独歩の独り世界・旅世界

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デリー Delhi 1) 8/22~8/23

飛行機からの写真;もしかしたら左からナンガパルバット、真ん中K2(一番右不明)ではないかと??

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 レーからのフライトは、去年はスリナガル経由だったが、今年の便はデリー直行であった、、で、去年はどちら側の席が山がよく見えるのかわからず、とりあえずスリナガルに戻る感じだったので左側の席をチェックイン時に要求した、、それはそれでザンスカールの雪を頂いた山々が見えたので正解だったと思っていたが、反対側がどうだったかはわからないままだった、、なので今年ももしスリナガルに飛ぶのなら今度は右側にしたほうがよかったと思うが、方向からするとデリーは90度も角度が違うので、果たしてどちらが良いのか今年もわからなくなっていた、、予想される飛行ルートから、もしほとんどまっすぐデリーに向かって飛ぶならどちら側でも、やはりザンスカールの山々は見えるだろうと思っていた、、が、わたしはもっと欲張ってヒマラヤの高峰が見えないかと期待して、今年も左側に賭けてみることにしていた、、

 飛行場へは9時ころまでにつけば間にあいそうだったが、この日も朝早く起きてしまったものだから早めにチェックアウトして、オープン早々のカフェドルフィン(レストラン)でお茶を飲んでからいくことにした、、そこのケーキやパイもそれなりに美味しく、レモンティとアップルパイで朝食とし、昨日と同じ場所で客待ちをしていたタクシーのオヤジと空港までの料金を交渉する、、通常は200Rsでいってくれると事前情報はもっていたが、そこに停まっていたタクシーは軽ワゴンでなく4駆のランクルタイプだったのでちょっと高いことをいわれるかもしれないと思ってのことだったが、気のいい初老のオヤジは200RsでOKしてくれた、、飛行場までは15~20分、、9時には1時間も早く着いていた、、だからほとんど一番乗りに近く座席の希望も適うはずだった、、ところが、こういうことは年をとると時々やってしまうのだけれど(いわゆるボケ)、いざチェックインの段となったときにあろうことかわたしは‘右側の窓側’といってしまったのだった、、で、もちろん最初のほうのチェックインだったためなんら問題なく右側窓側がとれてしまったのだ、、しかし、それもしばらくは気づかずにいて、ふとポーディングカードをみて間違いに気づいたのだった、、で、いまさら替えてもらうのも気が引けて諦めざるを得なくなった、、

 早くつきすぎたのでだいぶ待つことになったが、ほとんど定刻10時半にGo Airは空軍と兼用のレーの飛行場を飛び発った、、ここの飛行場はちょっと変わっていて飛行場の端にスピトク Spitukというゴンパがあって滑走路はその方向に延びている、、その滑走路が緩やかに下っているのだ、、少し傾斜がついているといったほうが正確か?ま、どうでもいいことだけれど、そこから飛びたつと早々なかなか素晴らしい景色が飛び込んでくるのだった、、最初は緑のない赤茶けた台地・そして河、雪のない山々だったが、すぐに白い世界に変わりザンスカールの山々はずっと雪に覆われていた、、氷河の痕も見える、、そのうち気づいたのだけれど右手後方にひときわ高い山が二つ見えていた、、その雄姿たるやタダモノではなさそう、、なんだあの山は!?精いっぱい望遠を使って何枚か写真を撮る、、まさか!?というのはもしかしたらと思い当たる山がなかったわけではない、、その方角には世界第二の高峰K2<8611m>とこれも8000m越えのナンガパルバット<8125m>があるはずだったからである‥、、その山がそうだったかどうか未だにわかっていない、が、とりあえずその写真を載せておこうと思う、、もしそうだったとしたら‥こういうのを‘怪我の巧妙’とでもいうのだろうか?間違って正解だったことになる‥!!??、、

去年も載せているかもしれないが、レーの空港ビル?
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滑走路の端に見えるのがSpituk Gompa
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離陸直後
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ザンスカールの山々が見えてくる ;下2枚
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右後方に見え出したカラコルムの山々; 下2枚、2枚目は冒頭の写真を撮って数分後073_640x480_3
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ザンスカールの氷河?
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 デリーまでのフライトは1時間20分、ちょうどお昼ころにデリーのターミナル1についていた、、デリーは明日の深夜便でツレが日本に戻るので、今日の一泊はどうしても必要だったのだ、、なのでこの一泊は日本から予約を入れおいた、、それも出迎えつきの安ホテル‥、、それでもコルカタよりは少し高かったのでまだましだったと思う、、pick up確認のmailを入れたらちゃんと返事かきていたのだから、、もし出迎えの人と落ち合えなかったとしても昼間だったし、この日は地下鉄<エアーポートメトロ>も動いていたし、去年来ているので地理もわかっていたから街中まででるのはどうってことはなかった、、デリーの出迎え数は半端な数ではなかったが、端からみていって、すぐにわれわれの名前を見つけることができた、、そこからホテルのあるカロルバーグ Karol Baghまでは、いつもの渋滞で1時間近くかかったが‥、、

