独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 14) レー~デリー

 それは下ラダックのラマユルだったりリゾンであったり、あるいは上ラダックのヘミスであったりチョムレ・タクトクであったり、ピャンも行けなかったしヌブラ渓谷へも行けなかった、、スリナガルも寄ってないし、ザンスカールの山々へは一歩もアプローチしていなかった、、もう一度来てゆっくり滞在してみたいところも数知れない、、いずれもこの次、またの機会にということになってしまった、、しかしもう一度来る価値は十分ありそうだった、、少なくともあのマナリからのルートは無理にせよ、飛行機代もバカ高くはなかったし、何よりスリナガル経由の道が残されている、、後に報告することになると思うがそれまでの滞在費は20日間で300ドルを越えていなかった、、ならば次の機会を模索することはそんなにばかげたこととは思えなかった、、いずれにしろその場合は暑い平地を避け早めにこの地まで飛んできて少なくとも一ヶ月くらいのんびりするのがよさそうにも思えたが、それでも滞在費はたかが知れている、、あとは航空券しだいということになるかもしれない‥、、

 そんな想いを胸に秘めてその日も同じ時間に、いや、少し早めにホテルを出た、、そんなに早く出る必要はまったくなかったのだけれど、もうすることがなかったので、誰もいない受付を通り誰にも声をかけず7時前にはチェックアウトしていた、、通いなれた道を、しかしいつもよりは重い荷を担いでバススタンドに向かった、、もう戻らない、いつかまた来る日まで‥、、バススタンドに着いたとき、まだミニバスは一台も来ていなかった、、スピトク行きの一番のバスは何時に出るのだろうか??最初にやってきたミニバスはこの日もピャン行きのバスだった、、ピャンか ! ?、しかしピャン行きも空港前の道は通るな‥??そう思ってドライバーにエアポート?と聞いてみた、と、一瞬戸惑った表情を見せ、yesともnoとも答えずにわたしの前から姿を消してしまった、、わたしはかまわずに乗り込んで出入り口のドア近くに席を占め発車を待った、、

 空港へはそんなに早く行く必要はなかった、、10時20分発の国内線だったから、9時に着いていれば問題はなかったはずだ、、まして空港にミニバスで行く人もいないようであった、、タクシーで150~200ルピーと聞いていたから、飛行機に乗るクラスの人はそんな額はケチらないらしい‥??、、ま、そういう意味では普通でなかったりこだわってる部類のわたしは確かにケチと謗られても仕方ないところだが、納得いかない金は一銭も払いたくない性質だったので、バスで行けるところにタクシーを使うなんてことは考えられないことだった、、それともうひとつ、これは行ってみなければわからないことだったが、もし可能性があるなら早めにいって飛行機の窓際の席を取りたかったのである、、早ければ必ず取れるというものでもなかったがその可能性にかけたということであった、、その二つの案件のためできるだけ早いバスに乗りたかったのであった、、そのバスは前日同様7時半に出た(つまりピャン行きのバスは7時半発?)、、バスが出るころにはこれも昨日のアルチ行きのバスと同様、もう立っているのさえ困難なくらい乗客で混みあっていた、、そして空港までの間、それでも更に新たな乗客を乗せるのだが降りる人はまったくいなかった、、ドライバーがわたしの乗車を渋ったのはそういうことだったのだ、、彼はわかっていたのだ、わたしが降りられなくなることを‥、、それでも空港近くで彼はわざわざ停まってくれて、空港に行くならここで降りろと教えてくれたのであった、、出口付近にいたとはいえ、人を掻き分け大荷物とともにバスを降りるのに相当な困難と時間を要した、、運転手と乗客に迷惑をかけてしまったのは明らかであった、、ドライバーは渋い、そしてやや呆れた顔つきでわたしが差し出した10Rsのバス代を受け取った‥、、

