独歩の独り世界・旅世界

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エジプト周遊8日間  ( 9/6~9/13 )

 某有名旅行社の募集パンフのタイトルである、結論から言うとこのツアー、内容・価格とも充分満足すべきものであった、これまでほとんど旅行会社のツアーは利用したことがない、むしろ敬遠・軽蔑していた旅やさんのわたしが、なぜそのパンフレットに惹かれたか、その辺のところから記してみたい

 正直言って世界60余ヶ国をほとんど気ままなフリースタイルで回ってきたのだが、エジプトは未踏の地であった、いずれ行くつもりで後回しにしていたようなものだが、たまたま今回そのチャンスが来た、東ヨーロッパを放浪してギリシャまで下りクレタキプロスを経由してエジプトに入る旅を計画した、一人旅約2ヶ月の予定、計画を立て始めたのは今年の初めミャンマーから帰ってからのことだった、具体的に航空券の手配等に動き出したのは5月ころで9月末ころのticketを捜し始めた、何とか目途が立ちそうになったころ旅の予定を家族に明かした、と即座に奥さんと長男がエジプト行きたいと言い出した、本気か?自前だぞ、と確認したらそれで構わないという、何回か旅には連れて行ったことがあるが、エジプトは家族連れではしんどそうだったので、まずわたしは家族はツアーで行かせてわたしは現地参加をするという案て゜旅行会社に問い合わせた、そういうことが可能だし前に途中離脱をやったことがあるので何とかなると思ったが、もちろんそれは可能だったが思ったより安くなかった、そこで思案、その旅行会社のエジプトツアーはけっこう安くて内容も魅力的だったので結局わたしも同行することにし、ヨーロッパ行きと切り離して考えることにした、そして3名参加で旅行会社に申し込んだのは6月の初めだったが、すでに9月のツアーはキャンセル待ちの状態だった(それだけ人気があったということか?帰ってからの感想としては確かにあの内容からすると価格は安い、別の旅行会社の同程度の商品は1.5倍から2倍の料金になっていた、ツアーには添乗員さんが付いてくるのだが、その添乗員さんがこのツアーはお得商品ですと言っていた)

 しかし、確かに見学先の選定、ホテル・食事、移動手段等々観光旅行としては申し分なかったのだがか、一人旅を旨としてきた旅やさんとしては、所詮観光旅行、ツアーにそれを期待するのは無理とはわかっているものの、旅のおもしろさ-自分で作っていく旅のおもしろさはそこにはない、ないものねだりを言っても仕方がないが、つまり書き留めておきたいことはあまりない、ということに他ならない‥ということで、今回はただどこへ行ってどうだったかの記述で終わってしまうと思う

9月6日(1日目)13時10分発のエジプト航空直行便は30分遅れで離陸、12時間のエコノミークラスはやっぱりしんどい、その昔インド方面に行くとき格安航空としてよく利用したエジプト航空、今やそんな面影なくサービス等立派なのに感心、イスラム教国の飛行機であるが故アルコール類は出ない、そこだけが難点、成田で買ったビールは貴重品となった、カイロの飛行場も立派、出迎えのバスも立派、案内されたホテルも立派(一人旅では決して泊まることができない一流ホテル)、さすがに世界に冠たる観光王国のことだけはある(時差7時間ホテル着21時50分)

