独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 6)再びサンペドロへ

 1ヵ月後に絵を取りに来ると約束してしていたCarolinaともmailで連絡がとれていたし、日本とも帰国日の件で打ち合わせし、最終的にその日付が5月の19日に決まり、田代のPCでコンティネンタルのticket予約ができたので、12日に最後の授業を終えたわたしは13日からまた小旅行に出た、どうやら性分としてわたしは定住型でなく移動型のようであった、安い乗り物に乗ってどこかへ移動しているほうが(たぶんどこでもよかったのかもしれない、その行為が)性にあっていたのだ、、その小旅行を語る前に帰りのticketについて書いておこうと思う、、、

 エイジェントでのticket購入が難しかったので田代さんに相談してみた、日本に帰るときはどうしているんですか?安い方法はありますか?と、方法が二つあってひとつはmailとfaxを使ってLAのHISで購入するか、ネットでコンティネンタルの航空券が安く手に入るとのことであった、わたしももしGuate(or Mexico)からLAまで飛べたらLAのHISでticketを探すつもりで日本を出るときにLAのHISの住所と地図をピーして持ってきていた(LAには営業所が3ヶ所もあったので)、しかしそのLAまでのticketが手に入らない今(faxでのやりとりで、HISで可能とのことであったが)言われたもうひとつの方法を田代のPCで試してみた、コンティネンタルにアクセスしてGuate~Naritaで日付を入れて検索すると瞬く間にその回答が得られた、しかも候補がいくつかあって、その中からの選択となった、つまり直行便がないのでどこで乗り継ぐかの選択であった、まずGuate発のすべてのコンティネンタル便はハブ空港であるヒューストンに飛ぶ、そこで乗り継いで米国のどこかの都市まで飛び、そこで一泊となる、次の日にその町からの日本への直行便に乗る、その町とは次の3ヶ所であった①サンフランシスコ②シカゴ③ワシントンDC、、、で、料金はどこも一緒、それが思ってたより安かった、当初Narita~LA往復の格安1ヶ月ticketを放棄したわたしは帰り便について二つの考えを持っていた、ひとつは片道切符で予算10万円くらいでないか?もうひとつはもしかしたら半年後に戻ってくることを想定して半年openの往復ticketで15万くらいで手に入らないか?以前Guate市の五十嵐さんのところへお邪魔したときの情報ではたまに1500ドルくらいの往復ticketがでるとのことだったけれど、また何日か前に調べたアンティグアのエイジェントの金額は2000ドルを越えたりしていたので(往復)、それらに比べればべらぼうに安かった、片道で730ドル(税別)、往復で1200~1300ドルくらいであった、しかし問題がまったくなかったわけではない、しかもその懸案事項を確認する手立てがなかった(mailにせよtelにせよ英語で問い合わせなければならなかった)、そのひとつは荷物の預け方の問題、もうひとつは乗り換え時のステイの問題、ともかくいかにも乗り継ぎは面倒に思えた、また、出国便が朝早すぎること(早朝7時)とヒューストンの乗り換え時間が1時間くらいしかなかったのも躊躇する理由となった、しかし料金の安さとネットで予約できる簡易さ(代金はクレジット払いだった)は他に代えがたかったので結局5月17日発のサンフランシスコ経由one wayに決めてしまった、別にどこでもよかったのだけれど、そのストップオーバーの条件が良くわからなかったのと、日本に帰るのにシカゴまたはワシントンだと何か戻るかたちが(遠回り?余計時間がかかる?)気に入らなかったのでサンフランシスコを選んだ、ticket予約はすんなりできて、田代さんのプリンターでE-ticketを発行してもらった(最終金額は日本円でticket代が62,000円各国出国税等の諸経費24,000円であった)、、、

