独歩の独り世界・旅世界

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バラナシ Varanasi or Benares? 2013/8/15~8/17

 インドの旅で一番はずせないところといったら、やはりバラナシだと思う、、それでもすでに(たぶん)3回も訪れているので、わたしはどうでもよかったのだけれど、もしツレがもう一度いってみたいといわなかったらルートからはずしていたと思う、、彼女にとっては2度目だったが、35年前の最初の印象がやはり強烈だったようで、もう一回見ておきたかったようだった、、

 で、わたしはこの旅の最初の一週間は彼女の希望にそったコース組みをし(何せ全額でないにせよスポンサーでもあったのだから)、コルカタから入って次にバラナシに寄る、いわゆるゴールデンルートを少しなぞってみることにしていた、、問題はKolkata~Varanasiの移動をどうするかにあったが、Varanasiから先は飛ぶ予定でいたから、ここは汽車で我慢してもらった、、その汽車も普通は夜行を利用する旅人が多いようであったが、あえて昼間の汽車にしてみた、、なぜ夜行に人気があるのかといえば、ちょうどカルカッタを夜に出て朝にバラナシにつく列車が何本かあって、またインドの寝台車が比較的安く快適でもあったからだと思う、、で、わたしが昼間の急行を選んだのはそれでも夜行は疲れると思ったからで、ちょうど朝出て夕方ころにつく列車を見つけていたからであった、、それにしても去年すでに経験済みだったが、近年インドの列車のticketが買いやすくなっていて、去年のデリーもそうだったが、ここカルカッタにも外国人用のリザベーションオフィスがあって(それは思えばもう昔からあったような記憶がある)、その場所を探すのに苦労したが、そこへたどり着きさえすれば簡単に汽車のticketを手にすることができるのだった、、たぶん前日でも空席さえあれば手に入ると思う、、で、あらためて驚かされたのがその汽車のticketの値段であった、、この国の列車は特に特急料金・急行料金といった設定はないらしく、ただどのクラスを利用するかによって価格が違ってきて、例えば最上の一等のA/Cから最低の三等座席まで何段階にわかれており、その価格差は10倍近くあったと思う、、我々は昼間だったので三等座席で十分と思っていた、、つまり最低クラスの3人掛けシートの窓側2席を要求、その列車はカルカッタ/ハウラー駅発8:15でバラナシ着が18:37、約700kmを10時間かけて走るのだが(その列車はPoorva ExpressといってNew Delhi行きだった、New Delhi着は翌朝早朝)その料金が一人210Rs(350円)とのことでびっくりさせられたというわけだった、、もっとも我々は二人ともシニア料金が適用されての話で40%offの料金だったが、それにしても安すぎる、、ちなみに同区間の普通の大人、一等ファーストクラスの料金がちょうどその10倍2300Rsくらいだった、、ま、それでやっと日本並み?、三等だと20km10円‥??

 カルカッタ到着後3日目の朝、われわれは7時にチェックアウトしタクシーでハウラー駅に向かった、、少々高くついたが、歩ける距離ではなく、かといってバスはあっても乗れないし、地下鉄はまだ一路線しか開通していないので他に手段はなかった、、面白かったのはホテルからハウラー駅までタクシーで約15分、その料金とカルカッタ/ハウラー~バラナシまでの一人分の汽車賃が同じくらいだったこと、、かといってタクシーが格別高いというわけではないことは前回書いたとおりである、、そして今ではインドの鉄道は遅れるというのが昔話になりつつあるということを物語るように、ほとんど定刻にその列車は発車した、、

