独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 18 ) シビウ~オラシティエ/ルーマニア

 駅前のバス停で待っているのだから間違いようはなかったのだが、なかなか来ないバスにちょっと心配になっていた、、やってきたのはワゴン車のでかいやつで12,3人乗りだったが乗客は5人くらいだった、、シビウまで14レイ(400円くらい?)バスは12時35分に出発した、、先ほど通ったビエルタンへの道を通ってさらに西に向かった、、それほど多くはなかったがシビウまでの途中にある村や街に寄りながらそれほどは険しくはない山間の道を途中から南方向に走っていく、、このなだらかな山の形状がどこか日本の里山を思い出させた、、木の葉が黄色に色づいている、、もっと遠いのかと思っていたが2時間でシビウの街に着いてしまった、、大きな街だった、、この街についてはガイドブックにものってなかったし地図さえ持っていなかったので、いきなりどこだかわからないようなところに降ろされて右往左往せざるを得なかった、、今までなら降ろされた近くにたいてい鉄道の駅があったのだけれどここは少し様子が違った、、わたしがこの街に来た目的はオラシティエという街に行く汽車に乗るのに都合がよさそうだったからにすぎない、、だから鉄道の駅さえわかればよかったのだがなんとそれはバスを降りたところから歩いて1時間もかかるところにあったのだ、、右も左もわからなかったからこれは聞くしかないなと悟った、、今まではその必要がなかったからそうしなかったのだけれどいざ地元の人に聞くとなると言葉の問題が生じる、、親切な国民性だということは知っていたからあんまり相手に負担をかけさせたくなかった、、となると英語のできそうな人に尋ねるのが一番だ、、少しぶらつきながらそんな人の出現を待った、、若い人はほとんど英語を解したがこちらが年寄りなのであんまり若い人もどうかなぁなんて思って中年より少し若手30代後半くらいのサラリーマン風男性に声をかけてみた、、最初ガイドブックにあった基本単語で‘どこ’と‘駅’をルーマニア語で言ってみた、、そしたらすぐに英語で返答され、説明が難しいのだけれどもし歩いていくならこの道をしばらくまっすぐ行くとアストリア(だったかな?)ホテルが出てくるから、そしたら右方向へ進めとのことだった、、相当遠いようなことを言っていた、、バスだったら?と聞こうとしてやめた、、聞いても無駄だと思ったからだ、、知らない街で言葉も通ぜずにバスに乗るのはかなり無謀なことだと知っていたからだ(かえってことが複雑になってしまう、もちろん単純に一路線で行けるならなら該当する番号のバスに乗ればいいのだけれど)、、もしタクシーを使うのならタクシーの運転手はちゃんと駅までくらいなら連れて行ってくれるから彼に聞く必要もないことだった、、そのことを彼はわかっていたので、もしその先でわからなかったら別の人に聞いてくれと念を押してくれた、、大体方向はつかんだ、、後は歩くだけだった、、ただどのくらいの距離かは見当がつかなかった、、が、この時点でわたしは、ならば歩きながらこの街を見物してみようと頭を切り替えていた、、急ぐ必要はなかったのだ、、で、もし見つけられたらこの街について唯一持っていた情報、ブルゲンタール博物館にも寄ってみようか、とさえ思ったのだった、、そうして歩くこと20分くらい?先ほど聞いた大きなホテルのある交差点に出た、、そこを右方向にまた歩く、昔の城壁のようなものが現れてきた、、どうやら市民の散歩道か公園のようになっている、、その城壁の上からの眺めも市街を見下ろす感じで悪くない、、写真を撮りながら少し色気が出てきたので、今度は若いカップルに聞いてみた、、ブルゲンタール博物館て知らない?実はその博物館について詳しく知っていたわけではなかった、、ただ名前を聞いていただけである、、そしたら彼女のほうがすぐそこにあると教えてくれた、、で、言われたまま行ってみると確かにその博物館があったのだがそこは動植物?の自然博物館のようだった、、で聞いてみるとその名前の博物館は分野別にあちこちにあるらしいことがわかった、、そしてそのひとつが数ブロック先にある広場のところにあるようなことを言っていた(語学力の問題で詳しく、また正確に相手の言ったことを理解したわけではない)まぁ、もしもの話だったので博物館はどうでもよくなって、ともかくその広場に行ってみた、、そこがこの街の旧市街の中心部、歴史的な建物が残されているこの街の観光スポットだった、、期せずしてシビウという街の観光をしてしまったのだ、、その広場をうろついていると周辺の地図の書かれた観光案内板があった、、よく見てみると駅はすぐ近くだった、、坂を下ってしばらく歩いていくとSibiu Railway Stationが見えてきた、、

