独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 12,ちょっと思い出したこと、、サンペドロにて。

 今回の5週間の旅は、ほぼ一週間ずつが区切りになって、最初の一週間が出国~カンクンベリーズグアテマラの移動日で、3月6日の金曜にアンティグア着、そのあと3日アンティグアに滞在しサンペドロへ、サンペドロは11日滞在して、アンティグアへ戻って今度は一週間いたので、アンティグアは都合10日となり、サンペドロとあわせて3週間がいわゆるstay期間、そして、また最後の一週間がカンクンまでの移動日となった。だいたいその切り替え日(出発や到着)はほとんど金曜で、アンティグアを発ったのも27日の金曜であった。で、その3週間のstay期間の間、現地レポート以外のことで報告すべきことがまだ残っていたかどうか少し振り返ってみたい‥、、

 思いつくのは、これはレポートにも書いたことだが、様変りしつつあるグアテマラ、ということか?グアテマラの経済が発展するに連れて諸物価があがっていくことは、むしろグアテ国民にとっては歓迎すべきことであろうが、その速度が観光地ほど加速化している、というのも致し方ないことなのだろう。我々にとってはむしろ円安のほうを嘆くべきことなのだろうが??。それでも象徴的な出来事を目の当たりにした。以前、といってもわたしが最初に来た数年前のことだが、わたしはインディヘナの民族衣装の美しさに眼を見晴らされた。それもインディヘナの種族、更に住んでいる村によって、それぞれ独自の民族衣装(ウィピル<上衣>、コルテ<スカート>、べルト・頭飾り等)があって、それを着衣することが、彼らのアイデンティティ(民族の独自性・矜持といったもの)の顕現に他ならないことを知るにいたって、その伝統・歴史・民族性にたいする強い誇りを感じたのだけれど、たった数年後の話だが、今回そういったものの崩壊の兆しを感じたのであった。どういうことかというと、わたしのサンペドロの友人は純粋インディヘナ・トゥトゥヒルTzutujil(グアテマラには21~22の純粋インディヘナの種族が現存するが、それについてはすでに述べていると思うので割愛。ただ純粋といったのは、Tzutujil以外の血が混じっていないということ、純血という意味だが、なんか純血という語は使いにくい??)なのだけれど、トゥトゥヒルの中でも村によって衣装は違い、とても素敵なサンチャゴアティトゥランに比べると、サンペドロのトゥトゥヒルは衣装に関してはまったく面白くなく、際だった特徴はもってなかった(それについても既述)。で、何が驚いたかというと、その友人マヌエル宅の1階に、聞いたら数ヶ月前からとのことだったが、そういった衣装を扱う洋品店?をオープンさせていた(あくまで地元民用のショップである)。わたしは当然そこで商われている衣装はトゥトゥヒルのものだと思ったのだが、そこにはキチェのものもあればカクチケルのものもあって、それもナウアラNahualaやサンルーカストリマンSan Lucas Toliman、パツィシアPatzicia(いずれも地名)といった民族衣装では知られたところから集められたものを扱っていて、それぞれ素敵な民族衣装なのだが、いずれもトゥトゥヒルのものではなかったのだ。しかも、その店(彼の家)はセントロにあって観光客エリアではなく、また観光客用の店でもなかった。わたしは素朴な疑問、誰を対象にした品揃えなのかときいた。もちろん地元の人、とのことだったが、ということはすべてトゥトゥヒルインディヘナなのだけれど、いまや衣装と民族性は決して固く結び付けられた(民族性・出身村を顕示する)象徴性ではなくなっているとのことだったのだ。これはわたしには衝撃的だった。わたしの見方を変えなければならなくなった。わたしは衣装を見ればその種族・出身村がわかると聞いていたので、それは豊かなインディヘナのよき伝統と思っていたのだが、それは最早過去のことになりつつあるということだったのだ。いまや、どの種族・どこの出身者でも自由に気に入ったウィピルを着ている、あるいは着ることができるようになったということのようだった。うーん、やはりわたしは旅人の幻想を抱いて、この人たちと接していたのかもしれなかった。彼らも変わりつつあるのだ。この情報化の時代、ケータイをもちパソコンを操っているのである。特にサンペドロのトゥトゥヒルは早くから民族衣装を捨てた進取の気性に富む人たちだったから、わたしの想像以上の速さで変わりつつあるのかもしれなかった。ま、それでもひとつ救いがあるとすれば、その衣装が決して西洋風・現代風のものにとって代わったわけでなく(その日も近い将来訪れるであろうが)、民族間の垣根が取り払われて着るものに束縛されなくなった、つまり彼らの自由度が増したということ、それでも決してウィピルという民族衣装を捨てたわけでないことを、せめてもの慰めとしたい‥。

<過去のプログで掲載済みの写真ですが、民族衣装が写っている写真をいくつか探してみました>1,ネバフNebajにて、2,Chajulにて、いずれもキチェの人、、

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3,4はサンチャゴアティトランSantiago Atitlan、トゥトゥヒル、、

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5,6はサンアントニオ・パロポ San Antonio Palopo、カクチケル、、

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7,ソロラSololaの人、8はサンパブロSan Pablo laLaguna?の人、9,サンタ・クルス・ラ・ラグーナSanta Cruz la Laguna、いずれもたぶんキチェ、、

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