独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 14) プラティスラバ/スロヴァキア


 55ユーロのホテルの朝食はそれほど豪華というものではなかったが、数種類のパン、たまご料理も何種類かハム・サラミソーセージの類、チーズ類、ヨーグルトもオートミルも野菜・果物も、もちろんコーヒー・フレッシュジュース・牛乳、他一通りそのホテルにふさわしい内容だった、、もちろんしっかり食べ持っていけるものを少しポケットに入れてチェックアウトした、、荷物も2時ころ取りに来るからと預かってもらった、、昨晩少し歩いていたので多少地理は掴んでいた、、それほど遠くない距離にあるプラティスラバ城にまず登ってみる、、散歩している人に何人か出会っただけで人気(ひとけ)がない、、やはり高いところからの眺めは素晴らしい、、真下にドナウが流れている、、朝もやの向こうになだらかな山あいの緑がずっと見渡せる、、城の条件にぴったりの立地である、、つまり昔の城は防御の必要性から川のほとりの高台を選んで築かれていることが容易に想像される、、決してそれが美しさの条件とはおそらく築城時には考えられなかったことと思う、、ところが時代が下って平和な世の中になったとき、その堅牢だった石造りの城塞は決して朽ちることなく昔の名残をとどめた、、そして後世の人はその美しきたたずまいをたたえた、、プラハしかり、このプラティスラバしかり、この後行くことになるブダペストも、クラクフも、チェスキークルムロフも、ヨーロッパ中の美しき城はみな川のほとりの高台に築かれていた、、つまり築城の条件のひとつとして川と高台はセットになっており、高いところから赤い屋根瓦の街並みを見下ろせるところが必須だったのかもしれない?、、では、この条件にかなった城を持つお隣通しの国、即ちチェコ・スロヴァキア・ハンガリーのなかで最も美しい街はどこか?プラハ?プラティスラバ?ブダペスト?これは自らに課した問いであった、、その答えはブダペストまで待つことにしよう‥、、

 さて、お城を散策し真下に広がる旧市街の街並みから遠くの山並みまで、その眺望を一時独り占めにしたわたしは城を下って、ちょうど城の真下にあったバスステーションに赴いた、、そこから郊外にあるデヴィーン城という、これまたドナウの川沿いにあるという廃墟となった城を訪ねるためであった、、プラティスラバは比較的小さい街だったので市内の散策にはそれほど時間を要しないと思われた、、で、午前中はせっかく買い求めた一日乗車券を有効に使うべくちょっと郊外まで足を延ばしてみようと思ったのだ、、本数の少ないそのバスは運よく20分待ちくらいであり、そこからが始発で終点まで行けばよかった、、バスは川沿いの道を走り途中から田舎道になった、、30分くらいで着いたけど終着のそのお城で下車した人はわたしひとり、帰りのバスは2時間後とのことだった、、目の前に廃墟のその城はあるはずだったけど数メートル先も見えない霧が立ち込めていた、、おそらく山あいの川は午前中気温の上昇にともなって毎日霧を発生させているのではないかと思われた、、ならばこの霧は遅かれ早かれ晴れるだろうと希望的観測を下し、たぶん目の前は素晴らしい景色のドナウが流れているのを想像しながら一向に晴れない川べりを歩いていく、、城址の入り口に着くと門は閉ざされたまま、、どうやら早すぎたようだ開門は10時からとなっていた、、あと10分ほど、それにしても人の気配がない、、しばらく門の前で待ちながらそのボードをよく見ると現地語なのでよくわからなかったが何やらオープンは火曜から日曜となっていて月曜は休みと読み取れる注意書きがあった、、オイオイオイ、今日は休みか?、そういえば先ほど訪れたプラティスラバ城も月曜休館となっていて中に入ることができなかった、、だから人がいなかったのだということに後で気づいたわけだが、ここも、いやもしかするとスロヴァキアの公共施設はすべて月曜は休みなのかもしれないとまで詮索してしまった、、しかしこういう時は決して諦めず、昔メキシコでそうしたのを思い出して、どこかもぐりこめそうなところはないかと探し始めた、、が、高さ数メートルもある堅牢な城壁で囲まれた城址にそう簡単に入れるわけがなかった、、やっぱりだめかぁ!、と諦めて帰ろうとしたときにその門は開いた、、何のことはない定刻10時、冬季(12月~3月)は月曜休みとのことだった、、狐に騙されたというか実際門を開けてくれた管理人の親父に入場料を払ったときにお釣りをごまかされそうになった、、ま、それでも開門から1時間ほどはプラティスラバ城と同様ここでもわたし一人、この城とそこからの眺めを独占することになった、、真下の碧きドナウが美しい、、はるかかなたの地平線まで眺めはほしいままだった、、ちょうど開門時間ぐらいに晴れ上がった空に川とは反対側の山々は緑が映えて、これまた絵になった、、見事な前衛の城であった、、

