独歩の独り世界・旅世界

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エッサウィラ Essaouira

 一度通った道だったので、-普通は同じ道を戻るということはめったにしないのだけれど、ここの場合は周遊ルートがとれなかったので(その意味でラアユン~スマラ~タンタンルートを検討はしたが) - 夜行バスを使うのはもったいないとは思わなかった(初めての道だったらなるべく昼間通りたい、ということ)、、22時発のバスは実際は23時ころの発車となったが、面白かったのはバスは来ているのに直前まで客を乗せず、少ないスタッフで荷物のチェックを優先させていることだった、、そのためそれまで長らく待ちぼうけしていた乗客を余計いらいらさせた、、もうひとつ、これは意図的かどうかわからなかったが、22時発のCTMのバスとほとんどつるんで走っていたことであった、、これはたとえば夜間の砂漠の一本道の走行などでは自衛手段として効果的なのかもしれないと思われた(別の場所で同じような体験あり)、、バスは夜間の砂漠路をほとんどノンストップで走り朝の6時半にラアユンに着いた、、けっこう冷え込んだのでほとんど眠れてはいなかった、、ラアユンはすでに既知の街である、、恐らくかなりここで停まるはず、、で、他の客に倣ってオフィスに隣接するカフェで朝のコーヒーをもらった、、ほとんど乗客の入れ替えはなく7時にラアユン発、、日の出が8時近く、この道もすでに一度通っていたのでさしたる感動はなかった、、が、それよりもどうもその日は天気が少しおかしかったようだった、、日が登ってもすっきり晴れわたっている状態ではなく、なんか霞んでいたのである、、だんだん視界が悪くなっていった、、初めて経験する砂嵐だった、、タンタンプラージュ辺りでは下手すると前を走っている車が見えなくなるほどのもので濃霧の中を走るのと変わらなかった、、それでもその辺りから道は内陸に入り海岸段丘を下ってタンタンの街に入るとだいぶ嵐は治まっていた、、数日前スプラトゥールのオフィスを探して歩いた、その通りを少し先までいった辺りで降ろされた、、そこで降りたのはわたしともう一人くらいしかいなかった、、出発は1時間遅れだったのに到着予定10時半を15分しかオーバーしていなかった(ダフラ~タンタン、だいたい12時間?)、、その場所はもうどこかはわかっていたし、特に急いで戻らなければならない理由はなかった、、少なくとも歩いて30分くらいかかりそうだったから途中で一息入れるためWiFiの繋がるカフェかレストランを探しながら歩いた、、そうして見つけた一軒のカフェに寄り道しながらちょうど12時ころ荷物を預けてあるホテルに戻った、、前回と同じ部屋が空いていたのでそこにしたが、しかしその日は砂嵐と強風のため窓が開けられない状態だった、、

Laayoune~Tantan間の車窓から;5枚、同じ道を通ったのだけれど、やはりバスとタクシーでは眺めが違った、、右は漁師の小屋?025_640x480_2
海沿いの塩田?032_640x480_2

砂漠の一本道
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時々入り江や河がある
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何本かあった河のひとつ
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 その日の午後は疲れてたので昼寝したりで遠出することはなかった、、ホテル・ターミナルの周りをぶらついて食事したり買い物したりで特別なことは何もなし、、昼食は安食堂でタジン、夜は屋台の串焼肉サンドがここも安くてうまかった、、翌朝、ターミナルでエッサウィラ行きのバスを探す、、が、エッサウィラまで行くバスはなく途中アガディール乗り換えとのことだった、、そのバスは1時間に一本くらい出ているようで8時発に乗れた、、アガディールまで50Dh、各停のローカルバスでグルミン Guelmim10:00~10:30、ティズニットTiznit12:00~12:30といった比較的大きな街には長時間停車したのでアガディール着は14時になった、、

