独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 15)クエルナパカQuernavaca、タスコTaxco

 しかし所詮ガイドブックがなかったとしても、メキシコの名所巡りはガイドブック的にならざるを得なかった、そのわけはどこでも観光案内所みたいなものがあったり、観光そのものがマニュアル化していたからである(観光政策が行き届いていた?確立していたともいえる)、プエブラのツアーバスメキシコシティのturibusもその現われと見て取れる(たぶん私企業の観光バスというより観光行政の一部のように見受けられた)、そういう意味では次の日に訪れたクエルナパカQuernavacaもタスコTaxcoも同様であった、、また、クエルナパカ・タスコを回る一日ツアーもシティから結構出ていたのだった(50ドルくらいからあり、カンクンチェチェンイツァのツアーもそうだったが、それほど高くはない)、だから、あえてわれわれがわれわれの旅としたところがあるとすればそれはそこへの行きかただけであった、、ま、(世界中)どこでもそうなのだけれど多少の出費を覚悟すればツアーバスのほうがはるかに楽である、、しかしあまり余裕のある旅でもなかったし、それをあまり面白くないと思っているわたしはまず南方面のバスターミナルのあるタスケーニャTasquenaに地下鉄で向かった(そういう時奥さんは言っても無駄とあきらめているから一応は黙ってついてきてくれる)、、

 これも以前書いたかもしれないがメキシコシティには大きなバスターミナルが東西南北にそれぞれあってみんな地下鉄とつながっている、だからどのバスターミナルにも3ペソで行けるということである、、そしてこのバスターミナルがどれも巨大で会社別にプラットホームが分かれていた、、その中では比較的小ぶりなのが西方面とこの南方面バスターミナルで、それでもプラットホームは数十あったと思われる、、クエルナパカはモレーロスMorelos州にあるのでいくつかあるバス会社からPulman de Morelosを選んで次のバスを問い合わせてみると10分後にでるとのこと、だいたい20分おきくらいにバスは出ているようであった、、クエルナパカまでは1時間15分ひとり86ペソ(500円くらい?)だった、、

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098_640x480上2枚カテドラル、下5枚コルテス宮殿

  クエルナパカはシティから南に90kmモレロス州の州都で起伏のある高原の街という感じであった、見所はそれほど多くなく、またそのエリアもすべて歩ける範囲にあった、、われわれはそのうちの2ヶ所を訪れたに過ぎない、最初にカテドラル、その教会の内壁の壁画が1597年豊臣秀吉キリシタン弾圧によって処刑された26人の日本人カトリック教徒と外国人宣教師を題材とした日本26聖人殉教壁画が残されていることで有名で、なかなか歴史を感じさせる要塞のような教会は興味深いものがあった、、次に訪れたのはコルテス宮殿、ここはメキシコの征服者エルナン・コルテスHerna Cortesが建てた宮殿とのこと、そこもまた宮殿というより城砦といったほうが適切な堅牢な立派な建物で今は歴史博物館としてその当時の資料や征服以前の先住民の遺跡からの出土品、またモレロス州の歴史等の展示がすばらしく、その中でも次の2点は特筆すべきものとして紹介しておきたい、一つはメキシコを代表する画家ディエゴ・リベラDiego Riveraがモレロス州の歴史を描いたとされる壁画や民衆を描いた作品群、もう一つはわが敬愛するメキシコ革命の英雄エミリノア・サバタEmiliano Zapataの写真や資料がたくさんあったこと、いずれにしろ価値の高い歴史博物館であった(入館料ひとり46ペソ)、、さて、そのコルテスの宮殿は街の観光案内所もかねていた、そこで地図とパンフレットをもらい、タスコへ行くバスについて聞いてみた、それは2つ会社があるとのことで、そこのセニョリータは親切にその場所を地図で示してくれたのだけれどそのバスの時間とか本数までは聞かなかった、、どちらも1時間に1本くらいあるのではないかと勝手に推測してしまったからだ、が、それで危うくタスコに行きそびれることになった、、コルテス宮殿を出て、教えられたひとつの会社に歩いて向かった(それはPulman de Morelos ではなかった)、そこは歩いていったことを悔やむくらい遠かった、人に聞いて確認しながら30分くらいかかって着いたそのターミナルでタスコ行きのバスは夕方までないことを知らされる、またもわたしの思い込みが災いしてしまったことを思い知らされる、つまり確かにクエルナパカ・タスコ、二つの街を巡っての日帰りは可能なのだが、それはバスの乗継がスムーズだったらという前提があった、そのバスがないとそれは不可能になる、どちらかというとクエルナパカよりタスコのほうが重要だったから焦った、このときばかりはタクシーを使った、もうひとつの会社のバスの情報はまったく持っていなかったがすがる思いでそっちに賭けてみたのだ(さっきちゃんと情報を聞いていればこんなことにはならなかった)、すでに12時に近かったからもしその会社からのバスがなければタスコはあきらめねばならなかった、、その賭けはギリギリでかなった、なんとそのバスターミナルに着いた5分後に出るバスがあったのだ、、われわれは何とかタスコまで行くことができた、、

 タスコには以前来たことがあったが、それは40年も昔のことだった、が、少しは記憶に残っていた、わたしの記憶に残っていること自体が特別のことだったからとってもいい印象として残っていたことはまちがいない、ま、だからここは連れてきたほうがいいかなと思ったのだった、高原の山肌にかつての栄華を誇るように赤い瓦屋根と白い壁の家々が軒を連ねている、、全体がコロニアル様式で統一された街並み、細い石畳の路地を行くと教会があちこちにある、それが山間の風景とマッチして、どこをとっても絵になってしまう、街全体が中世にタイムスリップしたような、訪れた人をひきつけてやまない趣きを漂わせている、、そこは昔、銀山で栄えたコロニアル、鉱山の街であった、、今では(40年前も、そのずっと前から)メキシコシティにきた旅行者が必ず訪れるほどの人気観光地となっており、その美しさを称えない旅人はいない、といわれるほどメキシコのドル箱となっていた(銀山だったこともあって銀細工銀製品も有名)、、

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102_640x480タスコの街並み
 
  タスコに着いて、帰りのバスがだいたい1時間に1本あることを確認して早速街の中心サンタプリスカ教会La Iglesia de Santa Priscaのあるボルダ広場を目指して石畳の坂を登りだす、、結構急で狭い石畳みの道なのに一方通行の道をタクシーがしきりに往来している、そうか、登り下りが多く歩きにくい道だからタクシー利用者も多いのか?奥さんもこういう道は苦手ですぐにどこかで休みたがる、それでも20分くらいかけて広場まで登りついてその広場に面しているレストランに入った、、もう昼をだいぶ過ぎていたので、そこは客がおらず、ひとり占めした2階のテラスからのながめがまたよかった、、遅い昼食、ビールつきでのんびりすごす、、この街は特に気に入ってくれたようで、どちらかというと歩き回るより土産物屋のほうに集中してしまって、最後の土産を大量に仕入れていた、、滞在時間3,4時間くらいであったが帰りのバスでここに泊まればよかった、といっていた、、17時のバスでメキシコシティに戻る、メキシコシティまでは175km、3時間であった、、、