独歩の独り世界・旅世界

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クラコウ Kraków・Cracow/Poland 2014,8,13~8,14

 クシェットというのは、すでに日本語化しているいる言葉だと思うのでわざわざ訳を記す必要はないと思われるが、いわゆる簡易寝台のことである、、寝台車より格落ちでコンパートメントの両側に3段づつのベッドが設えられ、ま、プライバシーはないが、それでも身体を横にすることができるので夜行の場合普通の座席よりははるかに楽である、、わたしはインドではよく3等寝台を利用していたが、ヨーロッパのクシェットはそれとだいたい同じ構造であった、、で、今回の列車は22:26発6:30着の8時間の夜行だったから、前回記したようにクシェットだけは事前に予約を入れておいたのだが、それは正解だったようだ、、というのも4年前は10月のシーズンオフだったから当日買った2等の4人がけ普通座席は他に相客なく、そのままベッドとして使えたのだけれど、今回はクシェットも寝台も予約で埋まっていたようだったからだ、、それに腰痛もちのわたしはホテルの柔らかいベッドを苦手としていたから、列車の適度な硬さのベッドが、そしてこれは本当に不思議なのだが、あの列車の振動というものがこれ以上にない誘眠剤となるようで、少なくとも往路のChina Airでたまたま宛がわれたビジネスシートよりはるかに熟睡できたのだった、、列車がプラハを発つ時点ではすでに寝る体勢に入っていたので、すぐに寝付けたようで、同室の相客と顔も合わさず、したがって挨拶もせずに眠ってしまい、朝の5時半に目が覚めるまで、今回の旅行中で一番の睡眠が得られたのであった、、なのでわれわれに続いて起きてきた同室の反対側の中・下段の客が、われわれよりも年配の日本人ご夫妻だったのにはびっくりさせらるたのだった、、もっともこのご夫妻は今はアメリカ在住で、そのお子さんお孫さんたちと総勢8名で旅をされていること等々を、それから1時間、クラコウに着くまでの間にいろいろお話しすることになった、、クラコウにはほとんど定刻に着いた、、