9月7日(2日目)午前中ピラミッド(クフ王のピラミッドの中も入る)、スフィンクスエリア観光、同じ会社の別のエジプトツアーや別の会社のエジプトツアーの中で、このギザのピラミッド観光が最後になっているのをいくつか見かけたが、ま、日程やさまざまな条件で仕方ないとしても、わたしはやはりこのピラミッド見物は最初でなければならないと思っていた、つまりそこはこだわった、やはりエジプトに来て最初に訪れるのはここしかないと‥このツアーの目玉の一つは1日300名限定のクフ王のピラミッドに入る(午前中150名とのことであったが、実際はそれ以上入っていたと思う)、というのがそのうたい文句で、それを実現するためにわれわれはそのticket officeの前に1時間前に並んだ、もちろん先頭だった、わたしはそのための企画・バスの手配・添乗員の誘導等に感心した、またピラミッドスフィンクスの観光等の時間も長すぎず短すぎず、なかなか適宜な配慮だと思った、何度も写真では見たことのあるピラミッド、やはり現物見なければ話にならない、見る価値ありだ‥そのあとのこれもツアーにつきものの土産物屋、これは頂けない、確かにすべて本物といってもそこのプライスはつまりツアー様料金、それを知ってかしらずか、それでもけっこうな人がパピルス画を漁っていた(そのあと個人的に訪れた土産物屋の価格と比べて同じものが2~5倍だった、本物か偽者かはわからないが、本物と偽者を区別できる日本人もあまりいないと思うが‥)、わたしからすると時間の浪費、というかそのための時間は適切でない、長すぎるように感じた

 昼食はタジン料理?味も量もOK、ただしモスレムレストラン、ビールが飲めない‥

 午後のツアーはモハメドアリモスク・考古学博物館・ハーンハリーリバザール、モスクは丘の上にありカイロ市外が一望に、あちこちにイスラム寺院・モスクが目に入る、空が澄んでいればピラミッドも見えるとのことだったが確認できなかった、晴れているのだけれどちょっと霞んでいた、ともかく暑い、早くバスに戻って水がほしい‥ラマダン明けのこの日、考古学博物館に向かう道は車が動かないほどの大渋滞、この日の朝からガイドを務めるエジプト人アフマドさんの説明では帰宅ラッシュとのこと、いつもラマダン明けのこの時間は大渋滞になるとのことだった、そのおかげですいていれば30分くらいの道のりを1時間かかって考古学博物館へ、今度は外国人観光客での大渋滞が゛待っていた、ツタンカーメンの黄金のマスク他貴重なものばかり、ゆっくり見るには一日では足りそうもない、そこを1時間半の駆け足、エジプト5000年の歴史的展示物のなかから最低これだけはき見逃さないようにと案内してくれたが、いかんせん時間が足りないのとツタンカーメンの部屋以外は冷房設備のない超満員の博物館、けっこう疲れる、しかしエジプトにきて逃してはならないところだ(いや、エジプトというところはそういうところばっかりだぁ‥)

 夕刻1時間半ほどイスラム地区のハーンハリーリバザールでの自由時間があった、こういうところが我々の好きなところで早速あまたある土産物屋を冷やかしに、が冷やかしのつもりがそうはいかなくなる、これいくら?と聞いたとたん、まぁ最終的には相手の言い値の5~10分の一で落着させたものの、結果的にはすべからく買わされていた、が、それでもそこはそれお互いに満足してのことである、そのやり取り・駆け引きが面白いのだが、どうやら38人のグループ中、そこで何らかのお土産を買ったのは我々だけだったようで、他の人たちはガイドさんと一緒にオープンテラスのカフェでお茶を飲んで休んでいたようだ、そのあたり数件が連なるたぶん観光客目当てのカフェは日没後ラマダン明けで食事を楽しむ地元の人でいっぱいになっていた、その雑踏を我々を乗せた大型観光バスは無遠慮に分け入ってギザの鉄道駅に向かう、その夜の夜行寝台列車を待つことになった、列車を待つ間ビールを探して駅前をうろついてみたが、アルコール類を扱っている店は一軒もなかった、諦めきれずに車中の人となったが、寝台列車そのものは悪くはなかったが、夕食に出された弁当はひどかった、ぱさぱさのパンのようなものが二つだったか?それこそビールでもあれば食べれたかもしれないが、水気なしではのどを通りそうもなかった、ひとつ食べるのが精一杯で、疲れが出たか寝台車で眠りに着いた(あとで食事のときにこのときの汽車の食事のひどさが話題になった、そのときの結論ととして、あくまで想像だが1、たぶん一般の乗客に対しては車内の夕食サービスはないのではないか?2、つまり旅行会社が我々のために特別の注文を出しているのではないか?3、エジプト人に弁当の習慣がなく、また予算等であんなものしか出せなかった可能性がある、4、恐らくみんながみんな、この食事だけはいただけなかったということで、最後のアンケートに書いているだろうから、今後改善される可能性はある、というものだった)

