独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 11)ハバナの大晦日

 サンタクララの馬車は健在であった、前日カサパルティクルに落ち着いたあと、サンタクララのもう一ヶ所の観光名所になっている踏み切り、革命の勝利を導いたとされる列車襲撃現場が当時の模様を再現して記念碑とともに残されているところがある、もう夕闇が迫っていたが、12年前泊まったカサパルティクルがそのすぐそばだったからそれも懐かしくて奥さんを連れて歩いて出かけた、そのMonumento a la Toma del Tren Blindado(装甲車襲奪現場?)と呼ばれている踏み切り現場はよく覚えていたが、その近くにあったはずの民宿は見つけることができなかった、今回の旅の大きな忘れ物のひとつが、その昔世話になった民宿の住所氏名を控えてこなかったことで、もしそれがあったら直接タクシーで伺うなりして、少なくともその日泊まっていたところよりずっとよい民宿だったと後悔していたのだった、、その踏み切り近辺の写真を取っている間、そこは大通りのひとつだったからしきりに馬車が行き交っていた、カマゲェイでは写真に収めただけで実際乗っていなかったから、あまり乗り気でなかった奥さんを無理やり乗せてしまった、、パルケセントラルまで歩いても10分、馬車でもほとんど変わらない速度だったが、その距離を二人で5cup(たぶんどこまで乗っても一律2.5なのかも知れない)、そのころはどういうわけか人民ペソも少し持っていたから、一人2.5cup、ということは0.1cucということだから、ま10円くらいということか?まさに庶民の足である、、馬車愛好家としては乗り心地は悪くないし適度なスピード、何といってもひづめの音が耳に心地よいと牽強付会?自画自賛である、、

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 063_640x480馬車に乗る

 さて、その朝わたしは9時にカデカが開くということだったので、8時に奥さんを置いてひとりで出かけた、民宿から歩いて10分くらいのそこは、すでに長蛇の列、ちょっと甘かったことを悟った、両替のための1時間待ち、キューバ入国初日の光景がまた再現されることになった、、ただ、ここで並んでいるのはほとんど地元の人たちである、なぜ並ぶ必要があるのか?その辺がわからないところだったが、たぶんこういうことではないかと思われた、、もちろん他の場合もあろうがキューバ人の多くは旅行者からは通貨としてのcucでものの代金を受け取る、しかし彼らの必要とする日用雑貨、食品・食料品等は人民ペソcupで商いされており、価格そのものが比較にならないほど安い、つまり庶民がcucをもっていたところで使い道はない、それをcupに替えられるところがカデカである、大晦日のその日両替所が混雑するのは無理のないことであった、、予想通り1時間待ちで、率は悪かったが(手数料等を考えると換算率はユーロが一番よかったのだがそのときもう手持ちのユーロがなかった)100ドルのトラベラーズチェックを両替して9時半に民宿に戻った、、(キューバでは銀行を利用したことがなかった、キューバの銀行事情はよく知らないのだが、もしかしたらカデカCadecaに銀行の機能が一部あったのかもしれない)

 実はその朝9時に昨日のタクシーの運転手と待ち合わせていた、この運転手は少し問題があったが、ま、彼にとってもわれわれにとっても話の流れでそのほうが都合よかったのだ、たった4cucでバスターミナルまで行くだけだったが、その彼がハバナに行くタクシーを捜してくれるということになっていたのだ、が、事情が変わったのは彼と昨日別れてからのことだった、つまりわたしが30分遅れたのは、いわば彼に騙されたからであった、彼は今日はカデカは開いてないといったのだった、だからわたしは昨日4cuc損してまで両替してしまったのだ、まさかカデカにいってるとはしらない彼はきちんと時間を守ってずっと待っていたようだった、わたしは彼を見つけるなり怒鳴り散らした、おまえのおかげで4cuc損した、今日カデカは開いているではないか、今両替してきたところだ、ターミナルまでのタクシー代は払わないぞ、と、彼は一言も反論せず恐縮していた、、ま、それでも律儀な奴には違いない、こうして時間を守って待っていて怒鳴られてもじっと耐えている、、タクシー稼業も楽でないのだろう、、だからカマゲイの手配師と同じようにちょっとの手数料稼ぎのために確実な客は逃したくなかったのであろう、、仕方なくタクシー代4cucはちゃんと払ってあげた、ターミナルではその手配師なるものがいて(タクシーの運転手はいわゆる口利き?客探しみたいな役割だったようだ)少し待ってるようにいってきた、、ハバナまでひとり20cuc(Viazulだと18だったか20だったかよく覚えていない)とのことだった、しばらくすると一人の客を乗せた白タクがやってきて、もうひとり来るからもう少し待ってくれといった、別に急いでなかったからかまわなかったが、結局そのもうひとりが現れずその運転手は(乗客)3人でしぶしぶ出発することになった、、サンタクララハバナ間はほぼ全線自動車専用道を行くから、これまた時速100km以上たぶん平均130kmで飛ばして、バスだと4時間半かかるところ3時間でハバナに着いてしまった、、もちろんハバナのタクシー運転手ではないから、その住所だけでは場所がわからず迷いながら聞きながら、それでもちゃんと荷物を預けてあったルイスさんの家まで届けてくれた、、サンタクララを出たのが10時半ころ?ルイス宅到着が13時半だった、、

