独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 15)最終回、デリー~上海~帰国

 あの‘深夜特急’の後に出た旅行記の中で、といっても他人の旅行記を読むことはまずないのだけれど、たまたま手にとって面白いと感心した本があった、、もう10年以上も前になるか?その本の題名は‘上海の西、デリーの東’というもので当時まだ30代だった若者が書いた、ま、いってみれば沢木さんの後の世代を代表するような新鮮な旅物語であった<今、確認人したら著者素樹文生氏 1964生まれ、1999,1,1発行、新潮社>、、そのタイトルが秀逸だった、、まさに上海の西・デリーの東、なのだ ! 、、うまく言い当てていると思った、、中国から東南アジア・インドへと続く回廊はもちろんそのずっと以前から旅人を魅了してきた、、そしてわたしも歩いてきた、、そんなディープなアジアの深淵を覗かせる彼の切り口・語り口が鮮やかであった、、わたしが苦労した旅をそのまま彼が書いてくれていたので、懐かしくかつ頼もしく読んだ記憶がある、、アジアの旅は今でも多くの旅人をあつめ決して色褪せることなく、その刺激と精彩を放っていることと思う、、その地域は決して旅人を飽きさせることのないはかり知れない奥深さを秘めている、、

 何が言いたかったかというと、たまたまその本を思い出してさしづめ今回のわたしの旅は‘デリーの北’とでもいえるかな、と思ったまでである、、思えばその地も昔から旅人をひきつけてやまない地ではあった、、その奥深さ、ディープなアジアという意味では決して引けをとらない地域でもあった、、‘深夜特急’‘上海の西、デリーの西’のような横断的な旅が可能なエリアではなかったが、、いや、厳密にいえば昔は中国からインドに通じるシルクロードのひとつのルートであったから(だからチベット文化が残っている)、現在の中・印・パの国境が引かれる以前は(今でもそれで紛争が絶えず確定的な国境線は定かではないが)辺境の地ではなかったはずだ、、が、われわれが熱い視線を送ったころ、そしてその後しばらくはそれほど簡単にいけるところではなかった、、わたしも結局行きそびれ、ずっとその機会を狙っていたのだけれど、ちょっと遅過ぎたかもしれなかった、、ようやく思いが果たせたとき、すでにそこは世界中の観光客であふれていたのだった、、それでも、わたしがデリーに戻ってきた日、泊まったホテルの一階で商売していた男が、どこを回ってきた?アグラか?ヴァラナスィか?と聞くから、レー/ラダックだと答えると自分はカシミールの出身だといっておおいに喜んでくれたのだ、、デリーの片隅に住まう若者達、故郷を離れ厳しい生活を送る多くのデリーの住人達はそのほとんどが地方出身者である、、その全てが郷土をこよなく愛しており、そこを訪れたというだけで喜んでくれたのが印象敵だった、、

 さて、最後の一日、その上海に飛ぶ飛行機は深夜便だったので、12時チェックアウトのあと夜半までの時間どうするかが問題であった、作戦は練っていた、、まず荷物は夜まで預かってもらう、そして地下鉄の一日券を使っていったりきたりするという案であった、、いうまでもなくそれはデリー到着その日に学んだ、お金をかけずに涼しく過ごせ、そして市内見物もできるというわれながら妙案に思えた方法であった、、で、一杯の茶を飲んで地下鉄駅に行く、そういうticketがあるかと聞くと150Rsで、そのうちの50Rsはデポジット、つまり使用しなくなった最終駅で50Rs返却されるというものだったので、すぐに購入しそのまま電車(地下鉄ブルーライン)に乗って隣駅のRajiv Chowk(コンノートプレイス)までいった、このハートオブデリーheart of Delhiデリーの中心へは、今回はじめて訪れたのだが、ひとつの目的があった、、エアポートバスの乗り場あると聞いていたのでその場所を確かめておきたかったのである、、何人かに聞いたがいずれも言うことが違う、それぞれにいわれたところに行ってみたが、バス停がなかったり、あってもそんなバスは来なかったりして、もう炎暑の中耐えられなくなってしまった、、たまたま近くにDTTDC(デリー観光開発公団?)という観光案内所のようなところがあったので、休息をかねて入ってみた(よくわからなかったがいわゆるインフォメーションセンターではないようだった)、、そこでデリーの地図をもらってバス停の場所を聞いてみるともらった地図にその場所を記してくれ、ひとつ向こうの通りだと教えてくれた、、そこには大きなバス停があった、、多くの人がバス待ちをしており、そこを通るバスの番号も案内されていたがエアポートバスが何番だったかは覚えてなかった、わずかに赤い車体でExpress 4 ??だったかの記憶があり、それらしきバスを待ってみた、、が、30分以上そこにいたが、そんなバスは来なかった、、一度だけそれらしいバスがバス停には停まらず通過していったのがチラッと目に入った、、いや、これは当てにならない、バスは諦めたほうがいいかもしれない、、では他の方法は‥??、、

