独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内最後の旅 7)ミシュコ ビエホ遺跡 Ruinas de Mixico Viejo

 それでなくとも訪れる人の少ないミシュコビエホ遺跡にサンタクルスデルキチェ~ホヤバフ経由で入る人はまずいないのではないか、一般的なアプローチはグアテマラシティからの直通バスまたはその手前のサンフアンサカテペケスSan Juan Sacatepequesで乗り換えて行く方法以外は知られていない、で、もしそのルートでアプローチしたならばこんな悲劇に見舞われることもなかったろう、なすことすべて裏目に出るという日はあるものだ、、

 その朝も起きたのは早かった、そのホテルは管理人がいたので鍵を手渡してチェックアウトしたのだが、その時そこにいたのは昨日のおばさんでなく、おっさんだった、で、去り際にもう一度聞いてみた、ミシュコビエホまで歩いていけるか?確かにそのおっさんは歩いていけると言ったように、わたしは聞いた、もっとも、どのくらいの時間でいけるかは聞かなかったので、時間をかければ行けないことはないのだから答えとしては間違っていないともいえた、しかしその時わたしは十分に歩いていける範囲と、自分の思い込みも手伝って解釈してしまったのだった、で、方向としてはグアテ市方面への道をずっと行けばいいことだけはつかんでいたから、歩いていくつもりで6時にはホテルを出た、パルケを抜け教会のところに来たときそこに一台バスが停まっていた、グアテ市行きだった、念のため車掌に聞いた、何時に出る? もうすぐ出る、、、ミシュコビエホを通るか? 通る、、、いくら? 5Q、とのことだった、タイミングばっちり、バスがあるならそれにこしたことはない、そのつもりになってバスに乗車、それでそのまま乗っていけばよかったのだった、、が、出発間際になって余計なことを考えてしまった、そのときもまだ歩いていけるのではという頭があったから、それにしては5Qは高くないか?そしてもうひとつ、そのバスで行ったら早くつき過ぎないか?そう思ってバスを降りて歩き出してしまった、朝のいい散歩になるかもしれない、と下り坂を一人ですたすた行く、10分くらいしてそのバスに抜かれる、簡易舗装の道で道幅は結構広いが人通りはない、時々パチャルン方面に向かう人に出会うくらいであった、いずれにしろ車道だけれどずっと下り坂なので疲れるということはなかった、確かこの道を下っていくと川があるはず、そしてその川の近くだったのではないか?田代のキッチンの壁にあった富永mapにガイドが描かれていたのは覚えていたが内容まで記憶・記録してなかった、だからただ単に今まで比較的当たってたカンだけが頼りだったのだが、今回ばかりはものの見事にはずしてしまったのだ、歩けと歩けど川さえ見えない、そこはまだ山の中腹で、しかも道は下りながら延々続いている、ときおり素晴らしく広大な景色が見渡せたりするのがせめてもの救いだった、何軒か家がかたまっているところがあって男たちがたむろしていたので聞いてみる、ミシュコビエホまで後どのくらい?10kmくらいとのこと、バスで行ったほうがいいよと言ってくれた、そこでようやく昨日のトゥクトゥクのお兄ちゃんが言ってたことが正しかった、わたしは単なる思い込みをしていたようだと悟るのであった、しかしその場でバスを待つのは躊躇われたのでさらに歩き出す、どうやら今日の判断はすべて裏目?1時間くらいで行けるかと思ったのだけれど歩いてミシュコビエホへ行くなどとはまったく無茶な話のようであった、そうやって逡巡しているところに二の矢が飛んできた、久々にグアテマラの忠犬どもだった、野良ではなかったと思うが数匹に吠え立てられる、前にも一度書いているがこちらの犬はよそ者にたいして特に凶暴性を発揮して向かってくる、こういうときは武器が必要になる、石か棒・枝の類、とっさに近くの枯れ木をつかんで追い払う、何か大立ち回りになってしまった、見物人がいなくてよかったとひと息ついているときに、ちょうど次のバスが下ってきた、ここは観念の潮時に思えた、もうバスに乗るしかなさそうだった、悔しいかな40分3kmくらい歩いてしまってのことだった、ところがその後がまたいけなかった、これがまさにグアテマラのバスだ、悲喜こもごもいろいろあったが、裏目のときはこんなもんだ、ようするにわたしはパチャルン~ミシュコビエホが11~12km、朝の車掌によると5Qというのが頭にあった、で、ま、その1/4くらいは歩いてるのだから、バス代は少しは安くなるだろう、3.5Qか4Qくらいなもんであろうと踏んでいた、ところがそのバスの車掌はなんと平然と7Qと言ってきたのだ、えっ!?耳を疑った、倍ではないか ! どういうことだ、?しかしわたしには反論が出来なかった、それに異議を唱える根拠も説得力も語学力も持ち合わせていない、黙って従うよりなかった、しかし思えば思うほど腹が立ってきた、何で5Qで行けるところを苦労して40分も歩いて、そのうえ2Qも余計に払わなければならないんだ ! ?、まったく不条理、納得がいかないのであった、、

