独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 12)キューバの正月

  2012の正月はキューバで過ごすことはわかっていた、というより、そのつもりで計画を立てていた、その計画はこんなもんだった、、キューバでの新年、もちろんキューバの新年はいかに?という興味もあったが、わたしはこの日、ひがな一日あのヘミングウェイがこよなく愛し、またかの有名な‘老人と海’の舞台となったコヒマルの海岸で過ごすのは悪くないシチエーション(situation状況設定? )ではないかと考えていたのだ、、もちろんコヒマルには行ったことがなかったしあくまでも想像の世界でしかなかったのだが‥??で、それを実行した、、

 前日の深夜、撒き水に濡れた道をわれわれはルイス氏に連れられてタクシーでルイス氏宅まで戻った、彼はいった、水に濡れているのはダウンタウンのオールドハバナだけだと、確かにそこを抜けると道路はいつもと変らなかったし大晦日の喧騒もなくなった、、

 明けて新年、ま、ルイス氏宅界隈は特にいつもと変わった様子もなく、挨拶にFeliz Ano Nuevo 新年おめでとうという言葉もとくには聞かれなかった、、が、そのあとタクシーでヘミングウェイ博物館に向かう途中、街の雰囲気はやはりどことなくのどか、のんびりした感じで車の量も少なかった、運転手にtranquilo(静かとか穏やかの意、よく出てくる言葉)だね、というと彼は静かにうなずいていた、、その朝、われわれのその日の予定を知って同宿の若者Takuto君も同行してくれることになり3人の割り勘ということでタクシーを呼んでもらった、そのタクシーが来たときにドライバーにヘミングウェイ博物館 Museo Ernest Hemingwayに行ってそこで少し待っててもらってそれからコヒマルの海岸に行きたいのだけれど、いくらで行ってくれるか聞いてみた、わたしとしては、ま、たぶんコヒマルに着くまで3時間くらいの貸切になるだろう、何とか1時間当たり10cucくらいで収まらないか(つまりトータル30cuc、一人当たり10cuc)と目論んでいた、と、そのドライバーはいとも簡単にいった、メーターで走るからと、、

 ヘミングウェイ博物館までは結構遠くて3,40分走ったか?それでも開門時間の10時ころにちょうど着いた、、そこはすばらしい邸だった、ヘミングウェイが1939年から1960年まで過ごしたというここFinca la Vigia はさすがにというか、その立地・敷地、建物・調度品等々そのすべてがすばらしかった、、そのすべてが遺品として残され当時のまま公開されている、十分に見ごたえのあるものだった、ま、男としてもっともうらやむような生き方をした男と思わずにはいられなかった、その邸には彼の執筆室だった高い塔のような建物があって、そこからは遠くにハバナの中心街の建物が望まれた、おそらくそこからの夜景もすばらしかったであろうし、もしかしたら海も望めたかもしれない、、しかし彼はそんな男ではなかった、夜景を楽しんでいたのでなく毎夜その夜景のあるところで飲んでいたのであり、海を望んでいたのでなく、その海で大魚と格闘していたのである、、そのピラール号も素敵な庭の一画に当時のまま保管されていた、、広大な邸だけれど家の中には入れず指定されたところからの見学にそれほど時間はかからなかった、しかしこんなところに住んでこんな生活ができたらという羨望はなかなか消えなかった、、

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2012_0102_001846imga0252_640x480蔵書?

2012_0102_002308imga0253_640x480執筆室?高い塔のような建物の上にある
2012_0102_002911imga0259_640x480ピラール号

 待っててくれたタクシーに乗ってコヒマルの海岸に向かう、やはりう3,40分かかったか?写真で見ていた海辺の要塞、その近くにあるヘミングウェイの胸像のある公園でタクシーを降りた、、料金は31.5cucそれに少しチップを上乗せしたが、当初の想定とさほどかわりはなかった、、で、そのあたりでそれぞれ思い思いの時間を過ごすことにした、、

 もちろんカリブの海は青くて美しかった、けばけばしさのまったくない、まさに老人と海に出てくるような素朴さは残されていた、暑つ過ぎず寒くもなく、それでいてカリブの太陽がまぶしかった、ひとつだけイメージが違ったのはてっきりそこは浜辺かと思っていたが、護岸工事?が施された磯で、軍の施設ということでは入れなかったが、その要塞のある辺りは波が散っていた、のんびり釣りをする人たち、ひがなポケッとしていたくなるようなイメージは想ったとおりであった、、その辺りをうろついていると向こうに浜辺があることに気づく、ちょうどテラサ軒の辺りを通っていくとその浜辺に出られた、、全体としてまったくのんびりとしていて、その時空をしばらくさまよった、ほとんど観光客も見当たらなかった、、

2012_0101_103449p1030400_480x640_2胸像のある公園
2012_0102_011019imga0263_640x480公園と要塞の位置関係、なおこの要塞は軍の施設のため入れなかった、、
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2012_0101_105449p1030402_640x480真ん中奥が要塞?左端の建物がたぶんテラサ軒

