独歩の独り世界・旅世界

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2013/インド・ネパールの旅、最終回 上海Shanghai 蘇州Suzhou

 2時間半のフライトで上海には10月2日の11時少し前に着いた、、中国東方航空の拠点がここ上海であったから、ここももう馴染みの飛行場になっていた、、荷物預かり所の場所も行きに利用していたからわかっていた、、そこで最少必要限の荷を小さいバッグにつめて、大きいほうのバックを預ける、、24h/20元、1元はそのとき16~17円くらいのはずだったから、それほど高くはなかった、、そして身軽になって、いつもなら地下鉄で上海の街まで出るのだけれど、このときは少し考えがあった、、これは好みの問題だからわたしに限っての話だが、わたしは上海という街にそれほど興味がなかった、、しかし日本への帰国便に乗るためにここで乗換えが必要だったし、しかもクンミンからの場合は、どうしても一泊を必要とした(なのでいくら安宿を見つけたとしても結局高くつくことになってリピーターにMUはあまり薦められない)、、それで上海に一泊したとしても一日をどう過ごせばいいのか?どこへ行ったらいいのか?情報をまったく持っていなかった、、それならば今回はどこか近くで他に適当なところがないかと探してみたのであった、、それはカトマンドゥで帰国便を変更する際に考えついたことで、クンミン滞在をなしにした分上海を2泊にして中一日どこかへ行く、、あるいは可能なら直接空港から別の地へ行って、そこから直接空港へ戻る、、それは前回上海に寄ったときに空港から直行の長距離バスがあることを知ったからで、その行き先として杭州または蘇州があったことを覚えていたからであった、、つまり、どうせならそのほうがマシではないかと思ったので、そのときは行き先は決めずにカトマンドゥ発10/1,クンミン発10/2,上海発10/4の変更だけお願いしたのであった、、で、その後ホテルで暇をもてあましていたときにネット検索して情報を集め、まず杭州にするか蘇州にするかを決めなければならなかった、、ま、どちらも中国史に登場する歴史的な街であったが、そりほど歴史に関心のないわたしにはどちらも似たような感じに思えた、、いずれも深い興味を抱いてのことではなかったから、調べてみて蘇州のほうが、もしかしたらいわゆる観光名所を巡るのに回りやすい?歩いて回れるかも?といった点でいいかなと思ったので、次に宿を検索してみる、、それで蘇州の安宿に空きを見つけネットで予約を入れてOKが出た時点で蘇州行きが確定したのだった、、

 空港2Fの地下鉄ヘの連絡通路を行くと、途中に左下に長距離バスの乗り場があることを知らせる案内表示があって中国漢字であったがそれとわかり階段を下る、、初めてのところでバス乗り場はどっちかわからずにウロウロキョロキョロしていると声がかかって何かいっている、、つくづく思うのはここは言葉がまったく通じないということであった、、相手のいってることもわからなければ、こちらの英語も伝わらない、、そのとき蘇州の中国語表現も知らない、その漢字も実は簡易漢字で同じではなかったが、蘇州と思われる文字を指して、わたしはそこに行きたいのだと何語でいったか覚えてないが、ともかくそういう表現をすると、それは通じたらしく、そのバスはないという表現を相手はしきりに言い出した、、それは彼のいい方や英語のノーノーといった表現を交えたジェスチャーでわかったが、結局は会話は成り立たず、その男がどういう人物かもわからなかった、、そこでどのくらいすったもんだしていただろうか?わたしがそのあと理解したことをわかりやすく説明するとこういうことだった、、彼はタクシードライバーで、わたしのような田舎ものまたは事情の知らないものが来ると、カモが来たとばかりに、蘇州でも杭州でも何かと理由をつけて今日バスは動いてない、、そこへ行くにはタクシーしかないが、いくらいくらで自分のタクシーで連れて行くことができる、というよくある手口の客引きだったようであった、、この際言葉が通じなかったのが逆に幸いしたのか意思が通じなかったのでわたしはその被害者になることなく、そこを突破(through)して、その先にあったticket売り場にたどり着くことができた、、が、そこでも言葉が通じないのは同じだったし漢字も違う文字が使われていたので、わたしはわたしが書ける蘇州という文字を書いて行き先を告げると、次のバスは11:40発で、もうすぐ出るといっているようだった、、そういったことはなんとなく伝わるもんでticketを手に乗り場を聞いて急いだ、、その間のやり取りで蘇州をアルファベットではSuzhouと表記するらしいことを知り、発音的にはスジョー(?)といっているように聞こえた、、ともあれ無事にバスに乗車でき、バスはすぐに空港を出て高速道路を走り出した、、

