独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 6, ルアンプラバンもう一日 そしてビェンチャン Vientiane へ

  二日目は早く起きた。もっとも日本にいるときと変わらず5時だったが、その日は珍しく行動が早かったということだ。5時半にはカメラだけ持って外に出た。実は前日にバスターミナルから彼らの車で到着したとき、6時少し前だったが、通りの向こうの交差点の一角で托鉢を待つご婦人方の姿を目撃していたからだった。もちろんそれは毎日の朝の風景だと知っていたし、今やルアンプラバンの風物詩の一つとして有名になっていたその光景を、わたしも是非写真に収めたいと思ったからであった。わたしが出向いた時はまだその一角に座って托鉢を待つ姿はちらほらだったが、敷物とお供えを持ったご婦人方がだんだんと集まってきた。それよりも驚いたことにギャラリーもまた集まり始めたことだった。こんな中心から離れたところとはいえ、その近くにはホテルも数件あったから、たぶんそこの宿泊客だったと思う、中国人観光客10人くらいがわっと集まってきただけでなく、その中の一人の女性はギャラリーでなくお供えする側の仲間入りをしてその場に座ったのであった(しかし、街中のそれは、そんなインスタントなショー見物というものではなかったことを次の日に知ることになる‥)、、待つこと数十分左のほうから来たオレンジ衣の僧侶の一団は、いつもの手順で喜捨を受けるとさっとその場を去っていった。しかし一団が過ぎても地元のご婦人方はまだ座っていた。どうやら次の一団がくるらしい、特に急ぎの用事があったわけでないからその様子を一部始終見学させてもらい何枚か写真を撮らせてもらった。

5時半ころからぼちぼちと近所のご婦人方が集まりだす、、Img_6410

5:45頃最初のグループが到着;4枚Img_6412Img_6413Img_6416Img_6420

第2グループは第1グループが去っていった方角から18:10頃現れた、こちらの方が人数が多かった;4枚Img_6426Img_6428
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 まさにそれは今やルアンプラバン名物の朝のショーであった。問題はそれが当のお坊さんたちにとってはどう影響しているかだが、少なくともお供え物は増えこそすれ減ってることはないのではないかと思われた。が、やたらカメラの被写体になることについては諦めているのか、寛容の心でもってむしろ楽しんでいるのか?しかしこんなことも老僧たちにとっては以前には思いも至らないことであったのではないかと想像を巡らした。もっともわたしもオノボリサンの一人で朝早く起きだしているのだから、とやかくいえる立場にはなかった、なるべく迷惑にならないように少し距離をおいてシャッターを押すのが精いっぱいであった。いや、むしろそれならわたしも喜捨する方に回るべきだかもと、そのとき思ったのであった。何グループか通り過ぎ、1時間くらいでそこはただの交差点に戻った。

 コーヒーを一杯いただいてから、人の良いオーナーに礼をいってチェックアウトした。わたしはデイバッグのような小さなバッグ一つだったから、身支度も何もなく常に身軽に動けるのを身上としていた。それでも1時間近い歩きを思うとこの時もトゥクトゥクを使った。やってきたトゥクトゥクドライバーにサッカリン通りと告げ15 (そう、ここの通貨は千単位を切り捨てていえば通じやすいことをこのころには覚えていた、例えば20は20000のことだった-以下時々そういう表示になる)で了解をとって乗り込んだ。そのときは先客がいて、さらに南にあったタラートポーシーという市場を経由していったが、むしろ知らない道をいってくれた方がわたしにはありがたいことだった。それでも15分もかからずルアンプラバンの中心街に着いた。適当なところで降ろしてもらって、そのまま昨日のゲストハウスにいってみた。あのあと客がきて埋まるなんてことは考えられなかったから、当然空きはあるものと疑わなかった。昨日のおばさんはちゃんとわたしのことを覚えていて、まさかほんとに来るとは思っていなかったであろうから、少し驚きの表情でわたしを迎えてくれた。わたしも昨日の時点では移動するつもりはなかったのだから、なんか不思議な感じがした。彼女がいった通り 60 thousand kpをその場で払い鍵をもらった。案内された部屋は1Fの通りに面したところで、予想通りエアコンはなしでトイレも共同だ他に部屋が三つあったがそこに客がいるのかどうかはわからなかった。おそらくかつてはフランス人が住んでいたかフランス人が建てたと思わせる造りの、かなり年季の入った建物だったがわたしには満足だった。まずやったことは道路側の扉を全開にすることだった。目の前は道路、その向こうにナムカーン川が流れていた。車も人の往来もほとんどなく明るく静かで、風が入ってほんとに気持ちの良いところだった(もちろんこれでエアコンがついてれば夜も快適だったと思うが、そしたら60 <840円>では決して泊まれなかったであろう‥)、そうやって朝8時には寛いでいたのだった、、

