独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

ユーラシア大陸西端・ロカ岬Cabo da Rocaと世界遺産の街・シントラSintra

 ‘深夜特急’のエンディングはポルトガルの西南端にあるサン・ビセンテ岬であった、、そこがユーラシア大陸の最西端と紹介されていたかどうかは忘れたが、実際のユーラシア大陸西端はリスボンから西に40kmくらいいったところにあるロカ岬であるということ、そしてそこから世界遺産の街シントラへ行くバスのあることを、わたしの友人であり先輩である世界遺産めぐりの達人O氏から、その地への行き方とあわせて聞いていた、、35年前にきたときにはそのどちらにも寄っていなかった、、思えば深夜特急世界遺産もそのあとの出来事だったのだ、、然るに、それはひとつの話の種としてそこを訪れてみるのはその先輩氏からレクチャーされたときから決めていた、、なので二日目は一日をそこへのツアーにあてていた、、ツアーといっても確かに一日周遊の観光バスが多く出ていたが、もちろんひとりで電車とバスを乗り継いでいく日帰りツアー(ま、単に観光という意味)ということである、、で、再確認のため前日に何度か寄ったインフォーメーションでもその行き方を確かめていた、、

 電車の始発駅がCais do Sodreというところで、それは昨日うろうろした河岸のPraca do Comercidoから歩いて5分くらいのあたりだったが、ホテルから歩くと30分はかかりそうだった、、が、リスボンの場合乗り物の一日券は24時間対応で、後に寄ったスペイン/バルセロナなんかのそれは24時までだったのに比べると、ある意味お得だった、、そう地下鉄やバスの起点にもなっていたその駅は、空港バスの終着点でもあったから、ちょうど前日に降りたったところからその駅まで最後のお勤めを果たしてくれたのだった(いやー、ヨーロッパの大都市の場合、今やどこでもたいてい地下鉄が走っていて、市内移動には一番便利であり、しかもほとんどの街でその一日券or数日券の販売があり、しかもそれはたいていバスその他にも乗れるので大いに利用価値あり、、最初の日のticketで何回バス・地下鉄・路面電車に乗っただろう‥!?)、、しかし当然のことながら郊外に行く電車にまでは使えなかった、、

 そういえば、ヨーロッパは路面電車もさることながら列車・電車、変ないいかたになってしまったがいわゆる鉄道が発達していて、もちろん鉄道の発祥の地でもあるのだからそれは当然なのだけれど、一時はそれでも鉄道が走っていたが今や完全にその姿を消してしまったメキシコ・グアテマラから来たものにとって、何かそれがとても新鮮に映るのであった、、郊外電車が走っている‥!!、通勤電車が走っている‥!!、、日本と同じではないか‥!?、、次々に降りてくる通勤客の流れも表情もそれほど違わない、、その人波に押し流されないように切符売り場を探す、、窓口が二つ開いていた、、しかしどこまでの切符を買えばいいのか?そこまではインフォメーションで聞いてなかったし教えてもくれてなかった、、その鉄道の路線についてまったくわかっていなかったし、わたしが乗るべき路線・降りるべき駅をうかつにも聞いていなかったのである、、

 わたしのスペイン語は通じたようだったが相手のいってることがまるでわからない、、しかしどうやらそこへは電車一本、つまり終着駅がCascaisというところで、そこまで行く路線しかなく、それも30分でいける距離だということが、駅員がくれた簡単な手のひらサイズの時刻表のようなものでわかり、そこまで行ってバスに乗り換えればよいとのことだった、、で、いわれるまま4.6ユーロ払ってプリペードカードのようなものを受け取り、教えてくれたホームに停車中の電車に乗り込んだ、、ちょうど通勤電車の折り返しだったし結構本数も多くありそうだったのでがらがらであった、、9:00発の電車は30分で終着Cascaisにつき、なんかあっけなかった、、