 わたしはそのときが中国の高速道路初体験だったのだが、いや、それは国土が広いからでもあるが、立派な高速道路が上海市街を取り巻くように四方八方に延びているのに感心させられた、、蘇州の街まで下道を走ることなく、途中一度上海の第二国際空港、虹橋国際機上に寄っただけで、2時間あまりずっと高速を走り続けて(その間渋滞はなし)蘇州市街に入る、、そしてどうしても蘇州というイメージは昔の中国を思い浮かべてしまうのだけれど、高層ビルの立ち並ぶ、上海にもまけないほどの大都会にびっくりさせられたのであった、、その蘇州のメインストリートの蘇州大道千将東路に入ると、今度は渋滞のために動かなくなってしまった、、特に街の中心と思われる、その道と交差するもう一本の大道?人民路との交差点付近は信号が変わっても車が詰まっていて前に進まなかった、、これはよほどのことだと思ったが、その付近の賑わいはまるでお祭りか何かをやっているような人出、車はまったく動けずにいたのだった、、その蘇州直行のリムジンバスには、そのとき10人くらいの乗客しかおらずガラガラだったのでまったく気づいていなかったのだが、その光景を見たとき、ちょっと異常を感じ、そこでもしかしたらと思い当たることがあった、、10月1日は国慶節、つまり中国の建国記念日、ま、正月みたいな日ではなかったか?、、‥そうだったのだ、、わたしはその日に中国に入国して二日目に蘇州に来てしまったようだった、、いや、これはまったくの誤算、それまでそんなことはまったく頭になく気づいていなかったのだ、、もちろんわたしはそれを喜んだのでなく憂いたのであった、、そしてその憂いは見事に的中してしまうことになった‥、、

バスから見た蘇州の城壁?バスはこの辺から動かなくなった、、031_640x427

 その大道を越えて少しいったところが終着のようだった、、そこまで浦東国際機上(プドン国際空港)から2時間40分、もしその渋滞がなければもう少し早かったと思われるが14:20に中国東方航空蘇州営業所の向かい側の路上で降ろされた、、そのとき帰りのバスはどこから出るのかそのドライバーに聞いて、お互い通じないながら、なんとか向かいの営業所から出るらしいことがわかり、そこが大きな道で渡るのがたいへんだったのでその営業所まで行かなかったのも大きな失敗で、あとからとんでもないことが起こる‥、、

 バスを降りたわたしは、つくづくこんな日に来てしまったことを悔やみながらも、それでもよくホテルがとれたもんだ、予約しておいてよかったという思いもあって、まずそのホテルを探す、、しかしその場所は一度見た地図の記憶だけが頼りだった、、予約した時点でその場所は画面の地図で確認できたが当然プリントはできなかった、、で、大まかの地理を頭に入れ通りの名だけは控えた、、その道は人民路を北に行けば出てくるはずだった、、距離にしてその通りまでは10分くらい?、しかしなんといっても初めての地でガイドブックも地図もなく、また、ここはほとんど言葉が通じなかったので、不安がなかったわけではない、、それでも少し時間はかかったがその通りを見つけ、しばらく行くと予約しておいたそのホテルはあった、、楽勝、楽勝と自分を誇りながら勇んでフロントへ、、ところがあろうことかここではフロントさえ英語が通じなかったのである、、実はプリントできていないのは地図だけでなくバウチャー(予約確認書みたいなもの)も同様で持っていなかった、、だから通じなかったのである、、えー、そんなことってある??いや、中国ではありえたのだった(もちろん安宿だったから?)!!、、