 もしかしたら今回のルート・構想はルーマニアの旅としては、いまひとつだったかもしれない、、なぜならたぶんルーマニア通は言うだろう、、どうしてモルドヴァの5つの修道院を訪ねなかったのか?あるいはルーマニアのよさはマラムレシュ地方だよ、とか‥、、その通りだと思う、、今回は行けなかったのだけれど機会があればぜひ次回それらの地を訪れてみたいと思う、、というのは今だからいえるのだけれど、当初はルーマニアは結構広くてそれらの地はルーマニアの北東・北西部にあってアプローチが大変なのでないかと思っていたからだ、、ところが実際来てみての印象だけれどここは鉄道が結構整備されてて存外利用しやすかったしおまけに安かったのだ、、で、夜行列車でも利用すればそれらの地へ行くのはそれほど大変なことではないということがわかったきた、、ただしそのためにはやはり1週間くらいの余裕がほしい、、ここは物価が安いし人がいいのでわたしのお気に入りの国になったが、もしルーマニアが気になっている人には是非それらの地に赴かれることをお勧めしたい‥、、

 さて、そのルーマニア人にとってこのシビウという街を知らない人いないと思うが、そこから向かおうとしたオラシティエという街はもしかしたらほとんどのルーマニア人でさえ知らない街だったかもしれない、、ということはシビウという街さえ知らなかったわたしがどんなところか知る由もなかった、ということである‥、、では、ガイドブックの簡易地図にさえ載っていないその街をどうして知ることとなったのか?、、それを言うといかにわたしの発想・動機が乏しいものであったかがバレてしまうことになるのだが、要するにルーマニア情報は極端に少なかったのでどうしてもガイドブックに頼ってしまったところにある、、しかしガイドブックの情報量も限られていてルーマニアの場合地方都市の紹介は多くなかったしまた詳しくもなかった、、で、その少ない情報の中からほんのわずかに記されていた世界遺産の情報に焦点を絞って行き先を選んでみた、、そしてそのなかで、もしかしたらうまく繋がるかもしれないと思ってシギショアラビエルタン・オラシティエというルートを組んでみた、、オラシティエの山の中にあるというダキア人の要塞(という世界遺産)についてはそこがどういうところでどうやって行くのかもわからないまま‥、、なのでともかく行ってみるしかなかったのだ、、シビウの駅に着いて窓口でオラシティエに行きたいけど何時の汽車があるかと聞いてみた、、すると窓口のおばさんは端末をたたいて時間を教えてくれた、、15時54分、今何時?と聞いたら15時52分、、えっ?間に合うのか!?、、ともかく25レイ払って切符を受け取り駆け出した、、2番ホームと言っていたがその2番ホームがわからない、、ホームは4つくらいあっていずれにも列車が停まっていたが、どこにも1とか2とかの表示はなかった、、というかわからなかったのだ、、線路をまたいで隣のホームへ行ってみたが、行き先表示も何もない、、いや、わたしにはわからなかっただけかもしれない、、とっくに2,3分は過ぎていた、、聞いてみるしかない、、が、駅員はいなかった、、誰でもかまわない、、オラシティエ、オラシティエと聞いてみたが反応がない、、で、誰かに2番ホームはどこかと英語で聞いたらすぐ教えてくれた、、荷物を抱えてまた走った、、その汽車は今にも出発しそうな気配だった、、車掌さんのような人がホームに立っていてわたしを待っていてくれている風だった、、その車掌さんに聞いて確かめ飛び乗った、、すぐにドアは閉まりその汽車は動き出した、、ぎりぎりセーフだった、、というか、もしかしたらわたしがその汽車を少し遅らせてしまったかもしれなかった、、そのローカル線はしかしすいていた、、がらがらだった、、しかも車内は日本の電車なんかよりずっときれいで斬新なつくりだった、、一応指定席だったが例によってがらがらだったので自由席に等しかった、、なので向かい合わせ4人掛け席(日本のそれよりずっと広い)の空いているところに移動した、、日本に似た趣きの山野を快適に走る、、色づいた黄葉を映し出している車窓はのどかだった、、汽車のよさはこうしたのんびりゆったりしたところにあって、そういう意味でルーマニアの汽車の旅も悪くないなと思った、、そんな北海道を思わせるような牧歌的な山野を2時間半走ってオラシティエの駅に着いた、、そこで下車したのはわたしを入れて3人きりだった‥、、

