独歩の独り世界・旅世界

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ティトゥアン ~シャウエン Chefchaouene

 ティトゥアンというところは世界遺産の街であるらしかった、、世界遺産めぐりをしているO氏はたぶんここにも来ていて、それでここと次に行くシャウエンをわたしに紹介してくれたのだと思う、、しかしどこがどう世界遺産なのかは実際来てみてよくはわからなかったのだった、、

 前日の夜、荷物を置いて早速街ブラに出かけ飯屋を探した、、街のド真ん中だったから大変な人ごみだったが、その中央にある広場は回りを柵で囲って警備の兵隊が警戒しており誰も中に入れそうになかった、、もしかしたら王宮か、それに準じたところだったのかもしれなかったがそこがなんだかはわからなかった、、そこを横目で見ながら大通りを行く、、が、食べ物屋らしきところはそれほど多くなかった、、ま、庶民的な感じの一軒に入って注文の仕方がわからなかったが、そもそも言葉が通じないので指差しでオーダーした、、ひき肉料理にパンとフライドポテトとジュースがついてきた、、ここは旧フランスの植民地?だったからパンがうまかった、、が、何かが足りないのだ、、そうここはイスラムの世界だからアルコールがご法度、食べ物屋で飲めないだけでなくそもそも売っていないのであった、、せっかくうまい料理だったのにいまひとつ満足感がない、、それがこの先3週間続くのであった、、

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 まだ相場がつかめてないので、いわれるまま支払ったがそれほど安くはなかった、、ちょっと物足りなさと不満さが混じった感じで店を出ると通りの角の屋台が繁盛していた、、なんだろうと思って覗くと日本のシッタカにそっくりのものを茶碗サイズの容器に入れて売っており、みんな楊枝を使って殻から引き出すようにして立ち食いしている、、いかにもうまそう、わたしはシッタカの味を思い出してしまったので食べずに入られなくなった、、一杯2Dh(マラケシでは5~10Dhだった)それはエスカルゴ/カタツムリだった、、塩茹でだったと思うが、味も似たようなもので久しぶりの塩味にこれは大満足だった、、これもフランス文化の名残りか、その後各地でこの屋台は見かけることになった、、

 ホテル近辺は飲み屋がない代わりにお茶屋がそこらじゅうにあった、、そして大の大人が日がな一日カフェかミントティを飲みながら何するわけでなく時間をもてあましているようだった、、この光景もこのあとずっとどこに行っても見かけることになった、、アルコールが飲めないので、わたしもちょうどホテルの下にあったお茶屋に入って、そのみんなが飲んでいる同じお茶をもらった、、たぶんそれがミントだと思うが、独特の葉っぱが入ったお茶がでてきて、それはそれでうまかった、、このミントティ(そこは5Dhだった、1Dh;ダーハム?ディルハム?ディラン?呼び方がよくわからないのだが、10円くらい?)もその後各地で飲むことになった、、そう、その日の夜だけで一通りアラブ色に染まり、やはり人々との距離感の違いか、ずっと親しみを覚えるのであった、、

 次の朝窓からは広場越しに向こうの斜面に張り付いている白い家々が見渡せた、、そのふもと辺り、手前の王宮だかパレスだかわからなかったが、その裏辺りがどうやらメディナ旧市街のようだった、、昨夜も少し足を踏み入れていたが、下手に入り込むと出られなくなりそうだったので深入りはしなかった、、で、その朝早速階下のお茶屋で朝食をとったあと出直してみた、、そうとう歴史の古そうな砦のようなスーク(スークは市場・商店街といった意味らしいが、スークとメディナ<メディナはスークも含めた旧市街?>の違いがよくわからない)が迷路となってどこまでも続いていた、、実際すべては歩き回れなかった、、常に戻れなくなるという不安が付いて回っていたからである、、かつてフェズに行ったことがあって同じようなところは見ているのだけれど、もうその記憶もあまり定かでなく、ま、面白いといえば面白い、これほど興味をそそる徘徊もないのだけれど、それと迷子になる危険性が裏腹であった、、たぶん、このスーク(orメディナ?)がここの世界遺産のいわれでないかと思われた、、それほど古くて(写真にあるように、書かれてる内容まではわからなかったが年号を見ると4~500年以上の歴史?)見ごたえのあって面白いエリアではあった、、1時間くらいは緊張しながらスーク内を、そしてそのあと1時間ほどはスークを出て街ブラしてみた、、