9月8日(3日目)夕食だけでなく、当然予想されたがこの朝の車内食も推して知るべし、ほとんど手をつけていない、カイロ発昨夜20時の列車は9時にアスワンに着いた、早速バスに乗り込みアスワンダム、アスワンハイダム、切りかけのオベリスク見学、そのあとバスは一路アブ・シンベル神殿に向かう、あまたあるエジプトツアーの中でこのツアーを選んだ理由の一つにiこのアブ・シンベル神殿にいくか行かないかがあった、あまたあるここだけは逃せないエジプト観光ポイントのこれまたその一つである、そのスケール、その見事さ、その歴史的変遷、どれ一つとっても説明しているときりがないので省略してしまうが'(知識・描写力・時間が今不足している)期待にたがわず見ごたえのあるものだった、やはりここも逃してはならない、来て良かったと思う、そこにたどり着くまでの行程が、ここを省いてしまうツアーが多い理由の一つであろう、つまりアスワンから片道3時間往復で6時間ただ砂漠の中を走り続けてやっとたどり着くところにあるからだ、道は舗装されているもののその間民家はおろか警察(軍?)の検問所以外は何もない、あまりきれいな砂漠ではないが砂漠以外何もないという風景を楽しむことはできる‥ということでその日アスワンに帰り着いたのが19時、この日の昼のバスの弁当(列車の弁当よりはましだったが、大同小異といったところか)もいまひとつだったのでちょうどお腹のすき始めたころだった、アスワンに停泊中のクルーズ船に乗り込む、このツアーを選んだもう一つの理由がこのクルーズ船にあった、うたい文句では5つ星の豪華ナイル川クルーズ船となっていたが、確かにキャビンはデラックスホテル並み、もっとも期待していた食事も申し分なかった、ビールも高いけど飲めたし‥たぶん個人でも乗れるのだけれども果たしてそのお値段は??いずれにしろ個人で来ていたらたぶん躊躇していたと思うから、このうたい文句は魅力となっていたし実際3泊4日のナイル川クルーズはほんとにリラックスできた船旅だった、息子も奥さんも大満足してくれた、それを計算にいりていたわけではないだろうが、この船の食事(朝・昼・晩、ビュッフェスタイル)で列車とバスの弁当のひどさは帳消しになったようだ‥

9月9日(4日目)昨夜アスワンを出航したクルーズ船ミスワールド号はたぶんその夜のうちにコムオンボ(KomOmbo)に着いていたと思う、朝起きたときには船上デッキで、ほんとに船着場の目の前にあるコムオンボの遺跡から上がる日の出を拝むことができた、船着場の前が遺跡でそこから日が登るなんて場所はそうはありそうもない、何枚もシャッターを押したが失敗作ばかりだった、朝食後下船して遺跡見学、何せほとんど歩くことのないところだったので約1時間で乗船し船は再び岸壁を離れた、ナイル川は川幅も広く流れ穏やか快適なクルーズだった、午前中だけでも3時間余の自由時間はデッキで過ごすもよし、わたしのように洗濯をするのもよし、うたた寝しようが手紙を書こうが自由、このゆとりがこのツアーを魅力的にしていると思う、昼食後はエドフ(Edfu)・ホルス神殿、ここは船着場から離れており、そこへ行くのに乗合馬車を利用、特に観光客相手というわけでなくこの地の足は馬車がタクシー代わりとなっていた、もちろんそれもツアーに含まれており、そのために10台の馬車が用意されていた、馬車好きのわたしは早速御者台に席を占め手綱を握らせてもらった、コムオンボ神殿にしろエドフ・ホルス神殿にしろ、いずれも見ごたえのある遺跡であった、そしてまた午後は三々五々思いのまま過ごした、ただし船上で(夕刻にアフターヌーンティパーティあり、夕食後はガラベーヤパーティあり)日没後に船はエスナの閘門を通過、ちょっとこれもおもしろかった、暗くてよくわからなかったが船は船幅ギリギリの閘門を2箇所通過し下流のほうの閘門でゲートが閉まり水位調整(我々の場合は水位を下げた)をし再び下流に向かって進みだした、たぶん乗組員がもっとも緊張する時間、もっとも船員らしい仕事に取り掛かった時間だったと思う、その様子をつぶさに見物、退屈を紛らす意味で格好の見ものであった、それが終わると食事、だいぶ和んできたグループのあちこちのテーブルで談笑が絶えなかった、ピールの量も増えてそのムードはガラベーヤパーティへ繋がっていった(自由参加で船主催だと思うが、乗客の大半が我々のグループだったからか、パーティの司会をわがツアーのエジプト人ガイドが勤めていた)

