独歩の独り世界・旅世界

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カンボジア~ミャンマーの旅 その6,ヤンゴン、そしてニャウンシュエNyaung Shweへ

  しかし、あろうことか、その失敗連鎖はミャンマーに入国しても続くことになった。ただ、それに気づくには少し時間を要した。バンコクを30分遅れで飛びたったAir Asiaはタイ時間18時ヤンゴン着だったが、30分の時差があってミャンマー時間は17:30だった。イミグレは事前にVISAをとってあったから何も問題なし、それよりチェックのブースの係官がすべて若い美人女性だったことに驚かされる。事件は荷物を待つ間の両替所で起こったのだが、そのときは何も気付いていない、、早い話、空港内での両替所でまんまとごまかされてしまったのだがそれは後述。荷物を受け取り出迎えの群衆がつくる人垣の中に友人K氏を見つける。再会を喜び、早速タクシーの交渉(ここは公共の交通機関がないのでタクシーしかない、もっとも以前バスを使った記憶はあって、そのときの旅ロク゛も残っているはず??)、それはすでに一年以上滞在しているK氏にすべて任せた。彼の宿舎は空港から近く、タクシーだと10~15分くらいとのことで料金も街までいく半額くらいとのことだった。すでに夜の帳は下りており、確か5年ぶりだったと思うが、j街の変化はほとんど読み取れず、交通量は間違いなく増えていたのと空港ビルの増築?拡張工事が佳境に入っていたことくらいしかわからなかった。そして案内された彼の宿舎はミャンマーにもこんな立派な高層マンションがあったのか?どんな人が住んでいるのか?おそらく政府高官?あるいは軍関係者くらいしかいないのでは、とため息が出るような超高級マンションだった。そんなところにどうしてわたしの友人が住んでいたのか、わたしと彼の関係はいかなるものか、等々は少々説明がややこしくなるので省かせていただく、、ま、言えることは彼は同年代ながら、わたしのような凡人とは違って、いわゆるエリートとして各方面で活躍してきて、今回はミャンマーをこれから背負っていく人材を育成するために公の機関から派遣されていたのだった。で、凡人がどうしてそんなエリートと知り合いなのかは、ま、ちょっとした奇縁があったということにしておく、、それでも大変な厚遇を、彼は単身赴任だったから、その夜はヤンゴンの高級レストランでもてなしをしてくれたのだった。

 その彼にはmailにて何回かこちらの予定を伝えてあったが、その中の一件に限って彼の知己を通じて手配してくれたものがあった。ま、それも当日でも取れないことはないと思っていたが(前回は行き当たりばったりで取れた)、次の日のヤンゴン~ニャウンシュエの夜行バスのticketを取ってくれていた。そしてその清算のときに、どうやら両替所で騙されたらしいことに気づくのである。それまでに両替えしたミャンマーチャット(kyat,以下Kと表記、1000K=100円)は一度も使用してなかったから、その額が足らなかったのは、それ以外に考えられず、まんまと引っ掛けられたことを悟るも後の祭りだった。手口はこうだった、というより、わたしがぼんやりしているのを見透かされただけで、相手から渡された額をそのまま信じてしまった結果である(つまり、数百ドルがいくらになるか計算できず、確認もしなかったということ)。それには伏線もなくはなかった。まず、わたしは普通空港では両替しなかったが、それは空港の両替レートは市内より悪いことが多かったからだ。それで思い出すのはそういう理由で前回もミャンマーでは空港では両替しておらず、そのあとに乗ったタクシーの運転手に騙された経験があった(だから今回で騙されたのは2回目となる)。そんなことと今回はその友人K氏からの助言で、空港も市内も両替レートは変わらないと聞いていたので、それならと空港の両替屋を信じてしまった、ま、油断があったということだった。それにしてもインド系の若者だったが、機を見るに敏だったともいえた。最近はこんなことばっかりやっているので、ワレながら滅入ってくるのである。

