独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 9 ) ベルリンへ

  今回の旅で最大の失敗はたぶん防寒対策が充分でなかったことかもしれない、、ヨーロッパの寒さを甘くみた?それでも一応は出発時が10月の初めだったので日本の12月、つまり初冬くらいの寒さを想定してダウンではなかったけれどベストとかセーターくらいは用意していた、、しかし10月1日にフランクフルトに着いたとき、すでに人々はみんな厚手のコートを身につけており、実際朝晩は相当冷え込んでいた、、で、持っている服を重ね着して何とか寒さをしのいでいたが、コペンハーゲンの東側スウェーデンの南の地といっても、そこはもう北欧だ、、特に前日の海風は応えたようで微熱は風邪の兆候に思われた、、それでも一か八かで飲んでみた得体のしれない薬が当たりだったのか、翌朝熱っぽさは消えていた、、で、その日は買い物がてらまた街に出た、、一番ほしかったものはあの飛行機以来頭から離れなかったカップヌードルで中華街で買えるとのことだった、、それは100円くらいで売ってはいた、、が、どうせならあの日本人のお店で買ってあげたほうがいいかなと思いなおしてそこでは買わなかった、、時間はたっぷりあったのでその店に向かう途中絵葉書を買ってまた図書館に寄った、、そこでコーヒーを飲みながら日本への初レターを書いた、、その間わたしの友人氏は図書館のパソコンを借りてメイルのチェック?その時わたしは初めて彼がメイルアドレスを持っていたことを知る、、えっ?なんでもっと早く教えてくれなかったんだ?アドレスがあるなら毎月2度も手紙を書く必要もなかったろうに、と思ったが、それはいわなかった、、たぶん彼はアナログとデジタルを使い分けており私信はできるだけ手紙にしているのではないかと思ったからだ、、いやそれ以前は彼はもっと頑固なアナログ派ではないかと思っていたくらいだから、むしろパソコンを使っていることに安心したくらいだった、、で、パソコンを持たない理由はただ単に図書館で借りられるのだから高いお金を出して買う必要はないということだった、、言われてみればまったくその通りだった、、コーヒーブレイクの後日本人が経営されてい.る前回寄った店に向かった、、そこにはもちろんカップヌードルは売っていたが、先ほど見たものの3~4倍の値段だったので結局そこでも買うのをためらってしまった、、でも何も買わないというのも失礼だと思ったので彼の奥さんへの土産としてスナック菓子を購入、そして少しお話を伺わせてもらった、、わたしが最も聞きたかったことはまだ30代前半と思われる美人の日本女性がなぜここにいるのかということ、、で、それはかなりプライベートなことだったが嫌な顔もせずに話してくれた、、すでにこちらに住み始めて6年くらいになること、当初はデンマークの方と結婚されてこちらに来たがその後別れられて今のパートナーと一緒になられて現在に至ってるとのことだった、、それ以上は聞かなかったがたぶんそのお相手の方との共同経営されてるのではないかと推測した、、お店を出されて2年くらいになるという、このマルモにはだいたい200人くらいの日本人が在住しており、スコネ県全体では400人くらい住まわれているのではないかといっていた、、でもだからこのお店をやっているというわけでなくお客さんの比率はむしろスウェーデン人のほうが多いとのことだった、、日本人がそんなにこの地に住んでいるとは想像もしなかったし実際見かけることもほとんどなかったからちょっと驚きだった、、また彼女のような若い日本人女性が商社マンや駐在員の家族として滞在されているのでなく、自分の意志でこの地に住み自らの道を切り開いていこうとしている姿には感心させられた、、北欧(or北欧人)の魅力を知って、あるいはこの地の住みやすさ(北欧ということではなく広くヨーロッパという意味で)を感じてのことかはわからないが、たぶんその両方かなと想像した‥、、

 さて、この日は確かにわたしにとってもわたしの友人夫妻にとっても余計な一日だったかもしれない、、マルモのオフィスでもらったユーロラインスカンディナビアのタイムテーブルによると2357つまり火水金日の運行があるはずだったが、あったかどうかわからないのだが火曜の便には乗れなかった、、いずれにしろヨーロッパの中心から見た辺境の地はルートはあっても便数は極端に少なくなる、、ましてコペンハーゲンからならdailyでどこかへ出る便があったようだがここマルモを通るバスは週3~4便に限られていた、、なので友人宅に迷惑がかかってしまったが彼らはまったくそんなこと気にしないでと言って、その日の夜も彼女の手料理を食べさせてくれたのだった、、そしてしっかりデザートまでごちそうになり明日の朝食にとサンドイッチまで作って持たせてくれた、、礼をいっても言い切れないくらい世話になって彼の奥さんに別れを告げ、9時過ぎにバスでバスステーションへと向かった、、少し早すぎたのかだれも来ておらずきっとこのバスはガラガラだと友人と話しながら10時20分発のバスを待つ、、が、そのうちだんだん乗客らしい人が集まりだして結構10人近い数になった、、それも今までの若い人たちと違って国籍も年齢も様々で旅行者というより仕事か用事でこのバスを利用するといった風の人たちばかりであった、、確かに今は旅行シーズンを過ぎてしまっていたのだけれど、それでも利用者が結構いるということだった、、だからもしかしたら昨日のバスは席が取れなかった可能性もあった、、そしてオスロ発パリ行きのその日のバスもほとんど満席状態であった、、バスの姿が見えなくなるまで友人はそこで見送ってくれた、、22時30分、10分遅れで出発したバスはコペンハーゲンで30分くらい停車したけれど乗り換える必要はなく、23時50分来るときに通った同じ道をハンブルグに向かって走り出した、、途中2時ころフェリーに乗船、4時40分にはハンブルグに着いた、、寝ぼけ眼のハンブルグバスステーションでは乗り換えのバスがよくわからなかったが、4~50分待ってなんとかベルリン行に乗ることができた、、デンマークのあちこちに、そしてマルモへ渡る長い橋からは海の中に林立していた、あの馬鹿でかい風力発電の風車?がこの道すがらもあちこちに見られ、その羽がゆっくり回転するのを眺めているうちにうとうとしてしまい気づいたとき珍しくバスは朝の通勤ラッシュの渋滞にはまっていた、、ベルリンが近いことがわかったがこの分では少し遅れるだろうと思っていると、バスは高速出ると間もなく大きなバスターミナルに着いた、、ベルリンだった、、わたしの時計は9時ちょうどを指していたから定刻着だった、、

(この記事は1週間くらい前に書いたのだけれど、保存を押したときにインターネットに繋がっておらず一瞬にしてすべてが消えてしまった、で書き直して再保存をしたら順序が後になってしまった、どうもその辺の操作がわからない‥??)

日本人のお店があった前あたり2010_1006003jpg_blog

帰りのフェリー2010_1007002jpg_blog

デンマーク側の港付近も風力発電の風車が林立していた2010_1003010jpg_blog