9月10日(5日目)クルーズの日程は旅行会社が決めるのではなく、当然のことクルーズ船のほうで決まっているのだと思う、それに旅行会社が日程を合わせているのだと思う、だからこそ日程に余裕があるのだと思う、何故なら他のツアーは見ればわかることだけれどこの日停泊していたルクソール(昔のテーベ)は東岸西岸とも重要な見所が多く、短いツアーだとそれを一日で回るという、大変ハードなスケジュールになっているものが多い、その点、たぶんヨーロッパの観光客をターゲットにしているクルーズ船は決してそんな無理をせずに、東岸1日西岸1日と余裕を持たせている、炎暑のルクソール見学はそのくらいでないと体か持たない、この日は午前中に東岸の要所カルナック神殿ルクソール神殿を訪れた(午後はもっと暑くなるから午前中の観光は必須)、9時の時点で相当の暑さ、またカルナック神殿ルクソール神殿もいずれも世界遺産、大勢のほとんどヨーロッパからの観光客で大賑わい、いずれもそれだけの価値が充分ある遺跡だ、こうもこれでもかこれでもかと世界遺産のオンパレードだと感覚が少し麻痺してくる、しまいに暑さでどうでもよくなってくる、それでもいずれも必見の、逃してはならない最重要遺跡とだけ記しておこう、この日は二つの神殿をバスで巡り、例の土産物屋さんによって船に戻る、昼食後は自由時間、明日もここルクソールの西岸観光なので船は動かない、下船は自由なので午後われわれは街に出る、ま、わたしは旅慣れているので充分注意してくださいと言われてはいたが、船着場にたむろする馬車のお兄ちゃんに声をかけ料金交渉、土産物屋に連れて行くことで3人で乗って3ドル(これでも高いはず)で話がつきルクソールの街に繰り出した、年若く人相も態度も不埒であったが、彼はちゃんと約束を守り町外れにある土産物屋に連れて行ってくれた、そこに入ると早速売り手が出てきてここに出ている商品の半額で提供しますと言ってきた、なぜかわかるかと聞く?わからない、ラマダン明けの正月だから?と聞き返すと、このプライスは観光バスで来た人のいわゆるツーリストプライスです、と言っていた、ほんとかどうか知れたものではないが、実際我々のガイドが案内してくれる店よりは遥かに安かったのでだいぶ土産を仕入れることになった、われわれは満足して馬車の人となり街中を巡り歩いて船に戻った、初めのうちどこに連れて行かれるかわからないので奥さんはずいぶん心細そうだったが、息子はこの散歩を大いに気に入ってくれた、旅はこの自由・そぞろ歩き・ちょっとした冒険が初心者には楽しいのだ、この夜が最後の夜だったので夕食後ビールの清算となった、なんと我々は4日間で120ドル(1本6ドルくらいだったか?)もビールを飲んでしまったらしい、あいにくエジプトポンドを持っておらずドルで払おうとしたら換算レートがえらく悪い、そのことを言うとまだ両替所が開いているから、行ってくればと言う、もう夜の9時を過ぎている、半信半疑で場所も聞かずに夜の街に一人で飛び出した、たぶんこれは初心者ではちょっとした冒険の域を出ていると思う、そこは経験者鼻が利く、大まかに地理をつかんでいたので盛り場を目指す、ものの10分とかからなかった、何のことはないそこは土産物屋が連なる裏通りでほとんどの店は開いていた、初めから土産物探しにここにくればすんだことではないか、ガイドは決してこういうところを教えない、2,3土産物屋を冷やかし両替できないか聞いてみた、1軒の店の主人がその息子に両替所に連れて行くよういい、親切にもわたしを連れて行ってくれた、後から気づいて後の祭りになってしまったが、わたしは彼にチップを渡すのを忘れてしまった、首尾よく両替して船に戻りビール代を払った、両替したおかげで10ドルは得になったようだ、後で息子にその話をしたら一緒に行きたかったと残念そうだった、これも後から気づいたことだがなぜ息子を誘わなかったかと、これまた後悔した、どうも思慮浅き行動が多すぎる、軽率というものだ(昔から)‥

