独歩の独り世界・旅世界

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サンチャゴ デ コンポステラ Santiago de Compostela

 それはわたしがマラケシュで危惧していたことであった、、が、マラケシュで無事だったから不意を衝かれた感じだった、、え、どうして‥??、、つまりvuelingのチェックインカウンターで荷物代25ユーロを請求されたのであった、、この場合言葉のハンデがあったのはよかったのか?悪かったのか?、、もちろん納得いかないわたしはせいいっぱい抗議し抵抗した、、いわれてもわからないのを承知で説明を求めた、、どういうこと‥??、、しかし相手は規則だから、つまりわたしがルールに則ってないといって25ユーロ払わなければ貴方の荷物は運べないとかなりきつい調子でいっていくる、、そのルールがよくわからなかったからマラケシュでは心配していたのだった、、で、その説明としていわれたことで、少しわかったことがあった、、どうやらわたしはticketを予約したときに預け入れの荷物がひとつあることを事前申告していなかったようなのだ(つまり荷物の数1ヶを事前登録しておけば問題がなかったようだ)、、しかし、それではどうしてマラケシュからはなんら問題なく飛べたのだろうか‥??、、想像するに以下の二点が考えられた、、1,ほとんど同時にPCで予約したのだけれど当然ticketはそれぞれに入力していく必要があったから、マラケシュバルセロナの場合は偶々完璧に作業したが、バルセロナ~サンチャゴのときに、その部分の入力を怠ったかミスした‥、、2,としては、どちらもその部分が完璧でなかったが、マラケシュの職員が大目に見てくれた‥??、、それしか考えられなかったしどちらの可能性もあったと思う、、しかし今現在その答えはわかっていない、、で、わたしは強引に(拙い英語でだったか)貴方のいってることがよくわからないのだけれどマラケシュから飛んだときは荷物代をとられることはなかったと突っぱねた、、それからのやり取りは平行線、というか、わたしが相手の言ってることをはっきり理解できず、いや、少しわかってもまったく理解できない振りをしてゴネまくった、、というのも特に荷物の規定をオーバーしているとか、余分の荷物があったわけでないのだから(相手としては申告外の荷物があったということになるようだったが)、もし単なる入力ミスで飛行料金と同額になる荷物代25ユーロなんて払えるか、とかなり怒りに近い状態で訴えていた、、けっこうすったもんだの末相手の男性職員はこういった、、貴方の荷物はその二つか?その大きさなら二つとも機内持込として認めてあげる‥と、、‥??‥一瞬どういうことかよくわからなかった、、前にもそれについて書いたことがあるが確かにわたしの二つの荷物は大きさ重さとも同じくらいで、それほど大きくなかったから手荷物として持ち込んでもいいといってくれたのだ、、なんかありがたい処置だった、、礼をいってポーディングカードを受け取った、、が、セキュリティチェックに向かう途中で気がついた、、預けるほうの荷物に入れてあったはさみとスイス製のアーミィナイフが通らないではないか‥!!、、かなり機能がたくさんついたあのナイフはいくらだっただろうか?はさみは100均だったから別にかまわないが、あのナイフは安物ではなかった‥、、しかし25ユーロはしなかったと思う‥??、、どちらにしろこの一件無償の決着とはならなかったのであった、、ということは気分よくバルセロナを発つことはできなかったということであった‥、、