 こちらも当然必死になる、、パスポートを見せ予約が入っているだろうと通じないながらも英語で言うと、どこかに電話をかけた、、そして少し待ってくれといったニュアンスでロビーのソファを指して、すぐに英語がわかる人が来るから、というようなことをいった、、そのフロントにいた男性も女性も若かったが、しばらくしてやってきた女性もまた若い蘇州美人で、英語はわたしと同じ程度?、で、なんとか意思の疎通は可能になった、、だからすぐにわたしのいってることを理解してくれ、わたしの予約も確認できてことは解決したと思ったらとんでもないことを言いだしたのであった、、彼女はこのようなことをいった、、確かに予約は受けているが、その予約サイトの間違いで、この料金ではお泊めできない、と‥、、わたしは耳を疑った、、これまでに大げさにいうと世界中の国のホテルに - ま、そのサイトだけではなかったが - 予約サイトを利用して泊まったことがあったが、少なくとも確定している予約に対して初めて聞く言い草だった、、そんなことあり?そんな言い草あり?というのがわたしの反応、、もう怒りだしたい気持ちを抑えて冷静にいう、、それはわたしの問題ではない、、少なくとももしそうだったとしても、それはわたしの過失ではない、、それはあなた方とその運営サイトとの問題ではないだろうか?と、、彼女はどこかに電話した、、どこに電話したのかはわからないし何を話しているのかもまったくわからなかった、、しかしそれでも問題は解決しなかった、、今日このホテルにお泊めするには、- そのホテルは一泊99元で予約していたが - 300元払ってくれなければお泊めできないと、かなり強気でいってくる、、つまりそれがここの正月料金だったのかもしれない、、もう怒りは頂点にさしかかっていた、、しかしここでこういうことをいうと顰蹙をかうかもしれないが、やはり美人は得していると思う、、わたしは怒りを爆発させなかった、、これは厄介なことになった、、相手は中国だ、、一筋縄ではいかないかもしれない‥と長期戦になることを覚悟して、もう一度同じことを繰り返す、、ではこの予約は何ですか? 、、そのときは手元にバウチャーがなかったから、パソコンを取り出して予約確認画面を開いてそう迫った、、また電話している、、そんな繰り返しが何度か続いたが、どう考えても相手のいっていることのほうがおかしい、あるいは真実はわからないがそのサイトがおかしい、つまりその両者の問題だと思っていたから、わたしも強硬姿勢を崩さなかった、、いや、誰でもそうしたと思う、、こちらに非はなかったのだから‥、、そして謝ることもなく自分たちの非も認めず、ただ、わたしのいい分は通ったのであった、、当然といえば当然のことだったが、しっくりしない気分は残った、、