 そういう意味ではすべての元凶は、その原因がよくわからなかったが、エアポートメトロの不通にあった、、というのも、もしエアポートメトロが動いていれば実はその一日券で乗れたのだった、、なのでいったんホテルに戻ってチェックアウトし、荷物を預け昼食をとり、洗濯屋でズボンとジャケットを受け取りその場で着替えをさせてもらって、その足で再び地下鉄ラマクリシュナアシュラムマーグ駅にいったとき、その一日券を買ったオフィスでエアポートメトロが不通だけど、もし別のラインを使っていった場合どこの駅が一番空港に近いか聞いてみた、、その答えはエアポートメトロの一方の始発駅へつまりエアポートメトロ空港駅IGI Airportの隣、Dwarka Sector 21という駅でラマクリシュナアシュラムマーグ駅を通っているブルーラインの終着駅でもあると教えてくれた、、つまりその場から一本でそこまでいけるということであった、、もとより時間はたっぷりあって予定はなく、しかも一日券を持っているので(というかそのための一日券でもあったのだから)そのまま来た電車に乗ってそこへ行ってみることにした、、たっぷり1時間以上かかった、、何しろそのときもらった地下鉄路線図によると、その間の途中駅が26もあったのだった、エアポートメトロと違って市内を遠巻きにぐるっと回っている路線のようであった、、終着駅Dwarka Sector21の駅舎はまだ新しく駅前はほとんど何もなかった、、これから開発されていくような感じであった、、建物も人通りもなかったが大きな通りが通っていてタクシーとオートリキシャ(トゥクトゥク)が何台か停まっていた、、見慣れない客に訝しげにこっちをみている、、そこにいって聞く、飛行場が近いと思うけどいくらでいってくれる?彼らもエアポートメトロが動いてないのを知っているから、200Rsくらいのことをいってきた、、わたしはそこから飛行場までの距離がわからなかったので、あてずっぽにそれは高いんじゃないというと、空港までは15,6kmあるから正規の料金だといってきた、、ふーん、そぉかぁ、そんなにするのかぁ ! ?、と日本語で言いながらそのまま駅に戻ったので余計彼らはわたしを訝しく思ったに違いない、、わたしはそのまま折り返しの電車に乗った、、

405_640x480Swaminarayan Akshardhamスワミナラヤン・アクシュダルム・ヒンズー寺院(駅から少し歩く)


