独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 8)マナリ ~ キーロン Keylong

 マナリの街が結構大きそうだったので、宿の心配はしていなかった、、しかもバスが到着したところが街の中心に近そうだったのも、初めての街に夜ついたものにとってはありがたいことであった、、が、さて、どっちへ行ったもんかと迷う前に声がかかった、、安いホテルがある、しかもここから近い、などといってきた、、いつものように聞き流すでもなく耳を傾け、てっきりリキシャマンかと思ったわたしはそこまでいくらで連れてってくれるの?と聞いていた、、いや、すぐそこだ、歩いていける、自分はそこのオーナーだ、というので、そういうこともあるか、ではついていってみるかと彼に従った、、バススタンドを出たところがメインストリートのような感じで、大勢の人でごった返していた(後で気づくのだけれどそこは車の進入が禁止されていて歩行者天国のようになっていた)、賑やかなところだなと感心しているまもなく、その通りに面したほんとに5分も歩かないところに彼のホテルがあった、、立地は抜群、少しうるさいかなと思わせるところだったが、2階のその部屋は、今歩いてきたそのメインストリートが真下にあって、その人波を眺めるベランダがついていて、なんかリッチな気分にさせてくれる高級ホテルのような感じだった、もちろん調度も悪くなくて、でかいベッドがおかれた大きな部屋であった、、500ルピーといわれ、ま、そんなところかなと思ったが、それまでの経験から、わたしはもっと小さくて安い部屋があればそっちのほうがいいのだけれど、といってみた、、が、あいにくその夜他に空いている部屋はないとのことだった、、少し迷う、、そこまで来る間にもホテルらしい建物はいくつか見ていた、、しかし時間が時間だ、少々面倒になる、そこでひとつだけ条件をだした、わたしは少なくともここに2泊はするだろう、、だから明日もっと安い部屋が空いたらそこに移らせてくれ‥、それで話をまとめた、、で、早速荷を解きシャワーを浴び(そのときは確か温水を使った)、9時を過ぎてもいっこうに賑わいの衰えない街に出た、、食べもの屋もそこらじゅうにあったが、そのとき目に入ったのが何日か前に食べたオムレツパンの屋台であった、、これで十分と思って、そこは後回しにして酒屋を探す、酒屋もその近くに2,3軒あった、、なるほどここは一大観光地なのだ、、この人ごみはほとんどインド各地からやってきたインド人観光客に他ならない、だからみやげ物屋もレストランも酒屋も、いっこうに減らないそぞろ歩きの客たちのために商売にいそしんでいるというわけか、と、そのとき理解した、、なんか日本の地方の典型的な観光地の様であった、だからなんか微笑ましくもあったのだ、、その夜はビール(これが90ルピーもしてデリーの1,5倍)に屋台のオムレツパンで心も腹も満たされていた、、

144_640x4802階のベランダから見た夜のThe Mallの様子(次の夜に撮影)

123_640x480次の日の朝 ; 目の前のHotel Kanzamと通りの感じ

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  あくる朝は雨でそのThe Mall と名のついていた中心街にほとんど人通りはなかった、、その日はレーに行くバスの情報収集とマナリの街をぶらつくだけの予定だった、、まずレーに行くバス情報を顔を合わせれば何かと話をしていたここのオーナーに聞いてみた、、彼はこのホテルだけでなく一階のレストランも含めて、かなり手広く商売しているようだったからもしかしたらトラベルエージェントも経営していたかもしれないが、そうでなくてもこの辺のエージェントはすべての宿ともつながっていたから、即座に自分のところで手配できる、レーまで1800Rsで、夜中の2時発だ、といってきた、、わたしも即座に答えていた、いやローカルバスがあるはずだ、それならもっと安くいけるだろう??、、それに対して彼はレーまでの直行バスはない、キーロンKeylongまで行って、そこで一泊して次の朝発のバスでレーまでは行ける、しかし宿代を考えたらかえって高くつくぞ、というものであった、、つまり今はレーまでの直行のローカルバスはないとのことであった、、わたしが聞いていたのはレーまでの直行バスは途中でどこかに一泊していくというものであったから、ま、一台のバスで行けるかどうかだけで行程は変わらないということであった、、そのバスの値段はわからなかったので後でバススタンドで聞いてみることにして、夜中の2時発という、たぶん大型のワゴン車かなんかで行くツーリスト用のシャトルバスは、それまでの旅でもずっとそうだったように敬遠した、それは確かにローカルバスより快適なのは明らかであったが、ツーリスト専用、つまりその分高い&ほとんど欧米系のツーリストに気を遣わねばならない、英語で愛想を言ったりすることのめんどくささなどがその理由であった、そういえば昨日マクロガンジからここまで来たローカルバスには欧米系ツーリストは一人も乗っていなかった、、その気楽さ安さからわたしは断然ローカルバス派であった、、

