独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 10 , 一週間の中休み<3>サンペドロ(San Pedro La Laguna)

 サンペドロはかつて長く滞在していたから、だいたいはわかっていた、、宿泊先の候補は3ヶ所あって、サンペドロ巡りもかねてそれらを訪れ、Mさんに気に入ったところを選んでもらうつもりでいた、、で、まずサンチャゴドック(Santiago方面桟橋)からまっすぐ坂を上って左に細い道を入ったところにあるサンフランシスコ(hotel San Francisco)とペネレウ(hotel Peneleu)を訪ねる、、サンフランシスコはわたしが滞在していた4,5年前は旅行者に人気の宿でなかなか空いてることがなかった、、人気の理由はこのホテルの上階からの湖を含めたLago Atitlan一帯の眺めが抜群で、しかも当時は一泊20~30Qという安さだったからである、、しかしその部屋数は各階2部屋、屋根裏部屋も入れて5部屋しかなかったから(他に別棟あり)、いつもその部屋が空くのを待っているといった感じで、なかなかそこには泊まれなかったのである、、ところがその頃(?正確にいつから開業しているかは知らない)、そこから10mくらいいった左側にペネレウという新しい宿がオープンした、、なんでもサンフランシスコのオーナーの仲のよくない兄弟が新たにそこにホテルを出したといった噂を耳にしていた、、で、こちらも立地は同じだから眺望は素晴らしく、しかも同じくらいの価格設定だったから、より広々としてきれいなペネレウに人気が移っていったようだった、、というのも、その後田代で会った旅行者の話で、サンペドロにいってきたという人にどこに泊まってたか聞くと、ペネレウと答える人が多かったからだ、、たぶん口コミ等で評判が広まっていったのだと思う、、わたしもその後に何回かペネレウに滞在したことがあった、、それでサンチャゴドッグに近かったサンフランシスコとペネレウにまず寄ってみたわけだった、、

Santiago dock;左とサンフランシスコからの日の出;右<いずれも当時撮影したもの>009_640x480Img_2590_640x427_2

 サンチャゴドッグからは5~10分?サンフランシスコは、当時もそうだったがこのときも1Fの受付には誰もいなくて、しばらく待ったが音沙汰なく、仕方なくパスしてペネレウにいってみた、、こちらは見覚えのある親父が出迎えてくれ(向こうもわたしのことを覚えているといっていたが)しばらく立ち話、、部屋は今でも30Q(この部屋は展望が効かない)からあるけれど、あいにくすべての部屋が埋まっているとのことだった、、そのなかに日本人もいるの?と聞いてみると、何日か前までいたがその日はいないといっていた、、後から思えばそれでも一応中に入ってどんなところかMさんに見せておくべきだったと後悔したが、部屋の空きはないということだったので、そのままそこをあとにする、、そしてまた路地を行き次にミゲルMiguelのところへ向かう、、ここは前回長くいたところで、実はAntiguaから、もしまだホテルをやっていて空きがあれば泊めてもらいたいとmailを入れておいたところだった(そのときは一人のつもりだったから)、、彼は前回の長期滞在で親しくなった一人なのだがアフリカ系の英国人で、まだ年が若く、2年くらい前から奥さんと二人で(&子供一人)この地でホテル稼業をはじめたサンペドロでは新入りのよそ者だった、、前回の滞在時に偶然そこをみつけ、それまでのサンペドロのホテルにない快適さがあって、わたしはそこに長く居ついてしまったのであった、、ところが昨年あたり奥さんが二人目の子を身籠って、ほとんど彼女が切り盛りしていたホテル稼業は思うようにいかなくなってしまった、、で、彼はこのまま続けるかやめるか悩み、わたし宛にホテルを引き継がないかとmailをよこしてきた、、以前そんな話をしていたからだったが、何回かその件でやり取りして結局わたしは無理と判断し、彼になんとか存続させるよう励ましていたのだった、、その後継続しているかどうか知らなかったのでAntiguaからmail入れてみたのだが返信はなかった、、もしかしたらやめてしまったのかと心配していると直前になって、返信が遅れたがまだやってるからいつでもOKという返事をもらっていた、、ところが、いざいってみるとそこは閉まっていて誰もでてこなかった、、??、、ここもしばらく待ってみたが応答なく、あとでもう一度きてみることにして数十m先のアンドレア宅Casa Andreaに先に行くことにした、、hostel Miguelから1~2分、こここそまさにわたしのサンペドロのふるさと、最初のときに何ヶ月か居候し、その後もサンペドロに来るたびに必ず何日かは宿泊していたところで、カロリナの祖母にあたるアンドレアばあさんは、このときも暖かくわれわれを迎えてくれたのであった、、

この路地の突き当たりにCasa Andreaがある;左と右がCasa Andrea<Arco Iris>の入り口005_480x640 Img_2669_640x427

Andrea婆さんと孫にあたるカロリナ(数年前の写真、当時は独身だったか既に結婚していたかよく覚えていない)と今も健在の昔ながらのかまどImg_2672_640x427