 ここもガイドブックなしだったが街の感じはわかっていたし、予約を入れたときにみていた地図でホテルの場所もだいたいわかっていた、、しかし駅近5分くらいと思っていた見込みははずれ、ま、10分というところであった、、クラコウの駅もプラハに負けない近代的なビルで地上はショッピングセンターになっていた、、で、地下の駅フロアのパン屋やカフェはすでに何軒かは開いていたが、そのほかの店が開くには早すぎる時間だった、、もちろんホテルもまだチェックインできないのはわかっていたが、荷物だけでも置かせてもらおうと、そのホテルまでいってみたのだった、、線路脇だが住宅街といった風の奥まったところにそれはあって、感じのいい受付の男性は快く荷物を預かってくれた、、で、荷物の中からカメラと洗濯物だけだして、とりあえず旧市街?ここもそれは城壁に囲われた内側にあって、そこまでも5分くらいだったので両替所、洗濯屋を探しながら出かけてみた、、クラコウも観光客には人気のある街だったので、城壁内にはホテル、レストラン・カフェ、みやげ物屋、旅行代理店等々、観光客相手のお店がそのメインストリート、中央広場には軒を連ねていたが、いずれもまだどこも閉まっていた、、旧市街のメインゲート?フロリアンスカ門の近くにマックがあって、そこは開いていたので、まずそこでカフェを頼んだ、、その前にキャッシングで200pln(6933円,plnはポーランド通貨でズウォティ?、以下plnと表記するが1pln:34~35円)は手にしていた、、そのマックの前に、わたしが前回来たときに利用したCracow city tour社のオフィスがあったが、そこはまだ閉まっていた、、オープンが9時半?、まだ1時間半も時間があった、、仕方なく昼間は観光客でごった返す、まだ人気のない中央広場まで行く、、汽車の到着時間も同じだったから、なんか行動パターンが前回と同じように感じていた、、そこでも時間は潰しきれず、そのままお城に向かって歩いていった、、どうも空模様が怪しくなってきた、、傘の出番が回ってきたが、ツレはその前から防寒着を持ってきていなかったから寒さのためにすでに雨具を羽織っていた、、夏だというのにこの寒さ(涼しさ?)、それこそ4年前の10月は日本の冬の寒さだったから、それも同じ轍を踏んでいるようだった、、その寒さのためか膝痛ためか或いは興味がなかったからか、お城の坂を登り始めたら、ついてこなくなった、、仕方なく一人でそこに至るも、ここもまだ早すぎて開場しておらず、天気も悪く眺めはいまいち、何よりもそこはわたしにとっては二度目だったので、たとえ開場していたとしても中に入るつもりはなかったので、無料で入れる中庭まで行ってそこから返した、、城の下でツレは待っていたが、お互い口も聞かずにそのまま広場に引き返した、、そろそろ旅行会社がオープンする時間になっていたからだ、、ともかくわたしはアウシュビッツに行ってみたいというツレを早く送り出したかったのだ、、その街ブラしている間に2,3のツアー会社の情報を集めていた、、アウシュビッツツアーAuschwitz-Birkenauとかかれた看板やパンフを配る人が出始めていた、、面白いことに会社によって料金が若干異なっていて、安いのは65plnとか85plnと出ていたので聞いてみると、それらは学生割引料金とのことだった、、通常の大人料金はアウシュビッツの場合100pln,105pln,110pln,135plnとまちまちであった、、その価格の差がどういうものだったのか?おおむね足代・入場料込みでアウシュビッツ・ビルケナウを回って7~8時間の内容に差があるとも思えなかった、、それなら、わたしが前に利用したCracow city toursが今も100plnで一番安そうだったので、マック前の事務所にもう一度いってみた、、すでにオープンしていたそこで今日の午後は1:15からの英語ツアーがあって参加可能とのことだったので、それに行かせることにした(現地ツアーで日本語解説のツアーはありません、日本人で唯一人の公認ガイドとして有名な中谷さんのツアーは直接mailで申し込んで空きがあれば参加できると思いますが、わたしが事前に確認したとき、8月中旬は7日と16日のみとのことだったので断念した)、、そのとき思いがけなくツアー参加者にフリーランチを提供してる提携店があるといって、そのランチ券ももらえたので、そこで昼飯を食べることにして、それまでの時間はまた城壁内をぶらついたり城壁入り口のフロリアンスカ門<St.Frorian Gate>付近の公園あたりをうろついたり、そこで休んだりしていた、、その間に少し両替した、、最も率のいいところで100ユーロが415plnだったから1pln:33.7円?、キャッシングは1pln:34.7円だったから、わずかだが€キャッシュのほうが率がよかったことになる、、11時半ころにフリーランチの店にいってみた、、ランチ一食分は無料になるので他に一品とビールを頼んで昼食は結構安く上げることができたが、ツレの機嫌はそう簡単に治まらず(半分病気なので)、いつもならそんなんでいい気分になるところが相変わらず気まずい状態は続いていた、、少し早かったが1時頃には、かってわたしが乗車したところと同じ場所まで連れて行き、時間どおり1:15にバスを見送って、ようやくわたしの気は晴れてくるのだった、、そのバスは英語のガイドつきだったが、英語はまったくわからないツレが、その後どうなったかは知らない(あいにくそのツアーに他の日本人の姿は見えなかった)、ま、ただついていけばある程度は理解できるので、それでも決して無駄な体験にはならなかったと思うのだが‥??