 いくら情報がなかったといえさすがにわたしはちょっと困惑していた、、えっ?、あれぇ ! ?、なんだここは‥?、、小さな駅舎はあった、、しかし他には何もなく誰もいない、、一緒に降りた人はすでにどこかに消えていた、、駅前はなにかの資材置き場といった感じでやはり建物も人影もなかった、、それでもたった1台タクシーが停まっていて中年のドライバーが中にいた、、何がしかの情報を聞くにはそのタクシーの運転手しかいなかったので声をかけてみたが通じなかった、、いやー大変なところに来てしまった、、どうしよう‥ ! ?、、まだ早い時間だったらまた汽車を待って他へ移動する手もあったかもしれないがもう夕闇が迫っていた、、どこかに泊るところはないか?、仕方ないタクシーを使ってでも近くに街があればそこまで行って泊るしかなさそうだった、、いくらなんでも2日続けての駅舎泊はゴメンナサイだ、、あらためてタクシーの運転手にホテル、ホテルと言ってみるが今度は相手の言ってることがわからない、、困ったなぁと思案に暮れていて気づいた、、そうだこれまで寄った駅の窓口のおばさんはたいてい英語が話せた、、駅員さんなら英語がわかるかもしれない、、窓口を覗いてみるとたった一人おばさんがやはり留守番のような格好でいた、、最初にティミショアラに行く汽車の時間を聞いてみた、すると思いがけない答えが返ってきた、、ここの端末では国際列車の対応ができないし、ティミショアラへ行く汽車はここには停まらないから大きな駅へ行けというようなことを言っている、、たぶん夜半に汽車はありそうだった、、どこへ行ってどう乗り換えればいいのか、なにか言ってくれてるのだがよくわからなかったのでティミショアラは諦めることにした、、でも多少英語が通じることがわかったのでタクシーの運転手を呼んできてこちらの意向を伝えてもらった、、そして運転手の言ってることを通訳してくれた、、で、わかったことは6レイでこの街に1軒しかないホテルまで連れて行ってくれるということだった、、駅のおばさんに礼を言ってタクシーに乗り込んだ、、ものの5分も走ると大きな道に出た、、国道のようだった、、車の流れが結構あるその道をさらに5分か10分行くと街になった、、そこがオラシティエの街だったのだ、、それほど大きい街ではなかったが確かにホテルが1軒あってそこへ乗りつけてくれた、、その運転手と一緒にフロントを訪ねる、、一人も宿泊客なんかいそうもなさそうな、ひっそりとしたバーカウンターを兼ねたようなフロントにいた女性はそれでも多少英語がわかったので交渉はスムースだった、、部屋代は75レイとのことだった、、決して高くはなかったのだが英語が通じたのでもっと安くしてくれないか、だめな場合この街にはペンションのような安宿はないのかと聞いてみた、、どちらもノーというような返事、、では、とさらに聞く、、わたしは世界遺産となっているダキア人の要塞というのを見てみたくてここに来たのだけれど、それはどこにあってどうやって行くのかと聞いてみた、、彼女はここの県(Hunedoara)の観光マップを見せてくれ、その場所を示してタクシー運転手にそのことを伝えてくれた、、もし行くならそこへはタクシーでしか行けない(タクシーなら行ける)ということだった、、そのためについてきてもらったそのタクシー運転手は明日そこまで連れて行くことはできるが連れて行くだけだと言った、、帰りは?帰りはまたそのときに連絡をくれとのこと、さらに聞いてようやくわたしは理解することができたのだった、、つまりこういうことだった、、その地はここから3~40キロ南に下ったところにあって、車で行けるところまでは連れて行く、、その後は歩きとなる、、それも登山に近いものだ、、キャンプの用意も必要だということだったのだ、、簡単に日帰りができるところではなかったのだ、、知らないということはこういうことなのだ、、が、すでにここまで来てしまっている、、どうしたものか‥??、、