ホテルの部屋からの眺めは悪くなかった;2枚126_640x480
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 ここのスークの特徴は扉などの色が緑色に統一されていたところにあり、このあといったシャウエンはそれが明るい青だった、、

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古い砦の壁にはめ込まれた説明(案内?)板;2枚
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街の感じ;2枚
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 午前中2時間歩き回ってだいたいの感じをつかんだので、次に行くことにしチェックアウトした、、ティトゥアンからそれほど遠くないところにもうひとつ見所の多い街があると聞いていた、、もしかしたらそっちのほうが面白いくていく価値があるかもしれないとO氏が勧めてくれた街シャウエン(正式名称はシェフシャウエンChefchaouenという)というところだった、、バスで2時間くらいと聞いていたので、その時間に出て一泊するのにちょうどよさそうだった、、来るときはタクシーできた道を、もう方角はわかっていたから歩いて坂を下っていく、、すると昨日降りたバスターミナルより手前に別のバスターミナルがあった、、そこからもバスは出ているのだろうか?と寄ってみる、、そこはCTMのターミナルだった、、

 これまでも何度も登場願っている世界遺産めぐりの達人O氏から最初に情報をもらったとき、モロッコはバス網が発達しているとを聞いていた、、そしてその中でもスプラトゥールSupratours社とCTM社がお勧めだというようなことをいっていたのだが、わたしはてっきりその2社しかないのかと思ってしまっていた、、ところがここティトゥアンに来るまでその両社のバスを見ていなかったし、どちらのターミナルでも一台も見かけていなかった、、いったいどういうことかと不思議に思っていた矢先CTMのターミナルがそこにあったのだった、、確かにバス網は発達していて、そのあとモロッコ中をバスで回った体験から結論を先にいってしまうと、それはこういうことだった、、いわゆるローカルバスの会社はそれこそ無数にあったが全国ネットの大手はその2社だけだった、そしてこの2社は別格で、ま、それほど他社と値段差があったわけではないが(メキシコのように一等と二等ほどの差はなし)ちょっと格上のバス(会社)だったのだ、、それより特筆すべきことはスプラトゥールに関しては完全に独立した営業所からしか発着しておらず、一般のターミナルへの出入りがなかったこと、またCTMは場所によって独自のターミナルがあったり、大きな街では一般のターミナルにもオフィスがあってバスの発着もあったことである、、で、ここティトゥアンでは独自のターミナルだったのではないかと、あとになってから思うのであった、、そのときはそんなこと知らずにともかくシャウエンにいくバスがあるかと聞いていた、、するとすぐに発車するバスがあるといわれ、前にも同じようなことがあったなとやな感じがしたが、その彼がそのバスまで連れて行ってくれたので無事に乗ることができ、ほんとにわたしが乗り込むとすぐに発車した、、11時半発25Dhだった、、そのバスは結構すいていて天気もよく快適なバス旅となった、、なにが驚いたって、その車窓はモロッコが山国だったことを改めて気づかせてくれたことだった、、車窓左側シャウエンに着くまでずっとその山並みは続き、ずっとわたしはカメラを構えっぱなしであった、、おそらく高いところでは3000mくらいあったのではなかろうか?つまりその山塊が前日アルヘシラスへ向かうバスの中から、そしてタンジェに向かう船の中から見えた、雲の上に浮かぶ高い山の連なりにあるものではなかったかと想像していた、、2時間くらいかかるのではと思っていたシャウエンには12時40分、1時間10分で着いた(そのバスはシャウエン止まりではなく、メクネスかフェズまで行くバスだったようだ)、、そこは各社のバスが発着する一般のバスターミナルだった、、なので明日向かうつもりのメクネスへのバスの時間を調べようと思って、バスを降りたときからわたしのそばから離れようとしない若い男を振り切ってターミナルのオフィスを探した、、と、そこにたぶん日本人と思われる若い女性がバス待ちをしていて、手にしている本が日本のガイドブックだったので声をかけた、、それからお互いの情報交換が始まる、といっても彼女はもうモロッコも後半で、しかもガイドブックを持っていたから一方的にわたしが情報収集をさせてもらったというのが、この場合の正しい言い方になると思う、、いや、それまでにもグアテマラで多くの日本人女性世界一周一人旅に出会っていたから驚きはしなかったが、ここにもまた一人たくましき女性がいて、しかもいろいろ情報を聞かせてもらえたのでほんとに助かったし、頼もしく思ったのであった(彼女はそのグアテマラ/アンティグアにも寄っていて話があった)、、彼女はこれから逆にタンジェに向かうとのことでこのあとの再会は望めなかった、、それに名前を聞き漏らしてしまった、、残念ながらすれちがいになったけど、たぶんどこかでまた会いましょうと別れの挨拶をすると、そのときは一緒にご飯でも食べましょうといってくれた言葉が忘れられない、、まだ旅を続けているのか、無事終わったのか気になるところではある‥、、