中央広場;2枚160_427x640182_640x427

St.Peter & Paul Church154_640x427

ヴァヴェル城の中庭158_640x427

ロリアンスカ門近く183_640x427



 それからわたしは少し忙しくなった、、実はこの旅の全行程中、ここからの足だけ何も決まっていなかった、、いや、日本にいるときからネット等で調べはしていた、、それこそポーランド国鉄に問い合わせまでしたが腑に落ちない点があったのとEurolineのonline ticketを買おうとしてどうしてもできず、結局何も取得できずにいた、、それでこの区間(クラコウ~ブダペスト~ウイーン)は現地で確認してなんとかするしかないと諦め、ここまでやってきていたのだった、、当初の予定は次の日の夜行列車でハンガリーのブタペストに向かうというものだった(おそらく概要で紹介した予定表はそうなっていたと思う、ただ交通手段は未定になっていたはずだ?)、、何故そうなってしまったか?、、クラコウ/ポーランドブダペスト/ハンガリーの夜行列車があるのはわかっていて(これは前回のプラハの中で記していると思う)その乗車券及びクシェットはonlineで事前に日本で取得することができたのだ(ポーランド国鉄のサイト)、、ところがこれが、なぜか異常に高額だったので納得できなかったのだ、、というのも、そのために前回少し詳しく書いておいたのだがプラハ→クラコウ8時間クシェット利用で料金は確か一人8000円くらいだったと思う、、一方クラコウ→ブダペストプラハ→クラコウより距離があって時間にして2時間ほど長くかかるから、ま、10000万円くらいだったら納得して購入していたはずだ、、現にその逆ルート、つまりブタペスト→クラコウで調べたときはそのくらいの値段だった、、ところが、たぶんそういう決まりなのだと思うが発券は出発駅(国)でしかできないようでハンガリー国鉄でブタペスト着の列車のticketは買えなかっただけではなく、どうも料金の決め方は別に両国間で同額くらいにしなければならないというようなルールはないようであった、、どういうことかというと、つまりクラコウ→ブタペストのクシェット込みの運賃はブタペスト→クラコウに比べると1.5倍くらい?、実にプラハ→クラコウ間の倍くらいしたのだった(具体的に言うとプラハ→クラコウ、クシェット込みが一人8,000円くらいだったのにたいしてクラコウ→ブタペストは16,000円もしたのだ!!)、、どうしてそんなことになるのかにわかに信じがたかったので、そのticketは買わずにいたのだった、、もしかしたら現地で買えばもう少し安くなるかもしれない?いずれにしろ現地で確認して買おうと‥、、それともうひとつ、実はバス便も調べたかったのだ、、バス便についても日本で調べていたし、4年前は実際ここから次の夜のバスでウィーンに向かっていた、、バス便についてはそのときの経験も含めてここで少し詳しく述べておこうかと思うが、まず単純な比較でいうと、区間その他の条件もあるがバス代は列車の1/2~1/5なのである(これはポーランドあるいは中欧で、ということではなく、全欧で、ということ)、、それを示す例としては前回のICバスのコピペをみていただくと一目瞭然だと思う、、それほど、というか差がありすぎるくらいバスのほうが安いのである、、ただ先にいった条件ということでいえば、まず全欧のネットワークを持っているバス会社はユーロラインの一社しかないこと、そして区間によっては一日一便あればいいほうで、dailyでないルート(一週間に一本とか)がいくらでもあること、決して増発しないからバス一台満席になれば次の空きのあるバスまで待たなくてはならないこと(それが次の日にあるとは限らない)、そして夜行バスが多いのだが、汽車のクシェットのように楽に眠ることはできない‥などがあげられる、、それらは4年前のブログ‘中欧バスの旅’に詳しく書いてあるはずである‥??、、
 

 で、ツレを送るとその足で懐かしきクラコウのバスターミナルと隣接するクラコウGlówny駅のインターナショナルticket売り場に出向いたのだった、、先に訪れたバスターミナルは4年前と同じ場所に同じインターナショナルバスを扱うオフィスがあって、なんか4年前も同じような質問をしていたことを思い出していた、、まず、聞いたのはブタペストへのバスだった、、明日のブタペスト行きのバスはありますか?‥と、、これについても実は日本で調べていた、、だからEurolineの路線でKraków~Budapestがあるのはわかっていたのだが、なぜか買えるはずのonline ticketが、どうやっても取得できなかったのを踏まえての質問だった、、しかし答えは簡単だった、、(Kraków→Budapestの)運行は月・水・金だけです、、明日は木曜なのでありません、というものだった、、それで少し納得がいった、、つまり日本で調べたときは同じ日にちで検索をかけたのだが、その日の運航はないとは表示されなかったのだ、、つまり、どうやらEuroline/Polandはまだonlineシステムが機能するまでにいたってなかったということのようだった(Eurolineは国ごとに検索ページが異なっている)、、で、つづいて以下を聞いてみる、、1,明日は無理として一応Budapestまでのバス代はいくらなのか?、、2,オーストリアチェコ、ドイツ方面にいく明日のバス(夜行も可)はあるか?、、1,の答えはひとり140pln(4700~4800円くらい?)、、2,はウィーンなら土曜以外毎夜9:15発のバスがあって到着が翌朝4:50、146plnとのことだった、、まさにそのバスはわたしが4年前に使ったのと同じバスで時間も変っていなかった、、それにはまだ空席があることを確かめて、後でもう一度来るといって今度は隣接する鉄道駅のticket売り場に行ってみた、、そこは少し待たされたがインターナショナルticketインフォメーションはさすがに英語が通じて、同じように情報がほしいと断って明日のブタペスト行きはいくらか聞いてみた、、そこのおばさんは確か380plnといったのだがそれは座席だったのか?クシェッだったのか?いずれにせよ、まだ席は十分あるとのことだったので、後ろが長蛇の列になっているのを見て、どうするか考えて出直すと伝えその場をあとにした、、その情報は日本で調べたときのクシェットはひとり450pln、座席でも400plnくらいだったのと比べると少し安かったが、それでも直前に聞いていたバスの値段と比べるとあまりの開き(2.5~3倍?)に、ほんとにこのときはどっちにしたらよいかわからなくなってしまったのだった、、1plnは前述のように33~35円くらいだったから、その差額は二人分になると1万円以上(2万円近い?)の違いとなる、、ならばともかくいったんウィーンまでいってしまうか‥?、、いずれにしろそこはホテルから10分くらいのところだったから、いったんホテルに戻ってチェックインを済ませた、、途中洗濯屋を探すが見つからず、そのかわり雑貨屋のような小さなお店(食料品店?)があったので、そこで安ワインとパンとつまみになりそうなペーストを仕入れた、、ホテルはなかなか落ち着いた感じで、値段にしては上等だった、、線路が近かったが電車・列車がしきりに通るわけでなくまったく気にならなかった、、しばらくワインを飲みながら、その先を含めたプランニングを何通りか思案してみた、、その結論はやはりバスになった、、違いが大きすぎたからだ、、しかし、ずっと後の結果論として、その後に起こる災難は、このときの決断が遠因となったといえなくもなかったが、それはどっちを選択したとしても - 将棋用語で言う - 一局だった、といえる局面であったのである‥、、

