独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 10) レー Leh

 レーのバススタンドはマナリと違って街中にはなかった、、どのくらい離れているかはそのときガイドブックの地図を見ても判断がつかなかった、、それでもバススタンドの周辺にはどこだってホテルくらいはあるだろうと思っていたので、しつこく寄ってきたタクシードライバー(ほとんどスズキの軽ワゴン車)の話は聞いたが全て断ってしまった、、彼らはわたしの格好を見て、またバスでレーまで来たくらいだからどうみてもゲストハウスだろうという見込みはあたっていたのだけれど、100Rsのタクシー代を簡単に了解する鷹揚な男ではないことまでは見抜けなかったようだ、、しかしかくいうわたしも実は迷っていたのであった、、特に決めてるところがあるわけでなかったし、この時間で、しかも街中までは結構あるらしいことが彼らの話からわかってきて、何より疲れていたからであった、、これから歩いてホテルを探す気力はほとんどなかったのである、、結果を先にいってしまえばこの勝負は彼らに勝ちがあった、、素直にそこで納得していれば、もしかしたらずっと楽に収まっていたかもしれなかったのである、、この生来の偏屈・ひねくれ根性がなければの話だ、、わたしはバックを背負って(疲れていたせいかずいぶん重く感じられたが)それほど明るくない夜道をたぶん中心と思われる方角を目指して歩きはじめていた、、確かにバススタンド周辺にはホテル・ゲストハウスらしい看板はなかった、、歩きだすとまず坂道になってそのエリアは何もなかった、、坂を上がりきったところがゴンパ?寺院のような仏塔のような建造物があって昼間だったら写真に撮りたいようなところだったが、まだ店舗も何もない、そのとき向こうから下ってきたチベッタンの僧侶がジュレーと声をかけてきた、、ジュレーとはこの辺の挨拶言葉らしく使い方は‘こんにちは’から‘今晩は’、‘さようなら’、‘ありがとう’などに使える便利な単語だと教えられていたので、こちらもジュレーと返して、ついでにこの辺にゲストハウスはないかと聞いてみた、、彼の答えは明快であった、、ゲストハウスはたくさんあるがこの辺にはない、この坂を上がったところの右側にSiachenというホテルがあるから、今日はそこへ泊まって明日探したほうがいいと、わかりやすい英語で適切なアドバイスをくれた、、ありがたかった、話が通じ目途がついてきた、、礼をいって彼の言葉に従ってもう少し歩いていった、、ホテルSiachenはすぐに見つかって2階の受付に上がってきいてみた、、ところがあろうことか今度は英語がまったく通じないのだ、、わたしも彼の言ってることがわからない、、しかし料金をいってこなかったからどうやら部屋は空いてないといっているようであった、、たまたまわたしの後からやってきたインド人が通訳してくれたのだけれど、やはり空き部屋がないとのことだった、、どうすればいいのか?そのインド人に通訳を頼んで、この辺に他にないのか聞いてもらったところ、下がタクシースタンドになっている、100Rsもだせば適当なゲストハウスに連れて行ってくれるよ、というものであった、、そのインド人は彼も部屋を探していたようで、なぜか今日はどこも一杯だ、といってすぐに出ていってしまった、、わたしは下に降りてタクシーをあたってみた、、そんならバスタンドのタクシーを利用しておけばよかった、と後悔しながら‥、、ところが間の悪いときとはそんなもんで、あろうことかそこにいたタクシードライバーはゲストハウスがどこにあるかの情報をまったくもっていなかったのだ、、英語もそれほど通ぜずこちらはいらいらしてくる、、彼はそこいらにいた一般の人や他のドライバー(昼間だったらそこはタクシースタンドで大勢のドライバーがいたと思うが、そのとき2,3台しかタクシーは停まっていなかった)に聞いている、、わたしはその様子を10分も15分も、疲れていたので座り込んで眺めていた、、ようやく彼はわかったらしく、わたしに乗るようにいってきた、、わたしはどこでもいい、ただし空いてるところがあるまで探してくれ、その分として100Rs払うと再度約束して、スズキのワゴン車の後部座席に乗り込んだ、、ところがものの5分も走ったあたりで、この辺にあるはずだといって、彼はわたしを置いて探しにいってしまった、、ほんとにあいつ大丈夫かと心配していると、一人の若者を連れて戻ってきた、、ゲストハウスのオーナーだといった、、その彼の話がまたいまいちよくわからなかったのだ、、実は今日はそのゲストハウスで一番いい部屋しかあいていない、その部屋はバストイレつきの二人用の部屋で少し高いがそれでいいかといってきた、、値段を聞くと600Rsといっている、、ただし明日になれば安い部屋があく、バストイレは共同だが250Rsだ、とのこと、、そのタクシードライバーは他を知らなさそうだったし、もうだいぶ時間がたってしまっていた、、彼のいうことを了解するしかなかったのだ、そしてそのゲストハウスはその場所から少し離れていたので、そのタクシーですこし戻るのであった、、そのゲストハウスの若い青年は同乗したタクシーの中で面白いことを言った、、国籍を聞くから日本と答えると、彼のゲストハウスは日本のガイドブックに載っているというのだ、、後で確かめるとそのとおりであった、しかしその後も少し問題があったので(ま、相性の問題ともいえる)結局そこには最初の約束どおり二泊しかしなかった‥、、