 そうやって、そこに着いてから1時間くらいしてようやく部屋の鍵(カードキー、インド世界の安宿にはまだ浸透してない)を手にすることができたのだった、、が、部屋に入るとそこはインド世界の安宿とは、ま、2~3倍の価格差があったが、やはりまったく違った、、設備等のよさは歴然としていた、、コンパクトにまとめられて部屋そのものは狭かったが(それでも中国で100元だったらそんなもの?)、バス・トイレの設備、空調、ベッド、テレビ等々、すべてが日本並みの水準で、ここでも中国の発展振りがうかがわれたのであった、、温水が瞬時にたっぷりでるシャワーで気持ちをさっぱりさせ、近場だけでもと思って早速街ブラに出かけた、、そこは蘇州の繁華街観前街?にも近かったから、通りを一本か二本行くとすぐに屋台の並ぶ一角があって、そこがまたすごい人ごみ、、つまり正月の浅草といった感じであった、、わたしにはそのちょっと得体の知れないものを含めた屋台料理の一つ一つが、すべてうまそうに見えて、買うとしたらどれにするかを物色していった、、たぶんそこは国慶節で特別に設えた臨時の屋台通りのようであったが、そこを抜けても人通りは続いていて、ともかくその一帯を歩き回るだけでも結構時間がかかり、どこまでいってもその人通りは絶えなかった、、わたしは場違いなところに一人迷い込んでしまった異邦人で、人ごみが好きでなくその屋台の食べ物以外に興味をそそられるものはなにもなかった、、で、ホテルの斜向かいの角にファミリーマートがあるのを見ていたから、最初に目を付けていた屋台でげその串焼き?(6元)と牡蠣と玉子のあんかけ風お好み焼き?といった感じのもの(10元)をtake outして、ファミリーマート青島ビール500ml(7元)を手に入れホテルに持ち帰って夕食とした、、やはり中国は食に関してはずっと嗜好が近くなったと感じていた、、

夕暮れの千将東路大通り、道路の真ん中が掘割になっているところが蘇州らしい、、034_640x427

 

 4日の帰国便は上海発12:00だったから蘇州発朝7:00のバスに乗れば間にあうことはわかっていた、、その情報はカトマンドゥでネットで調べたときに得ていたので、最初からそのホテルは2泊の予定でいた、、ということは中一日丸まる蘇州見物に当てることができたのだが、手元にはチェックインのときにもらった中国語で書かれた蘇州地図しかなかった、、だが、それだけあれば十分だったともいえた、、で、大まかな観光プランをその地図を見ながら考えてみたが、その地図によると、どうやらここ蘇州には信じられないくらいの世界遺産があるようだった(そういう情報は持っていたが)、、ただ、どこがどうということはまったくわからなかったから、ま、せっかくだから行けるところはいってみよう、ただし基本は歩きで、ということにしていた、、当然観光バスもあったし、あとからそうやって歩いていたときに見かけたが、名所を効率的に回るバスルートも何本かあったようで、そういったものを利用すればもっと多くのところを回れたかもしれなかった、、しかし、いずれも言葉の問題が立ちはだかっていて、それは最初から考えなかった、、そもそもこの蘇州自体がおまけのようなものだったのだから、歩ける範囲でいけるところだけでよかったのだった、、

