独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 17,ラマナイLamanai ~ チェトマルChetumal

 次の朝、ロビーでラマナイツアーの迎えを待っているとき、非常に失礼な思い違いをしてしまった。もちろん当人たちにそんな話をしたわけではなかったが、このホテル、というか別にここだけでなく日本でも昔は、中南米では最近どこでもその傾向にあるのだけれど、ある種ラブホ(まさにこの名称も形態も日本は独自に進化を遂げている)的な使われ方をするようになっていて、またそれを商売にしている人たちも所詮その場所を利用せざるを得なかったから、ま、ホテル側も客を選んでいではいられないところでは、その斡旋はしないまでも見てみぬ振り?暗黙の了解の下、持ちつ持たれつの関係にあった。そんな実態は各所で見ていたが、この健全な安宿も例外ではなかったようで、明らかにそれとわかるカップルが、わたしがロビーにいた8時半から9時頃の間に一組入ってきて上に上がっていった。そうこうするうちに、今度は降りてきたカップルがあって、いやぁ、ここはその手に人気のホテルなのかと思ってしまったのであった。が、そのカップルはチェックアウト?したもののすぐには出て行こうとしなかった。いったん外に出たが、また戻ってきてその辺でウロウロしている。何だ、この二人は?と思っているとき、ツアーの迎えの車が来た。ホテルの人に促されたのでそれに乗り込むと何とその二人も乗り込んできた。あとで自己紹介したときにわかったのだが、ダンナのほうはマルティニク島出身のJorgeといいい、若い奥さんはフィリピンの出身でJosefineという、れっきとした夫婦だったのだある。そしてこのあとこの二人にはとても親切にしてもらい、助けられることになったのであった。
 

 迎えの車は、他のホテルへピックアップには行かず、我々だけを乗せてしばらく走る。説明もなくどこへ行こうとしているのかわからなかったが、いずれにしろこのまま我々3人だけを連れて、このオンポロのワゴン車を運転しているおばさんがツアーガイドするわけではないのは明らかだった。ベリーズシティ方面の道を15分ほど走ると川があって、その橋の手前をわき道にそれ、川縁の船着場で我々は降ろされた。そこで待つこと30分、思った通り、そこが各エージェントが集めた客の集合場所だったようで、ほとんど欧米系のツーリストだったが、次々と各社の車に乗せられてやってきた。その客たちを待つ間に、我々は同じ宿だったこともあってそれぞれ自己紹介ということになって、それ以来親しくなったのであった。しかし、ま、こんなところでフィリピーナに会おうとは !! 、&彼らの馴れ初めまでは聞かなかったが、フィリピーナはどこへ行ってもその手の女性に見えてしまうというのは(美質としての)フィリピン女性の一面性であろうか?、ともあれツアー参加者のうち一人参加がわたしだけだったが(他はカップルかファミリー)どれだけ彼女の陽気さ(frank & friendly)に助けられることになったか!?、わたしは最初の誤解を心の中で詫び、そして感謝の意はちゃんと伝えたのだったが‥、、

ボートクルーズ乗り場、前に行く二人がJ&Jカップル、夫婦だった、、Img_0974_640x480_2

 ボートは7~8人乗りで、それが2艘でスタートすることになった。それぞれのボートの船頭がガイドも兼ね、要所要所で減速して説明をしてくれていたが、英語の聞き取り力の問題で、ま、半分くらい?内容的にもたいしたことはなさそうだったので、ほとんど聞き流していた。やれ、あそこに***という鳥がいるだの、ワニの小さいのがいるだのいっていたが、それらもよく見えなかったり、なんか置物(イミテーション)のようであったりで、他のツアー客たちにとっては1時間半のこのリパークルーズはたいへん興味深そうであったが、グァテマラのセイバル・アグアティカへのチャーターボートやアマゾンその他でのボートクルーズを経験していたわたしには、それほど大騒ぎすることには思えなかった。ま、それでもボートクルーズそのものは気持ちのよいものである‥、、ラマナイ遺跡到着は11時半、そこにはまた他のツアー会社主催のボートが何艘も舫ってて一大観光地の様相を呈していた。

この川をボート2艘でいく;2枚(しかしこの写真のボートが同じグループのボートだったか、いまや不明)Img_1032_640x480_2Img_0990_640x480_2