 カロルバーグは、ニューデリーの安宿街メインバザールMain Bazaar(パハールガンジPahar Ganjともいう)より後発で、少しばかりクラスが上の中級ホテル街として、今や人気のエリアでもあった、、ま、いわゆるビジネスホテルといった感じのホテルが多く、街自体も観光客相手というより中央線沿線の住宅地といった感じのところであった、、その中央線にあたる地下鉄Blue Lineがコンノート(Connught Place デリーの中心)を出るとすぐに高架になって、大通りPunchkuian Rd. の上を通っていた、、コンノートから駅で3つ目だった、、予約しておいたホテルはいずれにしろ安宿に毛の生えたようなもので、ここもコルカタ同様下宿屋のような感じだったが、設備・調度、応対等はよっぽどましで愛想がよくて親切なシーク教徒の親父が出迎えてくれた、、涼しいところからくるとデリーはさすがに暑かったがエアコンが効いて快適だった、、シャワーも気持ちがよかった、、いつの間にか頭痛も癒えていた、、やはり高山病だったのだろう、高度が下がればうそのように治ってしまう‥、、

 さて、デリーは宿は決めていたが、明日の晩まで特に何するでもなく、どこへ行くでもなく、なんら予定は決めていなかった、、で、荷物を置いてシャワーを浴びて腹ごしらえに出かける、、といっても住宅街なので適当な店もなく、タンドリーチキンとナンをtake outして部屋食、近所に酒屋は見つけられなかった、、夕方からもう一度カロルバーグの散策にでかけた、、といっても酒屋を探していたのだが見つけられずにいるところに一台のトゥクトゥクが停まった、、コンノートまで20Rsで行くよ、とかいってドライバーが声をかけてくる、、この手は実に多く、よほどでないと相手にしないのだが、このときはトゥクトゥクに乗るということでなく情報を探る意味で話につきあった、、この辺にビールを売っているところはないかと聞く、、彼は別のことをいう、近くに政府公認の物産店(おみやげ屋)があるけど行かないか?20Rsでいいといってくる、、オレは酒屋を聞いてるのであってみやげ物屋には興味がない、、すると彼はこんなことをいいだした、、見るだけでいいんだ、、買わなくていい、、そこへ行けば帰りに酒屋に寄ってあげるというのだ、、すぐにいってることがわかった、、要するによくある手で、買う買わないにかかわらずドライバーは連れていくだけで多少のコミッションをもらえる仕組みのようだった、、もちろんそう彼がいったわけではなかったが、たぶんそういうことだと思えたので、そこまでいってこの場に戻ってくるのにいくら払えばいいんだと聞くと、それが先ほどからいってた20Rsだったのだ、、確かに20Rs(35円)ならいかほどのものでもない、暇つぶしにちょっとした観光気分を味わえるかもしれない、といったノリでツレと一緒にそのトゥクトゥクに乗ってしまった、、渋滞の大通りをコンノート方面に向かった、、が、コンノートまで行かずにその手前の左側にあった、とある物産店に連れていかれる、、もちろんツレも了解していて冷やかし気分で1F~2Fと店の女性に案内されて、それこそ数ある物産(高級土産?)を見せられ、何に興味を示すか探られていた、、しかしその女性はプロであった、、ちょっとした反応から瞬く間に客の気持ちをとらえて、ま、時間はかかったが、いくつかの土産を買わせてしまったのだ、、ずっとその応対を黙ってみていたが見事というほかなかった、、もっともツレも明日帰国なので(相手もまずそれを察知して脈ありとみたのであろう)関心があったのも事実だった、、つまりうまくタイミングがあってしまったようだった、、たぶんそのおかげでトゥクトゥクドライバーも多少コミッションがアップしたのではなかろうか?彼はそのあと上機嫌で酒屋につれてってくれたのだった、、そしてカロルバーグまで送ってくれ、降り際に明日デリー観光するなら安くするよ、というのであった、、‥そこでまた交渉が始まった、、われわれは特に予定があったわけでなく、しかも時間的にはまる一日あいていた、、昔バスでデリー観光した記憶はあったが35年前の話である、、暇つぶしにトゥクトゥクでデリー観光するのも悪くない‥、、ところでいくらで回ってくれるの?こういう場合は1時間いくら、つまりどこへ行くかでなく、貸切になるので時間いくらとなる、、わたしは相場を知らなかったが1時間100Rsくらいまでだったらいいかな、と思っていた、、彼はいくらでも‥いくらだしてくれると逆に聞いてくる、、ならばとわたしは時間50Rsでどうかといってみる、、それには直接答えず、ともかく明日10時に迎えに来るといってその日の車代20Rs(まぁ、これは見せ金?エサ?だったかもしれない)を受け取って去っていった、、