 1ヶ月先のことではあったが、ま、一件落着させての旅立ちとなった、4月13日の朝まず向かったのはエスクイントラEscuintla、ここは以前一度行っている街であった、今回の旅の目的はマヤの初期遺跡であるラデモクラシアLa Democracia、エルバウルEl Baul ビルバオBilbao(いずれもエスクイントラEscuintla県にあり)を訪れて、そこからラゴアティトゥランLago Atitlanに向かうというものであった、で、前述したようにその手引きが田代にあった富永mapに載っていて何とかバスで行けそうだった、しかしその記載は(アンティグアから)日帰りの想定でアトゥティランに行くバスについてはなんら触れられていなかった、だからそれは行ってみなければわからなかったのだか、カンというかカケというか何故かわたしには確信があったのであった(実は以前サンチャゴアティトランでパナハッチェル行きのバスを探したとき、パナ行きはなくグァテ行きしかなかった、そのグアテ行きのバスはそのルートを通るとしか考えられなかったのでそのカンにカケてみたのだ)、で、エスクイントラまではなんら問題はなかった、というより理由がよくわからないのだが前回10Qだったバス代は7Qだったし前回1時間かかっていたのが50分で着いた(前回は寄った1ヶ所の村をそのときは飛ばしていた)??、最初の難関はそのエスクイントラのバスターミナルで生じた、デモクラシア方面に行くバスがない、で何人かの呼び込みに聞いてみると、どうやらそのバスの発着所はそこではないらしいことがわかった、で、言われるまま(はっきりは聞き取れてないし理解できてないのだが)その場所を探す、しばらくその方角に歩いていくと、どうやらそこは前回プエルトサンホセに行くときにバスを乗り換えたところではないかと気づいた、そこまでは結構距離があって30分くらいうろうろまごついてしまったか?それでもその最初のカンは当たってそこに何台かのバスが待機しておりデモクラシア?デモクラシア?とわたしが聞くと、そのうちの1台を教えてくれた、そしてそのバスはわたしを待っててくれたようにすぐに出発した、ということは超ラッキーだったのかもしれなかった、が、そのバスの行き先は確かめなかったので不安は残った、集金に来た車掌に聞くと間違いないといって10Qとられた、そのバスには乗客が5,6人しかいなかった、国道2号線?CA2はやはり幹道だけあってよく整備されていて通行量も多かった、右手は遠くに山並みが、そして所々に奇岩が見え左手は平原・田園風景でほとんど起伏のない平坦路をバスは飛ばした、それでも30分くらい走ったかシキナラSiquinalaという街道町に着いてそこで動かなくなった、前にバスが一台停まっていた、どうやら時間調整のようであった、それまで乗っていた乗客はすべてそこで降りていた(あるいは前に停車していたバスに乗り換えた??)、どうなっているのかわからず、なす術なくわたしは一人ぽつねんとバスの発車を待つしかなかった、しかし40分の時間調整はいかにも長すぎた、スィパカテSipacate行きのそのバスは発車して10分も走るとデモクラシアの街に入った、わけわからないままそこのパルケで下車した、その中央公園にメキシコ・オルメカの巨石人物像を思わせる数体の巨大遺物が鎮座していた、そのはす向かいにはmuseo博物館があって、ちょっと高かったけど30Q払って覗いてみた、その博物館にも遺物はたくさん展示されてあったが素人のわたしがみてもほとんど何もわからなかった、しかし中央公園の巨大遺石も含めてすべてこの近辺で出土したものだとそこの館員は説明してくれた、それにしても訪れる観光客はまれで、そこの入館者名簿で日本人を捜したが半年くらい前に一人見つけたきり、ま、日本人の訪問者に限っていえば年間5人?いやせいぜい2,3人くらいだったかもしれない~??デモクラシアの見所はそこだけだったので30分くらいであったか?写真を撮って次のバスでサンタルシアコツァマルグァパSanta Lucia Cotzamalguapa通称サンタルシアへ向かった、シキナラまで15分そこからサンタルシアまでは10足らずであった、シキナラ、デモクラシアは小さな街(村?)であったがサンタルシアは結構大きな街だった、バスターミナルで降ろされたが右も左もわからない、次に行くところはバスはなさそうだったのでトゥクトゥクを探す、が、走っていない、途方にくれる、どうしたもんか ! ?何はともあれパルケセントラル?教会を探そう、と少し歩き出す、まったくのあてずっぽう、カンだけが頼り、しかしそのカンは悪くないほうとの自負はあって5,6分歩いてピタリと教会(パルケセントラル?)に出た、その前にタクシーが数台停まっていた、まずわたしがその一台の運転手に聞いたのはこの街にトゥクトゥクは走っていないのか?ということであった、答えはノー、トゥクトゥクは走っていないとのことだった、仕方ない、それではそのタクシー運転手と交渉するしかないか??、つまりこういうことであった、この街の近郊にあるというエルバウル、ビルバオの遺跡に行くには歩きでは行けない、一般的にトゥクトゥクはタクシーより安かったので、トゥクトゥクが走っていれば1時間50Qも出せばたぶんその両方に行けるだろうと目論んでいた、しかしタクシーとなるといくらかかるのか?それが問題だったのだ、そのドライバーはわたしの言ってることを理解してくれた、彼は150Qでその2ケ所を回ってくれると言ってきた、いや、予算は50Qしかないとわたし、最終的に70Qで折りあったが、これは相当無理があったかもしれないということが後に明らかになる、それでも彼はまずエルバウルの博物館に連れて行ってくれた、そこに行くだけでも相当の距離を走った、そこは軍事施設か工場のような跡地にあって出入りが厳重に管理されていたが博物館は無料であった、そこに多くのマヤの展示品を見る、近くのサトウキビ畑の中にあるマヤ遺跡(エルバウルの丘)にも連れて行ってくれと頼むと別料金だといってきた、つまり70Qにそこまで含まれていないということであった、ちょっとどうするか悩むがこちらの予算も厳しかったので諦めそのままビルバオに向かった、そこも博物館(museo Cotzamalguapa)のようになっていたがその周囲にも遺石・遺物はごろごろしていた、ちょうど館員は昼時で留守していてその帰りを待つ、しばらくして戻ってきたので拝観を希望すると25Qだという、デモクラシアの30Qがわたしにとってあまりたいしたことがなかったので、このとき躊躇してそれも断念した、で、その近くのサトウキビ畑にあるマヤのレリーフを見たいというと、そのレプリカが博物館にあるが本物は少し遠いといっている、それをドライバーに話すとそこに行くのも別料金だとのこと、後から思えば歩いていけたかもしれなかったが、何せ地理がまったくわからなかったし、そこでドライバーと分かれたら町までも帰れなくなる、という思いも交差して結局それも諦めてしまった、結果的にサンタルシアではたいした見物はできなかったのだけれど(見物できたとしても、だからどうってことはなかったと思われるが)おおよその所在だけはつかめたので一応それでよしとした、ドライバーには礼を言ってサンチャゴアティトゥラン行きのバスが停まるあたり(それは街道沿いにあってバスターミナルではなかった、しかしそのバスはやはりあるとのことだった)で降ろしてもらった、特にチップをあげるでもなかったから1時間半も拘束して70Qではドライバーにとってはヒドい客だったかもしれなかった、、、??