 さて、高級ホテルにも優るとも劣らないような部屋をあてがってもらい、翌朝は11階からの眺望を堪能してから、K氏の勧めもあって散歩にでかける。とっても面白かったのは、そのマンションが3棟建つ一角だけが別天地で(そこは24時間の警備つきの敷地内にあったのだが)、一歩外にでるとわたしのよく知る庶民の街と暮らしがそこにあって、未舗装の細長い路地が延々と、まさに朝市の活況を呈していたことだった。この雲泥の差、暮らす世界の違いをこれほど見事に対比している場所も珍しいのではないかと思えたほどであった。もちろん、そんなことは百も承知のK氏は、両方の世界を毎日行ったりきたりしていて(わたしは片方の世界でしか暮らせない)、特に感傷的になったりしていないのが逆に大人を思わせた。ま、ありとあらゆる庶民の店、そこを行き交う地元民の日常、彼らの暮らしをまざまざにと見ることのできたその場はわたしにとってはすこぶる魅力的に見えたのであった。そんな道を端から端へ歩いていくと途中にパゴダ(寺院)があったのでもちろん寄ってみた。そこは後に行くことになる(前にもいったことのある)ヤンゴンの象徴ともいえる大寺院シュエダゴォンパゴダをだいぶ小さくした、それでいてその造形はきわめて類似した、けっこう格のある寺院であった。仏教国ミャンマーにあって、人々はほとんどすべて信仰心に厚く、その寺院も朝早くから近隣の住人達の喜捨精神にもとずく朝の清掃の真っ最中であった。その通りを端から端までいってまた同じ道を戻ると、ちょうど1時間くらいの朝の散歩となった。戻って朝食をいただきながら、その日以降の予定を以下のようにすることに決めたと話す。基本的にわたしは宿を提供してもらっているだけでもありがたかったので、また、ヤンゴンミャンマー事情もある程度心得ていたので、多くの負担をかけたくなかった。そこで、朝食後にわれわれだけで街に出る、そしてそのまま、午後の適当な時間にバスターミナルへ行く、そしてK氏が手配しておいてくれた夜行バスでそのままニャンシュエまでいってしまう、インレー湖、バガンを周って戻ってくるのは一週間後の12月5日の夕方、それまで多少の荷物を置かせてもらたい、ということで了解してもらった。そして街に出るのもできればバスで出たいとの希望を伝え、近くのバス停までは送ってもらえることになった。そのバス停までは歩いて30分もかかることを知らずにお願いしてしまったのだった。

中のつくりも豪華すぎる超高級マンションImg_0991_640x427

11階からの眺望、遠く左手がヤンゴン中心部?すぐ真下に見える通りをそのあと散歩することになった。左手にそのとき寄ったパゴダも見えている。Img_1003_640x427

マンション下の路地から、その界隈ではひときわ目立つ高層マンション、、この通りを歩くとその対比が鮮明になる。
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庶民の通りの昔ながらの朝市の模様;4枚
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途中で寄ったパゴダ<Kyaik Wine Pagoda>;3枚
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 こうしてわれわれは荷物を少し軽くして、30分歩いてバス停にたどり着き、そこから小一時間バスに乗って11時頃にはヤンゴンの中心スーレーパゴダで下車して、街歩きを始めていた。といってもすでに暑い時間帯になっていたのと、街歩きがそれほど好きでないツレ、そしてわたしはすでに前回十分に歩き回っていたので、行くところがあるとすればそれは先に言ったmust goのシュエダゴォンパゴダくらいしかなかったのだった。が、そこまでは歩ける距離ではなかったから(3kmくらい?わたしは前回一人だったから歩いたが)タクシーを使うしかなかった。K氏宅からタクシーを使うよりははるかに安かったが、ま、2000Kはしかたないところであった。そしてタクシーを降りて両側に仏具屋やみやげ物屋が続く長い参道を上がっていく(参道は東西南北にあってこのときは南門)。途中にticket売り場があるはずだったが、その前にセキュリティチェックがあった。靴はその前に脱いで手に持っていたが、そこで靴下も脱げとの指示があった(以降ミャンマーの寺院はどこでも)。わたしはそれを軽く考えていて意に介していなかったのだが(靴下なんかすぐ脱げるから)、そのときわたしのツレの反応で事の重大さを知ることになった。彼女は近くにトイレがあるかというから聞いてみたが、たまたま近くになく、それならば脱げないと言い出したのだった。つまりそういうストッキングをはいていたのであった。一応そこにいた係り官に掛け合ってみてたが、原則は曲げられないというような返事にわれわれはそれ以上進むのを、つまり入場を諦めたのであった(あとから、その場でのもっとも賢い解決策としては、そのストッキングの足首から先を切り取ればよかったのではなかったかと思った。たぶんタクシー代より靴下一足のほうが安かったのでは?と‥)。わたしとしてはその規則を恨むより、わがツレの馬鹿さ加減に呆れてのことだった。そしてまた2000Kだして街に戻った。そのときのわたしの不機嫌さは想像できようかと思う、、