382_640x480この2枚は最初の夜歩いて坂を登ったあたりにあったチョルテン<後日撮影>285_640x480

 255_640x480最初の泊まったゲストハウスからは旧王宮の眺めがよかった、、
259_640x480近くのマニ車と向こうに旧王宮

 すったもんだの末、翌朝部屋を移ったが、— 確かにゲストハウスにしてはその部屋は特上の部屋だけあって、600Rsしてもおかしくない代物であったが、そこに決めたときまたまた奇妙なことを言いだした、実は明日この部屋を予約している人が10時ころチェックインするので、その前に部屋を移ってくれというのだ、それなら7時でも8時でも移るのはいいが600Rsは納得できないから、400Rsにしろというと、いい顔はしなかったがしぶしぶ了解するといった、ちょっと考えられないようなことで不信感を抱いてしまった、、— そして移った部屋が250Rsとはいえ、ちょっとひどすぎた、それでも疲れと、だんだん出始めていた頭痛という高山病の影響で昼ころまではベッドに横たわっているしかなかった、、少し寝たおかげでだいぶ身体は楽になったが、それでも身体が求めているものがあり、それを探しに街に出た、、空腹感はなかったが、水分&体調回復栄養剤というべきインドならではのもの、ラッシーであった、、しかし実質そのときがレーの街の第一歩であったから、まだ右も左も、ホテルの位置さえどこなのか定かではない状態だった、、が、いわゆるメインストリートのMain Bazarには5分もかからずに出られ、すぐに街の全体像(方角とか規模)は把握できた、、そうしてレーの目玉旧レー王宮のシンボル的建造物も意外と近いのがわかったのであった、、が、すべて歩き回ったわけでないので、そのときはラッシー屋を見つけることができなかった、、それでも水分を欲していたので、とあるレストランに入ってみた、そこのメニュウにはラッシーがあった、が、今それは扱っていないといわれ仕方なくミルクチャイで我慢したのだけれど、その後に見つけたラッシー屋風のジューススタンドのようなところでも、メニュウにはあっても実際はないといわれたので、なぜかこの地でのラッシーは望み薄となった、、しかし思うに体調不良のときラッシーほど身体に優しいものはないと、身体が覚えてしまったように思えるのであった、、

 さて、いっぱいのミルクチャイでもラッシーほどの効果はないにしろ、少しは元気の素となった、、そこで出たついでにと少し街を歩き回り始めた、、歩いているときはそれほど頭痛を感じなかった、簡易地図だったが街の概略をつかんだので、まずどこかほかにいいゲストハウスはないかと探し始めたのである、、ゲストハウスが何軒も固まっているエリアがあり、そこへいっていくつか聞いてみた、、一軒のところに空きがあり部屋をみせてもらうとバストイレつきでけっこう広い、値段を聞くと400Rsとのこと、実はそのとき応対してくれた若奥さんがきれいで感じがよかったので、いっぺんに気に入ってしまって、部屋を探しているのだけれど実は今日でなく、明日から入りたいというと、当然のことだが明日来ても空いてるかどうかはわからないといわれ、それでも明日もう一度来てみると約束してしまった、、ま、空いてなくてもそのあたりには何軒もゲストハウスがあったから、そのときはそのときだった、それにしてもこれほどホテル・ゲストハウスがいっぱい(Full状態)なのが信じられなかった、、レーの観光シーズンが6~9月と限られているので、今が最も多い時期かもしれなかったが、実際おそらく空路で世界中からやってきた観光客でレーの街は溢れていたのだった、、

