独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 15) ブタペスト/ハンガリー

  「人間万事塞翁が馬」という言葉がある、、わたしはこれを吉兆必ずしも良い結果になるとは限らず、また凶兆も必ずしも悪い結果になるとは限らないと勝手に解釈している、、で、旅(大げさに言えば人生)の本質はこれに尽きると思っている、、今までに何度そういう経験をしたことかわからず、またそんなことを書いたりもしてきた、、今回も何度かそんな状況に出くわしてきていたが、どちらかというとあんまり芳しい状況でなかったことが結果的にはよい方向に繋がっていったことのほうが多かったような気がする、、だから順調にいっている時のほうが後が怖い、、が、しかしこのときはそんなこと露にも想像していない、、 

 プラティスラバ始発のバスは今までとちょっと趣が違っていた、、まずこのバスはdailyで、つまり毎日運行されているローカルな路線バスのようであった、、というのはブラティスラバを出てから普通の路線バスのように10~15分くらいの間隔で普通のバス停に停まりそれを知っている地元の人が結構乗り降りしている、、おまけにこのバスの愛想のいい中年のドライバーはどうやらその乗客たちと顔なじみらしくて最初から最後まで約5時間の間それもすべて女性の客の話し相手もしくは相談相手を努めていたからである、、ドライバーのすぐ後ろの席に座っていたわたしはもちろん話してる内容はわからない、、ひとつだけ耳に残ったのはこのドライバーがイゲン、イゲンと連発していたことで、もしかしたらハンガリー語?ということくらいだった、、それにしても入れ替わり立ち代り乗ってくる地元の女性客の話し相手(その数は5人をくだらなかった)をしながらバスを走らせていくのだから呆れるやら感心するやら、ともあれそのローカルバスは高速道路を走ることなく一般道の田舎道を小さな街々に寄りながらブダペストに向かっていた、、地図によるとにプラティスラバを出て間もなくハンガリーに入ったと思われるがどこが国境だったかは全く分からなかった、、ハンガリーのギヨール(Gyor)という大きな街を過ぎてからは日も暮れてどこをどう通っているかまったくわからなくなった、、ほとんどノンストップだったからあるいは高速道を走っていたのかもしれなかった、、そういえばブタペストの手前でたしか高速道路から一般道に降りたのを覚えている、、その後しばらくして川沿いの道を走ってて明るい照明に煌々と輝くパレスみたいなところの橋を渡って対岸に渡りしばらく進んでブダペストのバスステーションに着いたように記憶している、、時刻は19時15分だった、、意外に早く着いたので驚いた、、が、早いに越したことはない、、ただその時間すでにユーロラインのオフィスは閉まっておりバスの情報は得られなかった、、それでも両替の窓口は開いていた、、ここもユーロが使えない、、地下鉄の切符などを買わなくてはならないからレートもわからないままそこで20ユーロを換金する、、そしてまだ新しさの残るそのバスターミナルの案内表示に従って行くと地下鉄の入り口はすぐに見つかった、、ticket売り場にも人がいて(その後の経験でticket売り場そのものがなかったり、あっても人がいなかったことが度々であった)地下鉄を含む鉄道・バスの一日乗車券も難なく手に入れることができた、、ガイドブックやスウェーデンの友人から聞かされていた検札に注意という言葉を思い出しながら、地下鉄の入り口に立っているその検札の人に聞いてticketに打刻してプラットホームへ、、行先・方向も間違えずに来た電車に乗る、、ガイドブックに従って乗り換えもスムーズにでき地図に載ってる宿近くの駅で下車、、ここまで予想以上に順調にきた、、初めての街とは思えないくらいだった、、今まで初めての街で到着後1時間で宿に着けたことがなかったから、今日は楽勝と思いながら宿を探す、、地図もわかりやすかったからそこはすぐに見つかるはずだった、、が、間違うはずはないとその場所に行ってみるがそれらしき建物はない、、看板も何もなく5~6階建てのそれでも100年以上の年月を感じさせる堅牢な集合住宅のような建物が並んでいるばかりであった、、照明もなく人通りもなかった、、おかしいなぁ?そんなはずはないんだが‥??、、でも、もしかしたら道を間違えてるかもしれないと思っていくつかの通りを行き来する、、が、一向に看板も何も見つけられず途方に暮れてしまった、、と、親切な人がいてどこかお探しかと聞いてくれた、、その時わたしはガイドブックに住所が書かれていたことに初めて気づく、、で、それを見ながら、この住所にある通りはどこかと聞いてみた、、それはすぐそこだった、、最初に地下鉄を降りて訪ねたところに間違いはなかったのだ、、どういうことだ‥??、、もう一度通り名を確かめて書かれていた番地を追った、、そこはすぐに見つかった、、何度も行ったり来たりしたところだった、、しかし看板なんか何もない、、よくよく見ると入居者名の載った小さな表示板が眼に入った、、一つ一つあたってみる、、何番目かに確かにあるではないか!?個人名みたいな表示が ! !、そういうことだったのか !?、ようやく理解したわたしは安堵の気持ちを抑えきれない勢いでそのインターフォンを押した、、しかしなんら応答はなかった、、何回も押してみた、、しかし何回押しても同じだった、、どういうことだ‥??、、