 が、その駅でもまた途方にくれることになった、、わたしは駅前にバスが停まって待っててくれていると勝手に思っていたのだ、、が、確かに停まっているバスがあったが、どうも違うようだった、、というのもポルトガル語ができないわたしはただカポダロカ?と聞くことしかできなかったのだが、運転手はじめ近くにいた人何人かに聞いたすべての人に、そのバスは違うと否定され、何人かはもっと向こう、あるいは別のところからでると教えてくれたのだけれど、それがどこかがまたよくわからなかったのだ、、駅の回り、それらしきところを探し、待ってみたりもしたがどうも違うようだった、、たいていはもっと親切な人がいたり英語で説明してくれたりと、これまでこんなに苦労した覚えがなかったが、ちょっとここの人々はとっつきにくく、それほど親切にも感じられなかった、、駅にはインフォメーションなるものもなかった、、困り果てて少し駅の周辺を歩いてみた、、ま、地方の小都市といった感じ、駅前に比較的新しそうな商業ビルが建っていた、、その周辺を歩いていると一軒の旅行代理店があった、、あまり構えの大きくないそのオフィスには女性が二人いて、もちろん英語を話した、、窮状を訴えるとすぐにその場所・バスターミナルを教えてくれた、、それは駅前に建っていた商業ビルの地下にあるとのことだった、、いわれてみれば先に聞いた人たちの指差していたところはまさにそこだったのだ、、そうやって知っていれば5分もかからないところを情報がなかったり言葉が通じなかったりすると30分もかかることになるという最初の例となった、、そこでさらに30分待ってようやくロカ岬Cabo da Roca行きのバスに乗れたのであった、、

  ロカ岬までは結構時間がかかった、、それさえ最悪は歩いていけないかなんて思っていたくらいだから、予想外のものであった、、いや遠かった、、いくつもの小さな街・村を越えてのことだったから、その灯台が見え出したとき、こんなに遠かったのかと自分の見込みの甘さに呆れていた、、そのバスには観光客が4~5人乗っていたが地元の人はその手前でほとんど降りていた、、次のバスまで1時間、それがこの地の観光時間であった(もちろん見るところはほとんどないから充分すぎた)、、ま、海はきれい、少々風が強く最果て感もあった、、周りに人家はなくみやげ物屋兼レストランとインフォーメーション兼オフィスがあるのみ、灯台への入場はできなかった、、乗用車及び観光バスでの来客も多く、なるほどここは今や観光スポットとしてはこのあとに続くシントラとあわせた立派なツアーコースになっていることが伺われた、、それはそこでおいてあったパンフレットに日本語のものもあったことがいみじくもそれを証明しているようだった、、そこにはユーラシア最西端の地に到達したことを証明する‘到達証明書’を発行しますと日本語で書かれていた‥、、

ロカ岬Cabo da Roca;4枚039_640x480 034_640x480_2036_480x640
037_640x480


 世界遺産の街シントラはそこからバスでさらに40分4ユーロ、しかしその道はぐるっと回ってリスボンに至る道だったので、同じ道を通ってリスボンに戻るわけでなく、まさに周遊ルートといえた、、その街並は、ま、イスラム様式の色濃く残る中世の雰囲気?それが歴史的建造物群としておそらく世界遺産に認定されたものと思われた、、そこでの街ブラは1~2時間?先の流れでここも観光客の多いところであった、、見所は結構あってかなりエリアが広く、歩いてすべてを訪れることはできなかった(ここは観光バスに利ありか?)、また10年前だったら必ず登ったであろう山のてっぺんにあるムーア人の要塞へも、ちょっとしんどそうだったので行かなかった、、むしろ街ブラしながら適当な食べ物屋を探していた、、食べ物屋もその客引きも多く、それも比較的手ごろな価格で競っているようであったから、むしろそれはありがたく、ちょうど声のかかったところに入ってみた、、それまでレストランには縁がなかったので、それがポルトガルで最初の外食となった、、ま、特に名物料理ということではなかったが、スープとワインがついて8ユーロだったのでわたしにも許せたのであった、、

シントラSintra;4枚045_640x480048_640x480 049_480x640
054_640x480

 帰りの電車はまったく違う路線であったが、金額が一緒で4.6ユーロだった、しかし時間的には少し距離があって40分くらいかかった、、思うに最初のときはプリペードカード代の0.5ユーロが含まれてのことだったようで、帰りのときはそれを使ってチャージするような形だった(それを出さなければプラス0.5ユーロになったと思う)、、リスボン着は16時半だったから、ざっとの周遊であったが時間としては7~8時間、交通費は15ユーロくらいだったか?ちなみに観光バスツアーは結構バリエーションがたくさんあって、時間も料金もまちまちであったが、だいたい安いものでも3倍、半日ツアーで45ユーロくらいからでした(何せインフォメーションで地図やらツアー情報のパンフレットの類をたくさんもらっていたので‥)、、