 ともかく、そのときは‘何でポーランド国鉄はこんなに高いんだ!?’と怒りに似た想いでバスに決め、そのticketを買うために改めて少し両替をして再びバスのオフィスを訪れた、、ありがたいことに実際の値段はわたしがシニア料金適用となり計277pln、それでも列車の一人分より100plnも安く済んだのだから、その選択は間違いなかったとそのときは思っていた、、ただ、その代わりまた少し忙しくなっていた、、予定が変わってその調整が必要になったからだ、、しかしひとつだけ、そういうこともあろうかと出発前に予約しておいたブタペストのホテルをキャンセルしておいたのは正解だった、と思っていた(これもすぐあとにはキャンセルしないほうがよかったか?ということになるのだが‥)、、で、スケジュールをどうするかでまた迷うことになった、、いずれにしろ今回の約2週間の旅の中で、この8/14~8/16のちょうど中間の3日間だけは出発前から不確定部分が多く、それはいった先々で決めていくしかない、という腹積もりだったので、ま、予想通りの展開となったわけだが、14日の夜行バスでウイーンが決まり、では15日16日はどこでどうするかという問題が残ったということだった、、16日夜のウィーンのホテルはキャンセル不可だったから、それ以降の変更は考えなかった、、案としては15日の早朝にウィーンに着くので、1,は15,16の二日間ウィーン滞在、ブタペストへは行かない、、その場合15日のウィーンの宿を探す必要あり(これがもっとも賢明な選択だったと思われるか、ツレの数少ない希望にブタペストは入っていた)、、2,としては15日早朝についてウィーン半日見学、午後または夕方にブタペストへ、ブタペスト泊(この場合はあらためてブタペストの宿探しが必要)、次の日ブタペスト観光、夕方ウィーンに戻る、、3,は2,と同じことだが、早朝にウィーンに着いたら、そのまま朝一のバスでブタペストにいってしまう、、そしてブタペスト観光、ブタペスト泊(この場合も要ブタペストのホテル探し)、、16日の朝ウィーンに戻り、その日半日ウィーン観光、の三択であった、、ま、すべてわたしが決めて構わなかったのだが、このときばかりはツレの意見を聞いてみることにした、、で、もちろんそのホテルはWiFiがつながったから、すぐまた戻ってウィーン、ブタペストのホテル探しを始めたのであった、、それに夢中になって迎えが遅れてしまった、、8時頃の帰着と思ってそれにあわせていったのだが、7時半には着いていたとのことで相変わらずの不機嫌さは消えてなかった、、そんなんでこの日の夕食も意見があわず、いらない、食べないといいだし、これはしょっちゅうのことだが、いいだしたらきかないから、ならばとわたしはホテル近くの午後に立ち寄った店で新たにビールと少々のつまみ類を買ってそれで間に合わせたが、ツレは帰ってすぐに床についてしまったので、1,2,3,のいずれにするかはその日のうちには決められなかった、、

