独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 6) Huehue~Soloma~Barillas

 今回も(だいたいいつも)タイトルは地名である。その解説から入りたいと思う。Huehueと記したが正確に記すとHuehuetenango<ウエウエテナンゴ>といって、これは二つの意味合いがある。ひとつは、グアテマラに22ある行政単位;departamento<県>ののウエウエテナンゴ県である。その位置はちょうどグアテマラの西部にあって、その南部のSan Marcos県とともにメキシコと国境を接しているところ、そしてそこはグアテマラ第二のマヤ系言語Mamを話す人々のエリアとも重なる。そして、そのもう一つの意味合いが、そのウエウエテナンゴ県の県都としての名称で、この西部地方では比較的大きな都市、同名のウエウエテナンゴなのである。だから普通にウエウエテナンゴ<たいてい略してウエウエといっているが>といわれた場合は、都市のことなのか県を指しているのかはその文脈から判断するしかない。わたしがどこへ行くのと聞かれたとき、ウエウエと答えていたときは、両方の意味を持たせていた。しかもそれに日本語の上を加えて、ウエウエのウエの方にいってくる、といっていたからその言わんとすることを理解してくれた人は少なかったかもしれない。

 次のSolomaソロマとBarillasバリヤスはいずれもウエウエテナンゴ県にあって県都ウエウエテナンゴに次ぐ規模の都市といわれる街の名前である。もっともそこが大都市であったことを知ったのはあとのことで、いったいそれらはどんなところなのか?それを知るのがこの旅の目的だった。そう、普通の人、もちろんこの場合はグアテマラ人だが、彼らにウエウエのウエ、ソロマ、バリリャスにいくといったところで、ほとんどの人はそれがどこのことかは知らなかったと思う(さすがにウエウエは有名何処だからみんな知っている)。しかも、そこがどんなところで、どのくらいの街があるのかを知っていた人は、おそらく地元の人以外はいなかったと思う。そして、わたしもそのレベルで出かけたのであった。そこに何があって、どんなところか何も知らずに、、それがこの旅の目的だったのである、、

 これはグアテ人の無知をいっているのではない。これは経済的な意味で致し方ないことだけれど、今のグアテ人の平均所得では、ようやく年に一度くらい国内の知らないところ、あるいは有名な観光地に遊びにでかけられるというのが精一杯といったレベルであることをわたしは知っている。だから、ほとんどグアテマラ各地を旅してしまったわたしは、なるべくその話はしないようにしているのである。わたしは行けても彼らは行きたくてもいけないのだから、どこどこへ行った、どこどこもいったという話は、控えた方がいいと思っている。だから逆にわたしの知らないところを彼らに聞くのも控えるべきだと思っている。当然彼らも知らないのだから、、なので今回グアテ人にどこへ行くのか聞かれたときに、都市名のウエウエテナンゴと答えておいたのだ。そこなら普通みんな知っているから、余計な注釈はいらないからであった。が、そのウエウエテナンゴはもちろんすでにわたしは訪れていて、さらにその周辺の観光スポットとしては、Todos Santos Cuchumatanトドスサントスクチュマタンくらいしかなく、そこも訪問済みだった。その時の記事は以前書いていると思うが、そこは誠にユニークな地で、4000mの山間の山村に、どうしてあそこだけあの独自の風習・伝統衣装が残り、今はそれが一つの魅力として観光客をひきつけているという、ちょっとした謎の地といってもいいところである。わたしはその回答、あるいはヒントがその周辺に潜んでやしないかというのも、間接的ながら今回の旅の動機にもなっていた(結果的にそれらについての収穫はなかったが)。ま、それでその先(トドスサントスクチュマタンの先)には何があるのか、いや、特に何があるとも聞いてなかったが、ともかくその先の方に、いい方を変えるとグアテマラの端っこ、辺境地帯へ行ってみたかったのだった。