フランス人の館だった可能性のある建物、扉を開けるとそこから出入りができたImg_6440

その隣にダイニングスペースがあったがキッチンがあったかどうか確認しなかった
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そこから見えたお気に入りの風景、これについては後述Img_6442


 もちろんそれは確かめてのことだったが、WiFiの繋がり具合もよく、たまっていたmailの送受信にしばらく没頭する。日本から何通かとairbnb関係だったが、必要なものに返信してから、新たに2通のmailを送る、一通はチェンマイの友人あての礼状、そしてもう一通はPhongsavanh君への転居の知らせだった。それを終えてから街ブラへ、もうここの中心部はどこへでも15分圏内にあったから、ほんとに気軽に出かけられるようになったのであった。そのときは前日に歩いてなかったサッカリン通りのもう一本向こうの道、つまりメコン川に沿ったマントゥラート通り Manthatoulat Rd. スリニャウォンサー通り Souliyavongsa Rd.を探索してみようと思っていた。いったんサッカリン通りにでて、その道はすぐにシーサワンウォン通り Sisavangvon Rd.と名称を変えるのだけれど、その道を5分いけば国立博物館に至る。そこで博物館をどうするか迷うが、ガイドブックに入館料30000kp 館内撮影禁止となっていたのでパスすることにした(見てないから何ともいえないが、あまり興味がなかったのだ)。そして前日昼休みで入れなかったもう一ヶ所、インフォメーションで地図をもらい明日のピエンチャン行きのバス情報を教えてもらった。その角を右に曲がって2ブロックいくとメコン沿いの道スリニャウォンサー通りにでる。その道を右に折れて左にメコンを見ながら半島の先端Wat Xiengthongの方向に歩いていく(寺院まではぶん15分くらい)、、この道がまた趣のある道だった。ま、どこでもそうだが川沿いの道は絵になるところが多く、木立があって風が気持ちいいのだ。遊歩道の左側はところどころ野外レストランになっていたが、右側に構えのあるレストランから運んでいるようだった。右側はずっとレストラン・ホテル・ゲストハウス・トラベルエージェンシー・各種商店が続き、マッサージ屋さんもあった。が、明らかにこの通りは高級そう、つくりも構えもワンランク上で、その上メコンに面して立地抜群ときているからどうみてもわたしの泊まれそうなところはなかった。だから、もちろんこの通りのゲストハウスなら申し分なかったと思うが、聞いてがっかりするのが嫌で値段を聞くのはやめにした。ま、それでも歩いているだけでも気持ちの良い通りで、わたしのいる反対側のスッカースーム通り Soukkaseum Rd.とは明らかに趣を異にしていたが、川沿いの気持ちの良い道として甲乙つけがたかった。歩いているとマッサージ屋さんからも声がかかったが、ボートに乗らないかと何人かの若い船頭から声をかけられた。たぶんオフシーズンで暇を持て余してのことだったのだろう、ボート遊びも悪くなかったが、あいては遠くの名勝地まで連れていこうとするし、こちらは近場の村ならいいよ、といってみたものの言葉の問題で交渉はまとまらなかった。そうやってところどころで写真を撮りながら一往復しただけだったが、この辺りもルアンプラバンの魅力の場所の一つかもしれないと思ったのだった。 