 それでも、そこでバスに乗ったのは正解だったようだ、そこからミシュコビエホの入り口までバスでさえ15分か20分はかかったのだ、もちろん歩いて歩けない距離ではないだろう、しかしバスを降りたところに大きな看板があって、それはパチャルンのホテルかなんか案内だったと思うが、そこに記されていたパチャルンまでの距離は13kmとなっていたのだ、たぶんそれが正確な数字だったのだと思うが、だとしたら3時間の距離だ、もし初めから知っていたら歩いたりしない、いや、そういう意味ではほぼ正確な情報を知らされていたことになる、要はそれを信じるか信じないか、そこにはわたしという得体の知れない厄介者がそのときは存在していたようだ、いつもそうなのではない、たいていは他人の言うことはすぐ聞いてしまうほうだ、だから、ま、たまたま魔がさしたのだろう、その罰が当たった?いろいろ考えさせられる出来事ではあった、、、??Img_3267_640x427
 

 実はたまたまそのバスにはミシュコビエホの職員が乗りあわせていた、パチャルンに住まうその職員のちょうど出勤時間に当たっていた、そう、もし冷静に振り返ってみればもっとも順当なアプローチとしてはパチャルン発たぶん7時(その前のバスは6時半発だったかも知れない)のこのバスに乗ってくれば7時半にミシュコビエホの入り口に着く、それがもっとも無難な手段だったのだ、が、その情報が得られなかったということに尽きる、、、たぶん同年代のそのおっさんと遺跡のゲートまでの急な坂を一緒に登った、10~15分くらいも登ったか、そのおっさんがゲートを開ける、そして本来は8時開門なのだけれどもう入ってもいいと言ってくれた、そのおっさんに入場料の50Qを払う、どうやらそこの遺跡の所長さん兼受付、すべてを任されている?たった一人の職員のようでもあった(中を巡回したり清掃したりする人は別にいたが)、、、

 ミシュコビエホ遺跡Ruinas de Mixco Viejoは後古典期12世紀頃の築城とされている、今は約13万人強(2003年、八杉佳穂さんの集計?今はもっと増えているかもしれない)の人口になってしまったインディヘナ・ポコマムの都(当時ここに10,000人が住んでいた)だった言われている、その堅牢なつくり、山の上の築城という立地から征服者ペドロ・デ・アルバラードはこの地を攻め落とすのに3ヶ月を要したとも伝えられている、実際その遺跡は結構広く、いくつものエリアに別れ、山上都市の様相、南米ペルーのマチュピチュをその時思い浮かべた、あそこほど急峻な山上ではないけれど、またマチュピチュ・インカの神殿・宮殿跡、住居跡や作業場・倉庫といった細かい建物跡が残されているわけではなかったが、やはり山上にあって広大な台地化した敷地にはいくつかのピラミッド、球技場跡などの大規模建造物がかなり修復・復元された形で残されていた、この地形ではスペイン軍といえど攻略にはそうとう手間取ったであろう事は容易に想像できた、また山上ということもあってそこからの眺めが素晴らしく、はるか遠くにわたしが下ってきたパチャルンのある山並みも眺められるのであった、にもかかわらず、つまりこれだけの立派で見ごたえのある遺跡にもかかわらず、ここはそれほど有名でなくアクセスも簡単ではないからか、観光客は、少なくとも外国人観光客とはその時ひとりにも出会っていない、何人かのグアテ人?もしかしたら地元の人だったかもしれないが、そこで土産ものを細々と商いしていたポコマムインディヘナ以外に来場していたのはわずかなグアテ人だけであった、しばらくそれらの各エリアを巡ってみたが、その散策自体は山上の楽園散歩?、大変すがすがしく気持ちの良いものであった、、、ざっと見るだけで1時間半(遺跡はグループA~グループLくらいに分かれていてメインのA~Eを回ったに過ぎなかったが)、少し暑くなってきて疲れてきた、9時過ぎに山を降りる、下で待つこと20分くらい?サンフアンサカテペケスSanJuanSacatepeques行きのバスがやって来た、、、