車窓から;3枚(一番下の写真に写っている遠くに見える中腹にある街がシャウエンだと思う)133_640x480  140_640x480
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 彼女はこのシャウエンに二泊したけど、いいところだったといっていた、、安宿のだいたいの場所やセントロへのいき方なども聞いて、歩いてセントロにいけそうだとわかったのでターミナル前の坂を登りだした、、するとバスを降りたときに声をかけてきた若い男がずっとそこにいたらしくわたしを追いかけてきた、、しきりに宿は決まっているのか聞いてくる、、たぶん英語でのやり取りだったと思う、、適当にごまかして逆にこっちの方向でいいのかと話をずらしながら歩き続けた、、そのうちどっちにいっていいかわからないところにきてしまった、、彼の出番が回ってきてしまったのだ、、彼に聞かざるを得なくなった、、そのあたりからは彼の勧める宿に行くことにして彼に従って歩き始めた、、が、いくら歩いても、というかその道はずっと急な登り坂でもうそうとう疲れていたのだが、なかなかセントロにたどり着けなかった、、それでも半信半疑ながら彼についていくしかなかった、、30分も歩いたか、そこまでもずっと家並みは続いていたが、その辺からは山肌に迷路のような街路が出現した、、これがシャウエンのメディナ?あるいはスーク?だった、、だからその先はさらにわからないエリアとなってしまった、、それでもそこからは5分くらい彼についていくと安宿が二軒並んであった、、どちらも60Dhでこの辺では一番安いという、、先に入ったところにたまたま一部屋空きがあった、、そこは結構知られているところのようで若い旅行者のたまり場のような感じだった、、だから空いててラッキーだったというようなことをそこの従業員にいわれた、、その態度が少し横柄な感じがしたが一泊だけのつもりだったのでそこに決める、、バス・トイレ共同、窓なしだったがストーブが付いていたのがよかった(夜は結構寒かったので)、、ここまで連れてきてくれた彼はもちろんtipが目的だった、、わたしは最初に断っていた、、例えキミがガイドのようなことをしてくれてもわたしはその謝礼を払う意思はないよ、と、、なぜかというとこの手の金目的の親切な押し売りがここには(モロッコには)多すぎるくらいいたからであった、、だから歩いていると必ず声をかけてくるこの連中には必ず事前に釘をさしておいた、、別にそんなんじゃないという奴には好きにさせたが、今回のように最後にはやはりtipを要求してきた、、で、わたしはそれはホテルに請求せよ、と突っぱねた、、彼はしばらくその辺にいたがそのうちどこかへいってしまった、、少しかわいそうだったが、ひとつにはこちらの問題として筋を通したかったのである、、それはわかってはもらえなかったと思うがこういうことであった、、例えばここの人たちは困っていると(特に困ってなくても)必ず親切に声をかけてくれ助けてくれるのだが、彼らからしてみればそれは当然報酬があってしかるべきと考えてのこと、が、我々からするとそんなのは親切でも善意でもなんでもなくなる、、その辺のギャップがあとで揉め事になり、お互い不快になる、、ならば最初にそれをはっきりさせておこうというのがわたしの考えであった、、とはいうものの、ま、彼は小一時間わたしのために時間を割いてくれたのだ、次の日またターミナルで出あったときに多少の心づけを渡したのだけれど‥、、

ホテルの前の細い街路;左と少し下った辺りの街路;右

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  荷を置いて早速街ブラに出かけた、、宿の前の細い階段状の路地を少し登るとこの街の中心、モスクの前の広場に出た、、もうそこは山の中腹にあって、背後の山のもう少し高いところまで白い家並みが続き、また下方もなだらかな斜面に沿った街並み、そして彼方まで見渡せる広大な風景がその背景にあった、、いや、その眺めはなかなかのもの、何と素晴らしいところだとだと思わずにはいられなかった、、ここも世界遺産らしかったが、先ほど通ってきた山城の細い迷路・街路(メディナ?)とあわせて十分その価値がありそうだった、で、またそれを意識してか建物の窓枠から扉にいたる白壁以外のところがすべて明るいブルーで統一されていた、、それがいっそうこの街のアクセントになっており、ティトゥアンの白と緑に対抗するかのように、ここは白とブルーの印象がとてもいい感じに映るのであった、、たぶんそういう意味では確かにここは女性好みの街であるかのようだった、、