ビエンチャンへのバス情報;2枚、インフォメーションでそこにでているといわれてしまったImg_6402_2Img_6403

マントゥラート通り左側にあったレストラン、料理等は通り右側のレストランから運んでくるImg_6446

川沿いの道比較;2枚 上;マントゥラート通り、下;わたしの部屋の前の通りKingkisarath Rd.Img_6445Img_6443

メコン川の船着き場;2枚 上;メコン上流方向、下;下流方向Img_6448Img_6449


 来た道を戻って、インフォメーションからの道も通り過ぎて、そのまま行くとまた趣が変わった。少し庶民的になった?というか、レストラン、ホテル、トラベルエージェンシーが姿を消し、ゲストハウスが軒並みといった感じで建ち並んでいるエリアにでた。左の細い道に入ってみると両側びっしりゲストハウスが建て込んでいた。いったいこのエリアだけでどのくらいの数になるのか?下手したら100軒を超えているかもしれなかった。面白いのはどう見てもこのエリアのゲストハウスは同レベル、格差のない庶民的なクラスのゲストハウス群といったところだった。それでもオンシーズンはどこも満室になるとのこと、わたしはたとえ安くともここには泊まりたくなといと思った。ちなみにここは一軒で価格を聞いてみた。バス・トイレ・エアコン・ホットシャワー付きで120、ま、それがこのエリアの相場のようだった。こうしてルアンプラバンのゲストハウスの相場は大方つかんだのであった。下は今わたしのいるエアコンなしバストイレ共同でよければ60~、少し離れたところならバス・トイレ・エアコン付きで100~(初日に泊まったところ)、街の中心に近くバス・トイレ・エアコン付きで120~(このエリア)、もちろん上見ればきりなしであるが最後に訪れたゲストハウス街の建物からして、このエリアは総じて世界遺産認証後、押し寄せるツーリストに対処するために急造され急増したゲストハウスのようであった、、

 昼時になっていた、、ちょうどインフォーメーションとその前のサンドイッチスタンド辺りにきていた。そこは郵便局があって、その脇に両替所があった。で、キープが足らなくなるのを心配して持っていたドルを30ドルほど両替した。他の通貨に比べてドルの率が最も良いようだったので、わずかだったが率のいいところでと思ってのことだった。確かその時は1ドル84.5kpという表示だった思う。両替を終えて郵便局のベンチで休みながら、これから行けそうなところ、いっておいた方がよさそうなところを探してみた。もうこの時間からだと郊外までいく時間はなかったし、市内もいっておくべきところは、あったかもしれないが見つけられなかった。で、ナムカーン川に近く、ま、どうでもよい寺院に思われたが、ガイドブックにでていたワット ビスンナラートWat Visunnalatというところに寄って、いったん宿に戻ることにした。その途中で適当な飯屋でもあれば昼飯を食べようと‥、、そこへはキサラート通りKissalat Rd.を2ブロックいって左に曲がって5分、今いるところからだと15分もあれば着けそうだった。途中にタラートダーラーというマーケットがあったが、やはりオフシーズンだからか、店は半分以上閉まっていたしお客もいなかった。また何軒かよさそうな食べ物屋もあったが、どうも食べたいメニュウがなかったりしてパスし続けているとワットビスンナラートに着いてしまった。その近くにレストランはないかと辺りを見回すと道路の向かいに屋台が出ていたので、そこへ行ってみた。ところが、そこも今一つ、そこの細い道を入ったところに一軒のレストランを見つける。表に出ていたメニュウをチェックするとこれが意外とリーズナブルで、疲れもあってそこに決める。そして何を注文したか忘れたが、これがうまかったのである。もちろんビールも頼んでトータル27は良心的な店に思えた。お勧めなので写真を撮っておいた。レストラン名はBamboo Gardenといって、ワットビィスンナラートのマノーマイ通りManomai Rd.を挟んだ向かいである。ワットビィスンナラートも隣のワットアハムもWat Ahamもツーリストがおらず、なかなか良かった。背景にPhusi Hillが聳えるワッとビィスンナラート、堂内の絵画が素晴らしいワットアハムはまったく知らなかっただけに印象を良くした。そこからは前日以来お気に入りとなった道ナムカーン川沿いの道Kingkitsarath Rdを歩いて10分で宿に着いた。1:30帰着、この時間は昼寝の時間である、シャワーを浴びて戸を開けっ放しのまま扇風機をつけて横になった。

なんていう料理だったか忘れたが、目玉焼きがないと15000kp目玉焼が+2000kp ビール10000kpImg_6451Img_6452ツーリストには結構知られている店のようだった