ラマナイ遺跡の船着場Img_0993_640x480_2

 上陸後まもなく問題発生、それは我々3人だけのことであったが、そのガイドがいうには我々のラマナイ入場料が払われていないというのだ。前日のわたしの危惧が現実となったのであった。もちろん彼ら二人もその点は確証があったようで、3人で猛烈に抗議するもこのガイドは受け取ってないの一点張り、仕方なく、というかこれは我々のホテルまたはツアー会社(我々をボート乗り場まで運んでくれた会社)の問題と判断し、この場はとりあえず一人10Bz$払わざるを得なかった。マルチニク・フィリピーナのJ&Jカップルにとってはたいした額ではなかったと思うが、わたしにとっては残り少ないベリーズマネーで、非常に厳しい状況下にあった。それはひとつには昼食の問題に関係していた。ともあれ、そのガイドに引率され全員一緒にラマナイ遺跡を見学することになったが、それはなかなか見ごたえのあるものだった(ちゃんと説明もあったが、例によって全て聞き取れ理解できたわけではなかった)。おおよその見学に1時間半、大きなピラミッドが三ヶ所ほどあって、有名な仮面(神のマスク?もちろん修復してあると思われるが)の彫像もピラミッドの基壇両側にはっきりとその姿を確認することができた。さて、一通りの見学後に昼食の時間になった。それまでに飲料水は配られていたが、昼食込みと思ってなかったわたしは残金の関係から昼食は抜かすつもりでいた。が、全員が指定された場所に向かっていって、どうやらそこで昼食が準備されているようであった。貧乏性のわたしは、また金を払わされるのかと疑い、別行動しようかと思ったそのときJosefineに一緒にご飯を食べようと誘われたのであった。ま、そこでまさか金がないから食べないともいえず一緒に列に並んだ。好きなものを好きなだけ盛れるカフェテリア形式で、そこに並んでいたのは名物の赤豆ご飯にチキン、ポテトサラダにもう一種類別のサラダ、揚げバナナにデザートとしてのバナナ、コーラや他のソフトドリンクなどなどで、一通り盛ってみんなの後に続いたが誰も代金を払っているものはなかった。そしてJ&Jと一緒のテーブルで食事したのだが、これがオレンジウォークでつくられツアー助手の少年たちが我々と同じポートで運んできたものとは思えないほどの美味しさだったのである。しかも、ツアー料金に含まれていたとは !?、、なんか非常にソンをした気分だった。普通は思ってもいなかった食事にありつけたら得したと思うのかもしれないが、そうではなかった。初めからそれを知っていたなら、余計な心配もせずにもっと美味しく楽しく食事ができたであろう‥ということだった。こういうことが最近多いのである。そういったソンをしてしまいかねないミスやドジ、思い込み・思い違いの類が特に多くなっていることは以前書いた通りである。それを思い違いをしてしまった当人からの一言で救われることになるとは何たる皮肉か?だからJosefinには感謝しても仕切れないくらいだったのだ。そして、このときの食事がベリーズで食したものの中でわたしにとって一番おいしく感じられたということは(実際美味しかったし、こういうツアーでの昼食としてはこれまでの経験からもかなりいい方)如何にわたしがロクなものを食べてなかったかを証明しているようで、我ながら少々恥ずかしく感じてはいた。

ラマナイLamanai遺跡;9枚まとめて、、Img_0997_640x480Img_0998_640x480Img_1008_640x480Img_1006_640x480Img_1019_640x480Img_1011_640x480<Josefin>Img_1023_640x480Img_1026_640x480Img_1030_480x640