 さて、そのフライト先がどうしてサンチャゴデコンポステラ(長いので以下サンチャゴと表記)だったかについて少し注釈を‥、、周知のようにサンチャゴも数あるスペインの世界遺産の街のひとつであった、、そこはヨーロッパの巡礼路の終着地・目的地として有名であった(誰々が祀られているからと聞いたことがあるが詳しくは知らない)、、巡礼そのものには(まだ個人的には未踏の)四国お遍路やインドの聖地巡礼の例を出すまでもなく、わたしは強い関心を持っていたが、キリスト教徒でないのでそこを歩いていかなければならないといった使命感・信仰心はもちろんない、、しかし単純にどんなところか?なぜ巡礼地として人々を惹きつけてやまないのかということには興味があった、、スペインの世界遺産は聞くところによるとその数40を越えて何でもイタリアについで世界第2位だとか‥、、わたしの敬する先輩であり友人でありこの旅のアドバイザーでもあった世界遺産達人のO氏は、スペインの世界遺産のそのほとんどを訪れていた、、逆にわたしはスペインは2度目だったが訪れていたところは2~3しかなかった、、で、もし目的・関心が世界遺産の地を訪れるということであったならば自ずとルートは陸路になってバルセロナからリスボンに行く間だけでも少なくとも10ヶ所くらいはいけたと思う、、それも多い日には一日1~2ヶ所、2週間もあれば可能だったと思われる、、ま、変ないい方になるがスペインにはそれほど世界遺産が転がっていた?そこら中にあったのである、、だから特に世界遺産に関心がなくともスペインは観光国、見所の多さには事欠かないところということができた(それもわたしがいまさらいうほどのことでもなく周知のことだが‥)、、人によってそのルート選択は悩むところだと思う、、で、当初わたしはそういう意味ではスペインが目的地だったわけでなく、時間もそれほどなかったから、バルセロナだけいければいいと思っていた、、そしてバルセロナからは最悪は(時間がなければ)リスボンまで飛んでしまうつもりだった、、で、大まかなスケジュールを立てていたときに前述したように、まずマラケシュバルセロナLCCを見つけた、、で、その手配をしたときに実はバルセロナリスボンのticketも見つけていたのだった、、それが25ユーロだった、、この25ユーロもわたしのような貧乏旅行者には魅力だった、、それを使ったとして、ではどういうスケジュール・どういうルートにするかで悩んでいたとき(1/21リスボンカンクンは決まっていた、、マラケシュバルセロナ1/11の手配をしたあと)バルセロナ~サンチャゴも同じく25ユーロで飛べることを知る、、ただしそれはdailyではなかった、、しかしイベリア半島を東の端から西の端まで25ユーロで飛べるなら、これは利用しない手はないと思ったのであった、、そうするとパズルは簡単に解けていった、、即ち、以前から関心のあったサンチャゴまで飛び(サンチャゴはポルトガルの上あたり、スペインの西端にあった)、そこからバスでポルトガルに入り、ポルトー他に寄りながらもう少しポルトガルを見ながら下ってくれば、ちょうどいいころあいにリスボンに着けるのではないかと‥、、