 せっかく一日券を持っていても、このルートは高すぎるという結論をだし、それでもまだ時間はだいぶあったからそのままブルーラインでRajiv Chowkを通り過ぎAkshardhamという駅までいった、、1時間半くらいかかったか?、そこはガイドブックで見つけたのだけれど何でも世界最大のヒンズー寺院があるらしい、何回かデリーに滞在したことがあったが一度も訪れたことがなく、しかも地下鉄の駅から近いということなのでこの機会にいってみようと思ったのだ、、駅の構内からその建物は見えたが、少し歩かなければならなかった、、リキシャマンから声がかかるが断って大勢の人と一緒にその入り口に向かって歩いていった、、しかし、その入り口付近に来て、その入場のためのゲートでの人ごみ?セキュリティチェックかなんかのための行列を見て、いっぺんに気持ちが削がれた、、(どう見積もっても入るだけで30分?)そこまでしていってみようという動機はみつけられなかった、、そのまま歩いて駅まで引き返した、、さてどうするか?、、そうだグルガオンにいってみよう 、、グルガオンという新興住宅地については出発前に読んだ新しいインドを紹介する本に出ていて、発展するインドを象徴するような中産階級が多く住み、新しいショッピングセンター・ショッピングモールがその駅前エリアに林立し、デリーに地下鉄で通う通勤者のための新しく生まれた近郊都市(新興都市?)のように記述されていた、、まさに近代化するインド、わたしの知らない新しいインドがあるようだった、といってもそれまでにそういった新しい街はすでに何回も乗り継いでいた地下鉄から見てはいたけれど‥、、そこへ行くにはいったんコンノートプレイスRajiv Chowkへ戻って地下鉄イエローラインに乗り換えねばならなかった、、気がつくときそのとき18時を回っていた、、預けた荷物を取りにホテルには20時ころには戻りたかった、、ひとつにはエアポートにはバスで行こう、そのためには一番確かなISBTまでいったほうがよさそうだと思っていたからだった、、19時ころまで乗ってつかなければ戻ることにしてイエローラインに乗り換える、、しばらく乗っててわかったことだけどこのラインはブルーラインと違って地上に出なかった、、ブルーラインはRajiv Chowkから数駅間だけ地下を走っていたが、あとはほとんど地上・高架だったので外を眺めることができた、、ところがイエローラインにはその楽しみがなかったのだ、面白くもなんともない路線だった、、そのうちクトゥブミナールQutb Minarという、これもデリーの観光スポットで、一度いったことのあるイスラームの塔(72.5m)がある同名の駅の手前でようやく地上に出たが、そのときはもう夕暮れが近かった、、その塔もかなり遠くに確認できただけだった、、残念ながらグルガオンまではいけそうになく次の次の駅で引き返した、、もうすっかり暗くなったラマクリシュナ駅に帰り着き、駅前の露店で軽く腹ごしらえ、、それはレーのインド食堂でテイクアウトしたインド風コロッケで、うまそうだったのと懐かしさでつい立ち食いしてしまった、、ここでは20Rsだった、、そしてホテルのはす向かいにあったラッシー屋でおそらく最後になるであろうラッシーを飲みながらしばし休憩、、少し落ち着いてからホテルにいって多少の心づけを渡して荷物を受け取った、、再び地下鉄でRajiv Chowk乗換えでカシミールゲートへ、ところがその乗り換えの電車が、それまでいつも5分と待つことがなかったのに15分20分たっても来ない、、少しあせってくる、、ようやく来た電車は超満員、何とか乗り込んで、ま、カシミールゲートも乗換駅だったからみんなの流れに従って無事下車でき、そこで50Rsを取り返した、、その時点でバス代は75Rsのはずだったから100Rsくらいは残してあった、で、プラス50Rsとなり、空港へいったらすべて高くなると思ってそこの売店で飲み物とパンを買って残りが112Rsとなった、、エアポート行きのバス停がわからなかったので、少しうろうろしていたら親切な人が教えてくれ、そのバスがちょうど入ってきたところであった、、9(21)時を過ぎていたがまずは一安心、ところがバスが動き出して車掌が集金に来た、どこまでか聞くからインターナショナルと答えると100Rsだといってきた、、いや75Rsのはずだとやり返すが国内線ターミナルが75Rsだといって相手にしてくれなかった、、こちらも何年か前の情報でいっているのだから確信があるわけでなくこの勝負はわたしの負け、それにしても100Rsがまだ残っていたのでほっとしていた、、昨日の空港からのバスにしても計100Rsとられている、、それが正規の料金だったのか、ほんとうのところはわからなかった、、

  10(22)時半空港着、まず向かったのはトイレ、この先少し温度が下がるのとその日一日着ていたものを脱ぎたかった、、着替えを済ましてチェックイン、それほど待つこともなく終了、ただそのときカウンターにいた係の男が後ろに立っている女性に聞きながら手続きを進めていた、ボーディングパスをもらってどこかにしばらく休むところがないかと場所を探していると、あわててその男が飛んできて間違えたのでもう一度戻ってくれといってきた、なんでも実際にはない席番で発行してしまったとか?そんなことってあるのかと思いつつも、まだ時間的に余裕があったのでもう一度カウンターに戻った、まだこの業務を始めて一週間の見習いなんだと、その若いインド人はいっていた、、そのあとすぐにイミグレに入らずにロビーで、それほど空腹感はなかったのだけれど(前にも書いたが今回ほど空腹感を覚えなかったことも珍しい)セキュリティチェックで飲み物の持込ができないのではないかと思って、地下鉄の売店で買ったパンと飲み物をそこですべてたいらげた(その後のチェックでボトル類は手でもって通過すればOKのようだった、こんなところは珍しい)、、ゲートでの2時間待ちはそれほど長くは感じられなかった、、定刻7/16AM 2:30離陸、上海に8:30に着いた、上海時間11時であった、、着陸前にそれまで話をしなかった隣の男とちょっと会話を交わした、見かけからはどこの国の人かわからずいたのだが、インド人で上海にはビジネスにいくのだと話してくれたので、少ないがと断って残りの10ルピーを渡した、、これでインドルピーの残りが2ルピー硬貨1枚になったことに満足していた、、