 しかし、それは地図上にある街、グアテマラの全体図を見ていて、いわゆる舗装路が途絶えてしまう地バリリャスBarillasまで行けばいい、そこまでいけるか?、行けたら戻ってこようという旅だったわけではなかった。さらにその先があった、舗装道は途切れてもその先さらに道は続いていたからだ。そこから先は、村や街のしるしは一切消え延々100kmくらい、未舗装ながらはっきりとした道は続いていたのだった。ただその間交通手段があるのかどうかは、情報が入らず、行ってみないとわからないという、その時点ではわたしにとって空白の地であった。しかし、ま、これまでの経験から確信に近いものはあった。グアテマラにあって、少なくとも道の印がついているところ必ず交通手段あり、という確信である。で、そこに記された街の名は、プラヤグランデPlaya Grande、ここはすでに大きな街であることは、その時すでに知っていた。つまりそこは、大都市コバンから奥に入った最果ての地であることは知っていたのだった。だから問題は、ウエウエからの最奥地Barillasとコバンからの最奥地Playa Grande間は道はあってもその間は空白、何があるのかどうなっているのか?、つまりそこが最もわたしの知りたい部分だったわけである。そういうルートをたどる旅を思いついて一番の問題は、途中の街の様子、交通手段の情報がまったくなかったから、果たして何日かかるのか?ということで、当所わたしはこのグランドサークルコース(アンティグアを発って一周して戻ってくるのに)に、一週間~10日を予定していたのだ。すなわちAntigua →San Pedro ま、ここは当初から2~3泊の予定だったが、San Pedroからは 一日目→ Huehuetenango 泊、二日目→ Barillas 泊、三日目→Playa Grande 泊、四日目→Coban 泊、五日目→ Guate 泊でサンペドロを出て六日目にはAntiguaに戻れるであろうと、つまりAntiguaを出た時点からすれば早ければ一週間、ま、時間がかかったとしても10日くらいで戻るつもりでHuehueの上の方にいってくるとElviaにはいってでかけたのであった。このルートがこんなにも簡単だったとは知らずに‥、以下はその記録である、、

 2月の13日月曜日、わたしはSan Pedro朝5:30発のXela行きのバスに乗った。5:40にでたバスはほぼ満員(だいたい定刻には出ない)、途中からもほとんどは地元の通勤客がどんどん乗ってくる。最初に多く降りるのはサンタクララ、ここには学校や職場が多くある。この辺で夜は明けているが、サンタクララまでの登りの道は夜明けのLago Atitlanが素晴らしい。1時間半で148、ここからはパンアメリカンハイウェイ片側2車線路の国道1号線をこれでもか、これがチキンバスの実力だといわんばかりに飛ばしていく。案の定8時にはCuatro Caminosについてしまった。早い、、途中工事による通行止めもなく、朝早く出たおかげだった。4 Caminos(クワトロカミノス;4辻?)まで20Q、ここもこれまでに何度通ったか、いわずと知れた交通の要衝というか、難所?この交差点を通過するのにどんな車も数十分を要するところである。パンナム1号線;CA1は中央アメリカを縦断している幹線道路で、グアテマラ国内にあっては、メキシコ国境のLa Messilaから主な街だけでも挙げておくと、Hueuetenango,Cuatro Caminos,Los Encuentros,Chimaltenango,Guatemala City, Cuilapa,Jutiapaを通ってSan Cristbalからサンタアナ~エルサルバドルに抜けていくルートがCA1(セントラルアメリカハイウェイ=パンナムハイウェイ)で、そのグアテ市からメキシコ国境までの間だけを限っても、このクアトロカミノスが最も混雑の激しい交差点になっている。ここに8時に着けたことは上出来で、シェラXela行きのバスはここを左折するから、交差点の手前で降りると、そこにはウエウエhuehue行きのバスが待っているのだった。といってもそれはラッキーでもなんでもなく、いつものことでその乗り換えたバスは、しばらく乗客が集まるのまでその辺りから動かず、ようやく8時15分頃になって出発した。が、それもその先のモモステナンゴ入り口でまたしばらく停車するといった按配、それでもその先からは一気にウエウエまで突っ走って、クアトロカミノスからはウエウエまで2時間20Q、10:15にはウエウエテナンゴに着いてしまったのだった。これには驚いたというか予期せぬ早さ、これが早起きは三文の徳、早出の恩恵だったのである。というのも、当初の予定では、ウエウエまで5~6時間を見ていて、朝が遅かったならその日はウエウエ泊予定だったところ、10時に着いたのだから、まだ先までいけることが明らかになったからだった。もとよりウエウエの街はすでに一度訪れていて面白いところはなく、無理に滞在する必要なかった。それならどこまでいけるかとなったとき、ここでも予期せぬ光景が展開したのだった。クアトロカミノスで乗ったチキンバスが、ウエウエのターミナルに着くや否や何人かの呼び込みがバスに乗り込んできた。それには少し耳を疑った、みな口々に、ソロマ、パリィリャスといっていたからだ。それである程度のことがわかる。まず、その時間からパリィリャスに向かうバスがあるらしいことがわかったことだった。しかも、複数の呼び込みが競っているということはそんなバスが数社出ているらしいということだった。なのでパリィリャスにいくバスがあるのかと改めて聞いても見ると、みんな必死でこっちへ来いとわたしをそのバスの方へ導いてくれ、このワゴン車は11時にでる、もう少し大きいミニバスは、11時半にでると教えてくれた。ということは小一時間の時間的余裕があったから、急ぐ必要はなかった。なので、ゆっくり丁寧に、なら小型のワゴン車はいくらで、ミニバスならいくらか、そしてパリィリャスまで何時間かかるのか聞いてみた。いや、知らないということは、恐ろしいことであると同時に、そんな情報はここでしか得られなかったと思うのだけれど、まず、どちらも50Qで時間は6時間と教えてくれたのだった。えー、ならその日の夕方には、バリリャスにつけるではないか、となったのであった。そして、30分出発は遅いが、やはり大きいほうが楽ではないかと、11時半発のミニバスのドライバーの隣の特等席に、席を占めたのだった。