 で、次の朝はまず、これも前日ホテルに来る間に見つけていた人民路沿いのマックで朝食をとる、、そしてそのあと、その道を北上して‘北寺塔’まで歩く、、ここは前日に人民路を歩いていたときから見えていたし、塔というだけあって高い建物だったから、そこから街の一望はどうしても欠かせないところに思えた、、しかしそこでまず失敗をする、、といってもそれは後で気づいたことで、最初の訪問先だから止むを得なかったともいえた、、そこの入場料が25元だった、、ちょっと高いなと思ったのでどうしようかと少し迷う、、しかしオノボリさんとしてははずせない、、それにここは特に外国人料金の設定があったわけでないから、ま、止むなしとしてそこに入って上まで登る、、そこからの展望は文句なしによかった、、遠くに高層ビル群があちこちに見え、近くに黒い瓦の古い街並みがあった、、何枚か写真もとる、、そこには30分くらいいたか?、その間地元の(中国人の)観光客がどんどん増えていたが、それでもそこに入るのに行列を作ることはなかった、、次に歩いていけそうな‘拙政園’というところに向かう、、そこは北寺塔の前の道を東に5~10分くらいのところだったから多くの観光客が歩いていた、、が、そこに着く手前あたりからその辺一帯は人で溢れかえっていた、、入り口がどこだかわからなかっただけでなく、それらしきところからは長い長い行列ができていた、、ここはそうとう有名?あるいは重要なところだったのかもしれないが(あとから知ったことだがそこは博物館もあった?あるいは併設されていたようだった)、到底入れそうになかった、、そこはパスすることにして、少し南に下ったところにあった‘獅子林’というところに向かった、、ここの名前だけは聞いたことがあって、その前まで行くとやはり世界遺産登録の碑があってここも人で溢れていた、、ticketを買うにも並ばなければならなかったのでここもパス、、もうその頃には前日に憂えていたことが当たってしまったことを嘆いていた、、どうも最悪の日に蘇州見物をしているようだった、、そこからは混んでいるところは入園せず、ただその地だけ訪れてみるだけでOKとすることにして、やはり近くにあった‘耦園’というところまで歩く、、その間蘇州らしい小さい川沿いを歩いたが、どうもそのあたりいったいも観光客の散策ルートになっているらしく、その客を当てにした小さな洒落た店や露店が多く店開きしていた、、耦園というところはもうどうでもよかったが、そこは逆にあまり人気がなかったからか、すぐにticketが買えそうだった、、それにそこでシニア料金の設定があることに気づく、、つまり入園料が20元のところ、たぶん小児と同じく半額になって10元で入れそうだったのだ、、それならと思ってパスポートと一緒に10元出すとticketをくれた、、そのとき初めて、もしかしたら北寺塔も半額で入れたかもしれないと気づいたのであった、、しかしその耦園は、やはり多くの観光客を集めていたが、それがどうして世界遺産になっているのかわたしにはわからなかった、、そこから外城河(たぶんこれは昔城塞都市を囲むように造られた運河か?)という川沿いにそって復元した城壁が建てられていて趣は悪くはなかったが、あまりにも造られた観光名所的な佇まいは、ちょっと納得しがたいものあり‥、、その城壁の上を歩いて南に下っていくと相門古城というところにでた、、そこまでマックから3時間くらい?そのあたりで午前の部は終わりになった、、

蘇州の人民路沿いにマックがあった、、035_640x427

マックから蘇州の中心街を望む、そこは民路と蘇州の繁華街観前街が交差する一等地にあって、ちょうどそこは工事中だった、、036_640x427

北寺塔;2枚 

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上からの眺め;5枚、黒い瓦に統一されているのが印象的039_640x427 040_640x427 041_640x427 045_640x427 044_640x427

拙政園前の混雑、入園を諦める、、047_640x427

同じく獅子林、ここも入らなかった、、050_640x427

川沿いの出店多数、、051_640x427

水の都蘇州らしい風景;2枚048_640x427053_640x427

耦園はいまいちの観あり054_640x427_3

相門城壁、先に見えているのが相門古城、、057_640x427

 

