独歩の独り世界・旅世界

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600回記念? 天城峠

 以前にちらっと漏らしたように、600回まであと3回に迫ってて、できればそれを60代で達成させようと思っているわたしは、それにしても話題もネタもなしで、ちょっと焦っているのである。で、もしかしたら、まったく門外漢のところに手を出して、手痛い目に合うかもしれないが、どうしようかという瀬戸際にいる‥、というような文章を8月の終わりころに書きだしたのだが、続きが書けずにいた。それは食べ歩きみたいなことを考えていたのだけれど、今にして思うとそこへ首を突っ込まなくてよかったと思っている。そんなの書けるわけがなかったし、まったく縁のにない世界だったからである。で、どうでもよい話だったが、そのあとたまたま二つほど話題を見つけられたので(前回と前々回)、漸く600回まであと一回というところまでたどり着いていた。が、しかしここでも生みの苦しみというのか、狭い世界に閉じこもりがちなわたしに、やはりネタはそう簡単に転がってはいなかったのである。

 そんな折、伊豆に出かける機会があった。五日前の話である。ただこれはわたしの主体的な?行動ではなかった。自らそこへいってみたくなったというわけでなく、またブログのためのネタ探しというわけでももちろんなかった。年に何回かある昔の仲間との寄合の場所がたまたま伊豆になったというだけの話で、だからその模様を記してもわたしのブログにはなりえない、ま、いかにわたしがその中でもっとも無知で未熟者で中途半端人間で劣等生であることを論ってみたところで、わたしの気が晴れるどころか誰も面白がってもくれないと思うからである。それでもせっかく何十年ぶりかで訪れた伊豆だったから、一日わたしは一人で山を歩いてみようと思っていた。そしてその時間もいい塩梅に取れたし雨にも降られなかったので、その模様を綴ることで少しはわたしのブログらしくなるのでは?と、あるいはまた、たいした山行ではなかったが、あと3日を残しての600回記念になるのでは?と思ったまでである。ま、それでもあまり面白いネタではないので気乗りはしないのであるが‥、、

 仲間の車で旧天城トンネル(地図には天城隧道とあった)まで送ってもらった、というか、ま、完成から100年以上たった歴史的建造物(重要文化財)の見学は一応みんなも興味をそそられたからとも思われる。2台の車に7人が分乗して、途中から旧道に入って細い趣のある山道を、約1時間かかって東側の入り口に着く。平日で時たま対向車があるくらいの交通量、風情を残す峠道であった。登山道はそのトンネルを修善寺側に越えたところにあった。仲間の一人がその朝わたしに同行してくれることになって、麓の7-11で昼飯のおにぎりとお茶を仕入れてあった。ちょうど10時ころ他の仲間と別れ、トンネルの右側の取りつき口から登り始める。新天城トンネルはそこから100m下あたりを通っており、100mほど登ると天城峠(840m)だった。天城峠までは一登り15分、よく整備された登山道は、平日だったこともあってほかにハイカーもおらず初秋の空気が爽やかであった。弁当と水しか持ってないので荷は軽かったし、峠からは少しトラバース気味に山腹をいったので、峠までの急登に比べて道はずっと楽になった。しかしその道も10分くらいでまた急な登りになって、登りついた950mくらいのところにヒメシャラというあまり見たことのない赤茶けてすべすべした木肌の立派な大木があって人目を引いた。そこからはまた少し下り気味になってコースタイム30分くらいのところを少しオーバーして向峠(たぶん900mくらい?)というところに着いた。そこで5分の休み。そこからは再びトラバース気味に山腹をいって、急な登りのところはほとんどなかった。それでもなだらかながら登っていて、次の分岐までコースタイム75分のところを85分もかかったが休まず歩いた。途中谷筋にはわさび畑が見え、そして突然甲高い鳴き声のような音に驚かされると下の方に三頭の野生の鹿(家族?)、そういえばトンネル手前の林道ではイノシシとも遭遇していたから、まことに野趣に富む山稜といってよかった。その辺でわたしはすでにかなりバテ気味だった、、先輩である同行者は疲れもみせず、予定を変えて早めに引き返そうかというわたしの提案は軽く退けられて、一応目的地とした八丁池までは行こうということになった。そこから八丁池までは20分の登りで立派なトイレ小屋に到着、そこを左にいくと展望台があって、そこに登ると(2~3分)真下に八丁池、西に駿河湾を行く船が見えた。北には富士山が見えるとのことだったが、その日は雲がかかってその姿を見ることはできなかった。展望台から降りてトイレの前から下りとなって10分で水生地というところへ下る分岐に、さらに5分で八丁池の畔にで、そこで昼食休憩とした。八丁池着は13時だったから、トンネルを出たところから登り始めて3時間の歩行だった(八丁池は標高1170mとのことだったから標高差でいうと450m、展望台の頂は1200mくらいかと思われた)。八丁池には先客が一人いて写真を撮っていたがすぐに立ち去り、ひっそり静まりかえって、湖面も穏やかで静寂に包まれていた。草地はのんびりするのに気持ちの良いところだったが、わたしが便意を催して展望台の下にあったトイレまで戻ったりしたので(この美しい地を汚したくなかった、しかし往復に30分かかった)出発は13:40になってしまった。

旧天城トンネル(河津側);2枚Img_6826_640x480Img_6825_640x480

旧天城トンネルの修善寺側、右側に峠への山道が見えている(休憩所とトイレあり)Img_6827_640x480

天城峠(上のトンネル脇から15~20分);2枚Img_6828_640x480Img_6830_640x480

向峠(トンネル脇から1時間)Img_6832_640x480

寒天駐車場方面への分岐(上の向峠から1時間半)Img_6833_640x480

八丁池手前の展望台からImg_6837_640x480_2肉眼でははっきり駿河湾が見えていた

展望台から八丁池;2枚
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Img_6838_640x480池の奥に草地が見えている、そこが下の2枚

池の畔の草地で昼食;2枚Img_6841_640x480Img_6840_640x480


 帰り道は多少歩きにくさはあったが、ずっと下りだったから、休みも取らずに一気に下る。舗装された林道までコースタイム75分のところ65分で下り、そこからは舗道を25分下り水生地というところ(一般車進入禁止のゲートあり)に15:10着。そこは朝降りたトンネルを出たところから続いている旧道で、その道は車の行き来が少しあった。が、バス通りはもう少し下る必要があった。川端康成の踊り子文学碑を右に見て15分でバス通りにでる。時刻表では20分待ちでバスがありそうだった。が、どういうわけか前のバスが遅れていたのか、5分でバスは来て、そのバスで約1時間、河津駅着は16時半であった。往路3時間帰路2時間の山歩きは、今のわたしにはちょうど手ごろなハイキングであった。余談だが、その時の仲間のほとんどは本格的な山やさんだったから、つまり同年代ながら日本なら3000m級、世界の山も登る現役だったから1000m前後のハイキングにはつき合ってくれた一人を除いて誰も興味を示さなかったのであった、、

1時間強下りを歩き続けると林道の舗装路にでた(14:45)Img_6842_640x480

その舗装路を20分下ると水生地という旧道にでる(この写真右が天城峠方面へ行く旧道、左が八丁池方面の登山道)Img_6845_640x480

上の水生地から10分下ると川端康成レリーフがあった、川端はちょうど今から100年位前にこの道をたどって‘伊豆の踊子’を書いた、、Img_6846_640x480

バスで新天城トンネルを越え、河津へ下る途中のループ橋、向こうの山並みが天城峠方面Img_6850_640x480