独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 12) プラハ/チェコ

 

 川沿いの建物が堂々とした中世の面影を残す緑多き落ち着いた美しい街ドレスデンを12時ころ通過してドイツ・チェコ国境近くの丘陵をバスは快適に進む、、ほんとに道がいい、、いつの間にか国境越え、しかししばらくするとその素晴らしい高速道は終わりとなった、、たぶんチェコの街だと思われる(国境線が定かでないので)山間の街を過ぎると一般の国道?片側一車線の道となる、、当然バスのスピードは落ちた、、が、やがて左手に美しき川が見えてきた、、美しき青きドナウ?エルベ川の上流だった、、古城なども現れどちらかというと単調だったそれまでの車窓はにわかに彩りを増しシャッターチャンスを狙った、、が、それもつかの間30分もすると今度はチェコの高速を走っていた、、川沿いを走る一般道のほうがはるかに趣があった、、やがて丘陵地帯の高速道を走っていたバスは街中に入ってプラハフローレンツバスターミナルに到着した、、14時05分ベルリンから5時間、近いものだ、、知らない街にはこのくらいの時間に着いてくれるとありがたい、、ここのバスターミナルも新しくて大きなものだった、、早速オフィスでここからのバスのスケジュールを聞いてみる、、わたしの希望は1,ブタペスト、2,クラクフ、3,ブカレストだった、、が、返ってきた答えに驚かされる、、その日は10月9日土曜日だったが、1,のブダペストは次の金曜日までなし(運行日金・土?)、3,のブカレストは次の木曜日までなし(運行日木・土?)、2,のクラクフはユーロラインの運行がないので他社で聞いてくれとのことだった、、いくらなんでもそんなに長くプラハに滞在しているわけにはいかない、、ではユーロラインパスで行けるところはどこなんだ?プラティスラバは?と食い下がる、、どうも言葉の問題もあってかあんまり親切さは感じられなかったがプラティスラバは毎日運行があること、、しかも1日何本もバスがあることが分かった、、では明日の便は?、7時・9時15分・13時・18時と4便あるとのこと、、素早く今後の予定を頭の中で組み直して明日の13時発を予約する、、その後の予定をすっかり組み直せたわけではなかった、、が、こうなればもう行き当たりばったりで行くしかないだろう、、行った先々でその都度調整していくしか手はなさそうだということがわかったからだ、、が、そうするとプラハは1日弱24時間もないということになった、、そうなると忙しい、、ここはユーロを両替しなければならなかった、、両替所でプラハの公共交通機関1日乗車券も買えたので、まずはそれを手に次の宿探しにかかる、、が、皆目見当がつかない、、思案しベルリンの経験からまず一番大きな中央駅のインフォメーションに行ってみることにした、、中央駅は地下鉄で一駅、地下鉄の入り口で時刻を打刻してプラットホームへ降りる、、どちら側の電車かわからない、、勘を頼りに来た電車に乗る、、逆だった、、次の駅で降り来た電車に乗って戻る、、その車中であらためて路線図を見てみる、、あ、もしかしたらこのラインではないかも知れない次の駅で乗り変えたほうが良さそうだ、、最初に乗車したフローレンツの駅で降り長いエスカレータで地下深くまで行って別の路線に乗り換えた、、確か一駅のはず、次の駅で下車し地上に出る、、鉄道の駅はあった、、しかしどうも様子が違う、、そこが中央駅ではないことに気付くのにそんなに時間はかからなかった、、少し小ぶりでローカルな感じがしたその駅はプラハ中央駅ではなくプラハマサリク駅だった、、結局最初の乗った地下鉄がやはり正解だったようだ、、そこから中央駅までは歩いて10分くらい?地図を頼りに歩くことにした、、駅前を路面電車が通っていたがこの際歩いたほうが良さそうだった、、角を駅に沿って左に曲がり大きな道を右に曲がってまっすぐ行くと中央駅があるはずだった、、が、そこに行く前にホステルと書かれた看板が目に入った、、ホステルなら安いだろう、とりあえず値段を聞いてみようと重い扉を開けて中に入る、、どうもホステルorホテルといった風ではなかった、、銀行のような窓口の向こうにいたおっさんに聞いてみる、、インド系のそのおっさんはしかし非常に親切に説明してくれた、、今ここのホステルは満室です、、だが系列のホステルが少し離れたところにある、、そこでよければ泊まれます、、料金は465Kcチェココルナ、だいたい20ユーロくらいとのことだった、、で、それはどこにあるのですか?と聞くと15分くらいのところにあると言ってそこの系列ホステルが5ヵ所くらい載っているプラハの地図をくれた、、15分ならそれほど遠くないと思ってOKを出した、、では支払いはここでしてくれとのことで両替したばかりのチェココルナで払った、、チェコの習わしなのかインドの名残りかわからなかったが、そのおっさんは大きな台帳のようなものを取り出し、わたしのパスポートをチェックしてその台帳になにか書き込みをし領収書だかクーポンだかを手書きで書いてわたしに渡してくれた、、その間30分くらいかかったかずいぶんと悠長な仕事ぶりだった、、ちょっとイライラしていたわたしはその手渡されたものを持って地図を頼りにその場所に向かった、、そこは中央駅の裏側に位置しプラハの中心街からは遠ざかる方向で地図を見ても道がよくわからなかった、、丘を登ったあたりでどうやら道を間違えたらしいことがわかり地図を見直して公園を突っ切って、およそ観光客には場違いな住宅街にある公共施設のような建物をようやく見つけた、、15分?とんでもない30分以上かかってしまい大汗をかいてしまった、、ここかなと半信半疑でまったく看板もなくホテルらしさもない建物の入り口をしばらく探し、たぶんここしかないと思われた重厚な扉を開けて中に入ってみた、、受付みたいなところにおばさんが一人いた、、英語を全く解せずチェコ語をまくしたてられた、、えっ?ここでいいのだろうか?恐る恐る先ほど渡された手書きの紙片を出してみる、、おばさんはとうにわかっていたようだ、、が、そこでもまたパスポートをチェックしたり書類に書き込んだりで鍵を渡してもらうまでだいぶ時間がかかった、、まいったなぁ、とんでもないところに来てしまったなぁ、という思いは拭えなかった、、一方的にチェコ語でまくしたてられながら部屋に案内してもらう、、一階のその部屋に入るまでに扉が2つくらいあった、、トイレ・シャワールームは別でそこの鍵も渡された、、やっと荷物をおろし一人になれたときすでにプラハについて2時間以上がたっていた、、さてどうするか?ここからどうやって街まで行けばいいのかと途方に暮れたが、ともかく時間があまりないのですぐに出かけることにした、、が、いろいろ聞きたくても言葉が通じない、、ガイドブック片手に身振り手振りでやってみるが埒が開かない、、ちょうどそこへ、未だにその建物はなんだったのか不明なのだが(ホテルというより何かの施設といった感じだった)そこは多くの若者が出入りしていて、一人のお嬢さんが入ってきた、、英語が通じた、、その彼女に教えてもらってこの建物の前の道を左方向にずっと行くと5分くらいで地下鉄の駅があることがわかった、、それさえわかれば十分だった、、なのでその建物は何であって彼女たちがどういう目的で出入りしているのかを聞く余裕もなく、礼だけいってその場を去る、、それだけわたしは焦っていたのかもしれない、、わたしは慌ててたので、ここに来るのに丘を登って30分も歩いてきたものだから大汗をかいてしまっていたが、そのまま着替えもせず、また靴下を脱いでサンダル履きのまま表に飛び出してしまっていた、、地下鉄の駅はすぐに見つかり1日乗車券を使ってプラハの中心部に向かった、、

