった、、しかしそのホテルは、その後ポカラで新築のまことに贅沢と思えるような見晴らし抜群の部屋に1500Rsを1000Rsにまけてもらって滞在したホテルを別にすれば、ネパールでの宿の中ではもっとも高いものとなった、、ま、入国早々その国の相場や物価がまだつかめないときにはよくやる失敗であった‥、、

辺りの風景からは少し立派に見えたホテル012_640x427

そのホテルからみた眺め、遠くに前衛の山が見えていた、、
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