9月11日(6日目)朝食後下船となりバスでルクソール西岸王家の谷に向かう、ここも見所多く、特にツタンカーメンのミイラは必見、そのあとticketは公開されている墳墓(62にある墳墓のうち10くらい?)のうち3ヶ所見学できるという、何ヶ所かガイドさんがお勧めしてくれたけど、2ケ所はガイドさんの忠告に従い残り1ケ所は一番奥にある34番トォトモセ3世の墓を詣でた、階段を登りそして階段を降った墓室(玄室)は二重構造になっていて壁画(線描画)が美しかった、ほとんど人の来ない蒸し風呂のような穴蔵に一人年老いた番人がいていろいろ説明してくれたので少々バクシ-シを施した、まだ多少の時間があったのでもう一ヶ所の突き当たり22番セティ2世墳墓を訪れる、ここも訪れる人は少なさそうだったが、ちゃんと番人がいてticketのチェックをしていた、すでに3ヶ所回っていたので諦めて帰ろうとしたら、誰もいないのをいいことに入っていいという、バクシーシ目的かと思ったが金を要求する風でもなかった、そういう時は逆にこちらから渡したくなる、一通り見終わって帰りに小額のチップを渡した、王家の谷の後は例によって土産物屋、旅の終わりも近くなってきてみんな必死だ、高い・安いを言っていられない、なにしろ土産物をゆっくり捜す時間がないのだから仕方がない、こぞって買いあさっている感じ、いいかもになっている、わが家族も例外に漏れず(もちろんわたしはその例外ですが)つづいてハトシェプスト女王葬祭殿、イヤーほんとにこれでもかこれでもかと続くエジプトの古代遺跡には圧倒されっぱなしであった、メムノンの巨像を見てナイル西岸船着場の近くで昼食、シシカバブ料理の昼食は悪くなかった、ルクソールに戻り最後の土産物屋、そこは香水と香水ビンの店だった、時間調整も兼ねてかたっぷり2時間、店の売り上げガイドへのチップもはずんだことであろう、おかげでその後のフリータイムは1時間くらいしか与えられなかった、大急ぎで昨日夜徘徊した土産物屋通りへ、駆け引きを楽しむ暇もなく若干の土産を(それにしても香水ビン一つ買う値段でどれほど面白く雑多のものが買えることだろう、知らないということはそういうことだ)駆け引きついでにコシャリを買えるところを聞く、親切な奴がいてそこまで連れて行ってくれた、昨日といい今日といいここの人たちは、見かけは怖そうだけどみんな実に親切な奴らだと思った、ほとんどは金目当てかもしれないが、それがあからさまでない奴にはやはりこちらから小額渡すべきだと思う、この日はチップを忘れなかった、こうしてあわただしくも夕食のコシャリを手に入れバスに戻る、グループの大半はエジプトしバージョンの土産があるマクドナルドに押しかけたようだった、マックのポテトの匂い漂うバスはルクソール空港へと向かった、チェックイン後あわただしくコシャリを腹に収め(ゆっくり味わえなかった)飛行機は21時ルクソール空港を飛び立った、ルクソールそして隣町エナの光が美しかった、その後カイロの夜景が見えるまで灯りの見えたところはなかった