Kolkata/Howrah駅012_640x480


New Delhi行きPoorva Expressの先頭車両、この機関車は20両くらいを曳いていた(下) 013_640x480
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 しかしそれでも10時間はやはり長旅で、わたしは乗客や旅人と話すのがあまり好きでないので、というのもそれほど語学力が達者でないので、けっこう飽きる汽車旅だった、、昔この区間の夜行を利用したことがあったが、昼間の旅は車窓を楽しめるのではという期待があった、、ところがインド平原はほとんど景色に変化がなかったのだ、、なので、もしかしたらそれがこの区間は夜行を勧めるもうひとつの理由かもしれないと、そのとき気づいたのであるが、途中大きな駅があるわけでもなく(ガヤGayaくらい?)、ほんとに単調な汽車旅であった、、それでも三等座席てあったが指定席だったし、列車も混んでいたわけでなく、暑さもそれほど厳しくなかったから疲れるということはなかった、、バラナシの手前ムガルサライMughal Saraiまではほとんど定刻の運行であったが、そこでなぜか急に列車は停まってしまい、バラナシ到着は20分遅れて19:00になっていた、、あるいはその到着間際に見た光景がその原因だったのかもしれなかった、、それはムガルサライを出ると列車はガンガ(Ganga ガンジス河)を渡るのだが、そのガンガ一帯が見るも無残に水没していたのであった、、その鉄橋の手前辺りからガンガの岸辺の家屋は軒並み浸水していて、ガンガを渡ってバラナシの街に入っても浸水家屋を見ることとなった、、なんだ、これは!!どうしたんだ!!我々は外国人のツーリストだから、その状況を知らなかったのだけれど、インドは今年の夏、異常気象で大雨・洪水に見舞われ、山間部を中心にたいへんな被害を蒙っており、多数の犠牲者が出ていると後で知ることになったが、その影響がその後下流域にもおおきな被害をもたらしていたのだった、、で、それはその時点で収束しておらず列車を降りて街に出たとき、驚くべき光景を見出すことになる、、

車窓のちょっとした変化2枚020_640x480
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食堂車の給仕が昼食の注文をとりにきた、メニュウはこれしかないのだが、これで70Rs(100円くらい?)量的には二人で食べてちょうどよかった、、
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途中のどこかの停車駅で、、
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ほとんどはこんな田園風景が延々と続いていた、、
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ガンガを渡っていたとき汽車から撮った2枚041_640x480043_640x480


 その影響かどうかは定かでないが、まず意外だったのは、普通なら列車を降りるや否や、われ先に旅行者めがけて殺到するリキシャワラが、全然現れなかったこと、、ようやく声をかけてきた一人と交渉するも、そのオートリキシャのドライバーは、気に入るところが見つかるまでホテル探しを50Rsで請け負うという話、ちょっとできすぎではないかと一瞬疑うも彼にかけてみた、、いつもなら多少値段の交渉をするところ、それもせずに早速オートリキシャ/トクトク乗り込み街に繰り出したが、彼がガンガの増水のこと、そのために営業できなくなっているホテルが多々あるこ、また旅行者も減っていることなどを話してくれた、、わたしが彼にだしたホテルの条件は - 安くてガンガViewのあるところ - だったが連れて行ってくれたガンガ沿いの宿は、実際ホテルまで行き着けなくて営業できずにいるところが何軒もあった、、オイオイオイ、ほんとにすごいことになってる!!このときいつものバラナシでないことを目の当たりにさせられたのだった、、そんなことでホテル探しは難渋した、、最初街の中心のゴートウリヤーGodowliaから南のほうの宿を当たっていたが、なかなか適当なところがみつからずOKをださなかった、、それでも彼は根気強く今度は上のほうを当たってくれる、、オートリキシャは細い路地に入れないため道路わきにおいて歩いて探してくれた、、何軒くらい当たったか、すでに1時間は過ぎていたと思う、、路地の奥まったところ、一度入ったら二度と出られないようなところの一軒のゲストハウスの4階の部屋からガンガが見下ろせたのでそこに決める、、こんな良心的なトクトクドライバーにわたしは出あったことがなかった、、もちろん少ない額だったが珍しくtipを加えて支払いをした、、そのホテルのすぐ下まで水は来ていた、、ガンガの信じられない速さの流れがバルコニーから見えた、その夜はもう遅くなってしまっていたので、そこのルーフトップレストランから夜のガンガを見ながら食事をとった、、一泊800Rsはわたしのだした条件に適ったものだったので、そこに2泊した、、