Wat Visunnalat ;2枚Img_6453左奥山の上にPhusi Hillの仏塔が見えているImg_6454このストゥーパの形からここはすいか寺という別名もあって有名らしい

Wat Visunnalatに隣接していたWat Ahamもついでに参拝した;3枚Img_6459
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 16時ころ浅い眠りから覚めて、何するでもなくボケーとしていた。WiFiが繋がったのでiPadから音楽を流した、、どういうわけか急にMisiaが聴きたくなったので、検索して懐かしき‘つつみ込むように’を聴く。Misiaのなかでも好きな曲だったが、その時流れたビデオを見て驚かされる。いつからこんなド派手なツアーをやっていたのだろうかと、、わたしはCDしか知らず画像は見たことがなかった。少々失望しつつも何回か聴いてて思ったのである、Misiaもルアンプラバンもあのころ、20年位前が一番よかったのではないかと‥??、ハハハ、まだ夢を見ていたのかもしれなかった、、

 そのあと喉の渇きを覚えて買い出しに出かける、少しいったところで、歩道と車道の段差に気づかず転倒してしまった。足首を捻挫する。よく見ていなかったか、やはり夢を見ていたのだろう‥??、買い物をあきらめ、やっとのことで部屋に戻ってしばらくじっとしていたが、どうにも喉は渇くし足は痛いし、で、びっこひきひきまたでかけた。大通りまでは5分、ちょうどそこに屋台のスイーツ屋さんをみつけ、スイーツにビールは合わないから別の店でコーラを買って、前の人が買ったものと同じものという仕草で珍しくスイーツをゲット、これがわたしの知らない世界で超美味だったのである、ラオスのスイーツ侮りがたし、であった。それで少し気分が落ち着いてきたのか、足の痛みが気にならなくなったのか、また出かける。それはずっと気になっていたナムカーン川にかかる橋で、部屋からも少し見えていたところだった。で、足を引きずりながら、その橋に至る急な石段を下った。橋の手前に小屋があって、料金を取られたが、こんな楽しそうなところ5000kpは安かったともいえた。が、その5000kpがなく500kpほど負けてくれていうと、おばさんはOKしてくれた。この橋は生活橋でもあったようだが、むしろ観光客が主な利用者のようだった。対岸には、橋を上がったところにレストランと主に装飾品を扱う土産物屋さんが、さらにその上には寺院があった。対岸から見るルアンプラバンもなかなか絵になったから、ツーリストが多いのもうなずけた。が、何より興味深かったのはその橋が竹でできた竹橋Bamboo bridgeだったこと、そして雨期(増水時)には通行不能になるとのことで、ある意味どこのお寺見物よりも面白いところといえた。そんな風景が目の前に展開する60の宿が、エアコンがなくてもいかに得難い場であったことがお分かりいただけたであろうか??

珍しくスイーツ(カンテン入りアイスクリーム?)10000kpをゲットImg_6461

Bamboo Bridge;3枚Img_6460道路から急な階段を降りるとこんな感じの竹橋だったImg_6462Img_6467川にでられる

対岸からわたしの宿泊した宿辺り(向こう岸)、手前右がレストランで左が装飾店?
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再び戻って道路から振り返るImg_6468



 暗くなってから、また足首が痛みだしたが、それを引きずりながら、まともだったら10分でいけたところを20分かかかってナイトバザールの前日にパスした屋台の食堂街まで行く、その夜はなんとしてもそこで焼き魚を食べるつもりだった。テーブルの空き具合を確かめて、えらそうにしている屋台のオヤジに焼き魚の値段を聞く、、30とのこと、高い、もう少し小さいのを探してそれは、と聞くと20との返事だったので、それでOKしてごはん5と漬物みたいな野菜5とビール10を頼んだ。川魚は身が少なく食べづらかったが、もちろんその時わたしが求めていた味だった。けっこう苦戦してほとんど平らげたが、残念だったことが一つ、ビールは10だったが、それなら大瓶をだせといいたかったのだ。その点を除けばこの屋台は価値ありと思えた。帰りに同じく屋台で売っていたフルーツの詰め合わせ5と飲み物5を買って、また足を引きずりながら帰った、その晩の夕食は合計50であった。宿に戻ると驚いたことにPhonsavanh君がわたしを待っていた。朝彼に宿を移ったこと、明日ここを発つこと、時間があれば差し上げたいものがあるとmailを入れてあった。が、その後返信がなかったので、すっかり彼のことは忘れていたのだった。ある意味突然のことだったので、わたしは驚き少し慌ててしまった。手に持っていたフルーツを勧めたりしてその場を繕い、用意してあったお礼の品、日本のTシャツを記念にといって渡すと、なんと彼もラオスのTシャツを用意してくれていて、それも倍返し2枚も置いていってくれたのだった。その後話はあまり弾まなかったが、ともかく彼らの好意に対して返礼したいから、日本に来る機会を作れというのが精いっぱいだった。しかし、もしかしたら彼からすればエアコンもない安ホテルに泊まっているわたしを哀れんでいたのかもしれなかった。そんな感じで話がかみ合わなくなったのを察知してか、頃合いをみて彼は引き上げてくれた。わたしとしてはこんな形でなく、前もって連絡してくれてれば晩飯でもご馳走できたのにという想いもあったので、少し残念な気持ちと申し訳なさを残すことになった。