 翌朝、ここのホテルの朝食も例のパターンであったが量も質も悪くなかった、、そしてこの朝も - ここのホテルのチェックアウトは12:00だったので - 午前中わたしはPCでホテル検索をするから、好きにしてくれといってツレを追い出した、、一応このときは2,か3,との返事はもらっていたので結局ブダペストのホテルを探さねばならなくなっていた、、このとき昨日とは逆に、それならブダペストの宿をキャンセルしなければよかったという想いと、次の日のホテルを探すことになるので、安くていいホテルが残っているわけがないという焦りもあって、かなりイライラしていた、、いつものサイトでは当然こちらの希望の場所と値段で引っかかる物件はなかった、、が、前に一度世話になったところで試すと(だいたいどのサイトも掲載物件は同じなのだが)どういうわけ一軒だけ残り物があった、、埋もれていた珠玉を発見したような喜びが走りすぐに予約を入れた、、旅行中でプリントアウトはできないが、という断り書きを添えて‥、、そのホテルを選んだ理由は場所・価格が希望にかなっただけではなかった、、実はホテル名が気にいったからであったのだが、それについてはいずれそのときに‥、、で、それをもってわたしの今回のクラコウでの役目(?目的)は終わったということになったのだった、、

 我々は11時半にチェックアウトしたが、バスが夜の9:15だったから半日は時間潰しをしなければならなかった、、なのでチェックアウトの際夕方までの荷物の保管をお願いした、、そしてその日の午後は特にいってみたかったわけではないが、ま、時間潰しの意味合いで、クラコウのもう一ヶ所の世界遺産として有名だったヴィエリチカ岩塩坑というところに行ってみることにした、、そこは前回来たときにアウシュビッツを扱うツアー会社が、ほとんど同じくらいの値段でツアーバスを出していたから知っていたが、あまり興味はそそられず訪れてはいなかった、、今回、事前情報を日本で調べていたときに例の掲示板で、某ユーレイルパス推奨氏が、クラコウにいったらいかない手はない、というようなことをいっていて、ほんとかよ?という想いがあった、、で、ちょうど時間潰しにはいいかもしれないと思え、インフォメーションでツアーバスでなくても一般のバスで行けると教えてくれたので、いってみることにしたのだった、、それでまず教えてもらったクラコウ駅すぐのところにあったバス停にいってみた、、そこに停まっていたバス304番は確かにVieliczkaと行き先表示があって、そこが始発のようだったがドライバーはそのときバスにいなかった、、が、すでに乗客は乗っており、バス停脇に券売機があったが、どうやってticketを買うのかよくわからなかった、、ドライバーが戻ってきたら聞こうと思って乗らずにうろうろしていたら、そのときコンニチワと声がかかった、、びっくりして声のほうに振り向くと、そこに昨日の列車で一緒になった老ご夫妻が、ご家族の方とともにそのバスに乗っていたのだった、、そのご長男らしい方(40代?)が、自分は前に行ってるから今回は同行しないということで路上にいたのでticketの買い方と教えてもらい我々もそのバスに乗り込むことができ、まだ小学生と思われる二人のお孫さんも入れた7名のご一家と岩塩坑ツアーの終了までご一緒することになった、、ヴィエリチカ岩塩坑近くのバス停からは少し歩いてticket売り場まで行くとすでに長蛇の列、いわゆる外国人用のticket売り場でまず並び、30分おきにグループ見学となる英語のツアーは2時からということで、さらに3~40分待たされることになった、、そして岩塩坑ツアーは階段を相当下りて、そこから2時間以上も歩きまわるという、ちょっと苛酷ともいえる長丁場で、ま、確かによくまあここまで、と感心させられるものはあったが、むしろ疲れだけ残った感じで、疲れを吹き飛ばすほどの感動をわたしは得ることはなかった、、老ご夫婦も、お孫さんたちも、わたしのツレもグループについていくだけでたいへんだったと思う、、わたしは帰りのバスで以下のように思っていた、、1,思った通り、それほどのことはなかった、、2,その割には高い入場料だった(ひとり2800円?)、、3,個人で行ってもツアーで行ってもトータル金額がそれほど変らなかったから、並ぶことを考えるとツァーでいったほうが正解だったかもしれない、、4,個人見学のガイドツアーに関しては、もう少しツアー客を配慮したガイド方法、あるいはシステム作り等、改善の余地があるように思われた、、5,この岩塩坑そのものより、これを作ったポーランド人のすごさ?得体の知れなさ?、いずれにしろポーランド人に少し興味を持った、、おおむねマイナス評価で、絶対行ったほうがいい等とはわたしにはいえないが、ま、人それぞれだからそれ以上はいわない‥、、