 15分遅れで7:40に飛び立った飛行機は、その多くがビジネスマン風でほとんど満席、たぶんちょっともめたからか席は窓際でなく外の景色を見遣ることはできなかった(確か4ユーロで好きな席の指定ができた、、それも事前申告なのだけれどマラケシュバルセロナ間は4ユーロ払って窓際の席を確保していた、、それは理解できていたのだけれど‥、、で、その他の場合はチェックイン時に担当者が席をあてがってくれる)、、1時間半のあいだ、言葉の問題があったので小さくなって、先のトラブルの件やこれからのことに思いをめぐらしていた、、なんとか搭乗できたもののそれで心配がなくなったわけではなかったからだ、、ひとつは寒さだった、、いくら大西洋に近いといえイベリア半島の北の端に位置していたから雪でも降っていたらもっていた防寒着では役に立ちそうになかった、、もうひとつは何回もいっていることだが地図・情報がなかった、、ただ、ここもフライトが決まっていたので宿の手配はしてあった、、そのとき見た宿の場所を示す大まかな地図の記憶だけが頼りだった、、で、空港から市内へはどうするんだろうか‥??、、ほんとに田舎の地方空港といった感じの田園の中の小さなエアポートに9:10着、、インフォメーションを探すもそんなものはなかった、、他の乗客のあとをついていくと正面を出たところにバスが一台停まっていた、、ほとんどの乗客はプライベイトの車またはタクシーのようであったが、何人かはそれに乗り込んでいたから、それで間違いなさそうだった、、念のためにドライバーに聞くと3ユーロでサンチャゴのセントロまで行くとのこと、安心してそれに身を任せた、、ガリシア地方の田舎道、丘陵地帯といったところを走って30分くらいでセントロに着いた、、空港辺りでは曇り空で少し寒く感じたが、途中から雪ではなく雨が振り出した、、ヤレヤレである、、それでも幸運だったのはバスの中からホテルのある通りを見つけていたこと、そして終点で降ろされてそこからホテルまではごくわずかだったこと、5分くらいでそのホテルを見つけることができたのだった、、だからサンチャゴに降り立って1時間もかからないうちにホテルにチェックインしていたのだ(そんなことは実際珍しいことだった)、、そのホテルがまた -そのときすでにそう思ったのだが-、あとから振り返ってみてもどうやら今回の旅全体で一番のホテルだった、、いや、そこは決して高いものではなかった、、いずれにしろ30ユーロ以上はすべてパスしていたからそこは24ユーロで見つけたところだった、、ま、安宿がせいぜい中クラス??もっとも後から思うにそれはオフシーズン料金の可能性があった、、いくら世界的な観光地であっても、確かにその時期観光客は極めて少なかったからだ、、なので同宿の客もあまり見なかったし、もしかしたら一番いい部屋をあてがってくれたのではないかと思われた、、でかいダブルベッドが二つとエクストラベッドがひとつ備えてあったから、たぶん5人くらい泊まれる家族用の部屋でなかったかと思う‥、、立派な調度、もちろんバス・トイレ・テレビ・エアコン(バルセロナでもそうだったが暖房があるのがありがたかった)つきでWiFiも可能、わたしはこの旅で唯一ここだけバスタブに浸かることができたのだった、、流石に世界中からツーリストが集まるところだけあって、たぶん家族経営のその宿のもてなしもきわめて洗練されていて(格式ばったところがまったくなく)、感じのよいセニョリータの応対にわたしは感激していた、、荷をかたずけサンチャゴの情報をそのセニョリータから教えてもらい簡単な地図までもらって早速街に出かけた、、

 そのもらった地図によるとバスを降りた辺りがやはりこの街の中心だったようで、ガリシア広場Plaza de Gariciaと記されていた、、そこから直線距離にして5分足らずのところにサンチャゴ大聖堂 Catedralがあるようだったが、まずは街の様子を知りたくて、わたしはそこへ直行しなかった、、細い路地があちこちにあって、そのあちこちに顔を突っ込むというか足を向けたので、その辺を歩いているとどっちが大聖堂だか方向がわからなくなってしまった、、なかなか趣のある迷路のような細い石畳の路地にはみやげ物屋や飲食店・宗教関係の店・普通の雑貨屋・ホテルなどが軒を連ね、しかし天気があまりよくなかったせいか(あとから思うにやはりオフシーズンだったからだと思うが)人通りはそれほどでもなかった、、だからか突然大聖堂の前の大広場Plaza do Obradoiroに出たときも期待していたほどの感動はなかった、、それでもその大聖堂は今まで遭遇したことのあるどこのカテドラルよりも大きくて立派で、十分な威厳と迫力を湛えてそこにあった、、これがサンチャゴの大聖堂かぁ‥! !、、しばしそこにたたずみ、そして中に入ってみた、、参詣者もそれほど多くない、、威厳を感じる聖堂内を静々と歩いてよくわからないまま、なにやら特別参詣路のようなところに入り、巡礼者か一般のツーリストかわからなかったが彼らにしたがって、その半地下のようなところにあった墓所?を詣でた、、これは帰ってからわかったことだが、どうやらそこに納められていた棺こそこの寺院のいわれ、巡礼のいわれとなっている聖ヤコブ(っていってもどんな聖人なのか知らない、、もしかして12使徒の一人?)の棺だったようで、聖ヤコブスペイン語でサンチャゴというらしいこと、ここがキリスト教の三大聖地(ヴァチカン、エルサレム)のひとつだったことも帰ってから知るのであった、、

突然現れたカテドラル前の広場252_640x480

カテドラルが大きすぎて広場から全体が納められなかった253_640x480

上の写真の階段を上がった入り口の前から広場;2枚、上は市庁舎・警察が正面、左手に大学図書館?下の右手の建物が王立病院?