 中国はそれまで2度訪れていたが上海は初めてだった、、たまたまわたしのticketが追加料金なしで途中降機できるということだったので一日だけ滞在してみようかとスケジュールを組んでいた、、だから宿の手配も出発前にしておいた、、が、ガイドブックの類を一切持っておらず、ただ地下鉄があるらしいという情報しかもっていなかった、、入国手続きはスムーズ、税関を出てまずしたことはロッカーを探しだった、、一日の滞在だったのであらかじめ荷を分けており大きいバッグはどこかに預けておきたかった、、それはすぐに見つかった、前にヨーロッパに行ったときは無人のロッカーのやり方がわからずに手を焼いたことや、アメリカでもメキシコでもその料金が高かったのを思い出していた、、が、幸いなことにここではやはりロッカーだったが人がいてくれ英語が通じた、28時間くらい預けることになると思うということを告げて、前金として10元(1元はわたしの計算では13円くらい?)を払う、、残金は預かり時間によるということであった、、そして地下鉄駅に向かう、、地下鉄が空港まで延びていることはわれわれ貧乏旅行者にとってはほんとにありがたいことであった、、しかもここの案内嬢はわたしの持っていたホテルの住所から、行き先・乗り方・料金・切符の買い方(乗換えが必要なことも)を完璧な英語で説明してくれた、、が、順調だったのはここまでであった、、

 地下鉄の路線は空港にあった無料の地図でつかんでいたが、その地下鉄2号線は乗換駅の南京東路までそのまま行くのかと思っていたら、どこかの駅で折り返したようだった、、途中で変だなと気づいてすぐにその電車を降りたが危うく空港に戻ってしまうところだった、、10号線の乗り換えは問題なく、たぶん目的地の四川北路駅には13時ころには着いていたのではないかと思う、、もしそのホテルの場所を知っているか地理に明るければそのホテルは駅から10分くらいでいける距離であった(後でわかったことだけれど実際はひとつ手前の駅のほうが近くてわかりやすかったのだが)、、住所がわかっていて中国語で書かれていたとはいえ地図を持っていたのだから、わたしはすぐに見つかるだろうと高をくくっていた、、一応駅を出て自分の位置と方角を確認する、が、前にも記したことだが最近どうもその作業がおぼつかない、、自分の位置もこれから行くべき地点もどちらもはっきりしなかったのだ、、前の通りや向こうを走っている大きな通りは表示がしっかりしているのでわかったし、ホテルの住所の通りもどこだかはつかんだが、地図上に地番までは載っていなかったので、どっちの方向へ行けばいいのかわからなかった、、そしてとった行動はじっと立っていても始まらない、歩いているうちにそれらしき建物にぶち当たるだろうと闇雲に歩き出してしまった、、それは決して碁盤状でない上海の街路でますます混迷を深める結果にしかならなかった、、山歩きでもそうだが道がわからなかくなったとき、迷ったときは、いったんもとの場所に戻ること、戻れることが基本だ、が、それさえままならない状態になって歩き回ること1時間半、ついにギブアップした、、いや、ほかのところなら人に聞くなりしてこれまでは何とかなったのだけれど、中国語がまったくダメでほとんどの人が英語がダメな上海で、いやー、それは難しい相談であった、で、わたしがとった策はタクシーをつかまえることであった(電話はかけ方もわからなかったし、相手のいってることが聞きとれるか?自分のいる場所を説明できるか?また今はほとんどケータイになっているので公衆電話を見つけること自体難しくなっている等々最初から考えなかった)、あんなに避けていたタクシーがこのときは救いの手であった、、が、そのドライバーは住所とホテル名からはその場所がわからず、そのホテルに電話を入れてくれてやっとわたしをそこへ連れて行ってくれたのだった、、乗車時間5分、14元であった、、