 次の朝、ここは朝食付きだったのでそれを待って、食べ終わるとすぐにひとりでカロルバーグの駅まで歩き地下鉄で二つ先のラマクリシュニアシュラムマーグRamakrishna Ashram Marg駅までいった、、ここはニューデリー駅から先に述べた安宿街メインバザールを通って20分くらい、つまりMain Bazaar,Pahar Ganjのもう一方の入り口であり出口であった、、わたしはこの駅の近くに去年何泊かしていた、、わたしがそこへいった理由は今晩からの宿を探すためであった、、いくら中級の安宿とはいえ、二人でかつ一泊だったから予約しておいたのだけれど、その夜から一人になる、、少なくともカロルパーグの宿はメインバザールのひとり一泊の値段の倍はしたから、そんなところにいるわけにはいかなかった、、しかも去年きていたからメインバザールの主な宿の相場も知っていた、、あとは空いているかどうかだけだった、、だいたい500Rs~800Rsでエアコン・WiFiつきを探していった、、何軒か当たってこちらの条件に適うホテルは一、二件に絞られた(予算が許すならいいホテルはいくらでもあったが)、、駅に近いほうに決め、すぐにまた地下鉄でカロルパーグに戻る、、カロルパーグの駅から歩いていると偶々われわれのホテルに向かう昨日のオヤジに呼び止められた、、そのトゥクトゥクでホテルまで戻り、すぐにチェックアウトしてすべての荷物をトゥクトゥクに積んで、今決めてきたばかりのメインバザールのホテルまでいってもらった、、ツレの荷物も一緒に部屋に運んで、そこに置いてやっとデリー観光に出かけられる体勢が整ったのであった(が、そのときは気づいてないのだが、わたしはたいへんなドジをやっていた‥)、、

 そこであらためて交渉となった、、もちろん1時間50RsでOKしたわけではなかったから、そこからはじめなくてはならなかった、、彼は1時間100Rsといってきた、、ま、そのくらいは仕方ないと思っていたので、それはこちらがOKしあとはどこへ行くか、何時ころまでを予定するかになった、、どこへ行きたいか聞かれても特別にいってみたいところがなかったので彼に任せるというと、ラクシュミーナラヤンテンプル、ガンディ記念博物館、インデラガンディ記念館、大統領官邸、国会議事堂、インディアゲートなどの名があがった、、OKそれで何時間くらいかかる?と、わたし、、わからないけど3~4時間?もしかしたら5時間くらいとのこと、、そこでわたしは失敗してしまった、、わかった、それでは午後3時までとしよう、、ついてはトータル500Rsでお願いするといってしまったのだ、、余計なことをいわなければよかったのだ、、が、ついつい口が滑ってしまった、そのために後ですったもんだすることになった、、

 実際上記のところはすべて回ってくれた、、最初のラクシュミーナラヤンテンプルLakshmi Narayan Templeは昔いったのを覚えていた、、面白くもなんともないところ、、ガンティー記念博物館Gandhi Smriti Museumは初めて訪れたが、映画‘ガンディ’の冒頭?暗殺されたシーンを覚えているとツレがいっていたその現場だった、、ガンディの暗殺された現場までの足跡が残されており、そこは立ち入り禁止だったが、ついそのことを忘れて入ってしまい、その足跡を辿ってしまった、、するとすぐに監視員か警備員の笛が鳴って、注意されるという騒動を起こしてしまった、、しかし、わたしはマホトマ・ガンディを世界の歴史上人物中で特に敬重していたのでここは感慨深いものがあった、、だから、そのあとにいったインデラ・ガンディ記念館Indera Gandhi Memorialが、先のGandhi Smritiをはるかに上回る数の来場者だったことに驚かされる、、もしかしたらマハトマ・ガンディよりインデラ・ガンディのほうが人気がある?ということを初めて知らされたのであった、、国会議事堂・大統領官邸は外から見ただけ、そしてインディアゲートIndia Gateに向かった、、この辺一帯はインドの官庁街、それも芝生や木々の多い公園のようになっていて、緑が多くて広々とした開放感のある、気持ちのよいところであった、、前にももちろんこの辺りは来ていたが大統領官邸からインディアゲートまで延びるバカでかい通りラジパトRaj Pathの立派さを見るとインドのスラム街や貧困は想像ができないのであった、、まぁ、この辺りがインドの要とはいえ大国の趣があった、、