9月12日(7日目)当初最終日のフリータイムはオプショナルと同じコース(メンフィス・サッカーラ・ダフシュール観光)をタクシーをチャーターして回ることを考えていた、我々は家族なのでそうすればオプション代金1人分くらいで行けるはずだった、しかしそれはわたしだけの考えで奥さんも息子もそれより最初の日に行ったハーンハリーリをうろつき、まだ充分でなかった土産モノを探すほうを望んでいた、わたしもフリータイムが13時までということを聞いて、二人の案に従った(夕方までのフリータイムだったら両方が可能だった)、それでもギザのはずれにあるこのホテルで流しのタクシーはつかまえられないとのこと、仕方なくホテルのフロントでチャータータクシーを貸し切るしかなかった、9時から13時まで4時間拘束で35ドル高かったけどホテルの口利きでは交渉の余地がなかった、それでも誠実そうな年配の運転手は我々の要望をきちんと聞いてくれ、がらがらのハイウェイを飛ばし初日に1時間はかかった道を30分でハーンハリーリまで連れて行ってくれ、降りた場所に12時に来ることを約束し、ハーンハリーリのムイッズ通りは是非行ってみなさいと勧めてくれた、早く着いてしまってまだ土産物屋が開いておらず、お勧めにしたがってムイッズ通りを散策した、そこはタクシーを降りたところのガーマ・アブル・ダハブから始まってガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムに至るいってみればモスク通りであった、いったいいくつのイスラム歴史建造物(主にモスク)があったことだろう、確かにここもカイロのもう一つの顔であった、筋違いを元の場所に引き返すころ土産物屋はオほとんどオープンしており、最初の日に土産物を買った店に再び顔を出す、が、そこにはその日いたお兄さんはおらず別の若者が店番をしていた、一応何日か前に来たものだけど、と言って物色にかかる、ともかくラストデイなので二人とも必死、わたしには土産を買っていく人がいないからいいものの二人は現役の会社員だから、あの人この人と数十個単位の土産が必要だったようだ、2時間はあっという間に経ち時間切れ、それでも徹底的に交渉し(交渉役はわたし)ま、それほどの出費をせず、それなりの成果はあげたようであった、が、いずれにしろ時間が足りないとこぼしていた、何しろ昼食の時間も惜しんだので12時にきちんと約束どおり待っていたタクシーの運転手にどこかテイクアウトできる店に寄ってくれと頼んだでみた、彼はわたしの意向を確実受け取ってくれエジプトで有名なファーストフードの店に連れて行ってくれた、そこで手に入れたケバブのサンドイッチ、シュワルマは安くて大変おいしてものであった、これぞエジプトのファーストフードこれをホテルのロビーでパクついて、短いようで長かった(長いようで短かった?)エジプトの旅を噛みしめるのであった

9月13日(8日目)長いようで短かったのか短いようで長かったのか、どっちかよくわからないが、あの後バスは飛行場に向かい、また12時間飛行機に乗って9月13日お昼ごろ成田に無事帰着、親しくなった仲間に別れを告げた、特筆すべきこととしてこの旅行会社の企画の良さとその内容にしては比較的安いと思ったこと、さらに感心させられたのは見かけはまだ30前のうら若き乙女の添乗員女史、大丈夫かなと心配したのだけれど、なんとその彼女の心身の強靭さ、若者から年寄りまで実に幅広い年齢層のわがままの多い客38人をきちんと束ねたその力(それがなんともやんわりと絶妙な按配で)、しっかりと添乗員魂を備えたいたことがこのツアーの成功の何よりの鍵だったと思われる、たぶん独身だと思うけれど旅を愛し仕事に惚れこんでいる彼女、なんと輝いていたことか!!その彼女にお礼を言って成田を後にした‥

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