独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/Antigua 9)Last days in Tashiro 最後の1週間

 naokoさんに紹介されたおっさんS氏、やはり定年退職者だった、わたしと違って、おそらく優秀なサラリーマンだったであろう、そんな面影を残す腰が低く、きわめて人あたりがよい人間の出来た人であった、サラリーマンはああでなくては勤まらない、わたしに持ち合わせてないキャラをうらやましく思った、きっと退職金の額も一桁違うであろう(もっともわたしは退職金なるものをもらってなかったが)、悠々自適の余裕が感じられた、現に彼にはその後ずいぶんビールをご馳走になった、、、確実にいえることはわれわれ団塊世代のリタイア組みが今後この地に限らず世界中に溢れてくるであろう、ということであった、今回の旅でも何人にも出会っていたし、S氏も語っていたように、ずっと膨らませていた夢を実現させるときがやっと到来したのであった、まだまだみんな若い、それこそ若い人に負けておれない、、という気持ちはみんな持っていたのではないかと思われた、、正直あんまり出会いたくないのだが、やっぱり会えば会ったでお互いに刺激になる、そんな人たちばかりであった、、、

 そういう意味では女性が元気なのもこの旅で感じたことのひとつであった、どういうわけか一人旅が多い、それもみんなそうとうのキャリアだ、ま、言えることはわたしもそうだったが、この世界は一度はまると抜けられなくなるということでもあった、みんなより広く深く(deep)を求めていた、そしてそれは日本にいたのでは得がたいことを知っていた、旅をすることによって知らされた(知った?気づいた?)人たちであった、、、

 そんな女性たちと一人のおっさんに囲まれて最後の一週間は楽しく平和な日々だった、naokoさんとはもう1ヶ月以上のお付き合いだったし、彼女と親しかったmanamiさんも旅先から戻ってきた、彼女もここに来て1ヶ月以上たっていて顔なじみであった、最近来た女性が二人にてニュージーランドに長く滞在していたE子さんと南米から上がってきたMさんだった、このメンバー(女性4人、男性わたしいれて2人)はわたしの帰国日までずっと同じ屋根の下、キッチンでよく食事しながら飲みながら語り合った、、それはわたしが戻った次の日にMさんが腕を振るってくれたてんぷらパーティのおかげだったと思う、その日の午後MさんE子さんと一緒に市場に食材の買いだし、夕方にS氏とスーパーにビールの買出しに出かけた、naokoさんmanamiさんのお手伝いで久しぶりにおいしいてんぷらを食べることができた、Mさんの作ってくれたワカモーレのサラダも抜群で、おいしい食事とビール&美女軍団、、、これ以上の幸せを望んだら罰が当たるというものであった、、、それをきっかけとして急速に親しみが増したということであった(naoko さん、manamiさんとは前々からであったが)、わたしのように人見知りするたちのものにとってはそういうきっかけがありがたかった、その後に何人もの旅行者が出入りしていたが結局は他の人とは親しくはなれなかったのだから、、そういえば次の夜だったか、どこかで見たことのあるやつとそのキッチンで出会った、が、どこで会ってるかすぐには思い出せなかった、相手もわかっていた、ちょっと間をおいてサンフアンのH君とわかり偶然の再会を喜んだ、彼に貴重な情報を2,3聞く、ひとつはコバンCobanの飯が安くてうまかったこと、もうひとつはフローレスの日本レストランが閉まっていたこと等々、ま、親しい親しくないにかかわらずいずれにしろ田代のキッチンは重要な情報交換の場であったことにはかわりなかった、、サンフアンのS氏に伝言を頼んだが、その二人も今頃どこでどうしていることやら‥??