日の出を拝む修行者?047_480x640_2
この日はあいにく日の出は拝めなかった、遠くに昨日通った鉄橋が見えている、、

屋上レストランからの眺め;3枚(翌朝、朝食時撮影)008_640x427_2056_640x480
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 急ぎ旅でなければカルカッタもバラナシもゆっくりしたら面白いところなのだが、わたしはいずれも初めてではなかったし、ツレは短い休みを利用しての旅だったので、バラナシ一日もやむを得ず、それで納得してもらっていた、、なので次の日一日はもうガートも火葬場も行き着くことさえできない状態だったので一日迷路(バラナシはメインストリートから奥に入るとほとんど迷路でしかない、ご存知の方も多いと思うが‥)を徘徊して終わってしまった、、というのも、わたしの知るかぎりバラナシの正常時?から少なくとも10m以上(正確にはわからない、もっとかもしれなかった)増水していて、写真等で目にする階段状のガートは完全に水没していた、、だから沐浴なんかできる状態でなく、インド人巡礼者はただ聖水?を持ち帰るのみ、バラナシの名物悪徳ボートも河にこぎ出せない状況だった、、それでも火葬場は休むわけにはいかず、わたしの記憶しているところよりさらに上のほう、それでもすぐ下まで水が来ているといったあたりから煙が上っていた、、そこはわれわれのホテルから真下に位置していて、水がなければすぐにいけるところだったが、たどり着くこともできなかった、、こんなバラナシを見るのは初めてであったが、あまりの異常さだったので思わず日本語はなしますと張り紙のあったお店でそのことを聞いてみた、、このような増水はもう数ヶ月前から続いているとのこと、観光客、特にインド人の巡礼者が減っていること、年寄りの話によるとこのような増水は40年ぶりだというようなことをBengali Tola Laの細い路地のみやげ物屋の日本語を話す若い男の子が話してくれた、、それを聞いたときある話を思い出していた、、40年ぶり?あるいは40年周期だったか?確かGuatemalaのAtitlan湖の去年から今年にかけての増水が、まさに40年ぶりの出来事だったではないか?これは単なる偶然なのか‥??

中央のバラック小屋?(の向こうが火葬場)にさえぎられて火葬場は見えなかった、、048_640x480_2(ホテルから)

火葬場の薪置き場とそこで働く人たち
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メインストリートで見かけた巡礼者の一団016_640x427

彼らは沐浴できずに聖水巣(ガンガの水)を汲みに向かう、、この場所はメインロードのダシャシュワメードロードDashashwamedh Roadがガンガの手前で二つに分かれるあたりで通常時なら、ちょうど人が途切れている辺りから階段状のガートが始まるのだけれど、このときはそこが船着場になっていた、、
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上の道の右側の通り、Ahalya Bai Ghatへ通じる道
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水没の様子、ホテルから;3枚
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022_640x427027_640x427左は対岸の様子

 なので、ある意味バラナシは一日で十分だった、、いつものバラナシに接するには少なくとも一ヶ月の滞在は必要だったろう、、迷路を徘徊しているとき観光客でいっぱいのラッシー屋を見つけた、、もちろん入ってみた、、観光客(そこで何人かの日本人カップルに出会う、、たぶん有名な店だったのだろう??)がいっぱいのわけはそれを食べてみて十分納得させられ満足することとなった、、そしてホテルの部屋・レストランからガンガの流れに目をやっているだけだったが、これまでに見ることのなかったバラナシの一面に接することができたのだった、、それに実はわたしはこのとき体調を崩していた、、インド到着以来、ホテルの空調にやられたか街の埃のせいか、喉を痛め、熱はないが鼻水が止まらなくなっていた、、バラナシの徘徊でわたしが探していたのは喉・鼻水に効く薬とトイレットペーパー(鼻水をかむための)だった、、そんなんでもう無理に動き回らずに部屋から河の流れとサルの動きを見ているだけでも十分楽しめたのであった、、

路地裏の一コマ、野良牛が威張っているところも今や少なくなりつつあり、、012_640x427

路地で見つけたラッシー屋2枚030_640x427
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ホテルの部屋からのガンガを見ながらボケーとしていると、下のサル(写真下右)が現れて写真下左の建物間を空中を飛んでいったり来たりしていた、、この辺いったいサル多し、、055_640x480_2052_640x480051_480x640