 このルイス家の家族構成がいまいちよくわかっていなかった、それはそうだ、前回荷物を預けるためによっただけで、そのときは大人数の家族がそこにいたのだったが、この日到着したときはたった一人初老の男性が留守番の形でいただけだった、何か物腰からして使用人のような感じもしたのだが、あとで聞いてびっくり??つまり最初の日ここのオーナーとして紹介されたルイス氏はわたしと年齢があまり違わないくらいの人のよさそうなおじさんだった、そしてその彼とやはりそれほど年齢の違わない留守番のおっさんはの関係はなんと親子 ! ?どうなってんだ ? ?こういうことだった、そこの邸の持ち主ルイス氏は60近い初老の男性、で再婚かどうかまでは聞かなかったが、今の奥さんはなんと20代の女性で初日に確かに若い女性とその赤ちゃんを見ており、わたしは彼に孫か?と聞いた覚えがあった、ところが、そのときの答えは自分の息子だと聞いたのだが、それはわたしの聞き違いか錯覚だと思い込んでいた、ところが事実その赤ん坊は彼の息子だったようで、その日出会った留守番していた初老の男性はルイス氏のその若い奥さんの父親だったのだ、なのでほとんど年齢の変わらない二人の初老の男性の関係は親子であったことを少し後になって知ることとなった、、それにしてもあの美貌誇るキューバ娘のだんながなんと30以上年の違うおじさんだったなんて ! !どうなってんだ(あとでうちの奥さんがいうには、同じようなカップルを何組か見ているとのことだった) ! ?わたしの見聞では、ハバナの自転車リキシャのお兄ちゃんは、結婚してて子供もいたのに行き交う女性に盛んに声をかけていたし、Viazulに行くとき使ったタクシーの運転手もあきらかに妻帯者であったが、若い女の子を目にすると必ず車を止めて声をかけていた、きっとここは恋愛パラダイスなのかもしれない、、ま、すべてに頓着せず陽気に人生を楽しむすべを知っている、というべきか ! ?

  その初老の男性、わたしが使用人かと勘違いした留守番約の父親は名前をホルヘJorgeといった、実にかいがいしく働く男性でわたしが洗濯をしたいというと、出しておいてくれたら自分がするからといってわたしの洗濯物をすべて彼が洗ってくれるのであった、だからわたしは彼が使用人かと勘違いしたわけであったのだが、、そのうちにルイス氏から電話が入って、ホルヘ氏はわたしにつないだ、まだまだスペイン語はわからないのに、いきなりルイス氏は何か言い出した、彼が今そこにいないわけ、そしてそのときそこにいる男性がホルヘ氏で今日のところはすべて彼に任せてあるというようなこと(もしかしたらホルヘ氏との関係も説明してくれたのかもしれない)を言っていると想像した、で、なんとかわかったのは今日は大晦日で夕方から年越しのパーティをやる、(それは今自分のいるところダウンタウンセントロのオールドハバナなのだけれど来ないか?)と言っているようだった、()の部分は実際は聞き取れておらず、ともかくパーティに招待したいということだけはわかったのでわたしはOKの返事をしてしまった、、あとはホルヘ氏に相談するなり、彼にしたがっていればよさそうだったので、そのパーティがどんなものでどこでやるのかわかっていなかったが何とかなるだろうと思っていたしちょっと楽しみでもあった、、そうこうするうちに次のハプニングが起こった、突然の来客があり、一人の若い旅行者が訪ねてきた、日本人だった、どうやら彼も同じガイドブックの情報でガリアさんを訪ねたようだった、が、われわれと同じようにこちらへ回されたようだった、彼はまだよくスペイン語がわからないようだったし、たまたまそこにわれわれがいたので驚いたようだった、彼とホルヘ氏の間に入って、ここの事情等々を説明した、ホルヘ氏はその旨とルイス氏に電話で報告、とまたわたしに電話に出ろという、再び受話器を握るとルイス氏は今来た日本人にもパーティのことを伝えてくれとのこと、で彼にその話をし、彼も参加できる旨をわたしはルイス氏に伝えた、、で、その後ホルヘ氏に確認してようやくわたしはそれがダウンタウンセントロの彼(ホルヘ)の家でやること、5時ころタクシーでみんなで行こくつもりだということを理解したのであった、、ということはまだ2時間ちょっと時間があった、聞くと彼は食事をしていないとのことであった、われわれも昼食をとっていなかったことを思い出して、この前食事したレストランが10分くらいのところにあるが、そこでもかまわないか聞いて一緒に出かけた、そこでお互いのこと、それまでの旅のことを十分に話すことができた、、

