独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 4 , 運命の糸、少し絡む??

 あと20歳若かったらと思う、、もう少し人間が面白かったらと思う、、もし小説が書けたらと思う、、いずれもタラ・レバの世界だが、時に思いもかけぬことが起こるのである、、起こったのである、、

 1月15日15:45ほとんど定刻に成田を発ったAero Mexco AM057便 ボーイング787 Dream Linerは、けっこう空席が目立ち、日本人は半分くらい、わたしは右窓側3席のシートを独り占めすることができ、食事時にはワインとセルベサをもらって、これまでに経験したことのないような寛いだフライトとなった、、それでも太平洋越えはどうしても10時間以上かかる長い空旅である、、ほんの少し眠っただけで現地時間同日12:20一時間も早くメキシコシティ着、、4時間の乗り継ぎ待ちだが、いったんイミグレを通り荷物を受け取って荷物だけ再度預けて(ボーディングパスは成田で発券されていた)そのままセキュリティチェックを受けてゲートで待てはいいものをわざわざ空港外まで歩いて出かけるのであった、、メキシコシティJuarez intrnacinal airport第2ターミナルはほとんどAero Mexico専用ターミナルで、そこからは歩いて外には出られるもののバスや地下鉄は利用できない、、で、別に用はないものの10ヶ月ぶりのメヒコ、特におなかがすいていたわけでもなかったが屋台のタコスを食べに出かけてみただけの話であった、、1時間くらい外の空気を吸ってまた空港に戻りセキュリティチェックを受けてグアテマラシティへの便AM678便の待合ゲート付近に2時間前には戻っていた、、メヒコまで半分くらいいた日本人乗客はほとんど見かけなくなり、日本人とおぼしき姿はわずかに二人の女性を見るのみとなっていた、、 この便もほとんど定刻の搭乗となったが、少し小ぶりの機体となったAM678のエコノミー席の前から二番目左側の窓側に座っていると、その日本人らしい女性二人が乗ってきて一人はわたしの前の席に、もう一人がわたしの隣の席に座った、、

 そういう場合(外地で外国の飛行機で日本人とおぼしき人と相席になった場合)とりあえず日本語で声をかけてみる、、わたしの隣の席になった女性は 日本語で挨拶を返してきた、、まだ二十歳そこそこくらいの若くてかわいいこ(娘)だった、、そして前の席の女性もやはり日本人で、わたしはてっきり二人で旅をしているのかと思ってしまったが、その後グアテマラシティまでの3時間のフライト中、とどまることを知らぬ勢いで話し続けた中で、その二人はたまたまメキシコの空港でフライト待ちをしているときに知りあったばかりだということを知る、、それで最初わたしは席を替わってあげようかとも思ったのだけれど、その必要はなさそうだったのと、ま、前後の席だったので会話には支障なく三人はおしゃべりを続けることができたのだった、、これはもしかしたらaero mexicoの粋な計らいではないかと、そのとき思ったというわけだった、、そしてこのあと詳しく説明するが、ちょっと誤解されそうな言い方をすると、わたしはこのとき隣り合わせたMさんとグアテマラ滞在約一ヵ月半の間、ほとんど同じ屋根の下で暮らすことになったのである、、

 その女性Mさんが、田代さんからmailで知らされた件の人だったのである、、そしてどういうわけかわれわれ三人は何か不思議な縁で結ばれているのを既にそのとき感じていた、、たぶん直接的な出会いはaero mexicoがわれわれを結び付けてくれたのであろうが、それ以前に彼女達二人はひとつの繋がりを持っていた、、それが前回少し触れたスペイン語学校カノだった(ということはわたしとも繋がりがあったということになる)、、実はスペイン語学校カノは、その後日本で脚光を浴びることになる日本人Arimura Takuro氏とYoshikawa Kyohei氏が2年前に立ち上げたskypeを使って日本人がグアテマラの先生から直接スペイン語を学ぶという画期的かつ国際的な事業Spanisimoの本部でもあったのだ(ちょうど2年前に田代に滞在していたとき、有村氏吉川氏も田代にいてSpanisimoのオープンにむけて奮闘中だった、、わたしはカノに通っていたので、そのとき両氏と出会っていた)、、そのSpanisimoが順調に発展して今や多くの日本人がこのシステムを使ってスペイン語を学んでいた、、そしてこの二人の女性は二人ともSpanisimoの生徒で、お互い面識はなかったものの、それぞれの先生から話を聞いていて、この日同じ飛行機でGuatemala inすることを知っていたようなのであった、、それぞれの目的はMさんは本格的にスペイン語を学びに、もう一人の女性T子さんはSpanisimoで知り合った先生に会うことが目的でグアテマラに来ることになったということを飛行機の中で聞いた、、そういう意味ではわたしの目的もカノだったのだから、このとき出会った三人はカノの縁で会うべくしてあった?単なる偶然ではなく運命の糸はすでに絡んでいたのかもしれないとあとから思うのだった、、ただ二人ともグアテマラははじめてといっていた、、T子さんとはその先生(彼氏?)が空港まで迎えに来ていて空港で別れたが、Mさんとわたしは出迎えに来てくれた田代さんの車で一緒にAntiguaへ向かったのだった、、

 グアテマラ、そしてペンション田代が初めてだったMさんに、その夜から田代の過ごし方や3Fのキッチンの使い方などを教え、次の日はAntiguaの街を案内するという役目をわたしは喜んで引き受けていた、、次の日朝からわたしはボデゴナ(田代の近くのスーパーで)食料を調達して朝食を作り食事を終えてから街に出た、、そのボデゴナからパルケセントラルへ、パルケセントラル近くのもっとも率のよい銀行BAMを教え、INGUAT/ツーリストインフォメーション、有名な時計塔、大きな土産物屋のニムポットを巡ってメルセー教会へ、Antiguaの街をこれほど楽しく彷徨えるのはわたしにとっても初めてのこととなった、、そしてカノへ顔をだすがたまたまマリアをはじめ誰もおらず、午後に来ることを伝え今度は市場とバスターミナルへ、、市場の安食堂で食事して再びカノへ、そこでマリアと再会、今回の目的を話し月曜からの授業をお願いする、、Mさんもとりあえずわたしと同じく3週間分の授業料を払った、、わたしは同時に土曜からのホームスティをお願いした、、そして帰り道に紹介されたホームスティ先に寄ってみた、、そこははじめていくファミリアだったが、街中にあってボデゴナにも近かったので立地よし、オーナーのリュビアおばさん(Eluvia de Hernandez)もいい感じの人で土曜からお世話になりますと挨拶して田代に戻る、、ホームスティがどんなところで、いくらくらいかかるのか知らなかったMさんは、一緒にそのファミリアを見学した後興味を覚えたらしく、自分もそこに移りたいと言いだした、、思いもかけないその言葉に、一瞬戸惑うももちろん大歓迎、部屋も空いているようだったので、すぐにでもマリアにところへ行って申し込むよう薦め、二日後の土曜日には二人で田代からそのホームスティ先に移ったのだった、、