その日の夕食Img_6469Img_6470屋台街の感じ、左に偉そうにしているオヤジが写っている

 扇風機だけの少々寝苦しい夜だったが、十分に眠れて4時半ころ目覚め、5時起床は日本にいるときとそう変わりはなかった。しかもどういうわけは足の痛みはなくなっていた。いわゆる朝シャンですっかり目を覚まさせ、鍵はテーブルに置いて5時半にはその宿にした。その場所は最初にいったWat Xienthongやそこに隣接している寺院Wat Sene他いくつかの寺院に近かったから、きっとサッカリン大通りはギャラリーが多く集まっているのではないかと期待していってみると、期待以上というかたいへんな事になっていた。それはきっと毎日のことであろうが、今はオフシーズンでこれほどなのだからオンシーズンはさぞかし終始がつかなくなるのではないかと心配になるほどだった。すでにギャラリーは少しずつ集まり始めていたが(観光バスでやってくる団体さん、あるいはトゥクトゥクで駆け付けるもの多数)、すでにツーリスト用の桟敷席?(見物用でなく喜捨する人として座って待つため小さな椅子席-たぶん有料?)が造られていただけでなく、その喜捨するもの-菓子類?-を販売するおばさんたちが何人もその路上で商いに追われていたからだ。これほどまでとは!?と少々あっけにとられてわたしの期待はいっぺんに萎んでしまったのだった。予想はしていたものの、これほどショー化し商業化していることに、前日の朝初めて目にして感じたことがむしろお笑い草に思えてきた。すべて承知の、できレースでは面白みはない、観光客が主体となったら敬虔な信心とも宗教的儀式とも無縁になってしまう、これでは本末転倒・興味喪失であった(わ片棒を担いでいたのに、だ)。その朝恐らく長蛇の列をなしてやってくるであろうオレンジ色の衣の一団を見ずして、わたしはその場を去ることにした。ちょうど客を乗せてきて着いたばかりのトゥクトゥクをつかまえて、南バスターミナルまで行ってくれと交渉し20で了解を取り、バスターミナルへ向かった。もっともその一団の写真が撮れたとしても6時にはその場を去るつもりでいたのだったが‥、、