 で、ちょうどお昼時、ま、多少高いのは仕方ないが今日は正月ということで、そのテラサ軒で食事をするのも悪くはないかと、一応そのつもりではいた、そこには他に適当なレストランも見当たらなかったし‥、最初キューバ行きを計画していたころ、この老人と海に出てくるテラサ軒が今でも営業を続けているとは知らなかった、それを知ってもにわかには信じ難かった、では、行って確かめよう、そしてもし実際あったら入ってみようと思っていたのだった、、予算の見当はつかなかったし、また彼がどの様な旅をしているのか知らなかったので一応彼にその件の確認はとっていた(つまり誰にも旅の予算というものがあって、聞いてみるとわれわれよりリッチなくらいだった)、Takuto君は若いのにヘミングウェイを知っていたし彼が好きだというようなことを言っていたのでテラサ軒での昼食に異存はないとのことだった、店に入ると意外とすいていた、というか客はいなかった、ヘミングウェイの予約席のほかに大きなテーブルが予約されているだけだった、海側の席に着く、写真がいっぱい貼ってある、カストロの顔も見える、そんな写真をさらに写真に収める、やってきた給仕からメニュウを受け取る、それほどびっくりするような値段ではなかった、、しかし迷ってしまう、どれが適当な料理なのだろう??それぞれがどんな料理なのだろうか?ま、こういうときは聞けばよいのだろうけど、聞いてもよくわからないのだから50歩100歩だ、いつものように適当にあてずっぼで頼むことにした、トリニダの例があるではないか、当たればすごいものが出てこないとも限らない、、そんな頼み方をしてしまった、結果は大失敗となった、、たぶんその期待する気持ちがあったからだ、トリニダのときはなんら期待・予測はしていなかった、そういう時果報が待っている、現に何ら予測も期待もなく無難な料理を選んだTakuto君の料理のほうがずっとうまそうで価値があった、、われわれはその海鮮パエリャがものすごいボリュームで全部食べきれないからといって少しそのご相伴に与った、、この心優しき若者よ ! で、それはうまかったのであった、、そんなこんなで2012の正月をビールで乾杯、キューバの正月をテラサ軒でめでたのであった、、

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 2012_0102_031352imga0280_640x480ヘミングウェイの指定席
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2012_0102_024622imga0279_640x480このボリューム ! !たしか10cucくらいだったと思う

 意外だったのは、ま、その日もあとからアメリカ人らしい観光客が何組か来ていたが、日本人の観光客も結構きているらしいということだった、それがわかったのは例によって専属のバンドがいてチップ稼ぎにそれぞれのテーブルを回っていた、われわれのところに来て彼らはわれわれが日本人だと知って何曲か奏でてくれたのだけれどその中にハポンハポンJapon・Japonという曲があった、帰り際にそのことを聞いてみると、それは彼らのオリジナルで、そのメンバーの誰かが日本人のために作ったといっていたのだ、、たぶんツアー客だと思うが、こんなところにも結構来てるんだと、そのために作曲までしてしまう彼らとあわせて、感心してしまった、、

 ハバナへの帰り道、さてどうしたものか、タクシーはあったのだけれどバスはないかと聞いてみた、1ブロックいったところがバス通りだという、これまでツアーバスには乗っていたが地元民のバスには乗っていなかった、Takuto君の了解をとってそれで帰ることにした、しばらく待ってやってきたバスは超満員、それでもしがみつくように何とか乗り込む、12年前のときは待っても待ってもこないバス、来てもあまりの混雑でこれは乗れないと悟っていた、しかし今回は何とか乗れてハバナセントロまで30分くらいで帰り着いた、ひとり0.4cupということは1cup4円だから2円弱?3人分のお釣り0.8cupもらえなかったことを怒っても始まらない、彼からバス代払いますといわれてももらいようがなかった、うちの奥さんは二度と乗らないといっていたが‥、オールドハバナで下車したわれわれはそこで彼と別れた、それぞれの予定があると思って、、で、われわれはキューバのlast dayを買い損なっている土産等を探してまたオールドハバナをうろつき回った、、

 最後の夕食をルイス氏宅で取った、昨日のお礼に困ってしまってせめて食事くらいはそこでとろうと思ったのだ、それはTakuto君とのお別れの晩餐でもあった、、彼は3日キューバ発だったが明日日帰りでサンタクララまで行ってみるとのことだったので、われわれの経過を話し、とりあえずタクシーでViazulへ行ってみること、で、もしバスが取れなくてもそれほどかわらない値段で白タクを利用していけることを話した、、そして彼は次の日われわれより早いタクシーで去っていった、彼を見送った2時間後にはわれわれもタクシーで空港に向かう、、実はその2時間の間、わたしはルイス氏から場所を聞いて郵便局を探していた、いわれたところは閉まっており、さらに大きなところへも行ってみたが、やはりキューバの公共機関も年末年始業務はお休みのようだった、あきらめたキューバからの絵葉書の投函は空港でかなえられた(その新年の挨拶をしたためた絵葉書は1ヵ月後に無事日本に着いたようだった)、こうして1月2日の午後、着いた日の混乱・混雑がうそのようなのどかな空港を飛び立った、、