Img_5234Lago Atitlanの夜明け<バスから>Img_5235CA1を行くバスからVolcan Santa Maria
Img_5239Huehueまでの途中の市の風景、、
Img_5242遠方の山並みがSierra Madre<Huehueへの途中>Img_5245Huehueのバスターミナルとバス会社
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 小一時間の間にトイレと、朝昼を兼ねて軽い食事をして出発を待つ。わたしが一番の客だったはずが、出発時にはほとんど席は埋まった状態になっていた。例によって出発は15分ほど遅くなったが、ウエウエを出たバスは、しばらくトドスサントスクチュマタンへ行く道と同じ道を行く、といってもこれが大変な山道で、標高2000m近いウエウエの街から、南北に連なるSierra Madre山脈の一支脈、クチュマタン山塊は4000m級の台地で、標高差2000mを登っていくのである。その眺めは雄大で、真下にチアントラ、ウエウエの街々、遠くにキチェの山々、そしてシェラのシンボル、ボルカンサンタマリアVolcan Santa Maria までが見渡せてまるで箱庭を見ているよう、、そんな雄大な眺望を思いのまま約1時間で登りきると後は平たんな高原上の台地を行くことになる。約1時間で左がトドスサントスに下っていく道と分かれると、しばらくは荒涼とした山の上の簡易舗装の道を、ほとんど行き交う車もなく、飛ばしていくのだが、富士山より高い高原の道というのは相当寒いのであった。この道からは眺望は聞かず、ゴツゴツした岩山の間を行くといった感じ、2時間くらい走ったところに一軒のお店があって、その辺りが行政区の境界か?10分の休みをとった。多分そこが最も高度のあったところで、そこからは山の中の道をそれほどのアップダウンなく、くねくね行くと急に視界が開け、遠くの山々が見渡せその谷筋を下りだした。その途中に、この路線中唯一の観光スポット、ピエドラデキャプテンPiedraz de Captzinというところがあって、ドライバーがそれを教えてくれ、車を徐行してくれたので写真が撮れた。そこから30分くらい下ったところが、ウエウエから最初の街、San Juan Ixcoyで14時20分着、この街はさほど大きくはなかったが、山の中の街、4000m越えして行き着いた街にしては、こんなに大きな街があるのかと驚かされたのだった。パルケセントラルがあってカテドラルがあって、hotelも数件目にしていた。それほど停車時間がなく写真は撮れなかった。しかし、そこから谷あいを縫って、一山越えて30分ほどでたどり着いた街は、それこそ予想だにしなかった大都市が突然山の中に姿を現したといった趣でわたしを迎えたのだった。なんでこんな街がこんな山奥に‥、、というか村でなく都市が存在するそのことの理解に苦しんだ。なんとなれば、わたしはウエウエから、ウエウエの僻地の探査に来たはずであった。4000m越えの一本道の山道がいくつく先に、もとよりこんな街が存在するとは思ってもいないのである。確かにバリリャス間に4つた、が、その規模は山上の村程度にしか思っていなかったのであった。が、実際たどり着いたその街Solomaは、わたしの知るキチェの県都サンタクルスデキチェや、チキムラの県都チキムラに似た感じで、黄金のドームを持つカテドラルに、その前のメルカドとパルケセントラルの賑わいは、それらの都市に匹敵する規模に見てとれた。いったいどうなっているんだとあっけにとられてしまったのであ。そのソロマはちょうどバリリャスまでの中間地点にあったからか、そこで30分ほどの休憩をとって、15:15バスは再びバリリャスに向かって、少し標高の低くなった山岳地帯の道を、まだその辺りは舗装路だったが、さらに奥に向かって走り出したのだった。