 そうこうしている時たまたまそこの住人が帰ってきたので事情を言って、ここに訪ねてきたのだけれど返事がないのはそこに誰もいないということですか、と聞いてみた、、そうだという、、ではそこに住まわれているこれこれこういう人はご存知ですかと聞いたら、知らないという返事、、万事休すだ、、どうすることもできない、どうなっているのかわけもわからない、、で、思いついたのは電話、、今日の午後たまたまかかった電話番号に再度かけてみる、、繋がった、、が、御用の方は*********にかけてくださいとの留守番電話のメッセージが流れるだけ、何とか聞き取ったその番号にかけてみたが、それはわたしのかけ方に間違いがあったか結局それもつながらなかった、、なすすべなし途方に暮れて思い出したのが冒頭の言葉、うまくいっていたときには落とし穴あり‥だった、、結局この日も1時間で現場に到着していながら2時間かかっても宿に荷を降ろすことはできなかったのであった、、

 ま、仕方なしにその場で少し待ってみることにし、人通りのまったくない真っ暗な道路上でなすすべなく呆然としていると、突然日本人の女性とどこの国の人だか分らなかったが男性が一緒に現れた、、だいぶ待ちましたかとしきりに謝っている、、すぐに今日の午後電話に出られた方とわかったが彼女の言い分によるとわたしが遅くなるかもしれないと言っていたことにその理由があったらしいことがわかった、、が、しかし、わたしからすればガイドブックに載っている宿である以上そこには誰かがいるのが普通ではないのか?、、定住者も管理人も常駐せずに客の連絡または要望に合わせて部屋を開けに来るなんてことは前代未聞の話だった、、そんなのってあり? ま、言っても仕方のないことだったし、それよりもともかく部屋に入れたことがありがたかった、、何とか泊れそうになったことにようやく安堵していた、、

 事情はわかった、、つまりこういうことだった、、ここは個人所有の住宅で日本では考えられないような大きな部屋が3つくらい空いており、そこを旅行者に提供しているというもので通常はオーナーが別室に居住しているとのこと、、しかしたまたまそのオーナーが所用で日本に帰国しており、その間今日会った女性がここの管理を依頼されていた、、しかし彼女は彼女でブダペストで仕事を持っておりここに常駐するわけにはいかない‥、もちろんそれは客の問題ではなく所有者のほうに問題ありということは彼女も承知していたがいかんともしがたかったらしい‥??、、それを怒ったところでどうなるわけでもなかったから穏便に済ませた、、その一件を除けばそこはほかでは期待できない利便性を備えていたのだから、、まずキッチンはご自由に、、風呂も洗濯もいつでもどうぞ、、インターネットも使えますという具合だった、、それで30ユーロはありがたかった、、長期滞在者は自炊することが可能であった、、まだ帰っていなかったが一人同宿されている方がいてその人は一週間滞在されているとのことであった、、夕食をとっていなかったわたしは残りものでよければと炊き込みご飯なんぞをご馳走になってしまった、、そして明日も彼女は来られないけど鍵をお渡ししておきます、、もしチェックアウトされるときは外のポストに鍵を入れてってくださいとのことだった、、ま、こんな感じで自宅を開放して部屋を提供しているスタイルが結構あることをこのとき知ったのであった、、