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カテドラル内部258_480x640

街ブラ;3枚260_640x480_2
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 しかし巡礼の足跡は一歩も印さなかったが、カテドラルを詣でてしまうと、わたしのような異教徒にとってはこの街の興味もいっぺんに薄らいできた、、で、その周辺を街ブラ、、幸い中心部はそれほど大きくなかったので地図にあった中心街は一通り歩いてみた、、いずれも歴史を感じさせる重厚で落ち着いた建物・通り・街並み、そして人々がそこにいて、それなりの感慨があったが天気がいまひとつだったのが悔やまれた、、2時間くらいの街ブラで、帰りに見つけたホテル近くのスーパーでワインとパンとパスタを仕入れ、前日の夕食の残りのトリティーヤをちゃんと持ってきていたのでそれとあわせて昼食とした、、午後再び出陣、午前中は何とか雨がやんでくれていたが、そのときは傘なしでは歩けなかった、、まず出かけたのはカテドラルの眺めがよいといわれた公園(アラメダ公園Parque da Alameda)、ほんの少し小高くなっていて、そこから街全体も眺められたが、どうやらサンチャゴの街はなだらかな丘陵にあって、かなりの凹凸(山の部分・谷の部分)が見てとれた、、ここは春から秋にかけてはきっと気持ちのよいところだろうと想像できた、、何枚か写真をとってまた街中に戻りカテドラル界隈をうろつく、、できれば巡礼者の姿が見られないかと思っていたが、やはりそのシーズンではなかったようだ、、巡礼宿(?巡礼者受付事務所Oficina do Peregrino)がカテドラルの脇にあったがひっそりと閉ざされていた、、そこから少し登り気味に細い路地を行くと市民の台所メルカド(市場)があった、、生鮮食品・日用雑貨・食料品・花などが商われてそれなりに賑わいがあったが食べ物屋は見あたらなかった、、そのあとバスターミナルに向かった、、サンチャゴのバスターミナルは空港からのバスが寄ったので場所はわかっていた、、そこからセントロまでけっこう走ったように思われたが、歩いて30分の距離だった、、そこでポルトガルポルトーまでいくバスの情報を聞く、、それはそこから出ている唯一の国際バスで毎日朝の11時発一本でポルトー着は14:15とのことだった(ちなみにそのバスはリスボン行きでリスボン到着は20:00となっていた)、、それほど混んでないから当日でも大丈夫とのことだったが、せっかく来たので明日のticketを購入、28ユーロだった、、また雨の中来た道を歩いて戻る、、途中から少し道を変え修道院<convento>や巡礼宿<Albergue de Peregrinos>のある道を行く、、やはりその関係の建物、その関係のお店が多く、忙しさ・あわただしさといったものがまったくなく、華やかさ・賑やかさもちょっと無縁の非常に落ち着きのある静かな街であった、、いったんホテルに戻ってから、夕食時にまた昼間のスーパーに出かける、、そこには今まで見たことのない惣菜がけっこうあったからである、、その日の夕食は日本のカツのような惣菜とパンとワインとチーズということになった、、ホテルが当たりだったこともあってこの街の印象も悪くなかった、、次の朝、そのホテルは朝食も付いていたので、しっかり朝食をとり10時にチェックアウト、10時半にはターミナルについてバスを待った‥、、

アラメダ公園からはカテドラル全体が見えて気持ちのよいところだった;2枚268_640x480_2272_640x480

カテドラル脇の巡礼者オフィス273_640x480

Convento<修道院>や教会が多く、起伏の多い街だった263_640x480
巡礼宿<Albergue de Pregrinos>274_640x480

上記写真の巡礼宿がある辺りにあった公園から街のほうを望む;2枚265_640x480266_640x480