 そのあとも街を歩きまわっているうちに、いつのまにか旧レー王宮の下に来ていた、旧レー王宮 Leh Palace(Leh Chen Palkhar)はラサのポタラ宮のモデルとなったといわれるだけあって、色彩こそ施されてないものの堂々としたその建造物はやはりレー一番の観光スポットであった、、問題はそこにいついくかであった、、というのもすでに高山病の症状がでていた身には、きつい運動は避けるべき、という注意にどう対するかということで、当初は明日あたりと考えていたのだが、歩いていてそれほどつらくなかったので、いってみるか、となったのであった、、 見た目はけっこうな登りと思われたが、思ったほどのことはなく上にいけた、最初のテラス部分にカフェがあった、、眺めがよい、ついついそこに腰を下ろしてしまった、、そこはあとで知ったのだがメインゲートからは外れたところにあったので、訪れる人が少なかった、、わたしがいった時も欧米系のツーリストが一組いただけで、その後にいった建物内部の人ごみからは想像できない空間であった、、その上そこのメニュウがどういうわけかとても安かったのである、わたしはそのメニュウにあったsea buckthorn tea?という今まで飲んだことのない紅茶を頼んでみた、なんかのフルーツを使ったteaだったと思われるが疲れていた身にラッシーのように染み入った(身体に馴染んた)、、しばらく至福のときが流れる、、さて、そのときはまだこの建物(王宮)の入り口がわかっておらず、支払いのときにそのカフェのお姉さんに聞いて、そちらへ向かった、、入場料100Rsは仕方がない、、先ほどのカフェよりさらに高い部分からの眺めは抜群であった、、それにしても観光客の大半はインド人だったが、それ以外はまったく多彩で欧米各国の言葉が耳に入ってきた、、それも老若男女、東洋系はほとんど出会わなかった、、

263_640x480最初のテラスにあったカフェから(下も、ちょっとteaのコップが見えている) 264_640x480_2

268_640x480Leh Palace(旧王宮)から

下 ; Leh Palaceから北側の山を望遠で撮る
269_480x640270_640x480中に博物館museumがあった
267_640x480旧王宮のトップ(屋上)からツェモゴンパを臨む

 さらにその奥、というか背後にツェモゴンパTsemo Gompaという砦のような、城砦のような建造物が聳えているのがいやおうなく目に入っていた、、そこまではかなりの登りである、、いつもならどうってことない距離なのだけれど体調は通常状態でなかった、しかしここまで来て引き返すのはなんともしゃくな位置・距離である、、とりあえずそこを目指す、、それほどの高度差も距離もないのだけれどこれは完全な山登りであった、、ゆっくり歩いて30分?当然のことながら眺めはさらによくなった、、下の旧王宮からの眺めもそうであったが、いずれも背後に、あるいは遠くに雪山がみえ、それがこの街の遠望をすばらしいものにしていた、、しばらくそのツェモゴンパからの眺めを楽しんでいた、要するにレーの観光はここまでくれば、その大半は終わったことになる、、そのあとの予定があるわけでない、、となるとそこがベストポジションなのであった、、が、日没まではまだだいぶ間があったので(この時期の日没はずいぶん遅かった)、まだ明るいうちに下山した、、オールドレーの迷路のような道を通ってゲストハウスに戻った、、

282_480x640ツェモゴンパへの登り口275_480x640ツェモゴンパの弥勒菩薩 277_640x480ツェモゴンパから(3枚)
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 その夜またまた大失敗をしでかした、、そんなんでどうもレーははじめのうちはどこかちぐはぐであった、、暗くなってからに夕食に街に出た、先の街歩きのとき目をつけていたチベッタン食堂はすでにしまっていた、、レストランや食堂はいくらでもあったのだけれど、たまたま入ったところがわたしに相応しくないけっこうなレストランであった、、高すぎて頼むものがない(べらぼうに高いわけでなく、わたしの水準からして)、、ビールが飲みたかったがそれも高い、、しかたなく先の街歩きのときに見つけたイスラムの連中が焼いている1ヶ4Rsのパンを持っていたのでスープだけ頼んで早々にそこを出た、、そして帰りに酒屋で缶ビールを一缶買ってしまったのだ、、そのときはだいぶ症状が治まっていたので、油断したというか、もう大丈夫だろうと思ったのだ、が、これがいけなかった、、その夜は頭痛でほとんど眠れなかったのである、、つまり高山病にアルコールは禁物なのであった、、