 で、次の日はたまたま持っていたインスタントコーヒーと前日の彼女の手作りのケーキで朝食とし朝から洗濯をはじめた、、約1時間かかるというのでその間この旅で初めてインターネットで自分のアドレスにアクセスし娘にmailを送ったりしてみた、、そして洗濯物を部屋に干してから外出した、、まず向かった先は昨日着いたバスターミナルへバス便のチェック、、ちょうど宿のあった辺りを通っている地下鉄はガイドブックによるとロンドンについで世界で2番目に古いものだそうで100年以上の代物である、、だからだと思うがシャンゼリゼ通りを模した広いアドラーシ通りのほんのすぐ下を走っていて階段を少し降りるともうそこにホームがあった、、そしてバスターミナルへは街の中心に位置するDeak terという駅でそれはそれは長いエスカレータに乗ってもうひとつの路線に乗り換えねばならなかった、、その2日間といっても24時間の間(つまり初日夜から二日目の夜まで)何度この駅で乗換えをしたことだろう、、言うまでもなく一日乗車券を持っていたがためにできたことである、、で、青きドナウ越しのブタペストのお城を眺めるより先に出向いたバスのオフィスでまたも悲嘆にくれることになったのである‥、、ハンガリーはそういう意味ではやはりヨーロッパの中心から見れば辺境ということになるのであろうか?、、ここから先へ向かうユーロラインのバスはほとんどないに等しかった、、ブダペストからわたしはまずルーマニアに行こうと思っていた、、で、できればルーマニアからスロヴァキアへ直接戻りたいのだけれど無理だったら一度ここへ戻って、ここからスロヴァキアかポーランドクラクフに向かいたかった、、が、一番入りやすいのではないかと考えていたルーマニアへの道はまったく閉ざされているとしか言いようがなかった、、少なくともユーロラインの運行はなし、、次のスロヴァキア・コシチェ方面も運行なし、、クラクフは週2便水曜と土曜にあるがこのパスの利用は不可とのことであった、、オイオイオイ、ではどこなら行けるの?、、相手の女性がケンモホロロの態度だったのでこちらも少し険しくなった、、そこでわかったことはわたしが乗ってきた路線ブラティスラバとウィーンへは毎日運行していてこのパスが利用できるとのことだった、、その他スロヴェニア・リュブリャーナ(Ljubljana)方面の路線もあるようだったが当然パスの利用できないものと思って詳しく聞かなかった、、何のことはないこのユーロラインパスの行き詰まりであった、、乗り放題20ヶ国40都市に行けますというのはこういうことだったのか ! ?、、 相手の態度も横柄だったのでその分怒りが増した、、すっかりハンガリー人の印象が悪くなってしまった、、どうするか決められないまま保留して地下鉄に乗り市内見物に出かけることにした、、先ほど乗り換えたデアーク広場まで戻り地上に出る、、近くに聖イシュトヴァーン大聖堂があり、見所の多いブダペストでの最初の見物となる、、そこから歩いて国会議事堂へ、、ドナウの川越し右手にブダペストのお城、左手にブタペストの街並みを眺められるトラムに乗って川沿いを中央市場まで行く、、中央市場のある自由橋で下車、、川向こうにゲッレールトの丘、さらにだいぶ距離が離れてしまったがプラハ城の写真を撮って市場に入ってみた、、建物じたい歴史を感じさせ、さらに市場らしい佇まいがとても魅力的な、いわゆる観光名所ではないスポットだがそこはやはり人で溢れており欧米の旅行者が結構来ていた、、食料品を主としてありとあらゆるものが売られていて一通りめぐって、めぼしい物を探したがまだ土産は早すぎると思ったので何も買わずに食べ物屋を探した、、2階の一画にうまそうなものを並べたどちらかというと旅行者向けのテイクアウトで食事のできるところがあった、、わたしがここへ来た目的も何か安くてうまそうなものが食べられないかと思ってのことだったが流石に昼時で外国人で混みあっていた、、みんながそうするように言葉が通じないから手で品物を指差して、それとビールを注文した、、受け取って前のテーブルで立ち食いとなる、、名前のわからないがいずれもうまそうなものが並んでおりわたしが注文したものもうまかったのだけど思ったほど安くはなかった‥、、