 が、降りたところ、というか降ろされたところは前に確かめておいたDepartureの場所からずっと手前であった、、でもそんな経緯だったから文句もいえず、仕方なくただもくもくとその場所を目指して歩いていく他なかった、、何しろ広い空港敷地だから10分くらい歩くことになったか?、そのDepartureの入り口までいった、、空港とはいってもメインは軍用である、そこに入るには厳しいチェックがあると聞いていたから、その入り口でパスポートとプリントアウトしたE-ticketみせると、何ということだ、そこは軍用の入り口で民間の入り口はずっと向こうだ、と来た道を戻るよう教えてくれたのであった、、ナニっ、ここではない‥!?、、どうやらわたしの早合点?またやってしまったか ! !そう、わたしのよくやる勝手な思い込みをこのときもしていたようであった、、何のことはない戻ってみればドライバーに降ろされた場所からすぐのところ、そこから少し戻ったところが民間の入り口だったのである、、20分くらいのロスで、空港敷地内に入ったのは8時を少し回ったころであった、、歩いてターミナルまで行くとそこでまたチェックがあり、今度はなんと、まだ中には入れないから外で待つようにとの指示であった、、‥どうなってるんだこの空港は?と訝りつつもターミナル前に並べられていた椅子に座って指示を待つことにした、、その時点ではさすがにまだ乗客は少なく、先に来ていたその数人の乗客らしい人たちも並べられた椅子に座って待機していた、、そのうち段々タクシーで来る客でターミナル前は混み合ってきた、、完全にわたしの目論みは空回りに終わりそうになった、、つまり早くきた意味がなくなってきたのだ、、30分くらい待たされてようやく入場が許され、まず荷物検査があってそのあとチェックインカウンターに並んだ、、それでもまだ早いほうだったのでwindow sideの要求は通った、、が、それは右か左かはわからなかったし、そこまではリクエストはしなかった、、座席番号はAだったから左側だったと思う、そして左側ならOK、きっとより望ましいとそのときは思っていた、、

 レーからデリーへのticketは前に少し触れたが、日本で予約ができてクレジット決済でE-ticketを取得していた、、それが思ったより安かったので大丈夫かな?と少し心配ではあったが、それまで利用していた格安航空券は全てそうやって手に入れていたものだったから問題はないと思っていた、、昔脅迫的に言われていたリコンファームなんていう再確認作業もしなかったし、そんなもんはもうとっくに必要なくなっていると思う(一部の本にはまだそんな注意書きを目にすることあり)、、さて、そのticketを取得する際同日のレー~デリー便は実は2便あってどちらも選択可能で料金も同じだったのだ、、ひとつは朝の6時発くらいだったか?早朝便でレー~デリー直行便だった、、一方わたしの選択した便は10:20発でスリナガル経由便だった、、スリナガルに30分くらい駐機してデリーに向かう、デリー着が13時となっていた、、迷うことなく経由便を選んだのはもちろん朝早いのを嫌ったのがひとつの理由だったが、スリナガル経由であればそこへ飛ぶ間にザンスカールの山々が眺められるのではないかという期待からであった、、が、そのためにはどちら側がよりよいかは実は微妙というか、よくわからなかったのである、、また、もしかしたらスリナガルからの飛行でも左側からなら再度見えるかもしれないというかすかな望みもあった、、だから窓側の座席にこだわっていたというわけであった、、

383_640x480飛行場で 384_640x480この写真は前に掲載しているが飛行場から見たスピトクゴンパ

 到着便が遅れたのか出発は1時間も遅れた、、ようやく飛び立った左側の窓にはばっちりザンスカールの白い峰々がずっと見えていた、、氷河も見えた、何枚か写真にも収めた、、が、果たして右側からの眺めがどうだったかはわからなかった(というのは右側からならK2を含むカラコルムの山々が見える可能性があったからだ)、、それでも少し早めに空港にいったことは十分報われたということであった、、1時間でスリナガル、せめて上からだけでもその美しいといわれる街を眺められないものかと期待していたが、それはだいぶ霞んだきてしまった天気によって叶わなかった、、またスリナガルから左手に見えるかもしれないと期待した山々は曇がかかってお目にかかれなかった、、成層圏に出て遠くにヒマラヤの影でも伺えないかと目を凝らしたが当然それも無理な話であった、、そうして1時間遅れで14時にデリーに到着した、、荷物も待たされることなく出てきたのでそこまでは順調だった、、しかし空港ロビーを出るとまず今までの涼しさがなんだったのかと腹立たしくなるような暑気が襲ってきた、、次にそこがターミナル1と聞いていたので、国際線のターミナル3に地下鉄に乗るべく行こうとしたら地下鉄は動いてないという話、また例によって適当な作り話をしているのではと疑って、もし事実だとしてもエアポートリムジンに乗るにはターミナル3に行く必要があると、これまた思い込んでいたので、エアポートシャトルに乗りこむ、と、無料のはずのシャトルバスなのに25Rs請求してきた、、ガイドブックの情報が古いのか?これも疑問のまま払わないわけにはいかなかった、、で、ターミナル3で改めて確認すると理由がよくわからなかったのだが地下鉄エアポートメトロはしばらく(数時間ということでなく数日?もしくはかなり長い日数)動かないだろうとのことだった、、いったい何があったのだろう‥??それではエアポートバスで行くしかないと、その乗り場に行くとなんと先ほどターミナル1から乗ったシャトルバス(そのときは行き先がターミナル3になっていた)が行き先を変えてエアポート<リムジン>バスになっている??、、よくわからないままそれに乗り込むと車掌も同じでデリー中心部まで75Rsといってきたからさっき25Rs払ったではないかと抗議したけど、さすがにそれは通らなかった、、で、そのバスはまたターミナル1を経由してデリー市街に向かったのである??、、ま、そうやってなんとか100Rsでデリーの中心部まで行けたのだけれど(一番の不可解はターミナル間移動のシャトルバスが無料なのか有料なのかという点にあった)ホテルをどこにするかは決めていなかった、、