 次の朝、寝不足&頭痛が残っていたがチェックアウトして昨日のゲストハウスにいってみた、、案の定その部屋は埋まっており、今はもっと高い部屋しか空いていないと、昨日のきれいな若奥さんにいわれると、残念であったが了解、その代わり少しの間バックを置かせてくれと頼んで回りのゲストハウスを当たりだした(その周囲500m範囲内に10軒以上あり)、、しかしこちらの希望に一致するところは意外となかった、、何件目かで、きれいな若奥さんのところと比べるといまいちだが、同じ設備で同じ金額、つまり400Rsのところがあり、少し探し疲れていたのでもうそこに決めてしまった、バックを置かせてもらったところから5分くらいのところだったので、すぐに戻って見つかったことを告げ、礼をいってバッグを持って引き返す、そこは若いお兄ちゃんだったが、こいつはなかなか気のきくやつだった、、早速荷を解きシャワー浴び洗濯にとりかかった、そのあと気が変わらなければ3~4泊するはずだった、、理想とは少しかけはなれていたがようやく落ち着き先が見つかったという感じであった、、で、落ち着き先が確保できた時点で、ではこのあとどうするかという問題になった、、その日は7月の9日で、ここを発つ日が7月の14日、その日はまだ体調も十分でなかったし、時間的にも遠くには出かけられそうもなかったので、もう一日レーの街をぶらぶらすることにした、残された日数は4日となっていた、、その間どこへ行けるか‥?

 レー/ラダックの魅力はなんといってもチベット文化が、本国が中国に侵略・蹂躙されて以来、その夥しい文化遺産も彼らが望むかたちでは継承されなくなった今日、それが古い形のまま残されている希少な場所となっていて、それがまさにレー/ラダックが世界中から観光客をひきつけている源となっていた(そのほかの魅力としてはザンスカール山塊の登山やトレッキングがあり、それをサポートする旅行社がレーにはそれこそ無数にあった)、そういった場所はレーだけでなくこのラダック地方に無数にあったのだ、、そのなかでも特に各所に点在するゴンパ(寺院、僧院)には菩薩像やタンカ、仏教画などが多く残されていて、そのゴンパ巡りを目的にそれぞれが許された日程の中でどれだけ回れるか頭を悩ませるのであった、、

 それこそ山中のゴンパまで入れるとその数どのくらいになるのか知れないが、観光客に人気のあるゴンパとしては以下のものがあった、、レーから北西に位置するいわゆる下ラダックのラマユルゴンパから順に①ラマユル②リゾン③マンギュ④リキル⑤アルチ⑥ピャン⑦スピトク、上ラダック(レーから南東方向)に移って⑧ストク⑨シェイ⑩ティクセ⑪マト⑫スタクナ⑫へミス⑬チョムレ⑭タクトクといったところが、その対象となるゴンパのようであった、、が、これらは全てそれぞれ相当に離れており全部を回るなんてことは専門家でもない限りそれは無理・無駄な話と思われた、、まぁ金に糸目をつけない人であれば車をチャーターすればそれは不可能ではないだろうけど、そのチャーター料金はおそらく数万ルピーを覚悟せねばなるまい、、というのも、これは日本でネットで調べてわかっていたことだけれど、組合でもあるのかそのタクシーチャーター料金というのが細かく決められていて、それが1ヶ所2ヶ所でも、1000ルピーをくだらない高額料金だったからである、、大人数ならともかくわたしのような一人旅には車のチャーターはハナから論外であった、、ではローカルバスはどうだったか、これがなくはないのだが極端にその本数が少なくて、片道はそれでいけても帰りは歩きを覚悟せねばならないところばかりであった、、そんなんで、その日の午後は今後どうするかの作戦タイムとなった、、まず出かけたのがツーリストインフォメーション、そこで地図とバスの情報を少しもらった、そしてその足でこの前降り立ったバススタンドに行ってみた、、そこでもすべての情報が得られたわけではなかったが、バスで行けそうなところと難しいところがはっきりしてきた、、そうやってある程度の今後の見通しが立ってきたのだが、それでもいくつかの問題は残されていた、それはそれらのゴンパとは別なところヌブラ渓谷 Nubra Valleyというところにもいってみたかったからだ、が、そこはパーミッションが必要とのことであった、、しかもその申請は二人からとなんとも理不尽なことをいっている、その日一日今後の予定をめぐって、高山病の頭痛とは別に頭を痛めていたのであった、、

以下の写真は街を歩いていて撮影したものである、いずれもレー市内

モスレム寺院から旧王宮を見上げる ; 右261_480x640_2

街中でも数多く見かけるチョルテン(仏塔・ストゥーパ、下2枚)381_640x480_4258_640x480_2288_640x480郊外のチョルテンとマニ車
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以下の2枚は、ずっと気になっていたお店のシャッターを撮ったものである、、前回17年前に来たときと決定的な違いは、お店がどこもシャッターになってしまったことではないかと
デリーからずっと思っていた、写真右に写っている昔からある鉄の蛇腹、あるいは木製の扉がほとんど見られなくなっていたので、それを意識して撮った、、
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