 しばらくして雨もやみ街に出た、、ホテルの目の前の建物がKunzamという高級ホテルで、その中にツーリストインフォメーションがあった、、地図、そしてバス情報等をもらい、ひとつ質問した、、この辺でヒマラヤ(雪山)が見える最も近い場所はどこか?と、晴れていればマナリの街からも見えるけどオールドマナリに行けばきっともっとよく見えるだろう、といってそこへの行き方を教えてくれた、オールドマナリは歩いて30分くらいでいけるとのことだった、、そこから数十メートル下のバススタンドでは明日のキーロン行きのバスの時間を確かめた、何でも4時ころから1時間おきにあるようなことをいっていた、時間は6時間くらい、切符はバスの中で買えとのことだった、、が、そのバスをどうやって見つけるか(つまり何番ホームから)まではよく聞き取れず、わからなかった、、がそれで十分だった、要は朝6時のバスで行くか、7時のバスで行くかの問題だけで、いずれも30分くらい前にくれば何とかなるだろうと安易に考えていた、、そしてマナリの街見物に移った、、

 マナリは見所の多いところだった、、街中にも仏教寺院Manali Gompaやチベット寺院GandenThekchokling Gompaがあった、、ビーズ川を渡った左岸にも多くの寺院や温泉なんかがあるようだったが、ちょっと遠いのでパスした、、その代わりこれも少し歩くのだけれどHidimba Deva Templeというマナリで最も重要な建築物といわれるヒンドゥ寺院にはいってみた、すこし登った小高い山の森の中にあって、インド人観光客ですごい人だった、、そこを下って左に歩いていくとオールドマナリであった、、川を渡って左に行くとゲストハウスが何軒かあって欧米系ツーリストが大勢いたので、たぶん彼ら長期滞在者のための比較的安いゲストハウスエリアと思われた(だいたいの相場はバスなしで150~200Rs、バストイレつき350~400Rsくらい、展望等で部屋によって違うが‥)、そこには東洋系の顔もあったが、その多くは韓国人でハングル文字なんかも目にするのであった、、さらに奥にいくとマヌテンプルManu Templeという、これまた不思議な形の古くから地元の人の信仰を集めているような寺があった、、なんでもマナリという地名はマヌの住まいを意味するManu –Alayaからきてるんだそうな??その辺まで来るともう素朴な村人しかおらず、そして振り返ると確かに遠くに雪山が見えた、、あいにく雲が覆っていて、その全貌はつかめなかったが、このオールドマナリあたりに長期滞在するのも悪くないなと思わせる、自然の美しいのんびりしたところであった、、

126_640x480Beas Riverビーズ川、流れが急

 128_480x640_2130_640x480小高い山の森の中にあったHidimba Devi Temple

131_640x480マナリとオールドマナリを分ける橋の上から、橋を渡って右方向は高級ホテル街?下 ; その橋の上で遭遇したヤクを連れた少年(大人か)?
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  136_480x640Manu Temple
140_640x480このときかすかに雪山が見えた、、135_640x480素朴な民家、かなり古い建物?