 アガディールはまたバカでかい街だった、、といってもそこは乗り換えのために降りただけでターミナルの外へはでなかったがバスで通っただけでそれはわかった、、もしそこからエッサウィラに行くバスの乗継ぎが悪ければ一泊するしかないと思っていたが、大きすぎる街はあまり好きではなかった、、バスを降りると呼び込みがすぐに寄ってきてどこへ行きたいのかと聞いてくれたので、こういう場合は逆に助かる、、15時発のバスを教えてくれた、、1時間バスを待つ間、例によって串焼き肉のサンドイッチで昼食、、バスはほとんど定刻に出てアガディールの街を抜けると美しい海岸線を通る、、Taghazoutあたりまで(小一時間)はリゾート地帯らしく洒落たホテルやお店が並び欧米人を含めた観光客が多かった、、その辺りからずっと居眠りしてしまって目が覚めたときは闇の中を走っていた、、エッサウイラ着は19時半だった、、ここも世界遺産の街らしくモロッコ情報をもらったときO氏から勧められた街だった、、のんびりするにはいいところだと‥、、それで是非寄ってみようと思っていたのだけれど、地図を見て海沿いにある街だという以外に何の情報も持っていなかった、もちろん市内地図もないからバスがどの辺に着いたのかもわからない、、それにもう真っ暗でバスターミナルもそれほど大きくはなくタンタンと同じでオフィスがあるでもなく広場のようなところだったから、さてどっちにいったらよいものか、こういうときは焦ってくる、、ともかく宿探し、周りを見回す、、遠くにそれらしき看板はあった、、とりあえずそこにいってみるかと歩き出したところ声がかかった、、それも女性、オバサンだった、、言葉は通じないが宿を探しているのかと聞いてるようだったので、通じないながらも近くに安宿はないかといってみる、、ま、こういう場合は大方通じるものかと思って、ついて来いというので半信半疑ながら彼女に従う、、中心とは反対のほうに向かったがそれでも5分くらいのところの建物に入っていき狭い階段を3階まで登った、、、そしてそこの住人となにやら話している、、今度はそこのオーナーらしきオバサンと交渉となった、、が、このオバサンがスペイン語を話したので交渉はスムーズだった、、そしてわかったことはそこはアパートでその一室を貸してあげるというものだった、、設備(キッチンもついていた)も部屋も立派で長期滞在には向いていたかもしれない、、後でわかったことだがどうやらエッサウイラというところは長期滞在する旅行者が多いようで、それでそのためのアパートとか、わたしを連れてきてくれたオバサンのような口利きがいるようであった、、しかしわたしには問題にならないほど高額だったので交渉の余地なく引き上げた、、もし最初にあった時点でそのオバサンときちんと意思が通じていれば無駄な時間を費やすこともなかったということだった、、残された道は最初に目にしたホテルらしき看板のところへいってみるしかなかった、、人ごみを縫ってそこに行くとまぎれもなくホテルで部屋はあった、、が、バストイレなしで120Dhはバストイレつきで50Dhのところに泊まっていた身にはいかにも高く感じられた、、ホテルの格や構えからすると決して高すぎるものではなかったのだけれど、もっと安い宿はないの?と聞いてみる、、それに対する返事はなく120Dhが100Dhまで下がったが、もう少し探してなかったらまた戻ってくるといって断ってしまった、、ひとつにはそこに来る間にもう一本通りを見つけていたからだった、、それに世界遺産の街なのだから安宿がもっとあってもおかしくないのではという想いもあったからだ、、が、やはり地図も情報もなくましてや夜だったので、しばらく探し歩いたが少し離れたところにもう一軒見つけたのが精一杯で、そこでまた交渉となった、、先ほどのホテルとレベルは同等、値段はバストイレなしが150Dhとのことだった、、よっぽど最初にいったホテルに戻ろうかと想ったが念のため少しごねてみた、、その結果150Dhが100Dhまで下がったので後に引けなくなりそこに決めざるを得なくなった、、安くてよいホテルなら2~3日のんびりしてもいいかなと思っていたが、とりあえず一泊ということにした、、荷を置いて店が閉まる前にと食べ物屋を探す、、その近辺には安食堂がなくバスターミナルのほうに歩いていくと魚フライが食べられそうなところがあった、、とりあえずその日も魚フライ・サラダ・パン・お茶といった、ま、セットメニュウみたいな夕食が18Dhで取れたことに満足、帰りにコーラとケーキとオレンジ(全部で11Dh)を買ってホテルに戻った、、