 ホテルに着いたときはすでに15時を回っていた、、二つ星くらいの安宿はそれでもインドからついた身にとってはそれは豪華ホテルほどの違いにみえた、、ロビーがあってレストランもあってエレベーターがあって、もちろんエアコン・テレビ・バスタブまでついている、大きなベッド・真っ白なシーツ・ちゃんと揃ったバスユティリテイ、そんな当たり前のものが全て新鮮に映る、カードキーのやり方がわからなかったり、バスタブやシャワーの使用方法に戸惑ったり、そのたびにフロアの女性を呼んで教えてもらう、、まったくの田舎ものになってしまった、、ま、そうやって久しぶりに湯に浸かり汗を流し少し疲れをとって夕方街に出た、、その前にホテルの窓から外に目をやって驚いたことがあった、、そこには予期せぬ眺めがあった、よく上海を紹介する写真で目にしたことのある風景があったのだ、、えっ、こんなに近いの?歩いていけそうなところに旧ブロードウェイマンションと呼ばれた上海大廈やガーデンブリッジ、外灘公園があり、その向こうに高いテレビ塔?タワー、高層ビル群が見えたのであった、、それだけでこのホテルは価値ありと思ってしまった、、というのも上海で見てみたかったのはその眺めと豫園という旧跡だけだったからであった、、で、早速外にでてその外灘方面に歩を進めた、、そこは凄い人だった、、その大半は観光客か?もちろん外国人ツーリストも多く目にしたが、何より市民の憩いの場であるらしいこともわかった、、わたしもおのぼりさんになって写真をとって満足していた、、なかなか気持ちのよいところでしばらく外灘公園からの眺めを楽しみそのあたりを歩き回った、、そしてホテル近辺に戻り、どこでどう間違えたのか最初に降りた地下鉄の駅を探ってみた、、そんな街歩きの途中、それまで最初に両替した10ドル分の元しか持っていなかったのでATMによってみた、が、これがよくわからなかったのだ、もちろん英語を選択でき途中まではうまくいったのだけれど、その後がわけわからなくなって何度やっても失敗してしまった、、もちろんほかのATMでも試したが結果は同じであった、、ほとんど持ち金が尽きかけていた、、どうしよう ! ?、、ホテルで両替してくれるだろうか?ちょっと心配になってホテルに戻った、、そのときまでは安い割にはいいホテルだと思っていたのに、そこのフロントマンに意地悪をされてしまった、、ひょっとしたら田舎ものだという情報がフロントに届いていたのかもしれなかった、、彼は両替はするけど1万円からだといってきた、わたしの要求は1,000円だったのだ、、もちろん1万円は持っていたが、どう考えても明日発つのに1万円も両替する必要がなかった、、はっきりいって1000円で75元、それだけあれば夕飯を食べて明日の昼飯も何とかなるだろうと思っていた、、だから1,000円しか持っていないと突っぱねた、、渋々、少し待たせるという嫌がらせをした上でようやく75元をよこした、、こういうところがなんとも後味が悪かった、、これで夕飯が食える、一番楽しみにしていたなんかうまいものを食おうと再び外にでた、、中料理店特に上海蟹の店がホテル近辺にたくさんあったし、屋台・露店も多く出ていて通りに並べたテーブルでうまそうなものを食っている、が、そこに参加できない、、言葉の問題があった、、ほかではよくやった手指しも、たぶん種類や注文の仕方があるようで諦めざるを得なかった、、で、一軒の食堂に入る、漢字のメニュウなので大体は理解できるのだけれど逆にこちらの食べたいものはどれなのかとさがしても、それはまるっきりわからないのであった、、そんなんで結局今回のあてずっぽうは見事に外れてしまった、、ちょっと悔しくて物足りなくて、何より確実と思われたコンビニでビールとつまみとジュースを買って帰るしかなかった‥、、

409_640x480ホテルの部屋からの眺め、前に建築中の空き地があったということは以前は建物があった可能性がある、古い建物がどんどん壊されている、、410_640x480おのぼりさん的写真、以下何枚か
 411_640x480ガーデブリッジからわたしの部屋が見えた、、414_640x480左と下、外灘フロムナード?から
417_640x480どういうわけかこれ以降(次の日)の写真がなかった、、なぜだかよく覚えてない‥(たぶんSDカードが一杯になった??)、、