 さて、帰り着いたところはリスボンの中心部に位置するRossioロッシオという駅でした、、リスボンの近郊を朝方の電車はテージョ河沿いの比較的平坦なところを走っていたが、帰りはむしろ山というか丘というか、ほとんど開発された周辺部の街中を走っていた、、そしてトンネルをくぐって到着した終着駅をでたところで、わたしはちょっとした感動を覚えました、、そこで見た景観が予想していたものではなかったからです、、てっきり平地に到着したと思っていたそのプラットホームが、なんと4~5階建てのビルの高さくらいのところだったのです、、だから駅舎を出たとたんリスボンの市街が、赤い瓦の街並みが、わっと眼下に開けたのです、、意表をつかれたというか、またそれがなかなか渋い街路だったもんでしばしそこにたたずんで、それからやっとエスカレーターもありましたが、ゆっくり外の道を下っていったのです、、この街は坂あり古い建物あり路面電車の走る石畳みありで街ブラには最高のところかもしれない、、しかしそのとき間の悪いことに(いや、もう戻ってからだったから幸運だったのかも?)ポツリポツリときてしまった、、インフォメーションによって長距離バスのターミナルの場所を聞いてからホテルに戻った、、

 この時点でこの旅の概要が少しずつ固まりつつありました、、帰りのticketの日付が2013/01/21ここリスボンからと決まっていたので、逆算の形でいくつかのフライトを確保していた、、そのひとつは1月11日のマラケシ~バルセロナ、そして1月15日バルセロナ~サンチャゴデコンポステーラ、なのでおおよそのルートはまずリスボンからスペインを抜けてモロッコに渡り、モロッコを周遊してスペイン/バルセロナ、サンチャゴに寄って、またリスボンに戻るというルートでした、、ま、その辺までは固めていたけどその間をいつどのように繋ぐかはほとんど決めておらず、行きあたりばったりで行くつもりでした、、が、それも直前になると、では次どうするかを考えなくてはならず、その時点ではリスボンにいつまでいるかが焦眉の問題だったのです、、一応ホテルは二泊の予約だったので延長するかどうするか?当初の予定はとりあえず消化していたし、最終的にもう一度ここに戻るということもあって、延泊はせず次の日にそこを発つことに決めたのは、たぶんその日一端ホテルに戻ってから再び外出しバスターミナルに行ってセビリャ行きのバス情報を得たときだったと思う、、いやそのときもまだ途中のラゴスやフアロに寄るのも案としては残っていた、、そしてそれぞれのバスのスケジュールを検討した結果、一日一本しかないセビリャ行きの夜行バスに乗るのはほとんど必然のように思えてしまった(明日の朝フアロまでいって数時間街ブラしてセビリャ行きのその夜行バスにも乗れそうだったけど)、いやこの冬の寒空、スペインのコスタデルソルCosta del Solに並ぶリゾート、コスタデラルスCosta de la Lusはもうどうでもよかった、、少しでも暖かい(であろう)モロッコに早めに向かおう、、そうなるとそのための渡航口アルへシラスを目指すルートとしてはセビリャ~カディス~アルヘシラスがもっとも無理のないeasyなルートのように思えた、、そういう意味ではこの旅はかなりイイカゲン、動機不純なところがあって、確固とした目的地・目的意識がそもそもなかったのである、、だからスペインも回ろうと思えばアンダルシア地方のコルドバグラナダ・マラガといった魅力的なところへも足を延ばせたのだけれど、あんまりその気になれなかった、、ま、せめてセビリャだけでも見ておこうかな、といった感じだったのである、、そしてその夜早速セビリャとカディスのホテルを検索してそれぞれ一泊づつの予約を入れておいた、、次の日の21時発がスペイン南部に向かう唯一の国際バスであった、、