アガディールのバスターミナル;2枚、ここはそれまでにみたどこのターミナルより大きくて立派だった

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 次の日はだから宿探しから始まった、、朝そのホテルの一階のカフェでコーヒーとケーキを頼む、、ケーキはないからどこかで買って来いとのことだったので昨日の店まで買いに行く、、ここはいわゆるメディナ、つまり城壁に囲まれた旧市街があることでも有名らしかったので朝食後その方向を聞いて出かける、、昨日はそこを見つけられなかったのだけれど歩いて10分も行かないうちに城門に出た、、いや、実はその途中でたまたオバサンから声がかかっていたのだ、、そのときは英語だったか、やはり部屋が空いているという、、すぐそばだからというのでついていくとシチュエーションは昨日とまったく同じ、アパートの一室を貸すとのこと、設備等は申し分なく昨日のところより安かったが、それでもわたしの希望と程遠かったので断る、、が、ここはなんか他とは違うな、と思ったのだ、、アパートの部屋を貸しますと、それも二人のオバさんから声をかけられたのだから‥、、それでここは長期滞在者が多い?ということがわかったのであったが、しかしそれは、その城門から入って1時間ほどメディナをうろついて、そこと反対側の城門から出て漁船や水揚げされたばかりの魚を取引する漁師・漁民でごった返しているエッサウィラの港辺りをうろついたあとでは納得するのであった、、あー、ここは長くいても飽きないだろうなぁ、いいところだなぁ、とわたしも思ったのである、、また、その旧市街・城壁に囲われたメディナは手ごろな規模であった、、細い迷路も確かにあったが、メインストリートが決まっていてちょっと奥に入っても出られそうだったし、それでいてフェズやマラケシュの賑わい、面白さが十分にあった、、たぶんモロッコに来る旅行者はここが魅力的な街であることをすでに知っていて、そのメディナのメインストリートはそんな欧米系旅行者であふれていたのだ、、恐らくその中には長期滞在者の数も多かったはずだ、、そう、彼らが好みそうな街というか、確かに世界遺産になる街だけのことはあった、というべきか‥??、だからそのメディナ内にはそれこそホテル・安宿もピン~キリでいくらでもあったのであった、、

城壁の外から043_640x480_2

漁港に通じる城門を出たところからメディナ内を撮る
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エッサウィラの漁港;4枚017_640x480_2  022_640x480023_640x480_2
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 わたしはその最初の1~2時間の街ブラで城壁に囲われたメディナの概略と漁港とエッサウィラの中心の、その地理をだいたいつかんで安宿を探しいていた、、が、大方はそのとき泊まっていたホテルとたいして変わらないか、もっと高いものばかりであった、、それでも同じ金額ならメディナ内のほうが活気があって商店がたくさんあるし漁港に近いのでずっといいと想って、せめて少しでも安いのがあればそこに決めるつもりでなおも探し歩いた、、行き当たりばったりで聞いて回っていると、ほとんどそのメディナの中心部と思われるところにバストイレ別でWiFiつき90Dhというのを見つける、、で、もうそこに決めるつもりで荷物を取りにいってくるといって最初のホテルに戻った、、いや、一泊しか泊まらなかったがその初日のホテルも100Dhならそれほど悪くはなかったと思う、、が、内と外の違いだけだったにしろ立地としてはやはりメデイナ内のほうが旅行者としてはよさそう、ということだった、、で、チェックアウトして荷物を持ってまた城門に引き返し、メディナ内をホテルに向かって歩いていった、、雑多な商店が並ぶメインストリートをしばらく行くと、その商店にまぎれて素通りしていたところに別のホテルを見つける、、参考までにと思って値段だけ聞きに入ってみる、、一階は何もなかったがたぶんそこのオーナーの作と思われる絵がいたるところに飾られたかなり洒落たホテルだった、、そこの4階に空き部屋があってバス・トイレつきWiFiつきで106Dh、これはオフシーズン料金で半額になっているとのことだった、、ちょっと惹かれてしまう、、そうだろうな、と思う、、このレベルだと他がそうであったように150Dh以下ではまずありえなかった、、で、少し迷ったがその場でOKしてしまった、、先のホテルはただ荷物をとってくるとしかいっていなかったから、ま、口約束みたいなもので問題はなかったと思う、、そしてとりあえず2泊分を払った、、ここは流石に長期滞在するつもりはなかったが少しのんびりしようと思っていたからだ、、その屋上テラスからは市内が一望できてとても気持ちのよいところだった、、そういう意味では落ち着けてリラックスできる、なかなかよいホテルに当たったようであった、、