386_640x480飛行機から、以下同 387_640x480
389_640x480
391_640x480
403_640x480デリー着陸前

  最初にデリーに到着した日、パハールガンジの一方の端、地下鉄ラマクリシュナアシュラムマーグ駅付近を歩き回っていたときちょっと良さそうなホテルを見つけていた、、その日の宿はどこでもよかったしどこにも安宿はあったが、やはり気に入ったところがよかったのでニューデリー駅でバスを降り、地下鉄でそこへ行ってみた、、最初にそのホテルを見たときは800Rsでエアコンつきは安いのではないかと思ったのだが、2週間以上インドを回っての800Rsはさすがに高いのではないかと思えてきた、、近くにはもっと安そうなホテルがあった、、500Rsでエアコンつき、それでいいではないか、、早速そっちにいってみたがその部屋はすでにいっぱいで扇風機・フアン付で400Rsの部屋しか空いてないという、、とりあえず見せてもらうと、そこは4Fにあって(ただし階段)バス・トイレ、窓付きのファン及び扇風機がついていた、、設備はどうでもよかった、他を探すのが面倒になったのと、そこからの見晴らしがよかったのでそこに決めてしまった、、前にその辺を歩き回ったときもそうだったが、その界隈は種々雑多な商店、ホテル、レストラン、旅行代理店、屋台が立ち並び、それはまあ賑やかこの上ない、猥雑な感じのところであった、、人通りも多いしリキシャ・オートリキシャ・一般車の通行も激しい、前にも少し触れたがそのクラクションの使用は異常なほどだ、、うるさくないわけがない、、ま、それだけが唯一難点であったが、それでも4Fだったので多少それも緩和されていた、、シャワーを浴びて荷を解いて、早速街に繰り出す、、最初に探したのがクリーニング屋、もう日にちもなく洗濯も靴下の類以外はできないでいた、、意外にもこれだけツーリストも多い界隈にしては洗濯屋探しは困難を極めた、、それでも人に聞いたりして路地裏のそのまた裏あたりにやっと見つける、ジャケットとズボン明日の昼ころまでにできる?と聞くとOKした、、これまでレーで一回洗濯屋にズボンとシャツをお願いしたことがあったが、あとはすべて自分でやっていた、、何しろ乾くのが早いところだから、小さなものや薄手のものはそれで何とかなった、、が、2週間一度も洗えなかったジャケットは最後にきれいにしてやりたかった、、それにしてもそんなんで着るものも底をついていた、この暑さで一日着たものはもう着れない、やりくりが難しくなっていた、、多くの旅行者は特に女性はインド風の服を、この地ならではの服装を身につけており、それは土産にもなったからそこらじゅうで売られていたが、男物で自分にふさわしそうなものを見つけられないでいた、そのホテルの一階もその類を扱っていたが男物によいものはなかった、、しかし価格は日本に比べれば格段に安かったから目ぼしいものがあるなら現地調達が合理的なのだが、今回はそれをゆっくり探すことはしなかった、、何より荷が増えるのを嫌っていたからだ、だから土産も極端に少なかった、、そんな中でその界隈をぶらついていたときタバコ屋から声がかかり、ビディがあるかと聞いたら、20本入りが10Rsでまだ売っていた、若いころによく吸ったし、また土産にもしたことがあったので、懐かしさからその20本セットを一つだけ買ってしまった、、もっとも小さくて安い土産となったかもしれなかった、、そうやってその界隈を流して行くのは結構楽しかった、、ラッシー屋からも声がかかった、、声がかかるとだいたい応じた、、小さいコップだと15Rsだった、、暗くなってから飯屋を探す、、レストランから庶民的な食堂・飯屋までいくらもあったが、わたしが入るのは屋台か飯屋レベルだったから、その手を探す、、そのレベルは店による違いはあまりないのでどこでもよかったのだが、わたしが入ったところのヴェジタブルカレーは今まで食べた中では最高のものだった、、うまかったのと量が多かったので最初はライス、次にチャパティ、最後にナンを頼んでやっとすべてを片付けることができた、、珍しく食いすぎてしまってもたれ気味になったので帰りに果物屋でフルーツの盛り合わせを頼むしかなかった、、が、そのフルーツの盛り合わせも量がありすぎた、、唯一アルコールはその夜手にできなかった、、‥残りがあと一日となって、残金の調整も難しくなってきていた、、