 バス待ちの間付近に食べ物屋がないかと探したが、あいにく見つからず通りの向こうのガソリンスタンドに併設されている店舗でビールを、そのスタンドの敷地で店開きしている屋台のおばさんからパンと焼きそばを仕入れて昼食とし、その後ひたすらバスを待つがなかなか来ない、たぶん1時間に1本か2時間に1本くらいしかそのバス便はなかったのかもしれない、しかしおそらく同じところへ行くと思われるインディヘナのおばさんがいたから、いつかは来るだろうと心配はしていなかった、でも1時間は待ったか?そのバスはそのままCA2を西に向かい(その道はMazatenango、Retalhuleuを通ってMexicoへ続く道)30分くらい走って左はテコハテTecojate右はサンルーカストリマンSan Lucas Toliman方面とある十字路を右折し山に向かった、途中ミステリアスゾーン?(Zona Misterioso?パナのエルソルで見た富永mapに載っていた)というところがあって登り坂なのにアクセルを踏まない、という不思議な場所を通ったのだが、その実態はよくわからなかった、サンルーカストリマンまでサンタルシアから1時間半、サンチャゴアティトゥランまで2時間20Qだった、思ったとおりそれは結構近かったのだ、サンチャゴアティトゥラン発16時半のボートがあるといわれたがやはり17時発だった(前回と同じ)、サンペドロには17時半着、カーサアンドレアCasa Andreaには宿泊客はなかった、が、わたしが滞在していた二階家は誰かがその後泊まった形跡があったが、そのままで、その後の掃除とかシーツの交換がなされた形跡はなかった、まぁ、一泊20Qなのだから仕方ないと諦め文句は言わなかった、その夜マヌエルが訪ねてきて、サンペドロでの日本人宿の可能性について語り合った、それは前回サンペドロを去ったあと田代での経験等を通じてわたしが考えていたアイデアであった、マヌエルはその可能性はなくはないといっていた、しかし真剣に話したのだけれどやはりわたしの会話力とくにhearingに問題があったから、本当に彼がそういったのかは定かでなかった‥~

(上3枚 ; El Democracia、その下2枚 ; museo El Bau、最下段 ; museo Cotzamalguapal)

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