 食事の後再び何度でも乗れる地下鉄を使ってバスターミナルへ、、実は2時にルーマニアへ行くプライベイト?バスがあるという情報を耳にしていた、、そのticketは直接そのバスで買えるといっていたから明日そのバスに乗るつもりで確かめておこうと思ったのだ、、たしかにバスは18番ゲートに停まっていた、、が、それはワゴン車だった、、わたしはブダペストからルーマニアに入るには地図で見てアラド(Arad)経由でティミショアラ(Timisoara)しかないと勝手に思い込んでいた、、で、先ほど来たときにアラド、アラドと連呼してみたのだけど反応なく、ただ似た様な地名を言ってそこならバスがあると教えてくれたのだった、、そして今ここにきて確かめたところたしかにルーマニアのオラディア(Oradea)というところまで行くと言っていた、、オラディア?早速地図を見てみる、、初めて聞く地名であったがすぐに見つかった、、アラドより北にあるたしかに国境の町であった、、しかも鉄道も通っている、、そこまで行ければ後は何とかなるかもしれないと咄嗟に判断、、その場で明日のticketを予約しようとした、、何しろ8人しか乗れないワゴン車だ、、それまで乗客だと思っていたおばさんがticketはオフィスで買うようにと教えてくれた、、どうやらこのワゴン車を取り扱っている側の人のようだった、、だからよくある白タクではないようだった、、で、教えられるまま向かった先はさっきムカついたおねぇちゃんのいる窓口だった、、もちろん相手も覚えていたと思うが気にせず堂々とオラディアまでのticketをくれと言ってみた、、すると何時のだ聞いてくる、、えっ、何本もあるの?朝の8時半と昼の14時だとのこと、、ならば明日朝の便に空席があればそれにしたいと言うと端末をたたいて調べてくれ(やはりきちんと管理されていたのだ)パスポートと4500フォリントを要求してきた、、つまり空席はあるということだった、、その時点ですでにユーロラインパスは諦めていたしルーマニアは最初からある程度は汽車かバス(国内)を使わざるを得ないだろうと覚悟していたから、ま仕方ないか、と頭の中でその金額を換算してみる、、昨日ここで両替したとき1ユーロ230フォリントだったのが今日市場で両替したら1ユーロ270フォリントだった、、ま、その中間として1フォリントは0.5円くらい?それにしても隣の窓口の両替屋はぼりやがってと思いながら計算してみると2000~2300円くらいらしいことがわかった、、パスポートと4500フォリントを差し出す、、と、思わぬことが起こった、それまでちょっと険悪な雰囲気だったのだが、突然彼女が変なことを聞いてきた、、60才をこえているのかと言っている、、わたしのパスポートを見ての話だ、、当然国境を越えるのでパスポートチェックがある、、ticketに何らかの書き込みが必要だったと思われる、、わたしがそうだと答えると矢庭に彼女は計算しなおして60以上なら3000フォリントだと言ってきた、、びっくりしてしまった、、そんなことがあるのか !?、、 しかも3割も ! ! にわかにわれわれの関係は改善されたのであった、、そして明日のticketを手にして意気揚々とその場を引き上げた、、しかしこれにも後日談があった‥、、