 帰路は14時桟橋集合で往路よりずっと早く15:10にオレンジウォークの船着場に帰着した。が、そこに今朝のおばさんは待っててくれず、我々3人だけが取り残されてしまった。まったくいい加減なエージェンシーだ、どうしようと話しているところに一艘のボートが到着して、船頭のオヤジが、実は今朝の女性は自分のワイフだが別の仕事で来られない、このボートで送るといってきた。他に選択肢はなく、その船着場からオレンジウォークまでかなり蛇行の激しい水路(ラマナイまでいっていた川New Riverの延長)を行くことになった。多少車より時間はかかったが、川からオレンジウォークの街への上陸も悪くはなかった。降り際にラマナイ遺跡の入場料10Bz$も返してくれた。その上陸地点が、昨日訪れた教会のところで、その教会を見てから戻るというJJカップルとはそこで別れることになった。そこから5分のホテルに急いで戻り、預けた荷物を受け取ってすぐにバスターミナルに向かう、ターミナルには4時前についた。できれば明るいうちに国境を越えたかったが、そのターミナルに時刻表はなく、何時のバスがあるかはわからなかった。売店のオヤジは16:20ころといっていたが、国境を越えてチェトマルまで行くバスは既に終わっているとのことだった。それでも16:30に来たバスはチェトマル行きではなかったが、コロサルの先、国境まで行くバスだったので、ずいぶんとありがたかった。国境付近がちょうど日没で18時ころイミグレの建物の近くで降ろされた。そのバスの乗客の中にわたしの他にフランス人カップルの旅行者がいた。37.5Bz$を払ってすんなり国境通過、その時点で昼食分プラスαが浮いたおかげで25Bz$が残っていた。イミグレをでたところに両替屋もいて、もちろん率はよくないのだがもうBz$は必要なくなったので両替すると170メキシカンペソになった。両替しているときにフランス人カップルが声をかけてきて、チェトマルまで行くならタクシーシェアしないかと聞いてきた。ありがたい話でOKすると彼らもまたそこからメキシカンポーターまで歩ける距離でないのを知っていたらしく、すぐにタクシーを見つけてきてくれた。もうそのころは真っ暗で、歩いてたらもしかしたら道がわからなくなってたどり着けたかどうかも危ういメキシコのイミグレまでタクシーでいけたのは最後の幸運だった。こうして無事メキシコinができて、しかもひとり35メキシカンペソでチェトマルセントラルにたどり着けたのも彼らのおかげだった。彼らはセントロ近くの予め調べてあったらしい宿の前で降り、わたしはそのあとともかくパルケセントラルまでいってくれるようお願いした。

到着寸前のボートからオレンジウォークの教会を望むImg_1036_640x480

国境手前の日没、18時ころ(なお、写真の日付が2015/04/01となっているのは日本時間)Img_1038_640x480


 チェトマルは以前に一度通過していたが滞在したことがなかった。なのでホテルのあてがあったわけでなく、漠然とパルケセントラルまでいけば安宿はあるだろうと思ってて、ドライバーにどこでもいいから安宿とおぼしきところまで連れてってくれるよう頼んでいた。ま、安宿の概念もタクシードライバーとわたしとでは多少の齟齬があって、最初のホテルは中級で、わたしには安くなかったが、すぐ近くにわたし向きのホテルはあった。ドライバーには多少のチップを上乗せしたが、それでも少し不服そうであった。そこはパルケセントラルから1ブロックも離れてないところにあって、最初にいったホテルの半額で190ペソだった。もちろんメキシカンペソは国境で両替した分しかもっていなかったので、ATMの場所を聞いて荷物を置かせてもらって早速引き出しに赴く。そのとき驚いたのがそのATMの手数料の高さ、なんと500ペソの引き出しに81.2ペソ!?16%も手数料もとられていることを知って、メキシコはATMの利用は考えたほうがよさそうだということを認識させられる。もっとも、それはすでにメキシコに到着した翌日のATMも同じ手数料が適用されていたことを後で知るのだが(記憶に残ってなかった、覚えていたとしても他に手段はなかったのだが)今回円安でドルを持ってこなかったことが失敗だったようだ。それだけでなく、最初のときは国際キャッシュカードを使い、そのときはクレジットカードのキャッシングを使ってみたのだが、どちらが両替率がいいのか試してみたいというネライもあった。これも帰ってからわかったことだが、その結果は断然クレジットカードのほうが率がよかったのである。それもかなりの差があったことをこれまたはじめて知ったのであった(キャッシュカード500ペソ+81.2ペソ手数料で日本円4600円くらいだったのに対し、クレジットカードの500ペソ+81.2ペソ手数料の日本円は4000円くらいだった)。ともあれ、そうして最後の夜はチェトマルの安宿で、またも一番安いホットドッグとビールで暮れていったのだが、それというのも500ペソ+国境での両替の残りをあわせても、せいぜいが5000円相当くらいなもので、それでその日の宿代と次の日のカンクンまでのバス代を差し引くと、これまた非常に厳しい状況に変わりはなかったからであった。