  一通り見学を終えて、帰りのバスの時間までまだ1時間ほどあった、、そこで待ちぼうけしていても仕方ないので、15分ほど歩いて大きな通りに出てみることにした、、もしかしたらその大通りを通る別のバスがあるかもしれない‥?、、その予想は当たってお昼頃にはまたブラティスラバ城の下のバスターミナルに戻っていた、、そこからすぐのところに旧市街はあって1時間くらいで歩き回わることができた、、こじんまりとしてそれでいてやはり中世の面影を残ており見所も結構あった、、昨日もう一歩踏み込んだらこの界隈に出られたのだ、、そこにはレストランや土産物屋がたくさんあって観光客で賑わっていた、、驚いたことに日本人の団体さんにも会ってしまった、、しかしこうした盛り場のレストランには入る気になれなくて(ま、入ったとしても料金はたかが知りていただろう、、昨日のレストランがそうだったように‥、、その昨日のレストランはそのすぐ近くにあった)そのままホテルに荷物を取りに戻った、、予定より少し早かったが礼を言って荷物を受け取り昨日のバス停まで下って昨日と同じ番号のバスに乗った、、まだticketの有効時間が残っていたので思いついて大統領官邸前で降りてみた、、写真を一枚撮っておこうと思ってのことだった、、大統領官邸の遠景を写真に撮っていると官邸の前庭?で音楽隊が演奏を始めた、、それほど多くない市民が柵の外から中をのぞいていた、、音楽につられてわたしも中を窺ってみた、、そこでは閲兵式のような儀式が執り行われていて外国(アフリカ系だった)の要人と思わしき人物とスロヴァキアのお偉いさんとで儀仗兵の前を行ったり来たりして捧銃を受けていた、、望遠レンズで一枚撮ったが、もしかしたら出迎えの要人が大統領だったのかもしれない(とするとこの写真はに写っているのはスロヴァキアの大統領)‥??、、

 昨日と同じ番号のトロリーバスでバスターミナルへもどったわたしはブダペスト行のバスを待つ1時間の間に売店で(パン屋さんだったか?)うまそうなサンドイッチを見つけ、それとコーラで昼食とした、、そしてガイドブックでブダペストの情報をあたってて初めてそこに(ブダペストに)日本人の方が経営されている安宿があることを知る、、しかも3軒も‥ ! !、、おー、これは有難い、、たまたま国際電話のできるケータイを持っていたのでそのうちの1軒に電話を入れてみた、、が、繋がらない、、国際電話のかけ方がよくわかっていないわたしは何回か番号を変えてやってみた、、すると何回目かで繋がって相手が出た、、日本語で女性だった、、こちらの事情を言って、もし今晩部屋が空いていれば泊めていただきたいと尋ねるとOKの返事をもらえた、、おーラッキー ! !、、今プラティスラバにいて15時のバスでそちらへ向かうが到着時間がわからず少し遅くなるかもしれない旨を伝え電話を切った、、あとから思えば到着時間は調べられたのだし、それは思ってたよりずっと早い時間だということがわかったはずだった、、しかしわたしはブダペストはそれほど近いとは思っておらず到着も結構遅くなるだろうとずっと思い込んでいた、、でも宿は予約したから心配ないと、珍しくいやそれは初めてのことだったかもしれない、わたしは大船に乗ったつもりでバスを待っていた‥、、


市街からプラティスラバ城2010_1011005jpg_blog

プラティスラバ城とそこからの眺め2010_1011_155854p1020704_640x4802010_1011_152247p1020700_640x480

ディーン城;4枚2010_1011024jpg_blog2010_1011020jpg_blog2010_1011_173702p1020717_640x4802010_1011_173505p1020715_640x480

プラティスラバの街と大統領府
2010_1011_185257p1020722_480x6402010_1011_195439p1020723_640x4802010_1011_195957p1020727_640x480大統領官邸ではセレモニーが行われていた‥、、