 そこまでで当初の予定は大方回ってしまったのだけれど、まだ3時間くらいしかたっていなかった、、ドライバーは昨日味をしめてしまったからか、そのあとしきりに物産店に連れていこうとする、、最初はそれも仕方ないかと思って一ヶ所目は例のミルダケというやつで形だけ店の中に入ったが、ドライバーがいなくなったのですぐにその店をでて近くの大衆食堂に昼飯を食いに入った、、すると何とそのドライバーもそこで飯を食っていた、、が、たぶん驚いたのはドライバーのほうだったようで、何んでこんなとこに来るんだ、って顔をしていた、、われわれもドライバーと同じ安い昼食-3種類のカレーとライスとナンで100Rsを二人で食べて、さて、どうするかということになった、、まだ3時まで2時間近くあった、、ドライバーはもう遠くへはいきたくなさそうだったが、かといって近場で適当なところもなさそうだった、、なので、もし3時までとしていなかったらここで3時間分払って終わりにすることができたのだけれど、彼としてもみすみす500Rsの約束を逃したくはなかったのだと思う、、しかしその間はみやげ物屋に連れて行く以外にアイデアはなさそうだった(ひとつには、われわれは入場料がかかるところへは行かないと前もっていったあったので??)、、逆にどこへ行きたいか聞かれ、われわれもあわてて地図を取り出し、どこかないかと探してみる、、そしてツレが一ヶ所見つけてドライバーにいった、、動物園!!、多少入場料がかかるがそれはいいかもしれないと思ったが、まず彼は、そこは遠いといい、続いて思い出したように今日は金曜だから開いてないと付け加えた、、どうもそれは口実のように聞こえたので、開いてなければそれはそれでいい、ともかくいってみてくれと無理にそこへ向かわせた、、そこはそれほど遠くなかったが実際その日は休園日だった、、言った通りではないか、オレはうそなんかつかないといいたそうなドライバーの勝ち誇った顔、、しかしわたしはその隣にブラーナキーラ Purana Qilaという昔の砦?要塞があるのを見つける、、ここは面白そうではないか、何でこんなところがあるのに連れてこないんだ、時間的にもちょうどよいと思って入場料100Rsを払って入ろうとしたときカメラのバッテリーがなくなっていたことに気づく、、ツレもここには興味がなさそうなのを知って結局ここも諦めることになった、、最早それで終わりだった、、ドライバーはもう一軒のみやげ物屋に今度は逆に無理やり連れて行こうとしたので、それは断固拒否、こうしてドライバーとの関係も悪化してしまったので、1時間の時間を余してホテルに戻り約束の500Rsを払って終わりとした(tipはあげなかった)、、‥しかし今思えばそれでも安かったかもしれないし面白かったともいえた暇つぶしデリー観光だった(先に述べた大ドジとは、この日カメラのバッテリ充電を忘れていて写真が撮れなかったこと)、、

‥ということでこの日のインド観光の写真は実は一枚もなかった(ツレのカメラには残っていると思うが)、下の写真は後日もう一度インディアゲートIndia Gate付近をうろついたときのものです、、