タクシーを降りてシュエダゴォンパゴダに向かうImg_1006_640x427

 往くときはスーレーパゴダ近くから乗ったのだが、帰りはヤンゴンレイルウェイステーション(central raiway station 中央駅)で降ろしてもらった。その駅の反対側に長距離バスのticket売り場があったからである。そこでアウンミンガラーバスターミナルへ行く交通手段、バスはタクシーの情報はもっていたが、もしかしてリムジンバスはないのか、といったことを聞くつもりで寄ってみたのだった。タクシーが一番簡単だったが、それだと6000~7000K?、バスだと一人200Kで、それは前回使っていたので乗り場も時間的にどのくらいかかるかもわかっていたが、この暑さの中ちょっときつかったのと着いてからのバス会社探しが大変であった。ところが、その時そこにいったのが正解で、15時にその場からリムジンバスが出ていて一人1000Kとのこと、それまで荷物を預かっててくれると、そこでticketを買ったわけではないのに親切なエージェントのオッサンが言ってくれたのだった。ちょうど12時頃で、ありがたくその言葉に甘えて荷物を置かせてもらい、そして食べ物屋を探しに街ブラを始めた。実はその界隈にはどういうわけか日本食の店が数軒あったのだが、ミャンマー初日にそれはないだろうと、少し歩き回って一軒の安食堂で(懐かしき)純然たるミャンマーランチをいただくことができた。その後もほとんど昼食はミャンマーランチであったが、ミャンマーの定食はたいていチキン・ポーク・ビーフ・マトン(時には魚もある)のどれかを選択するとそのカレーをメインに惣菜(生野菜やスープ等の副食)が3~4種類も並ぶという豪華なもので、味付けは日本人にあっていて、それでいて安いから、どこへいってもそれを頼んでいれば間違いはなかった。それをよく覚えていたので、このときも(どこでもあったと思うが)そんな食事ができそうなところを探したのであった。ま、二人分の食事が3000K(300円)であがって納得するのであった。それでもまだ時間は相当あったので、比較的近かったボージョーアウンサンマーケットへ、ここも目的があったわけでなく、定番の暇つぶしスポットで、多少涼しくもあったから、みやげ物屋を冷やかして歩いていた。まぁ、そんなんでどうにか時間を潰してticketオフィスに戻り、そこでも多少待つことになったが、バスは定刻に来て1000Kで涼しいバスに乗ってターミナルまで行くことができた。更にありがたかったのは、昔の経験で、このアウンミンガラーバスターミナルというところは、やたらにでかくて、そこに何百社というバス会社が軒を連ねており、自分の乗るバス会社を探すのにとんでもなく苦労した覚えがあったので、それを覚悟していたのだけど、そのリムジンバスの運転手は乗車時にバス会社を聞いてきて、そこまで連れて行ってくれたことだった。なので思ったより早くそのバス会社についたのは良かったのだが、そこでまた数時間出発待ちをすることになったのである。それでもピンからキリまで何百社もあるバス会社の中でもピンのほうだったので、その待合室はちゃんと冷房が効いていて、昔の苦労はどこへやら、少しはミャンマーの発展が感じられたのであった。