 こういう偶然はこれまでの旅でも何回か経験したことがあったのだが、驚いたことに彼は同県人であった、彼の住んでいるところはわたしのよく知っている土地だった、、またそのときの話で彼はまだ20代の社会人、つまり勤め人で少ない冬休みを利用しての、なんと1週間(実質は中5日?)をキューバだけに絞ってやってきたとのことであった、、うーん、ある意味天晴れな話である、いや、キューバまでの往復の航空運賃は安くない、誰だってそういう場合せっかく出たならゆっくり長く多く回って帰ろうと思う、だからこの辺まで来ている多くの旅人・日本人は会社を辞めて無期限の時間を手にしてやってくる、常に旅と社会性は相容れないものとなっている、、日本の若者誰もが感じている旅はしたい、しかし時間がないというジレンマはわれわれのような定年退職者にならないと解決しない、、だから勢い会社を辞めるか、あるいは高い航空運賃を犠牲にして短期決戦の方法をとるかどちらかしかなくなる、どちらも若者にとって勇気のいる決断だ(たぶんそれぞれの人生観、ライフプランによってその選択が異なるように思うが)、、彼は同じようなやり方でこれまで結構旅をしてきたという、実にしっかりした素晴しい生き方・選択だと感心したのであった、、 そんな話をしていると2時間はあっという間にたってしまった、、その辺の地理やオールドハバナに出たときはツアーバスが利用できること、そのバス停などを教えながらルイス宅に戻る、そしてホルヘ氏が呼んでくれたタクシーでわれわれ3人とホルヘ氏はオールドハバナにあるというホルヘ氏宅に向かった、、

 オールドハバナのホルヘ氏宅は要するにルイス氏夫人(といってもまだ20代のセニョリータで通る美人)の実家であった、、そこはわれわれが泊まっていたカリビアンホテルからもそう遠くないところであった、、5,6階建てのアパートというべきかマンションなのか?かなり古びてはいるもののコンクリート造りの高層ビル群のひとつ、その一室が彼の住まいであった、、たぶん5階だったと思うがエレベータはなかった、中は広くプライベートの部屋3つくらいとリビング、それにキッチン、たぶん標準的なスペースなのであろう、、ここに比べるとコロン地区のルイス氏宅はもっと広く高級住宅街という感じになる、、そのベランダからはオールドハバナの裏町の様子、ビル群、そして左手かなたにはMalecon大通りの向こうに海が見える、、そこではじめてこの家族の全貌が明らかになった、これはあくまでホームパーティだったのである、最初にルイス氏宅に伺ったときに出会った大家族は、ここの家族がほとんど全員向こうの家にいっていたことがそのとき判明、で、その家族構成はまず長老はホルヘ氏ご夫妻で、年はお二人とも50代?その長男は結婚していてそこに親と同居、子供が一人、奥さんこれまた美人、そして長女がルイス氏夫人ということで、コロンの邸宅にルイス氏と生まれたばかりの赤ちゃんと3人暮らししているらしいことがそのときわかったのである、、で、そのとき全員か゜そろっていたのでそのパーティのメンバーは次のようなものだった、60前後のおっさんがわたしを入れて3人、50代後半のおばさんがうちの奥さんも入れて2人、若い男が日本人の彼も入れて2人、若い美人女性が2人赤ちゃんが2人ということであったのだが、パーティが盛り上がってくると近所・階下の隣人が加わってそれはそれはもう収拾のつかない状態となった、、それでも最初は大晦日の恒例の食事というのをいただいた、なんでも豚の丸焼きを大晦日に食べる習慣らしい、それで思い出したのだけれど一昨日カマグェイの繁華街でその光景を何ヶ所かで見ていた、あれは大晦日の食事の準備だったのか?ともかく豪勢な食事をいただき、ビールは飲み放題、そして食事が終わってしばらくしてからそれは始まった、それほど広くないリビングがディスコ?なんていえば適切か?要するにサルサの踊り場に変わったのであった、、そしてそれは延々4時間も5時間も、少なくとも年越しのあるイベントまでは途切れずに続いた、、われわれがそこを辞去した1時ころもまだ踊っていた、たぶん夜通しだったのだろう、、夜通し踊り狂う、、もちろんそれはホルヘ氏宅だけでなく、周りのビル、あちこちの開け放された住居から音楽は鳴り響いていた、つまりたぶんハバナ中が踊り狂っていたのだろう(また彼らの踊りがうまいこと、老若男女、あまり踊るのが好きではなさそうだった長男君も強引に女性陣から引っ張り出されると、その動きは見事なものだった)、、まさにこれがハバナの大晦日・年越し模様と思われた、、で、その年が替わる夜中の12時の中断はなんだったか、、初めて見たのだけれど、それは12時になるといっせいに(すべての家屋・住まいの)ベランダから下の道路に向かって水を撒くという行事であった、そのためにその少し前には家中の洗面器やバケツに水が用意された、そしてカウントダウンの合唱とともにみんなが水撒きの体勢に入り12時とともに、もちろんそれを知っているから人通りはまったくなくなるのだが、下の通りは水浸しになるのであった、、

138_640x480食事前に出かけたMalecon大通りから見たハバナの黄昏

139_640x480_7豪華なご馳走が並んだテーブル、なおサルサパーティの模様、水撒きの行事はビデオに納められているが写真はなかった、、

107_640x480_330日にカマグェイで見た豚の丸焼きの風景(各所でこの光景が見られた)