  といって、どこかで昼食をとったわけでなく、その近くから地下鉄に乗ったのだ、、バスはまったくわかりづらく、言葉の問題もあって乗れなかったが、地下鉄は上海でも乗っていて基本的に乗り方は同じだと思ったので、それで行けるところを探してのことだった、、わたしが唯一蘇州で知っていた(その名を聞いたことがあった)名所は、一箇所(?同義反復してる)しかなくそれは‘寒山寺’であった、、が、そこへは地図上では歩いていけそうになかった、、が、地下鉄を使えば、それでも少し歩かなければならなかったがその距離は格段に短かくなった、、地下鉄(3元)は7つ目か8つ目だったと思うが濱河路というところで降りた、、そこからは歩けば15分くらいと思っていた、、濱河路という大きい通りを北上してしばらく行くと大きい通りとの交差点があった、、そこを右に行かなくてはならなかったのだが、よくわからずまっすぐいってしまって行けどもとけどもそこに着かなかった、、気づいたときにはだいぶ先までいってしまって15分でいけたところを30分ほど歩いてしまった、、そしてようやくそれと思われるところについたとき、そこでもシニア割引がきいて12.5元払って中に入ると、そこは隣接する‘楓橋風景名勝区’という公園で、寒山寺は江村橋という太鼓橋を渡ったところにあった、、つまりまったく別のところに入ってしまっていたのであった、、もちろんわたしの無知・思い込み・錯覚が原因だったにしろ、なんか騙された思いがして、また新たにticketを購入しなくてはならなかった、、ところが、そのticket売り場の混雑振りを見て、いっぺんに気持ちが萎えてしまって、もうここもいいや、ということになった、、ともかく日が悪すぎのだ、どこもたいへんな混雑振り、中国人観光客であふれかえっていた、それもそのはずで中国は大型連休の真っ只中だったから、今や裕福になった庶民層はこのときばかりと、大挙して中国中から押し寄せているようだった、、そんな彼らにとって蘇州は世界遺産の街として人気のある観光地だったようで、どこへいっても大型観光バスがの列をなして駐停車していたし、その交通渋滞もすさまじいものがあった、、それでもう戻ることにしたが、歩いては帰れないほど遠くに来てしまっていて帰り方がわからない、、たぶんバスを聞いても無駄だったであろうし、かといってタクシーを使う気はなかった、、となると歩くしかなかったのである、、地図は持っていたから方向はわかっていて東へ東へ行けば、いつかはたどり着けることはわかっていて、ただひたすら歩き出した、、途中で空腹を覚え適当なところを探す、、この適当なところというのがわたしの場合結構難しくて、食べ物屋はいくらでもあったが二の足を踏む、、と、まさにわたし向きのところを見つける、、それはバス通りを歩いていると蘇州名物の運河沿いの通りだったが、向こう側はまったく人通りのない遊歩道があってそこに屋台が何軒かあった、、しかもその屋台には昼食時を過ぎていたからか客が誰もいない、、まさにわたしむきのところだったので橋を渡ってそこにいってみる、、暇そうなオヤジがいたが、ほとんど無視されていた、、で、通じないながらもなんか食わせてくれ、と板に書かれたメニュウの中からチャーハンを指差して、これといって注文した、、すぐに作ってくれ、空腹だったので椅子に腰掛けてがつがつ食べていると、近くに大学があったらしく女子大生が現れる、、何かをtake outしによったようであったが、彼女が片言の英語を話したのでわたしとそのオヤジの間をとりもつように、わたしがそこにいる事情(もちろん日本人で何歳で何をしているかを含めて)を伝えてくれたのだった、、いっぺんにその場が明るくなり、隣の屋台のオヤジも顔をだしたりして和やかな雰囲気となった、、そんなことのほうが、どんな名勝を見るより楽しく思い出になるということを、このとき知ったというわけではなかったが‥、、

楓橋風景名勝区と寒山寺;2枚、何山橋?から059_640x427 060_640x427

屋台でチャーハン(10元)を作ってくれたオヤジと英語で通訳してくれた明るい女子大生 063_640x427_2 064_640x427

 そこからもまだ長かった、、が、帰り道に名所旧跡はまだいくつかあって、その前を通り過ぎていった、、‘西園’、‘留園’、そして商業地区の‘石路街’、‘山塘街’、‘閶門’を通って、そこから白塔西路を東にさらに小一時間?ホテルにたどり着いたときはもう疲れきっていた、、たぶん寒山寺からは歩きだけで2時間くらい歩いたと思う、、その日は途中見学したり休んだり地下鉄に乗ったり食事したりしたが、9時から17時までほとんどは歩いていたのだった、、で、いくつかの世界遺産を訪れはしたが中へは入らず、または入れなかった、、しかし、こういうところは高いお金を払って見学してもだいたいはすぐに忘れてしまうことを思えば、一日歩き回って蘇州の大よその地理感をつかめたことでわたしとしては満足していた、、その夜前日の屋台街は相変わらずの賑わいをみせていたが、わたしは急に餃子が食べたくなって、それが食べられそうな店を探していた、、が、安食堂はいくらでもあったが、意外にもそれが店頭表示されているところを見つけられなかった、、で、一軒の安食堂に入って、漢字のメニューにそれがなかったので筆談で餃子と書いたら、店頭の鉄板の蓋を取ってこれか?と聞かれる、、あるではないか、喜んで肯くと、何個?と聞かれたので5個と答えると難しそうな顔をした、、何個が単位かわからなかったので、それをなんとか質すと8個5元とのことだった、、了解して8個をtake out(ここもその食堂にビールが置いてなかったので)して、ファミリーマートでビールとおにぎりを買って帰るが、お腹がいっぱいになっておにぎりまで食べることができなかった、、