街の中心?モスク前の広場Plaza Outa Hammam145_640x480

その前にカスバがあってそこの砦の上から3枚 148_640x480
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街の街路は白と空色に統一とされている
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  夕食をホテルの並びの安食堂でとって、その隣にあった一坪くらいの雑貨屋で飲み物かなにかを買おうと思って物色していると、中にいた同年輩と思われる親父が何を探しているんだといって声をかけてきた、、ないのを承知でビールはないのかと聞くとその親父はビールはないがこれを飲むかといって酒ビンをだしてきた、、それは飲みかけであったがフランスのコニャックだった、、どうやらそれは親父が店番品しながらチビリチビリやっているものらしく、飲まないかといわれてもどう答えていいか迷ってしまった、、つまり少し飲みなよと勧めてくれたのか、これでよければ売ってやるといってるのかわからなかったのだ、、でも、せっかくだからグラスについでくれたのを飲み干して、その分として10Dh置いて何も買わずに出てきてしまった、、あとから思うにイスラム社会でも酒が手に入る?あるいはイスラムでも酒を飲むやつがいる?それともあの親父はユダヤ系だったのか?という疑問が残った、、

 次の朝ここでも両替所やインフォメーションを探したが、インフォメーションはなく両替はドルキャッシュは銀行でできたがトラベラーズチェックの両替はできなかった、、カフェでクロワッサンとカフェオレの朝食<12Dh>をとりながら、さてどうするかと考えていた、、いい街だけど、ま、それだけだ、、他に見所があるのかもしれないが情報なく、もうどこにも行きようがない、、行くとすれば背後の裏山に登るくらいだが、それは流石に簡単ではなさそうだ(ま、一日の日帰りなら可能だと思われたが)、ならばもう次に移動するしかないか‥??、そういえば昨日バスの時間を調べようと思っていたけど事務所に人がいなくて結局わからないままだった、、で、結論は登山は無理だが少し裏山に登ってみよう、そのあとチェックアウトしてターミナルに下って、来たバスに乗る、ということにした、、で、そのまま細い路地を上へ上へと登っていった、、山の中腹に造られているこの街は平らなところがほとんどなく登るか下るかどちらしかない、、 なのでともかく迷路でも、しかしカラフルでなかなか味わいのある道だったが登っていけばどこかにでるはずだった、、20分ほど登ると城壁が現れてどこかにゲート(出入り口)がないかと探す、、それはそんなに多くなかったがいくつかあってそこから城外に出た、、そこはもう建物はまばらにしかなく、その辺りからの見晴らしは昨日見たウタハムンOuta Hammam広場のカスバ(モロッコの場合カスバは地方の庁舎や砦を指すらしい)からの眺めとは比ではなかった、、その辺りを少しうろつきながら街の概観をつかみ写真も撮ったので、ここはもうこれで良し、と戻ることにした、、ところが、来たときとは逆でただ下っていけばそのまま広場に行き着くと思っていたが、実際は地元の人なら10~15分くらいと思われたそこまで30分くらいかかってしまった、、迷ったのである、、恥ずかしいから聞かずに歩き回っていたら、その広場よりずっと下の朝カフェを飲んだところまで降りてしまったのである、、ティトゥアンよりはわかりやすいかと侮ったのが見事に仕返しされてしまった、、ま、そういう意味ではここのメディナ?の迷路も面白かった、、

城壁の外から;3枚154_640x480 155_640x480
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 バスターミナルまでは遠かったが、迷うことことなく行き着いた、、それでもやはり30分はかかったか?次のメクネス行きを聞くと12時半とのことで1時間以上時間があった、、ターミナルの売店で昼食になりそうなものを探していると他の客が注文でサンドイッチを作ってもらっている、、それがまた実にうまそうだったのでわたしも注文する、フランスパンの中身は何種類の具が入っていただろうか?一本か半分かと聞かれ半分にしたが、一本でもよかったと思う、、半分で10Dhこれは昼食にはぴったり、それにしてもパンがうまい、、

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