Img_5251HuehueのパルケセントラルImg_5253まだそれほど登ってないが、だんだん下界が開けてくる

Img_5255事故現場Img_525840分くらい登ったあたり?Img_5261山の上は高原上の台地Img_5264この先分岐ありImg_5265ドスサントス(左方向)への分岐Img_5268山の上の高原地帯を行く;2枚
Img_5270Img_52712時間くらい走って休憩Img_5272_2上の地点から少しいくと急に視界が開けた
Img_5273Piedras de Captzin;4枚(この辺では数少ない観光ポイント?<巨岩が二つ>)Img_5275Img_5279Img_5280

Img_5290この山道を下るとSan Juan IxcoyImg_5291山間の街San Juan Ixcoy;2枚(下カテドラル)Img_5292

サロマSaloma 全景とカテドラルを中心に広がるメルカド;4枚(ここは大きな街だった)
Img_5298Img_5303_2Img_5305Img_5302Img_5307_3


 そろそろわかりかけていた、わたしは情報がなかったものだから、このルートは過疎地・僻地へ行く道と決めつけていた節があった、が、どうやらそもそもその辺に誤謬のもとはあったようだ。しかしそれもあながち無理のないことのように思われた。何しろそんな情報はINGUATでも教えてもらってなかったし、ソロマ、バリリャスが10万を超えるウエウエに次ぐ都市であるなんてことを誰も教えてくれなかった、、そもそもグアテマラ人自身、地元の人でない限り知らないことだったのではないかと思われたからである。しかし、今にして思うことはあった、だからこそのウエウエのバスターミナルでの呼び込みだったのだ。これだけの人の行き来がない限り、それはありえないし、バスが30分~1時間に一本も出ているわけはないではないか?そういわれてみると数年前にトドスサントスにいった時も、そこにいくバスは極端に少なかったのに、その時すでにバリリャスの呼び込みは耳に残るほど競争が激しかったのだ。つまり、このルートは非常に重要な、モノと人とが行き来する幹線ルートであったということだったのだ。二つの疑問がわいてきた、ということは1,こ非常に豊か土地、農業生産及び交易が発達している地ではないかということ、2,その割にはトドスサントスは、かなり厳しい状況にあることと、どうしてあそこだけ特異な文化が残ったのか、ということ。いずれもわたしの中の課題として残ったのであった。いずれにしろ、グアテマラの僻地、メキシコと国境を接するウエウエテナンゴ県というのは、結構地味豊かなマムの土地で、産業が盛んでもしかしたらメキシコとの交易もあったりして、決して取り残された地ではなかったのではないかということだった。こうしてさらにバスは、次の街Santa Eulaliaに40分ほどで着いた。ここも大きな教会があって、セントラルは賑わっていた。ここも田舎町ではなく立派な都市だった。そこで5分ほど停車して、16時にバスは次の街San Mateo Ixtatanに向かった。ずっと山道の連続だったが、それでも次の街San Mateo Ixtatanの途中までは、一応舗装された快適な道だった。Santa EulaliaからSan Mateo Ixatatanまでが1時間、その2/3ほど行ったところで舗装はつき、厳しいでこぼこの山道を行く。San Mateo Ixtatanは山間の街で、とても印象的な街だったが、もとよりこんなところで降りてもホテルはあっても旅行者の滞在するところではなかった。そういえば、BarillasはそのSan Mateo Ixtatanからさらにでこぼこ道を行くこと1時間半、ま、あの距離を当初6時間といっていたが、結局7時間かかってようやく着いたのだが、よく走りとおしたと思う。ほんとにお疲れ様の旅であった。もうすっかり暮れてしまったバリリャスパルケセントラル脇のホテル6時半の到着だった。で、その間旅行者は皆無だった。ドライバーはほんとにわたしによくしてくれて、写真のView Pointでは減速してくれたりしてくれた(その割にいい写真が撮れていない)。そしてすっかり暮れてしまって、右も左もわからないわたしを、わざわざその街一番のホテルまで運んでくれたのだった。逆にいうとそのホテルに泊まらざるを得なかくなってしまったのだけれど、そこまで連れて行ってもらう間も、この街がたいへん大きな街であることを十分に教えてくれていた。そう、それがわかっただけでもこの旅の第一の目的は達成されていたのだった。

Img_5311_2Santa Eulaliaは寝ちゃってて写真が撮りてない;2枚Img_5309_2

San Mateo Ixtatanのパルケセントラルと村の感じ;2枚(ここも車窓からで写真が撮れてない)Img_5321_2Img_5322_2Img_5327_2Img_5328_2