ヤンゴン中央駅;2枚Img_1007_640x427Img_1008_640x427

アウンミンガラーバスターミナル;3枚Img_1009_640x427
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そのバスターミナル近くにあったパゴダ
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 ミャンマーの移動はバスが一般的で、道路も年々よくなっていて、バス会社はそれこそはいて捨てるほどの数があった。だからピンからキリといったのだが、もちろんそれは料金の違いも意味していた。で、われわれにはその選択が難しかったのだが、K氏経由でミャンマーのエージェントに依頼してあったから、当然そこはハイクラスのバス会社であった(もっともその料金差は日本円でいえば4~500円の違い程度のものであったから、それは逆にありがたかった)。では、その違いはどんなところに現れるかというと、まずはバスの造り、椅子の構造、各種サービス(飲み物や菓子類)、そこは夜食の提供はなかったが、あるいはそういう会社もあるかもしれない、そしてそのバスには男性だったが、完全な英語を話すアテンダントが一人乗車していたことだった。で、われわれはその夜ニャウンシュエというところへ行こうとしていた。ここで簡単なミャンマーの観光スポットの説明をしておいたほうが話は早いか?この国の見所はおおむね次の4箇所くらいが人気のあるスポットのようだった。1)まず首都ヤンゴンははずせないといおうとして、近年首都が変わっていることを思い出した。今の首都はネピードーというところで、いったことがないのでわからないが、純然とした行政都市、近年多くみられる作られた街とのことであった。なのでこの場合は昔の首都、あるいはミャンマー最大の都市とかミャンマーの玄関口といわなければならないが、いずれにしろヤンゴン及びその周辺は見所が多い。2)ヤンゴンが旧都になってしまったが、その昔旧都といえばマンダレーであった。ここはヤンゴンに次ぐ大都市であり昔の王都である。その街及びその周辺は興味深いところが多く、ここもはずせない。3)はミャンマー最大の観光スポットとしてのバガン Baganであろう。全く簡略化した言い方になってしまうが、ここもその昔バガン王国のあったところで、その時代に作られた仏教遺跡群の凄さ・すばらしさは一見の価値あり、わたしはどちらもリピーターだったが、アンコールワットよりもむしろバガンを推すタイプである。4)はインレー湖及びその周辺地域の観光スポット。実は前回は時間的な問題で、上記3箇所の最重要拠点しか回っておらず、そういう意味で今回わたしにとってはもっとも関心のあったところ、その辺りのことは次回に述べられると思う。他にも見所はたくさんあると思うが、実のところミャンマーはこれからの国であることは周知のとおりで、未だ旅行者に解放されていないところのほうが多いのだ。で、国の政策としても目下のところは上記4箇所を重点的に観光誘致の場所として整備が進められているように思う。

 さて、わたしにとってのミャンマー再訪の目玉は、このインレー湖とカックー遺跡であった。それについては次回詳しく述べるとして、そのカックー遺跡へ行く拠点の街であり、かつインレー湖湖畔のもっとも大きな街がニャウンシュエであった。ところが大きな街といってもタカが知れていたので、ヤンゴン→ニャウンシュエへの直行バスはなかったのである。もちろんそれは事前に知っていて、そこへ行くためには途中のシェニュウンShwe Nyuangというところで乗り換えなければならなかった。そのシェニュウンジャンクションShwe Nyuang Jc.には朝の4時か5時頃に着くということだった。それがどんなところか全く見当がついてなかったわれわれは、せめて英語ができるアテンダントが乗車していたことをありがたく感じ、もちろん彼はわれわれの行き先を承知していたと思うが、再度その場所に着いたら教えてほしいとお願いしておいた。ところが彼は妙なことをいった。もしかしたらそれはわたしの英語力の問題で彼がいってることを理解できなかったからかもしれないが、彼はこのバスはシェニュウンジャンクションは通らない、あるいは停まらないといったように聞いたのだ。???どういうこと、で、ともかくもわれわれはニャウンシュエに行きたいのだと、あらためてticketを見せたのだが、それに対する彼の対応も返答もわたしの理解できるところではなかった。少々不安を感じたが、いずれにしろそのバスはそこから程近いタウンジーTaunggyiというシャン州の州都へ行くバスだったから、タウンジーからでもピックアップないしタクシーでニャウンシュエへはいけることはわかっていたので、そのときはそのときで何とでもなるとは思っていた。超デラックスバスは飲み物や菓子のサービスがあり、丁寧すぎるアテンダントの応対もあったが、相変わらずエアコンの効かせすぎで寒すぎるバスに変わりはなかったのであった‥、、