 あくる日は荷物をおいたまま地下鉄で二<フタ>駅、豫園というところに行ってみた、、雨が降っており比較的朝早かったので豫園商場といわれる商店街もこれから店開きという時間で、まだそれほど観光客は目にしなかった、、なぜそこに行ったかというと、何でみたのか忘れたが、だいぶ昔の上海の紹介記事にあったそこの名前だけ、たまたま覚えていたからであった、、だからそれほど興味があったわけでなく、入園料が高ければ中に入るまでもないと思っていたのだけれど、わたしが行ったときすでに開園しており、シニア料金半額15元というのを見てしまったので、ついついそのまま入ることとなった、、別に面白くもなんともないところだけれど思ったより中が広く、複雑に入り組んだ迷路、庭園、凝った建物等々はなるほど中国らしさを十分に感じとれた、、わたしが外へでるころには日本の団体さんが多く詰めかけていた、、雨はやみかけており観光客も増えていた、その界隈に立ち並ぶ土産物屋からは声がかかったが、飲食店はまだ閑散としていた、、朝食代わりにとぶらっと入ったところがカフェテリア形式の店だった、、これなら好きなものをとればいい、ところが今度は目移りしてしまった、、なんかうまそうなものがたくさん並んでいた、、迷った末に選んだのは結局小籠包と餃子だった、、となるとやはりビールがほしかった、、朝からビールを飲んだのは何年ぶりだろうか ! ?、昔はよく日本の旅先での宴会の翌朝、迎え酒でビールをもらったことがあるがもうそんな贅沢ができた時代から久しい、、そう、思えばこれは最高の贅沢に思えた、、朝から上海で小籠包とビール ! !、実際はもちろん有名な店でなかったし、わずか35元の散財でしかなかったが、わたしはすこぶる上機嫌になっていた、、地下鉄で戻るのがなんとももったいない‥、、少し酔ってる感じもしたが、そのまま外灘のpedestrian deck プロムナード?まで出、川風をうけながらのそぞろ歩き、行き交う船・ランチャを見遣りながらホテルに戻った、、一応寄れたら寄ってみようと思っていた外灘エリアと豫園にいけたので、それで十分であった、、いい気持ちでホテルをチェックアウトした、、

 そのまま地下鉄で空港へ行ってもよかったが、まだ少々時間が早かったので、もう少し街を歩いてみようと思って上海一の繁華街といわれている南京路というところに出てみた、、そこまで歩いていくとその先の大通りはずっと歩行者天国になっていた、、両側には高層の建物が並び商店街が続いている、人通りも凄い、、その多くが観光客らしいこともわかる、、中国人に間違えられて道を尋ねてきた人がいた、、たまたまそいつが日本語を話せたのでしばらく一緒に歩いていったが、天津から来たといっていた(40代の男性、奥さんは置いてきたといっていた)、、典型的なおのぼりさんだったが、おそらくそこを歩いていた人たちの大半は同類のようだった、それだけ上海という街は中国全土から人を集めるほどの求心力を持つ磁場の強いところのようであった、、が、どうみてもそれらが確かに目覚しい発展を物語るような派手な建物・高層ビルだったり、色とりどりの装飾美術的?芸術的?なものだったりするのだがどこか低俗的に見えてしょうがなかった、、好き嫌いの問題であろうが決して好きになれなかったインド人よりもっと???、それは言わないでおこう、、そうやって1~2時間暇つぶしをして二つ先の地下鉄駅から空港に向かった、、空港に着いた時点で残金は21元になっていた、、ロッカー代が足りなければそのときは銀行で両替すればよいと思っていたのに追加は20元とのことだったので1元の余りになった、、最後に悩んだのは少し高いとは思ったが、やはりなんかうまいものを食べようかということだった、もちろんドル払いも可能だったと思う、、しかしそのときも余り空腹感はなかったのだ、、で、こう結論付けていた、、上海は良くも悪くももう一回きてみよう、そのときうまいもの食おう、それにはツアーがよいのではないか、というのもかなり低料金でしかも食事つきで日本から多くのツアーがでていることを知っていたからだ、、言葉の問題も考えるとまさにこここそツアーを利用する手がありそうだ、と思えたのであった、、こうしておおよその予定は消化し、ほとんど思い残すことなく旅を終えることとなった、、上海からの飛行時間は2時間半、現地時間17:30、30分遅れで飛び発った中国東方航空は30分遅れのまま21時に成田に着いた、ちょうどわたしが乗ってきた便のすぐあと、10分後に到着した台北からの飛行機にうちの奥さんが乗っていた、、どういうわけかその便も30分遅れたといっていた、、偶然ではなく最初からの予定通りであったが、ま、そんな感じで成田で待ち合わせをしていたのだった、、娘と孫が迎えに来ていて娘の車で家路についた、、

fin