独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラへ 4)サンアンドレス・ララインサールSan Andres Larrainzar

 12年前の旅のとき、ガイドブックも持っていたし、はじめて来たこともあって一般の観光地となっている先住民の村チャムラやシナカンタンに行ってみた、ここチアパス州は隣のオアハカ州と並んで先住民の多いところで、その個性的ともいえる民族固有の伝統・習慣を頑なに守っていて、彼らの風俗や行事、宗教儀式などを観光客の好奇な目で写真に撮られることを極端に嫌っていた、、彼らがサパティスタの母体となっているとは必ずしもいえないが、サパティスタたちの唱える民族(インディヘナ)の誇り・人間としての尊厳を訴える主張は当然彼らとも重なり合っていた、、今でもそれが反グローバリズムを掲げるサパティスタたちとともに商業主義・市場経済の波に押しつぶされていなけれはよいのだが、という憂いはあった、しかし、今回わたしはその両村は訪ねずにさらにその奥にある村サンアンドレス・ララインサールに行ってみようと思っていた、、

 実をいうと、ガイドブックを持っていなかったと同時にその辺の情報も統合できていなくて、その辺の地理がよくわかっていなかったのだが、地図上でいうとどれもがすべて近かったことを後で知ることになった、つまりその四つの村、即ちチャムラ、シナカンタン、サンアンドレス・ララインサール及びオヴェンティックは一本の道路上にあったのであった、、その日サンアンドレス・ララインサールー行くコレクティボは同じ道を北に向かい昨日オヴェンティックに行くとき通った道を辿ったのだ、そしてしばらく行くと左手にシナカンタン方面の表示があった、その少し先で右方向チャムラの案内表示が見えてきた、さらに同じ山道を1時間くらい走ると、昨日ちょっと気に留めた分岐があって、昨日は左方向に進んだところを直進してまもなくサンアンドレス・ララインサールのパルケセントラルに到着した、、昨日通った道は覚えていたが、12年前両村を訪ねたときのことはまったく覚えていなかった、、で、まず後悔したことは、もし昨日の時点でそれがわかっていたら何も今日出直しする必要はなかったこと(昨日の帰りに寄ればよかった)、時間と交通費を無駄にしてしまったという想い、つまりオヴェンティックは同じ道をさらに20分くらい走ったところにあったということをそのとき知ったのであった、、また、さらに重要なことをわたしは見逃していた、わたしがここを訪れてみようと思った動機はもちろんここも先住民の村ということは十分承知していたのだが一つはここの織物・刺繍が有名だったこと、もうひとつはかつて日本人の学者がここに滞在して言葉の調査をされていたという記事をどこかで読んだ記憶があったこと、そして、このなんとも素敵な地名(サンアンドレスララインサールという)の音韻に惹かれていた等々で、サンクリの最終日はここを訪れてみようと決めていたのだった、ところがここはもうひとつかなり重要な村として知られていたのだった、それは前回記した1994,1,1のサパティスタ蜂起後、メキシコ政府との間で和平交渉が進められ1996年にサンアンドレス協定という合意が締結された場所だったのである、、パルケセントラル及びカテドラルは例によって街の中心にあったがそこはひとつの丘の頂でもあった、もうひとつ向こうの丘には別の教会が見え、遠くにはかなり高い別の山並みが連なり、この村自体が山の中の村であった、、

214_640x480パルケセントラル 218_640x480逆光になってしまったが、もうひとつの教会から中心部を望む
225_640x480オヴェンティックもこんな山中ある
  220_640x480市場の八百屋兼土産物屋

  素朴な村人、明るい子供たち、しかしその子供たちはみな靴磨きの道具一式を持っていた、その子供たちはスペイン語を理解したが現地語で話しており、聞くとツォツィル語とのことチャムラやシナカンタンと同じツォツィル語系の村だった、もちろん観光客は一人もおらず逆に好奇の目で見られながらもその村を巡る、いったん丘を下って向こうに見えた教会にも行ってみる、織物や刺繍の土産物屋も探してみる、ぐるっと1時間も回ると中心部は一通り回れてしまうのだが、土産物屋もこれといった見所もない、市場もたいした規模でなく、どこにその織物があるのか探し回った、、しかしここでも強く感じたのは写真撮影である、やはり人物は取れなかったしある店では店頭の陳列(確かそれは果物であったと記憶しているが)を撮ろうと思って一応許可を求めたらきっぱり断られてしまった、、逆にこの辺いったいの彼らの意識に変化がないことを知って却ってうれしく思ったりしたのだけれど‥

 パルケセントラルからだいぶ離れたところに織物の店兼工房のようなところがあった、、中を見せてもらう、そこでは写真撮影を許可された、、が、しかしお土産品としてはわたしにとっては高価すぎたので謝して辞す、そうやって来た道を戻る方向に歩いているとオヴェンティックへの道との分岐にでた、もうそこでコレクティボを拾って帰ろうかと思っていると少し行ったところに工芸品センターplaza cultura?のような立派な建物があるのが目に入った、街道沿いの土産物センターのようで小さな店舗が10軒ほど入っていたか?、しかし開いてる店は半分もなかった、もちろん客はいない、、明らかに利益が見込めそうもないほど閑散としていたから閉じている店は土日だけの商売かもしれない、、やっと来た客を取り逃がすまいとわたしが寄った店のおばさんはお土産を買う条件で写真を一枚撮らせてくれた、、で、少し高価だったが素敵なテーブルクロスを一枚買うことになった、、

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 昼ころにはサンクリに戻り道草カフェに寄った(カサカサ及び道草カフェについては1月13日現地レポートしているので参照してください)、道草カフェはやはりサンクリにはまってしまった日本の男の子とお手伝いの女の子がカサカサの近くでカフェを開いていた(何でもそのときの彼らはピンチヒッターだといっていたが)、で、そこの昼定食を予約していたのだ、、そこにはカサカサに滞在している若い人ほとんどが集まっていた、何をしているのかと思えば、彼らはてんでに好きなことに乗じていた、つまりまったりと漫画なんかを読んでいるのであった、、別にそのとき思ったのではないが、中南米の日本人宿の設備・施設の必需品(常備品?)の一つはどうやら漫画本であるらしいことはアンティグアの田代にいたときから気づいてはいた、また結構皆熱心に読みふけっている光景もたびたび目にはしていた、ある意味羨ましくもあり、ある意味複雑(不思議)な想いにとらわれるのがわれわれの世代ではないかと思う、つまりそれができないのである、、そういう意味ではカサカサも彼らにとってはまさに居心地のよい場所、沈没場所であったようだ、長期滞在者が多いのも十分うなずけた、それができないわたしは管理人のmiharuさんに明日グアテマラに向かうことを告げシャトルバスの手配をお願いした、サンクリからのシャトルバスは300ペソで①アンティグア②パナハッチェル③シェラ(ケツェルテナンゴ)へ行けるとのことだった、もちろん普通のバスを乗り継いで国境まで行き、グアテマラに入ってまた普通のバスを乗り継いでいくこともできたし、またそのほうが料金的にはずっと安かったと思う、しかしそれでも半分以下ということはなかったし乗り継ぎの手間等考えるとシャトルバスの利便性が勝った、行き先はとりあえずパナハッチェルとした、そしたらパナとシェラは最近値下げになって280ペソになったとのことだった、280ペソは35ドル1700円くらい?それでパナまで行けてしまうのだからそんなに高くないと思った(逆にグアテからサンクリまでは最低40ドルくらいしたからかえってメキシコからのほうが安かった)、、そしてその日の午後初めてカサカサからの現地レポートを送ったのであった、、

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