独歩の独り世界・旅世界

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老母の死

 あまりうまく書けそうもないが、これを避けて通るわけにはいかないだろう、、一週間前(10/20)に他界したわたしの母親の死 - 95歳の大往生だったが - について簡単に触れさせていただく、ま、それが四国旅の続きを中断せざるを得なかった理由でもあるから、なおさらのことだと思う。

 今まで身内のことに関しては語るべきこともない故、ほとんど書いてきてなかった。大正11年4月生まれの母親は今年95歳で、3年ほど前から施設に入っていた。介護度も進んで、我々が面倒見るより、専門家の手に委ねるほうが本人にとっても我々にとっても好ましいのではないかという(もしかしたらわたしの都合のいい)判断からであった。最初の2年間くらいは、身体の機能は衰え車椅子での移動になり視力もきかなくなってしまったが、それでも意識ははっきりしていて会話は成り立っていた。もう十分生きたし、いつ逝ってもいいようなことも口にしていた。その後何回か肺炎(他、心不全・低酸素血症・脱水症)などで施設から病院へと入退院を繰り返し、ドクターからは高齢だから無理な治療はしないし、いつ逝ってもおかしくないというような説明を受け、その時以来こちらも覚悟はできていた。それでもその都度(素人でよくわからないが)各規定値?を正常値に戻し、施設に戻っていたのだから、この人はかなり丈夫な人だったように思う。ただ意識ははっきりしていたもののほとんど寝たきり状態になってしまったので施設側と、漸減的な体力の衰えとそれに伴う状態の急変に対して、その都度病院対応にて対処していたのを、今後はどうしていくかについて話し合った末、本人の体力的負担等を考え、痛み・苦しみが伴わない限り延命措置は取らず看取りの方向性でいくことを了承し、自然死を待つ形になった。そのうちに我々の見舞いも認識できなくなってきて、会話は成り立たなくなった。しかし、こちらのいっていること、誰がきているかは、数日前まではその反応でわかっていたようではあった、、そうして今回、呼吸、脈拍、血圧の低下で、わたしは四国から呼び戻されたのだったが、その5日後の10月20日に息を引き取ったのであった。

 そんなわけで、いつ来てもおかしくない状態だったし、苦しむこともなく、95歳まで生きた立派な死?いわゆる大往生だったから、こちらも数年前から覚悟はできていたし、こういっては語弊があるかもしれないが、悲しみに襲われるということはなかった。しかも、たまたまわたしの友人に葬儀屋を営んでいるものがいて、事前に何度も相談していて葬儀に関する希望は話してあった。だから、わたしは今回初めて喪主を務めることになったのだが、友人ということもあってかなり無理をいって、わたしの希望を受けいれてもらった。それは近年めっきり減ったという自宅葬をお願いしたのであった。それも一昨日無事済んで、ほっとしているところだが、70歳までその役目がなかったというのは、逆に今まで幸せだったということに他ならない、こうして漸くにして長男としての役目が果たせ、あとは心置きなく自分も逝けるようになったということでもある。たぶんあと10年は生きられると思うし、生き続けていくつもりでいるが、我々の世代にとっての問題はすでに‘死に方’の問題になっており、これはなかなか厄介なことと思われる。生き方から死に方へのシフトはけっこう難しいものが含まれているような気がしてならないのである‥、、

以上、(わたしの母の生涯とか、わたしの想いはけっこう複雑なものがあり、語りだすと長くなりそうなので)簡単に母の死を述べさせていただきました。