わたしの到着は早い方だった、何しろここまで宿から2分Img_6472

だんだんギャラリーが集まってくるImg_6473

喜捨品販売にいそしむおばさんたち、前にでている価格表が象徴的Img_6475

最初の数人は5:40頃やってきたImg_6476

本文に少々矛盾するが、長蛇の列を見ずして、この写真を撮って立ち去るImg_6479

 6時には南バスターミナルについていた。その道すがら、そこらじゅうで托鉢風景を目撃していた。その都度ドライバーにいって減速してもらい、サッカリンで撮れなかった分の埋め合わせをしたが、こちらの方はいたって自然で毎日のお勤めといった感じが双方によく表れていた。わたしは前日インフォメーションで確かめてあった6:30発のビエンチャン行きに乗るつもりだった。それは始発だったが、それに乗れば何とか夕方にはビエンチャンに着くだろうとの予測からだった。こういうのは早いバスに越したことはないのである。ま、結果的にそれは当たったのであるが、結論からいうとビエンチャンまで9hという表示は、もちろんあてにはしてなかったが、実際には11時間半かかったのである。ま、それでもこのバスもなかなか面白かったのであるが、それを詳しく伝える余裕がなさそうである。なのでその模様を簡単に記してこの項を閉じることにする。昔に比べれば道は格段に良くなっていると思う。しかし、ルアンプラバン~ビエンチャンは全線ほぼ山道であった。フアイサイ~ルアンプラバン間もそうだったと思うが、この時は夜行バスだったからほとんど何も見てなかった。だからこそ、ルアンブラバーン~ビエンチャン間も夜行寝台バスがあったけれどそれにしなかった。10時間以上かかるだろうことは予測していたが、むしろそれを楽しみにしていたのだった。そしてラオスは大半が山国であることを知っただけでなく車窓はずいぶん楽しめた。山好きの故でもあったが、一ヶ所はガイドブックその他に一切記載されていない秀峰の写真を撮るのに苦労する。それは座席が反対だったからだが、いい山はたくさんあった。山岳民族の村と思われるところも多く通過した。分岐の街、昼食をとったところすべてそれがどこだったのかはわからない、わかったところは途中の大きな街で旅行者にも注目されているところバンビエンVang Viengだけだった。そこは14:00着 14:15発だったから、ルアンプラバンから7時間半かかっている、そこからビエンチャンまでは3時間半というところか?そのバンビエンではルアンプラバンから一緒だったリトアニアの女の子が降り、途中から乗ってきた、欧米人のカップル(別々のところから乗った二組のカップル)もいずれもバンビエンで降りていった。いいところらしいが今回はそこに寄る時間はなかった。こうして山国ラオスを北から南に下るルアンプラバン~ビエンチャンのexpressのバス旅は、11時間半かかって、夕方の18時にビエンチャン北バスターミナルに着いたのだけれど一つ興味深い話を記しておくと、expressバスは写真に撮ってあると思うがいわゆるミニバスで乗り心地はそれほど良くはない代りに料金は110000kpだった。その1時間半後の8:00発のバスはVIPバスで大型のデラックスバス、料金は130000kpだった。たぶんエアコン付きで乗り心地も悪くなかっただけでなく、そのバスは時間的も早かったのである。我々のミニバスは18:00着だったが、わたしが北バスターミナルでウロウロしていたら18:30頃見覚えのあるバスが到着してびっくりさせられた、それが8:00発のVIPバスだった。ま、それでもこのルートに10時間半かかっているのだ。しかしそんなバスが走り始めたのはいつ頃のことだろうか?少なくともわたしが最初に訪れた25年前は、Vang Viengにいくのも容易ではない時代だった。その後の発展ぶりに世界遺産認定が果たした役割はこの国の場合大きかったのかもしれなかった‥??、、

トゥクトゥクから托鉢風景;2枚Img_6483Img_6485

ルアンプラバン南方面バスターミナル;3枚
Img_6490Img_64916:30発ビエンチャン行きexpressバスはミニバスだったImg_6488これは8:00発VIPバス、このバスは1時間半後に出発し、30分後にビエンチャンに到着した

車窓から;5枚Img_6495Img_6509Img_6510
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トイレ休憩9:45~5分Img_6519

分岐の大きな街(地名不明)10:50~10:55Img_6526

わたしがずっと注目していたBamboo Houseはだんだん減少しつつあり ;3枚Img_6499Img_6527Img_6528

この山は、これより30分くらい前から特異な山容を見せており、ずっとシャッターチャンスを狙っていたが、あいにく座席が反対側だったため結局いい写真が撮れなかった。また山名も不明、、;3枚Img_6533Img_6537Img_6540少し回りこんだ方向から、しかしこの辺はもう一回訪れてみたいと思った、12時ころ通過、、

12:25~12:50昼食休憩Img_6543Img_6542このラーメンは20000kpImg_6544このドライブインの裏手の風景、上の山の写真といいこの辺の山はごつごつした感じの山が多く、ここから1時間くらいいったところの街Vang Viengもこんな感じのところかと想像した、、

街道沿いの野菜売り、ここにはドライバーの買い物のため停車Img_6545

18時、漸くのことでビエンチャン北バスターミナル着;3枚Img_6546Img_6547ターミナル正面とticket売り場Img_6548