独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラへ 2)オコシンゴOcosingo トニナTonina遺跡

  メキシコにはアステカ、トルテカの古代遺跡とともにもマヤの遺跡もたくさんある、特にユカタンのチチェンイッツァやウシユマルはマヤ後古典期の遺跡として(一部古典期)パレンケ、ヤシュチラン、ボナンパックはマヤの全盛期古典期の遺跡として有名である、その中でも、その遺跡の規模や発見された諸物の重要性、それによってわかってきた当時のマヤ世界全体における影響力などから特にパレンケ王朝はマヤの歴史の中で重要な地位を占めている、もちろん世界遺産にも登録されていた、、同じく世界遺産に登録されているユカタンのチチェンイツァーやウシュマルと同様、いつも観光客が絶えなかった、、が、ここサンクリからそのパレンケに向かう途上、ちょうどその真ん中辺の街もオコシンゴの郊外に存在したトニナToninaという遺跡は案外知られておらず、忘れられたようにほとんど観光客もいなかった、、ここはそのパレンケに(距離的に近くいわば隣国だった?)多大な影響を与えた王国として知る人は知る、という遺跡だったのだ、、

 だから、わたしも12年前にサンクリを訪れたときにはその存在を知らず、サンクリからパレンケまでずっと居眠りして通り過ぎてしまっていた、、昨年はグァテマラの滞在期間が切れた際には一度出国する必要があったので、もしサンクリに出たら行ってみようと思っていたのだが、そのときはタパチュラに出てしまったので機会を逃していた、、今回サンクリに寄ったら必ずたずねようと思っていたのはここオコシンゴだったわけである、、

 さて、その朝荷物もないのでまだみんなが寝ているうちに、といっても7時ころCasa Kasaを出て昨日下見したバス乗り場歩いて向かった、、そのあたりの露店でパンとコーヒーの朝食、ミニバスに乗り込んだ、、実は昨日ここサンクリに着いたとき重大な過ちに気がついて、わたしはショックを受けていた、わたしは12年間、というか実際は12年前、ここサンクリの東西南北を間違えていたようだったのだ、確かそのころのブログにこう書いたはずだった(読み返してはいない)、‘サンクリの街を背にして前にパンアメリカンハイウェイが走っている、右に行くとグァテマラ国境、左がメキシコシティにつづく道だ‥’、、そんなように書いた記憶があった、なぜそれを覚えているかというとそのときも実は自信がなかったのだ、それを書いたのが4,5年前、実際行っていたのが12年前だったからそういう意味ではうろ覚えだった、しかし反面わたしが東西南北を間違えるはずがないという奢り?もあってずっと気にはなっていたことだったのだ、、それが今回見事に実証されてしまった、まったく逆だったのである、、ということは今回の旅で相当方向違いをやって何回も道に迷い、とうとうわたしも呆けてきたかと思い知らされていたのだが、どうやらそのボケはすでに12年前から始まっていたようだった、、うーん ! ?(お前のボケは天然、もともと方向感覚がいいわけでない、という影の声あり)

 なので当然そのミニバスは左方向に向かって進んだ、そして10分くらい走って左折、それは12年前パレンケに向かった道と同じはずだった、が、そこでこれまた不思議なことを発見する、、そう12年前もそこを左折したあたりからの記憶がおぼろになり、今回もだんだん意識が薄れていった、、あとでわたしは勝手に命名したのだが、この道は‘眠りを誘う道’だと、なぜならそれは帰りにも起こったし、しかもわたしだけではなかったからである、、そこは山道だったが、そのカーブ模様が誰をも居眠りに誘うというなんとも不思議な道だったのである、、??

  寒いサンクリから少し高度を下げ2時間くらい居眠りしている間にオコシンゴの街に入る、ドライバーにはトニナに行きたい旨は伝えてあったが、街の地図もなく、どっちがどっちか、トニナがどこにどっちにあるかもわかっていなかった、、どうやらミニバスのターミナル(といってもたまり場みたいなところ)はセントロからかなり離れているところらしく、ドライバーぱ気をきかして、ある街角で車を止めて、この道をまっすぐ行くとパルケセントラルがあること、その近くにメルカドがあってそこからトニナに行くコレクティボが出ていることを教えてくれた、、言われるままそこで下車しその方向に歩き出す、4,5ブロックはあったか、どこでも同じ構造、教会と市庁舎が面して立つパルケセントラルに出た、結構暑いところだった、市庁舎があるということはインフォメーションがあるかもしれないと思って覗いてみた、ここに観光案内所のようなところはないかと聞いたところがそれだった、手書きのようなパソコンで作ったような簡単な地図をくれてメルカドの位置とコレクティボの乗り場を改めて教えてくれるのだった、、そうやって今度はコレクティボ(ワゴン車)に乗ってトニナの遺跡にたどり着いた、、そこはオコシンゴの街から30分くらい?周りは牧場で遠くにそれほど高くない山並みが連なっている、大変気持ちのよいところだった、、

154_640x480遺跡公園のオフィス、入場料46ペソ 157_640x480遺跡に続く道、以下同
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  それは遺跡の立地だけでなく遺跡全体にいえることだった、、ひとつには今時どの遺跡もそうなのだけれど、考古学局の管轄下ですべて観光用に整備され公園化していた、が、なんと言ってもここは訪れる人が少なく、のんびりしたムードが漂い、放牧されている馬、牛を見ているだけでも癒されるようなところだった、ただし日中はかなり暑くなった、、公園入り口で入場料を払いメインの広場まで、そんな牛馬に目をやりながら、しかし途中でその遺跡の雄姿が見えて少し歩みが速くなった、ちょっと下って小さな小川を渡ってメインの広場に出る、なんだここは ! !なんという遺跡だ、まるでお城、それも山のようにそそり立つ城だ、いやーかっこいい、こんな遺跡初めてだ、、素晴らしいではないか ! !それがそのときの感想である、よし、なんとしてもその頂きまで登ってみよう、、そしてそれはそれほど簡単ではなかったが、達せられた、そこからの眺めも素晴らしかった、そんな遺跡なのに訪れている人はほんの数グループ、トータル十数人しか見かけなかったのだった、、(描写力がないので写真を見ていただいたほうが早そう)

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 すっかりこの遺跡が気に入ってしまって、帰りのコレクティボからも写真を撮ってみた、実は行きにはそこに遺跡があることを知らなかったから気づいていなかったのである、そうやって遠景で眺めるとますますその姿かたちが魅力的に見えてきた、これまでに数多く回った遺跡の中でもその全体的な美しさ、まとまりのよさがトップクラスに思えた、、他と違って平原・原野(?、他のマヤ遺跡の多くは密林の中だったが)に聳えるこの城を中心としたこの王国はどんなだったのだろうか?宿題が残る、、

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 さて、最後にその遺跡内に2枚の立て看があった(今の人はタテカンといってもわからないか?)、わたしの力ではその内容を正確に理解できないのだけれど、そこに書かれているEZLNという4文字、実はこれが次の日訪問予定だったサパティスタのことである、即ちEjercito Zapatista de Liberacion Nacional サパティスタ民族解放軍‥、それについては次回、、