 そのあたりの細い道までトゥクトゥクは通っていたが、もちろん行きも帰りも歩いた、、マヌテンプルまではマナリの中心から3km、のんびり歩いて片道1時間の散歩コースであったが、平地と違って標高2000mの高地は暑くなくそれだけ疲れも少なかった、、そんなんでほとんど一日はつぶれた、、街に戻って少し散在してしまった、この辺の名産らしい織物・スカーフを売るみやげ物屋が多くあってそのひとつにつかまってしまった、、またこれも名物でしかもわたしの好物であった干しアンズなんかを扱っているドライフーズショップがあって、安いのかと思って手をだしたのだが、これが思ったより高かった、、一番傑作ははじめて日本より高いものを買わざるを得なくなったことだ、その店を探したがどこでも扱っているわけでなかった(レーやデリーでは結構見たが)、それはトイレットペーパーであった、、周知のようにインドでは用足しの後始末は水で直接手で処理する、、これはやはりわれわれには抵抗があって、わたしは紙を使った、、これは水洗の場合水圧があるかどうかの問題で、中南米のように脇にそのためのカゴないし入れ物がおいてあるわけでないから流すよりなかった、、ほとんどは流れたし水洗でない場合も手桶で流すのだが、何回かやれば問題とならなかった、、で、その紙が切れそうになったので補充しようと思ったら1ロールが40ルピーした、、日本円で60円、日本でなら12ロールで2~300円?、仮に240円とすると1ロール20円相当だから、いかにインドでは高価なものかがわかった、、それでも売っていたということはやはり外国人向け商品ということだから、ま、仕方のないことであったし、それでも買わざるを得なかったという話であった、、

 その店では何も文句をつけなかったわたしもホテルへ戻って支払いの段になって、実際に安い部屋が空いたのかどうかわからなかったが、安い部屋は空かなかったので今の部屋しかない、500ルピー払ってくれといわれたときには頑として応じなかった、、約束が違うと突っぱねて、それでは450ルピーでいいといわれたが、400ルピーしか渡さなかった、、彼は相当渋い顔をしたが、下のレストランで飯を食うからといってごまかした、、もっと安そうなレストランはたくさんあったが、約束どおり?夕食は一階のレストランで食事した、、が、やはりビールは飲めなかった、、で、その夜はビールでなくもっと安かったロン(やし酒)の小ピンを買って部屋で外の賑わいを眺めながらちびりちびりやっていた、、