山塘街の船着場(運河観光遊覧?)

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  あくる日6時前に起きて6時20分にチェックアウトして中国東方航空の営業所に向かった、、そのときはたぶん15分くらいしかかからなかったと思う、、楽勝に間にあったと思っていたらとんでもないことになっていた、、バスはすでに待機して乗客も乗っている、、バスの前にはドライバーか、荷物の係りか、何人か関係者がいてプドン?と聞かれたからそうだと答えると、ticketは?と聞かれる、、それは今から買うのだけれどバスの中で買うのか、売り場があるのかと、聞くと通じないながらもことがことだけにわかったようで、後ろの事務所を教えてくれた、、そこへ行って7時のバスに乗りたいというと、そこでもちゃんとした会話は成立していなかったが、どうやらないといってるようだった、、‥??どういうこと、、次の便ならあるようなことを言っている、次の便は7:40だった、、それでも何とか間に合うだろうと思って、それでいいといったが、ticketは売ってくれなかった、、‥まったくわけがわからずにここでも怒鳴りだしそうになったが、そのとき初めて悟ったのであった、、どうやらすべて満席のようだったのだ、、これは最大のミスだった、、飛行機に乗れない‥??、どうすればいいのか思案しているところに助っ人が現れた、、カナダ在住の中国人おばあちゃんで、だから英語は当然達者だった、、彼女が説明してくれたところによると、今は連休中でバスは満席、この時期は遅くとも前日中にticketを購入していないかぎり、当日にこのバスに乗ることは無理だろうということ、残された手段は、もしかしたら出るかもしれないキャンセルを待ってみるしかないだろう、ということだった、、そういうことだったのだ、、来るときのバスがすいていたから、そんなことに思い至らなかったのだけれど、前日でも前々日にでも来て、予約しておくべきだったのだ、、致命的なミスを犯してしまったようだった、、で、そのおばあちゃんに頼んで、12:00のフライトなのでキャンセルが出次第できるだけ早いバスに乗りたいことを伝えてもらい、それが了解されたことをおばあちゃんから通訳してもらった、、なので待つしかなかった、、そのおばあちゃんは7:40に乗るらしいこと、わたしの前にキャンセル待ちしている人がいるらしいことも聞いた、、事態を把握し、なすすべがなかったのでおばあちゃんと少し四方山話をしながら気を紛らせているところに、その事務所の人が何かいってきた、、それを聞いておばあちゃんが突然、すぐに荷物を持ってバスに行くように、、空きが出たといっている、というのであった、、時刻は7時ぎりぎりのところであった、、すぐにticket代金を払い、おばあちゃんに礼を述べる間もなくわたしはバスに乗り込んで、席に着くと隣にわたしより順番が先だったキャンセル待ちの人が座っていた、、そしてバスはすぐに発車した、、何という急展開、何という幸運だったことだろうか ! !、、そのバスは9:20には浦東国際空港に着いていた、、だから却って少し時間が余ってしまうことになったのだけれど、ともあれ、そうして無事に帰国できたので今こんな駄文を書いていられるのであった、、

<了>