ヴィエリチカ岩塩坑;3枚166_640x427164_640x427162_640x427



 6時ころクラコウに戻り、6時半頃礼をいって荷物をピックアップして、バスターミナルに向かった、、それでもまだ2時間ほど時間があったが、その潰し方はプラハと同じで4年前の雪辱戦となった、、というより懐かしきわたしが4年前に世話になった駅前のホテルが健在で、しかもそのレストランのネオンもすでに灯っていて、そこで食事しながら時間を潰そうと思っていたからだった、、駅前だからか朝から結構客の出入りの多かったそのレストランをわたしは何回か利用していたが、このときも若いきれいな女の子が出迎えてくれ地下の落ち着いた席に案内してくれた、、このときあらためて感じたことだが、少なくとも今まで廻ってきた街の中では、このクラコウがもっとも美人というか、かわいい娘が多かったことは、特筆しておく必要があるかと思う、、愛想もなかなかよく(それはそれこそ4年前にも感じたことだったが)、日本人も時々来るのか、その娘は片言の日本語を話したのだった、、しかしそこで4年前と同じ失敗を繰り返すことになった、、ここの名物はポテトパンケーキで、4年前もたぶん最後に同じ物を頼んだと思う、、そのときは普通サイズを頼んで食いきれず、だいぶ残して、あとでスモールサイズがあったのを知って悔しい思いをしたのだが、それは覚えていた、、なので今回はスモールサイズひとつを二人で半分づつにすればそれで十分でないかと思い、あとビールを二つ頼んだ、、ところが、ま、頼み方が悪かったのかもしれないが、こちらの希望は伝わらずスモール二つとビール二つが来てしまった、、愛想のいいかわいい娘だったから、文句はいわずにそれを少し無理をして平らげた、、わたしの悔しさあるいは腹だたしさは、それなら大きいのひとつを半分にしたほうがはるかに経済的、お得だったからである、、というのもポテトパンケーキのスモールは3枚入ってて20pln、大は5枚入って23plnだったのだ、、つまりわれわれは最初スモール半分づつでもいいかと思っていたくらいだから、5枚入り半分づつで十分だったのだが、つまり23plnで済むところ40pln払わなければならなくなったところにあった、、それはビールをあと3杯飲める金額だった、、そのときわたしは最後のplnで残金調整していたから、おかけでビールをそれ以上飲めなくなってしまったのだ、、それでもそこの支払いを済ませたあとにわずかな小銭が残った、、もちろんそれはその娘にチップとして渡してきたが、ま、ミイラ取りがミイラになったというのか、雪辱線で返り討ちにあったというのか、その娘にはなんら関係のないことだったが、同じところで同じ失敗を繰り返すという奇異な目にあったということだった、、それにしても今回のクラコウは4年前の繰り返しのようなことが多かった、、日程はほとんど同じ、ツアー会社も来るときの汽車も帰りのバスも同じになってしまって何かの因縁を感じないではいられなかった、、

4年前に世話になったホテルと一階のレストラン184_640x427

ウィーン行きのバス186_640x427


 最後にヴィエリチカで思ったポーランド人という人たちの印象を少し書いておこうと思う、、詳しくその歴史を知らないが、ヨーロッパの列強とロシアにはさまれ、踏みにじられ、領土を失ったこともある地勢的にたいへん厳しいところに生きざるを得なかった民族である、、その苦渋の歴史の故か、ここの人たちの忍耐と寛容の精神は、たった二日しかいなかったが敏感に伝わってきた、、そのひとつの発現は街を歩いているときだった、、もちろん信号はあるのだけれど道路を飛ばす車なく、人の横断を妨げる車もなかった(止まってくれない車は一台もなかった、100%)、、驚くべきことにトラムまで止まってくれたのである、、こんな人々をわたしはこれまで知らない、、それが一部の人だけでなく恐らくその強い精神は国民一人ひとりに植えついているのを感じないではいられなかった、、それでなくてあのヴィエリチカはありえなかったであろうと思う、、あんなものを造り上げる力(創造力もさることながら忍耐力や精神力)はわたしの想像力の及ばない世界であった、、不思議なというか特異な国民性だと思う、、その上愛嬌もありサービス精神にも溢れているのだから、もっともっと知られていい国、知られていい人々だと思わずにいられなかったのだった‥、、