 翌朝5時半に目覚めたが、6時のバスには間に合いそうになかったので、のんびり支度して6時半ころにバススタンドにいってみた、、昨日と違って少し青空が見えていて雪山がチラッと見えた、、キーロン行きのバスはどれかまったくわからなかった、、昨日教えてもらったEnquiryは閉まっていたし、バスの運転手らしいものも車掌らしいものも誰がそうか判断がつかない、、それこそバスは何台も停まっていたが、行き先表示に英語はまったくない、、人に聞くもわかるやつがいない(言葉が通じない場合も多々あり)、そのうちたまたま向こうからどこへ行くんだと英語で声がかかった、、もうその人が頼りだった、キーロンに行きたいがどのバスだろう、と聞くと、そのバスはもうすぐ来るからこの辺で待つように教えてくれるのだった、、が、それっきりでそれがどのバスかわからないまま、しばらく待ってあのバスかなと気づいたとき、先ほどの彼がやってきてそのバスだと教えてくれた、、礼を言ってそのバスに急ぐ、すでにもう満員の状態、それでもやっとひとつ座席を確保することができた、、しばらくしてバスは発車し山に向かった、、ビーズ川に沿って登っていく、街を出ると遠くに雪山が見え出し、早速カメラを構えるも窓側の席でなかったから思うように写真は撮れなかった、、しかしだんだんこの道の険しさがわかってきた、すぐに急勾配の峠道になったのだが、登っても登ってもその九十九折りは尽きないのであった、、しかるにその道ときたら狭い上に脆そうな路肩にガードレール・防壁ひとつない恐ろしいものであった、、その道筋は登るにしたがって下に下に長いグレイのラインを残していったがそれでもずっと起点のマナリ村は見えていた、だから余計その高低差がわかるのであった、、マナリ村標高2000mで今日越える峠ロータン パス Rothan Laの標高が3980mだったから、このバスは2000mを登って峠越えをしなければならなかったのだ、、マナリをでて1時間半くらい?1000mも登ったのだろうか、道はいったん平坦になり池だか水溜りがある辺りで、前方の見通しがきいたのだがまた悪い予感がしだした、、車がずっと連なっているのが見えたが、それらが動いている気配がない、、すぐにそのバスも止まってしまった、、2日前の出来事の再来であった、、今回はどのくらいの時間がかかることになるのやら‥??少しいってはまた止まり、少しいってはまた止まりで少しづつ高度は稼ぐのだけれど、いっこうに流れ出す気配はなかった、そのうちみんなてんでにバスを降り近くにあった茶店で朝食やら茶をとり始めた、つまり何事かドライバーからの説明があったのかもしれなかったのだが、わたしにはまったく理解ができずにいた、そしたら、そのドライバーもどこかへ消えてしまったのでわたしもみんなの行動に倣うしかなかった、、茶をもらって持っていたビスケットで朝食、そしてその辺をぶらつく、少し先に交通標識があり、峠まで16km、キーロンまで80kmとあった、ということはマナリから三十数キロを2時間近くかけて登ってきてそのまま止まってしまったということになる、、どうやらその先が通行禁止になっているようでどのくらいで開通するのか皆目見当がつかなかったが長くなりそうではあった、、そのあたりの眺めはもう雪山が間近にあるのだけれど、雲がかかっていてその輪郭ははっきりしなかった、、この渋滞の長い列を見ていると、どうも峠あたりではウインタースポーツが楽しめるのか?あるいはトレッキング・ハイキングなどを目的に来ているのか?レジャーを楽しむインド人観光客、それもマイカーできている家族連れが本当に大勢押し寄せているのに驚かされるのだった、、またそのマイカードライバーのマナーの悪さというか低俗さにも、ここでだけでなくいつも呆れさせられていた、どういうことかというとその渋滞している道の対向車線をわれもわれも無謀にも走っていく、そうすればその先で更なる渋滞をもたらすということが彼らにはわからないようだ、、こういった件だけでなく、クラクションの使い方にしても常々インド人の低脳さに呆れ、わたしはそういう時いつも日本語で悪態をつき、罵声を浴びせていたのであった、、ま、そんなことや度重なる通行止めにうんざりしつつも気長に待つしかなかったのだが、お昼が過ぎ、13時を回ったあたりでようやく少しづつ車は動き出した、、そのとき窓側に座っていた少年がバスに戻ってきた、わたしはその間窓側に移っており戻ってきた少年に10Rs札を渡し席を替わってくれと態度で示した(言葉が通じなかったので)、彼は快く応じてくれその後は持っていた菓子をあげたり、彼からはスモモなんかをもらったりしていい関係は築けたと思う、、そんなことより窓側に移れた価値は大きかった、その後しばらく登ってロータンラ通過が14時15分、そしてそのあたりから天気が一変し視界に雪山がくっきりと飛び込んできた、、素晴らしい ! !、5~6000mのザンスカール山塊であった、、バスの中からであったが何枚もシャッターを押す、峠を越えたバスはそのあと渋滞することもなく一気に下っていった、、途中一ヶ所分岐があった、後で調べてわかったのだけれど右方面がSpiti方面に行く重要な分岐であった、、その奥も谷が開けていて雪山が光っていた、、われわれのバスは左方向へ進みまもなくChandra川河畔まで降り下った、、少しなだらかになった道を行って峠から1時間、コクサルKoksarという村、あるいは宿場といったほうが適切か?やっと人家のあるところにたどり着いた、、そこに昼食休憩ということで少し長く停車した、、その峠Rothan Laがちょうど天気を分けていたように、その峠はインド文化圏とチベット文化圏の境界でもあった、、峠からこちらインド人のマイカーも見ることがなくなって気分もさわやかになるのであった、、そこからキーロンまでは45km、比較的平らになったその道をバスは1時間半かけて走り、17時15分、前方にも後ろにも雪山が見える桃源郷のような村キーロンのバススタンドにようやくたどり着いた、、通行止めがなければ確かに6時間くらいの道程だったかもしれなかった、、ちなみにManali~Keylongのバス代は130Rsであった、また、そのバスにもいわゆる外国人ツーリストはわたし一人しか乗っていなかった、、