正面が大統領官邸、左右に各省庁028_640x480

同じ場所からIndia Gateをのぞむ 029_640x480

少しIndia Gate方向に行くと両側が緑の芝生になっている、その辺りから同じく両方向をのぞむ; 2枚
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India Gateから大統領官邸方向をのぞむ ; 2枚
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 その夜、一人でなら行かないであろうレストランでビールとタンドリーチキン、スピナッツカレーにナンといった普段よりちょっと贅沢な食事をし、8時ころに空港に向かったが、このときまたひと悶着があった、、どうも初めよければ終わりよしの逆で、初めのトラブルが最後にまた来てしまった感じとなった、、空港まではタクシー利用が一番楽とホテルの人からいわれたが、別にタクシー代300~350?Rsをケチったわけでなく、せっかくだからインドのエアポートメトロの立派さを見せておこうと思って地下鉄でいくことにしていた、、わたしが荷物を持てばそれほどたいへんではなかったし何より時間的にはそのほうが早い、、ただ問題はエアポートメトロと普通の地下鉄の乗継ぎが悪かったので、一番近いエアポートメトロの駅まではタクシーを使わざるを得なかったことだった、、タクシーといっても安いのはトゥクトゥクのほうで、いつもなら歩いていると声がかかるのだが、このときはこちらから声をかけてしまった、、そしてそのドライバーはまだ若者だった‥、、シバジステーディアム駅Shivaji Stadium Stationを知ってるか?ま、インド人の常で、こういう場合知らなくても知らないという人はいない、、いくらで行く?昼間、トゥクトゥクが客待ちしているときは20Rsで行くはずだった、、しかしこのときはこちらから声をかけたくらいだから、引く手あまたではなかった、、40Rs、、高い、しかしゆっくり交渉する間がなかったのでOKして乗り込む、、コンノート方面に向かう、、しかしだんだん方向が違うのではないかと思えてきた、、わたしは地図上での駅の場所とだいたいの地理はわかっていた、、その方向とはずれた道を行く、、それにそんなに遠いところではなかったはずだ、、そのうち彼はついたといった、、ここがシバジスタジアム(シバジ競技場)だと、、あーやっぱり、、そうじゃないんだ、わたしたちはシバジスタジアム駅に行きたいんだ、、地下鉄エアポートメトロの駅だ、、どうもこのときやっぱり英語が通じてないことを知る、、メトロステーションmetro stationならわかるかと思ってそういったら、今度はその近くの地下鉄コンノート駅入り口まで連れてって、ここが地下鉄の駅だといってきた、、こりゃダメだとそのとき思ったが、そこでハイそうですかというわけにはいかなかった、、わたしは大声をあげた、、ここではない、エアポートメトロのシバジスティデイアム駅だ!!、、彼はその駅を知らなかったのだった、、だからいくら怒鳴ってもきょとんとしている、、言葉は通じない、、こういう場合は言葉のわかる人が必要だった、、だからわたしは意識的に大声で怒鳴りちらしていたのだ、、この騒動に気づいた通行人が声をかけてくれた、、英語で説明するとその人はわかってくれて、たぶんヒンズー語で彼に伝え、シバジステーションの場所を彼に教えてくれた、、そこから近いことはわたしにはわかっていた(しかし歩くと少しある)、ものの5分もかからずにわれわれはようやくのことでエアポートメトロの駅にたどりついたのであった、、もし彼がその場所を知っていたら、最初に乗ったところから10分もかからないところだったが結局3,40分もかかってしまっていた、、彼は一応すまなそうな顔をして去っていった、、ま、それでも時間的には余裕があったので焦ることはなかった、、がらがらのメトロで空港へ、このとき思ったのは1年前に比べ50%も値上がりしていたこと(80Rs→120Rs)、インドの変化は激しい!?、そして空港でもう一騒動起こる、、

  騒動といってもたいしたことではなく、予期せぬ事態といった程度のことだったが、その時わたしはその夜の深夜便で日本に帰るツレを、ま、早く帰ってくれという意味で送りにいっていたのだが、わたしの帰りのほうが心配だった、、一人でタクシーに乗る気はなかったから、また地下鉄で帰るつもりだったが、それは11:15が最終ということを確かめていた、、ツレのフライトは夜中の2時だったから、ま、11時ころまではつきあってあげないと、と思っていた、、ところがいざ空港の出発ロビーに入ろうとしたとき警備員に搭乗者しか空港内には入れないこと、よってわたしは入場できないことを告げられたのだった、、そんな空港もあるのか??(どこか他にもそんな空港があったようにも記憶していたが、どこだかは思い出せなかった)なんとかならないの?この人は英語ができないから一人でチェックインできないんだ、と食い下がってみるも無駄たった、、どうしよう‥??、、もう自分でやるしかないよ、みんなやってることなので何とかなるよ、といってあっさりお別れとなった、、無事に帰れるのか?ちょっと心配でもあったが、心配してもしようがないことでもあった、、こうして予定より早い地下鉄でShivaji Stadium Stationまで戻ることができた、、そこからは歩いて帰るつもりだった、、夜の遅い時間、しかも初めて通る道だったが、やっと一人になれたことで30分の道のりもなぜか遠く感じなかった‥、、