アートホテル?といった感じ、絵がたくさん飾ってあるホテルだった、、052_640x480053_640x480

ホテルの屋上テラスから、下はホテル前の通り、Av.Zerktouni(メディナのメインストリート)037_480x640
右、屋上から隣接の建物越しに海が見えた038_640x480ホテルのテラスからの日の出056_640x480


 久しぶりの洗濯をしたいというと、そこのベッドメーキングや掃除をやっているおばちゃんが、やっといてあげるといってくれた、、たぶん洗濯機があったのだ、、もちろん有料だったがたいした額でなかったのでお願いする、、そしてまた街ブラに出かけた、、最初に港にいったとき、まず城壁を一回出たのだけれど、その先の港に砦が築かれていて、そこが有料で開放されていた、、もちろんモロッコ観光局の重要な収入源たるエッサウィラの目玉ともいえる史跡であった、、こちらもオノボリサンだから10Dhは意外と安いなと思いながら早速入場し砦のてっぺんまで登る、、そこからの見る荒波寄せる大西洋、そしてエッサウィラの城壁と旧市街、真下に陸揚げされた漁船、商う漁民と買い付けにきた市民、飛び交うカモメ‥どれも全て絵になる光景だった、、そこにどのくらいいただろうか、、寒くもなく暑くもなく、それは旅の中でも至福の時間に思われた、、

砦の上から;3枚034_640x480_3032_640x480_4

エッサウィラの城壁とその向こうがメディナ
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砦の下あたりからメディナを望む;3枚
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 ここはこの港、そしてメディナがあったので確かに飽きない街であった、、が、ひとつだけ気に食わないことがあった、、というのも、そうやって街ぶらしたり土産物屋を冷やかしたりして、その日の午後も次の日ものんびり・まったりしていたのだけれど、かねてひとつのことに挑戦してみたいと思っていた、、実はそんなこともあろうかとわたしは常時ワサビと醤油を携帯していたのだけれど、まさにここでこそ生魚、特にイカ仕入れたいと思ったのだった、、港での路上販売は多種類の魚を扱っていて普通の魚類の他エビ・カニ・タコ等もあった、わたしはイカを買いたかったのだけれど一杯二杯買っても処理できない、、ところが街のスーク(市場)には魚屋もあって、そこでは捌いたイカがいくらでも売っていた、、それでうまく通じなかったがともかく片言で売ってくれと頼む、、せいぜい10Dhくらいと思って頼んだら山盛りで20Dhとかいわれてしまった、、半分でいいといったがそんな少量は売れないと相手にされなくなってしまった、、諦めてまた街ぶらしていると港近くでもうもうと煙が立っていた、、近くまでいくと香ばしいにおい、、取立ての魚介類をバーベキューにして食べさせる野外レストランが10軒くらい並んでいた、、欧米の客でごった返している、、呼び込みが盛んに声をかけてくる、、どうやらそこではアルコールもあったかもしれない、、しかしいかにもツーリスト向け・欧米人向けのレストランで、新鮮な魚介類を食べさせるにしてもひとつには生食がなかったこと、もうひとつはそれなりにぼったくりの料金だったのである、、貧乏一人旅向きのレストランではなく、ここも恨めしく去らねばならなかった、、そうやって目の前の新鮮な魚介類は絵に描いたもちになってしまったのであった、、仕方なくまた帰り道、魚のフライ(その中にはイカフライもあったが)とおいしいフランスパンとコーラを買って帰り、ホテルのテラスで食事をするのであった、、負け惜しみに、いくら新鮮で豊富な魚があったとしても、日本酒と白いご飯がなければせっかくの味覚もいまいちではないかと思いながら‥、、