 結論はすぐにだした、、迷うこともなかった、、そうとは知らず、またそこまでするつもりもなかったから、日数、費用、装備を考えれば答えは明白だった、、その場で断念、運転手には帰ってもらうことにする、、が、もし気が変わったら?あるいは必要なときはいつでも連絡をくれと彼は電話番号を書いたものをわたしに渡してくれた、、今度はホテルの交渉となった、、朝食はついているの?ノー、、夕食は?安いレストランが近くにあるか?ピザ屋が近くにある、、わたしはルーマニア料理が食べたいんだ、、しばらく沈黙があってから彼女はこう言った、、前の国道をしばらく行くとペンションがある、、そこでルーマニア料理が食べられる、、ペンション?&ルーマニア料理?その一言でわたしがそちらへ行ってしまうであろうとということを彼女はわかっていたのである、、それ以上は何も言わなかった、、わたしは礼を言ってちゃっかり観光マップももらってその場を立ち去る、、すぐに国道に出て言われた方向に歩き出す、、こういうことが荷物が軽いとできるのだ、、もし大荷物だったらその日はそこに宿泊ということになっていただろう、、どちらがよかったかはわからないが‥??、、

 すぐに見つかると思っていたそのペンションは歩いても歩いても見つけることができなかった、、ひとつにはいい加減に聞いていたので(行けばわかるだろうと思って)、もうひとつは語学力の問題で言ってた場所を正確に聞き取れていなかったのだ、、たぶんその通り沿いにあると思っていたそのペンションは両側を30分も歩いたけれど見つけられなかった、、仕方なくそれでなくともほとんど商店などないその通りの飲み屋のようなところで聞いてみた、、それは通りを一本入ったところにあると教えてくれた、、行ってみるとちゃんと看板が出ていてすぐに見つけることができた、、が、確かにペンションと書かれてあったのだが部屋は満室とのことだった、、どうも状況からして満室ということはありえず1階のレストランは営業していたが2階のペンションはやっていない雰囲気だった、、ま、そんなこと言ってもしょうがないから近くに宿はないかと聞いてみた、、角を曲がったところにあるという、、1~2分のところに確かにあった、、そこはホテルと書いてあった、、開けにくい木の門を押して中に入ると中庭のようなところの奥に事務所風の建物があった、、そこに着く前に中から女の人が出てきて応対してくれた、、が、英語を解さなかった、、しかしわたしが外国人だったのだから用件は決まっており会話は必要なかった、、一泊70レイとのことで部屋を見ろと促す、、わたしはたとえその部屋がひどかったとしてももうそこに決めることにしていたが、一応覗いてみてOKをだした、、ここはホテルとなっていたが、まぁペンションみたいなもので最初に行ったホテル75レイを基準としたら50レイくらいが相当ではないかと思われたが、ここを逃したらもう行くところがない、、それでも5レイ安くなったではないかと自分に納得させていた、、ちゃんとお湯も出たし、言葉の問題でそれを確認するのにずいぶん苦労したが朝食もついていることがわかったのだから、、で、パスポートをもって支払いに事務所風の建物に行くと5~6人のグループが気炎を上げていた、、ケーキを囲んでティパーティでもやっている様子だった、、突然の日本人にケーキをおすそ分けしてくれた、、あまりにも陽気だったので誰か英語を話しますかと聞いたら答えはなく誰かが自分たちはイタリア人だというようなことを言っていた、、遠慮なくケーキは頂戴したがさすがにそれを夕食にするわけにもいかずホテルのおばさんにレストランはどこかにあるかと聞いてみた、、それは通じたようで、すぐ近くにあると方角で示してくれた、、それはここに来る前にわたしが寄ったペンションのところのようだった、、この街にはそこしかないようなことも言っていた、、それは最初のホテルのフロントの女性が言っていたことと等しかったのでとりあえず行ってみることにした、、表向きは高級レストラン風で入りにくかったのだけれど(だからホテルのおばさんに聞いてみたのだ)入ってみたらこれが意外と安い、、今朝ほど食べたチョルバの肉団子入りとこれもルーマニア名物ミティティ(mititei)というインド料理によく出てくるつくね棒みたいなもの(棒状のミンチを焼いたもの)、それにパンとビールとまたグラスワインを注文してしまった、、そのときわたしはルーマニアレイが切れかかっていてメニュウにある金額を計算しながら注文していた、、そしてもしかしたら足らなくなるよと正装のウェイターに言っておいた、、とてもおいしい食事ができてしかも安く、ちょうど持っているルーマニアレイで何とか足りた(13レイ約400円は安すぎ)のだけれどチップに置く分がなかった、、何とか気持ちを伝えたくて持っていた日本の10円玉を何枚か置いてきたが、果たして喜んでくれただろうか?その額を知って逆に怒ってしまった可能性もある‥??、、

シビウの歴史地区;4枚 2010_1014050jpg_blog 2010_1014_211102p1020844_640x4802010_1014_212333p1020845_640x4802010_1014046jpg_blog


オラシティエの駅舎2010_1015007jpg_blog