 バスターミナルを後にして向かった先は再びデアーク広場、その界隈をぶらつき残りの時間はお城に行ってみることにしバスを待つ、、城に行く番号のバスに乗り込んでくさり橋を渡ったが、どうやらバスを間違えたようで、しばらく行ったところで下車少し歩いて戻り歩いて城に登る、、ブダペスト城内も見所多く夕暮れまで2~3時間をそこに要した、、なかでも最も時間がかかったの王宮内の地下洞窟、、面白半分に入ってみたら出られなくなってしまった、、まずその入り口じたいもよくわからず入り口表示にしたがって降りていくと地下レストランがあってそこを通り抜けたところにticket売り場があった、、あれほど大勢の観光客が上のマーチャーシュ教会や漁夫の砦にいたのにそこを訪れる人はごくわずかだったようだ、、ちょっと高い入場料を払ってどんなところかと恐る恐る入っていくと照明も暗くなりまさにラビリンスとなった、、出るに出られなくなったのだ、、出口の標識も何もない、、訪れている人もいない、、わたしは一人だ、、ともかく進むしかなさそうだ、、その都度いろいろオドロオドロしたものが現れたりする、、流石に最後はいつ出られるのだろうかと恐怖に近いものを感じた、、ようやく地上に戻ったときすでに夕闇がおおっていた、、とんだ寄り道であった、、そのためメインのマーチャーシャ教会の内部は見逃すこととなった、、しかし王宮の丘からのドナウ対岸ペストの街並みも、また反対ブタ側の山間に沈むな日没もたしかに絵になる風景であった、、日の暮れたペストの街にバスで戻る、、適当なレストランを探すが、このわたしのいう適当というのが難しくてなかなか見つからない(もちろんレストランはそこらじゅうにあったが)テイクアウトで宿に持ち込めることを思い出し外食は諦めた、、が、適当なテイクアウトも見つからなかった、、で、宿の近くまで戻ってみることにした、、地下鉄2~3駅くらい歩いてみて、やっと中華レストランを見つけてテイクアウトした、、もちろんビールも買い込んで夕食は比較的安く済んだ、、夕食を終えて明日の準備にかかろうとしたころ同宿の方が帰ってきた、、若くてキュートな日本人女性だった、、昨日の管理人の女性はその夜おらず置手紙があった、、わたしは彼女に明日ルーマニアに行くことを伝えてなかったので今帰ってきたその女性に伝言を頼もうと思った、、そしたら彼女のほうが明日朝わたしより早く出ることを知った、、明日のバスでクラクフに行くという、、そういえば明日は水曜だ、、確かバスは6時発くらいだった、、そんなことから話が始まりお互いのこれまでの旅経過を話す、、彼女は一週間ここにいて美術館・博物館・コンサート・温泉とブタペストのすべてを堪能したようだった、、そう、ここブダペストは美術館・博物館・コンサート・温泉でも見所つきない音楽と芸術の街でもあった、、なかなかいい旅をしているようだったが私的なことは一切聞かなかった、、わたしもクラクフには行くつもりだがとユーロラインの話をしたら、明日そのバスで行くとのこと、、女性の一人旅なので夜行列車は敬遠したいと言っていた、、もしかしたらここから夜行列車もあったのだろうか?クラクフまで7時間とのことだったが料金がいくらだったかを聞くのは忘れた、、mailアドレスを交換して、わたしは明日ルーマニアへ向かいまたここに戻るので、ここでmailのチェックができます、、時間があったらクラクフ情報入れくださいと頼んだ、、そして彼女もわたしも明日の出発の準備に取り掛かる、、わたしは荷物をほとんど置いていくつもりでその仕分けをし、荷物を置かせてもらうお願いと一応17日に戻るつもりだという内容の置手紙を書いた‥、、

ペスト側;上から聖イシュトヴァーン大聖堂、国会議事堂、シナゴーグ、自由橋付近からドナウと王宮の遠望;2枚、中央市場とその特徴的な屋根、、2010_1012_184713p1020734_640x480_22010_1012_191547p1020736_640x4802010_1012_214731p1020743_640x480
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ブダ側;王宮とマーチャーシュ教会;2枚、王宮の丘からくさり橋とペスト側の眺め;2枚
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