146_640x480朝、マナリのバススタンドから 150_640x480マナリの街を出ると雪山がより鮮明に
   151_640x480下の平地がマナリ郊外
161_640x480九十九折の道
160_640x480停まってしまった(わたしが乗っていた)バス
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動かないバスの中から(下も)
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172_640x480土砂崩れの現場を過ぎたあたり、前の車はたぶんレー行きのシャトル
175_640x480Rothan La ロータンパス 3980m付近(3枚)
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183_640x480峠を越えると渋滞はなくなった
186_640x480下の河まで下る道が続いている
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Spiti方面の谷を望む
189_640x480Spiti方面への分岐
193_640x480Koksarで昼食休憩のため停車中のバス
191_640x480Koksarの交通標識
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Keylongへの道の途中、Chandra河左岸奥の谷と高峰

 バススタンドについてすぐに明日のバスのことを聞いてみた、バスは5時に出る、その場でticketが買えるとのことだったので、525Rs払った、、座席指定でシートナンバー9と教えてくれたのでなんか一安心であった、、その後宿探しに移った、、バススタンド前にあったホテルは足元を見るように高いこといってきた、冗談ではない、高すぎる、ホテルはいくらでもありそうだったし、まだ明るかったので、少し裏手に回ってみる、バススタンドから5分くらいのところにあったホテルは眺めがよく、といっても明日朝早く発つ身にはどうでもよいことであったが、かなりきれいな部屋がバス・トイレつきで300Rsだったのでそこに決めてしまった、、そして荷を解きシャワーを浴びて、何にもなさそうな村巡りにでた、、それでもこの近辺では大きな村のようで、谷あいのBhaga川段丘上にホテルが何軒か、食べ物屋もあって欧米系の長期滞在者も目撃した、たしかにこの桃源郷を思わせる自然条件・素朴さは昔ネパールのトレッキング中に滞在したいくつかの村に匹敵し、わたしの今回の旅では唯一(あとから思うにbest)の場所だった、、何もない、が、素晴らしいところであることは直感的にわかるのであった、、そんな村のこちら側(川向こうにも民家あり)しか歩き回れなかったが、3~40分の徘徊となった、、暮れかけてきたころバススタンド近くの飯屋に入って、ほとんど何もなかったがトゥクパが作れるというのでそれを頼む、と、そこの客が何か飲んでいる、チャンかときくとそうだという、今回初めてチャン(とぶろく)にであった、早速少しくれというと、ポットのような容器に入れて持ってきた、そんなに飲めないといったがどうやらそれが最小単位ということでコップにうつして飲み始めたが、時間をかければともかく、全部は飲み干せなかった、、トゥクパ50Rs、チャン30Rsだった、ずいぶんいい気分になって(酔っ払って)足元が暗くなりかけてきた道をホテルに戻った、、が、どういうわけかそのままベッドに横になったがすぐには寝付けなかった、、だんだん寒くなってきた、、そこは3400mくらいの標高であった、、高山病の気配はなかったが、目がさえてしまってたぶん眠りについたのは12時を回っていたかもしれなかった‥、、

198_320x240キーロンの村の手前、奥の集落がKeylong205_640x480キーロンのバススタンド202_640x480村の感じ、前方に雪山が、、203_640x480そして後方も雪山が、、208_640x480キーロンの街中