  このカサアンドレアCasa Andreaについても前にブログに書いてるが、未だに薪を使って炊事しているかまどのそばで、いつものようにコーヒーをいただきながらゆったり流れるときに身をゆだね、しばらく寛いでMさんのことや今回の滞在予定等を話し、できれば前に居た2階建ての部屋を2~3日借りたいと申し出る、、このCasa Andreaは、それでも一応ホテル(みたいなもの)だったが、わたしがここで過ごした期間-トータルすると数ヶ月に及ぶと思われる-その間宿泊者はわたし以外にほとんどなかったのである、、部屋は5~6部屋あって最大10人くらいは泊まれたと思うが、こんな安いがボロいところに泊まる客なんていなかったのだ(たまに来ても中を見てとどまる客はほとんどなかった)、、そのなかでももっとも長く住んでいたわたしのお気に入りの部屋があって、そこだけ上と下に部屋がある木造の2階建てだった、、で、そこなら今回われわれが滞在するのに都合がよいとのでは?と考えていた、、たぶんそこでも二人で50Qはしないはずだったからだ(一人のとき20Qで泊まっていた)、、ところがこのときのアンドレアの答えにびっくりする、、なんとその部屋はおろかすべての部屋が埋まっているとのことだったのである、、えー?、そんなことがあるのか?いったいどうしちゃったんだ!?、少なからず驚きを隠せなかったが同時に、ではどこに行けばいいんだ?と少し焦る、、そうなるとMiguelのところしかない‥??、、すぐにMさんをそこに残してMiguelのところをもう一度訪ねてみると、先ほどは留守していたとのことでMiguelと奥さんのAmor、息子のJoseが懐かしくわたしを迎えてくれたのだった、、そして事情を話し、できれば二部屋ほしいと頼んだが、ベッドは用意できるが部屋はひとつしか空きがないとのことだった、、オイオイ、偶々その日だけのことだったのかもしれないが、いつからサンペドロの宿はこんなに込み合うようになってしまったんだ、どうしよう?と困り果ててアンドレア宅に戻りMさんに事情を話す、、すると状況を理解してくれシェアでも構わないということだったので、ようやくその日の宿を決めることができたのであった、、有難かったのはそれだけでなくMさんがアンドレア宅もMiguelのところも、いや、このサンペドロ全体のゆったりとした独特の、他とはちょっと違う雰囲気を敏感に感じ取ってくれ、とてもいいといってくれたことだった、、Migeulのちょっと異色のホステルに落ち着き、夕方には再び外出しサンペドロの中心部を案内し、パルケセントラル近くのカロリーナの実家マヌエル宅を訪問することになった、、

わたしが長く居候していた木造2階建ての部屋(撮影は数年前だが、もちろん今も当時のまま)とサンペドロのパルケセントラルImg_2726_640x427 Img_2665_640x427

安宿hostel Miguel002_640x480

 アンドレアの息子マヌエルにはこれまでにずいぶん世話になっていた、、そのマヌエルがCasa Andreaの敷地にスペイン語学校アルコイリス(Arco Iris;虹)を開いていたが今は(ずっと)生徒が集まらなくて開店休業状態であった、、数年前わたしはそこの生徒であってマヌエルの娘カロリーナが先生だった、、ま、それ以来かなり密な付き合いが始まったのだが、そのとき独身だった彼女も、その後結婚して今年初めての子供が生まれたのであった、、それも一週間前とのことだった(何回かmailをもらっていたが、恥ずかしながらそれが生まれた<過去形>のか生まれる<未来形>といってるのか判断がつかないでいた)、、で、ちょうどそのときは産後の養生で実家で療養中だった、、われわれは家族総出で迎えられ、こういう場では男は為すすべがないのだけれど特にMさんは上手な子守振りとその愛らしい性格がとても気に入られ家族みんなに好かれたのだった、、で、次の日にはMさんのカンパを得てお祝いの品を街で探して再び訪れることになったが、かえってMさんに助けられることの多いサンペドロとになってしまった、、わたしにできることといえばサンペドロのギア(guia;ガイド)役しかなかったので午後にピックアップ(2Q)で隣の村サンファン(San Juan La Laguna)に案内し、街のいたるところに描かれている壁画やギャラリーで展示即売されている独特の絵画、またこれもこの村独特の女性協同組合(こういう組織がいくつかある)が作る染織・織物などを販売する店などがある、ちょっと芸術村といった雰囲気のこの村を歩きまわり、そして夕方からはボート(10Q)でサンマルコス(San Marco La Laguna)の‘あじゃら’へ、、聖子さんとは何年かぶりの再会だったが、相変わらずうまい日本食が食べれてMさんも満足してくれた様子だった、、すっかりサンペドロ・サンファン・サンマルコスが気に入ってくれたようだったので、わたしはそれだけで有頂天になってしまったが、思えば本来ならばそのときの費用はすべてわたしが持つべきだったと、もてない男(小谷野敦に同名の本あり、これも面白い)はあとから気づくのであった、、そして火曜の朝にチキンバスでシェラ(Quezaltenango)に発つ彼女を送ると、あまりの喪失感で、わたしは暫く立ち直ることができなくなってしまったのだった、、

サンペドロの街015_640x480

サンファン4枚(順にサンフアン全景、染織・織物の店、街のいたるところに描かれている壁画の一例、サンファンのカテドラル/修復中)023_640x480 025_640x480 026_640x480 029_640x480_2

《サンペドロ・サンファン・サンマルコスについても以前に書いていると思います、、今回ほとんど写真を撮ってないので、掲載写真は以前撮ったもので、たぶん重複掲載になることをお断りしておきます》