 さて、その必要な情報のひとつにスパニッシュスクールのどこがいいのか?ということがあって、わたしもよく聞かれた、わたしはカノCanoとウニオンLa Unionしか知らなかったが、わたしもnaokoさんも多少他のところの情報も持ち合わせていたので、その話になると、あそこがどうのここがどうのと結論は出しがたかったが安いところとしてならカノ、余裕があればウニオンを勧めていた、そしてその最終週1日分追加して3日だけカノに通った(前回支払い分で2日分残っていた)、naokoさんも引き続きずっとカノに通っていた、manamiさんは以前別の学校へ行っていたが新たにカノに行くことにしたと言っていた、E子さんはわたしの勧めでウニオンに決めたと言っていた、そしておっさんS氏は午後すでにカノに通っているとのことだった、そうなると今度は教師の評判が気になる、最後の3日間校長のマリアに一番いい先生をつけてくれ、と頼んだら、たまたま生徒の少ない時期だったからカノ唯一の男性教師をつけてくれた、まだ若い彼はなかなか熱心&優秀でこちらのレベルをすぐ察知してくれ質の高い授業をしてくれたが、わずか3日間、今ではその内容も忘れてしまっている、、、要は学校のレベル、先生の質よりもこちらの心がけ、情熱のほうがいかに大事か、ということを如実に物語っていた、、??

 そんな日々心配事がないわけでもなかった、前にも書いたが、出国便が早すぎるという件は朝4時の飛行場行きのシャトルバスがあるとのことで解決していたが、荷物の件やサンフランシスコでの乗り継ぎについてはなんら情報を持っていなかった、もっとも気になっていたのはそれ以上の両替をしたくなかったので、その時点での残金(グアテマラケツァル)で足りるかという点にあった、田代に戻った時点で最終日まで9日分の宿泊代を払うと残りは90ドル分700Qを割っていた、飲み食いだけだったら十分なのだけれどまだ土産も少し買わなくてはならない、それに最後くらいテレビを入れてみようかとも思っていた、田代では1日10Qでテレビを借りられた、3日間借りて未だにテレビのスペイン語がほとんど理解できないことを知り惨めになってそれを返却した、また食材は極力使い切るよう心がけた、ほとんどは最終日までに平らげたが、後の人が使えそうなものはそのまま残すことにした、それはわれわれもそういう残物を使わせてもらっていたからでもあった、そうやって最後に残った金で何とかやりくりして田代さんへのお礼の品として、サンペドロと同じくケーキ屋さんを探す、何件か当たってみると結構それは安くあった、ならば2つ買ってひとつはみんなで食べられないか?でいろいろ計算してみる、シャトルバスのticketが50Q、あと必要な分は出国税25Qとなった、その分を残すと同じ大きさのものが買えない、この辺がわたしという人間の狭さ、小ささなのである、そんなの皆が食べられるものを買えばよかったのだ、とあとから気づくのだが遅かった、ぴったり一銭も残さずにこだわっていたわたしは小さいサイズのものを買ってしまう、結局みんなの口に入ったのは6等分するとほんのかけらとなってしまった(わたしもそのひとつを食べたのだが)、そういう悔いを最後に残すことになった、わたしという人間のアホさ、小ささ、偏執性にたいする自己嫌悪をとともに、、、

 5月14日の土曜日にまだ訪れたことのない場所に行ってみた、アンティグア郊外の街サンフアンデルオビスポSan Juan del Obispoというところ、 サンタマリアデヘススへ行く道の中間くらいのところを右に入る、アンティグアからバスで20分、ボルカンアグアとアンティグアの中間にあって、どちらの眺めもよかった、教会とその隣の修道院が博物館になっていたが、ちょっと入りにくくて中には入らなかった、観光客の行くところではないから土産物屋もない、普通のベッドタウン?しかしその素朴さが何よりで、落ち着いた静けさがあった、これでだいたいアンティグアの周りの街・村もひととおり訪れたことになった、何と言ってもアンティグアのシンボルはボルカンアグアであった、そのボルカンアグアが毎日部屋から眺められたペンション田代はその住みやすい街アンティグアにあって、たいへん気配りが行き届いて居心地のよいところであった、立地の便もあり、何も知らずにグアテマラの空港に降り立っても、その足でシャトルバスで来ればあとはすべての情報はここで得られる、そこでよき仲間に出会い、皆が助けてくれる、そこに8ヶ月も1年も沈没しているやつがいた、しかしその気持ち(理由)はわかりすぎるほどよーくわかるのであった、、、

(San Juan del Obispo 教会より、上 ; ボルカンアグア、下 ; アンティグア方面)

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(田代のキッチンから 上 ; ボルカンアグア、下 ; ボルカンフエゴとボルカンアカテナンゴ )

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田代のホームページアドレスは以下です、一度是非覗いてみてください ‥

http://ptash.web.fc2.com/