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 サンフアンサカテペケス行きだと思っていたそのバスはどうやらグアテ行きだったようだ(バスの行き先表示をよく見なかった)、昨日の轍を踏みたくなかったのでバス代の徴収に来た車掌に聞いてみた、サンフアンサカテペケスまでいくら?サンフアンサカテペケスまでは距離からするとパチャルン~ミシュコビエホの3倍はある、もしわたしが乗ったバスの7Qが正しいとすると20Qくらいかかることになるし、ま、そのくらいは仕方ないかと思っていた、すると10Qと言ってきた、だからグアテマラのバスはわからない ! ? いい人もいればあこぎなやつもいる、まったく人によるのだ、、前にも述べたがグアテマラのバスは特に途中から乗った場合定まった料金体系はなく、あくまで車掌の裁量ひとつ、だからその料金はまちまちとなる、そこで判明したのは今朝教会のところでミシュコビエホまでの料金を聞いた車掌とこのバスの車掌はわたしにとっていい人、善良な人で、そしておそらくそれが正直な料金だったのだろう、一方ミシュコビエホまで7Qとった車掌はいい加減なやつ、あこぎなやつでわたしを騙した、ということになった、、そう思うと面白い、まさに捨てる神あれば拾う神あり、だった、、、

 ついでにその車掌に聞いてみた、サンフアンサカテペケスの隣街サンペドロ San Pedro Sacatepequesへ行くバスはすぐに見つけられる?聞いてみるもんだ、なんとこのバスはサンペドロサカテペケスを通るという、その時そのバスがグアテ行きだということを知ったのだ、ではサンペドロまでいくら?同じ10Qとのこと、どういうことなんだ??何か嬉しくなってきた、朝ぼられた分を取り返した気分になった、おまけにその車掌は聞いてきた、どこまで行くんだ?と、わたしはアンティグアに戻るところでそのためにはサンルーカス San Lucas Sacatepequesに出なければならない、サンペドロからサンルーカスへ行くミニバスがあるはずだ、と答えると、よくわかっているじゃないか、といった感じで、そのとおりだ、と言ってくれた、その1時間半後、サンフアンには1時間で着いたのだけれど街が渋滞していて結局サンペドロに着いたのが11時頃になっていたが、その車掌は降りるときにサンルーカスへ行くミニバスの乗り場を丁寧に教えてくれるのであった、で、教えられるまま1ブロック離れたところにあったミニバス乗り場に行ってもよかったのだけれどせっかくの初めての街だ、急ぐ旅でなかったからそのまま街見物を始める、サンフアンサカテペケスも結構大きな街であったが、ここのパルケセントラルも教会も立派だった、パルケセントラルは3階?建ての構造になっていて1,2階がメルカド(市場)、3階屋上が公園というつくりだった、メルカドを覗く、食堂街があった、その時それまで朝から飲まず食わずであったことに気づいた、ついでだから何か食べていこう、たぶん定食だったと思うが他の人が食べているのがうまそうだったので、それを食べてみたかったが、その商品名がわからず、そういう時はあれと同じものといえばよいのにかっこつけてスペイン語で注文したらまったく違うものが出てきてしまった、ま、それでも空腹だったからおいしくいただく、飲み物がついて15Qは、ま、相場か ! ?

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 サンルーカスへ出るミニバス乗り場へ戻る、そこはすぐにわかったが大勢の人がバス待ちしていて、やって来たミニバス(ワゴン車)にわっと殺到するので、結局すぐには乗れずその様子を観察して数台待つことになった、12,3人乗りに20人くらい詰め込んだそのワゴン車(15分から20分おきくらい?)はサンルーカスまでは30分5Qだった、前にも書いたことだが、今朝の事例でもわかるようにこの国のバス・ミニバスのひとつの目安として30分5Q、1時間10Qという基準線(注)をわたしは敷いていた、それで安いか高いか、ぼられたか儲けたを判断した、その相場の適用範囲はかなり広かったように思うし、それを大幅に隔たることは滅多になかった、だからサンルーカスで待っていたアンティグア行きのバスも当初4Qくらいかと思っていたら5Qもとられたが、ちょうど30分でアンティグアに着いたから、ま、普通?まともなほうだったのかもしれない、、そうしてアンティグアには12時半に帰りつき、田代には12時40分に戻った、いつもの部屋は空いており、その日から帰国日まで田代にとどまることとなった、メンバーは少し変わっていたようだったが、naokoさん健在で久しぶりの再会、わたしの旅のこと、今の田代の様子などをしばらく話す、午後洗濯と買い物、夕食は最近来たというわたしと同年代のおっさんをnaokoさんが紹介してくれ3人で外に出かけた、、わたしの滞在も残り1週間となった、、、

‹注›前にも書いているけどQとはケツァル、グアテマラの通過単位で、わたしの滞在時1ドル7.5~7.9Qだったので、1Q=11~12円くらいだったと思う、だから今では1Q=10円くらいか?で、バスの速度が山国なので、平均時速30kmとすれば、30km100円くらいとなる、、、しかし、当時から原油価格の高騰で値上げ傾向にあったから、時とともにバス代も上昇していくことだろう‥??