 地下鉄だと旧市街まで30分とかからなかった、、地図で確かめた目的の駅で降り地上に出た、、ヴルダヴァ川にかかる橋のたもとであった、、そこから川向こうに見たプラハ城は確かに美しかった、、ずっとそこに佇んでいても見飽きない眺めであった、、しかし夕暮れも近く寒さを感じていた、、素足で来てしまった己の軽卒を呪った、、その橋はカレル橋ではなかった、、市電が行き交うその橋はカレル橋のひとつ北側にあって芸術家の家と呼ばれる建物とその辺一帯を雰囲気のある場所にしていた、、ここにも結構観光客がいたのだがそこからカレル橋を眺めるとカレル橋の上は人であふれていた、、歩いても近そうだったのでとりあえずそこまで行ってみることにした、、今や世界的な観光地となったプラハ、その代名詞がプラハ城とこのカレル橋だ、、無数の国の言葉が飛び交っていた、、ごった返していた、、ゆっくり歩くどころの騒ぎでない、、人をよけながら進むがなかなか先へ進めないほどであった、、皆カメラ片手に上気している、、もちろん団体さんも日本人も、、貧乏一人旅の観光客はわたしくらいではなかったか?結局対岸へは行かずに明日出直すことにして途中で引き返した、、旧市街の路地裏の風情を楽しみながらブラブラうろついていたが、我慢できない寒さになってきたので早々に引き返すことにした、、地下鉄の入り口を探してまたプラハの地下鉄に乗り山の手?にあるホステルに戻ったときあたりはすでに暗くなりかけていた、、地下鉄の駅近くにレストランがあるのを見つけていてホステルで着替えして厚手のものを羽織ってそこへ出かけてみた、、入り口はパブ風でちょっと入りにくかったが、手前はパブ風で奥はちゃんとしたレストランになっていた、、もちろん英語は通じチェコ料理のクネドーリキを注文してみた、、ビーフシチュウのような肉料理についてきたその小麦粉を練ったパンのようなものはシチュウにもビールにもよくあいうまかった、、本来はそれともう一品くらい何かの料理を頼んでチェコの夕食となるのであろうがその辺はよくわからない、、だから量的には少し物足りなかったがその安さに満足だった(ビールもいれてせいぜい500円くらいだったか?)、、ちょっと寒気がしていたので帰ってシャワーも浴びずに床に就く、、スチームがきいていて寒くはなかった、、ちょうどレストランから戻ったとき地元の旅行者らしき人が来ていたがいっぱいなので帰っていった、、最初ひどいと思ったこのホステル、あのプラハの雑踏でのものすごい数の観光客を目にしたとき、もしこの宿に決めてなかったらおそらく安宿は見つからなかったのではないかと悟った、、そう思うと今ここで眠れるのが幸運だったように思えた、、

車窓から;2枚、ドレスデンエルベ川沿いの城(場所は不明)2010_1009_184744p1020634_640x4802010_1009_194838p1020641_640x480


プラハ;3枚、芸術家の家とその前からプラハ2010_1009_235656p1020650_640x4802010_1009_235244p1020648_640x480
カレル橋のたもとにある旧市街橋塔2010_1010001jpg_blog

珍しくレストランで夕食をとる2010_1010010jpg_blog