路上販売の魚介類;4枚018_640x480_2024_640x480_2036_480x640_2
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取りたての魚介をバーベキューで提供している野外レストラン
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 ちょつと似たようなこともあった、、それは夕方であったがそこは庶民の店で間口の小さい焼肉屋だった、、細い路地裏にあって店頭で炭火で焼いているそれも相当うまそうだった、、これももうなじみの光景で相場は知れていた、、が、そのときはどうも意思(気持ち)がうまく伝わらなかったようだ、、というより初めわたしはその前を行ったりきたりしながらどうしようか迷っていたのだ、、それを見ていたその店の若者はわたしのいっていることがわからなかったからか(当然通じていなかった)手差しが気に入らなかったのか、あるいは東洋人が嫌いだったのか、けんもほろろの扱いを受けた、、こちらも通じない言葉でやり返したが、この若者といい市場の魚屋といい、どうもわたしは嫌われたというか差別されたような感じがした、、実はそのどちらもユダヤ系だったのである、、そしてここのメディナは特にユダヤ系が多かったように思う、、次の朝カフェを探して通りを右往左往していたらたら、なんとホテルの目の前にほんとに間口の狭い茶屋があって例のモロッコ風パンケーキを焼いている店があった、、そこのお茶もパンケーキも安く庶民がかわるがわる朝飯に寄っていくような店で、わたしも二日間朝食はそこでとった、、そこのマスター風の男は愛想もよく決して差別するような男ではなかったが、やはりユダヤ系であった、、魚フライの店もパン屋もユダヤ系だったと思う、、ユダヤ人の苦難の歴史をここで述べるつもりはないが、故郷を追われたユダヤの末裔はこの地(モロッコ及び北アフリカ全体)に深く根を下ろしていることを改めて認識させられた、、が、そのユダヤ系はけっこう東洋人を差別的な目で見ているように思ったのはわたしの僻みというものだろうか‥??、もっとも確かにわたしといえば貧乏たらしい老人で、もしかしたら乞食に間違えられただけかもしれなかったのだけれど‥??、、

このマスターはユダヤ系だが気さくな紳士だった、、059_640x480

ホテルと上の茶屋の間メインストリート(Avenue Zerktouni 朝撮影) 057_640x480_2


 いずれにしろ世界遺産はどうでもいいことだけれどエッサウイラはなかなか面白く魅力あふれる街であることは確かだった、、で、観光客も多く、その分だいぶ俗化していると感じられたのもまた事実だった、、ま、それはここに限ったことでなく、観光化と俗化は同義語だからやむをえないのだけれど、長期滞在するにはやはりそれなりの若さ、あるいはわたしのような貧乏人でなくある程度の余裕があって二人で来るならお勧めの場所といえた、、ちなみにわたしの泊まったホテルはHotel Riad Gunaouaといって、そこはメディナの中心から少し離れている分お安くてお得という感じがあった、、それでもメディナ内のメインストリート(Avenue Zerktouni)にあったから、ここはひとりでもお勧めかもしれない‥、、

エッサウィラの夕暮れ;3枚046_640x480_2050_640x480_2045_640x480