独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 7) プラヤ グランデPlaya Grande とラグナ レチュアLaguna Lachua

 中米の場合(南米も?といい切れるかは何ともいえない)、ほとんどパルケセントラルの大きさでその街の大きさは判断できる。これは歴史的にその街の成り立ちが、街の中心(パルケセントラル)が造られてカテドラルが配されて、minucipalidad(役所)が置かれ、メルカドが隣接するというのが、一般的な構造となってきたからである。その伝で行けば、ここBarillasのパルケセントラルも立派なものであった。minucipalidadもその一辺に堂々した建物を構えていたし、あとの三辺は都会的な雰囲気の商店や銀行なんかが並んでいた。ただ、カテドラルはその一辺に位置してなかった。その四囲の通りの一つには、信号機が設置されていたからこれはもう立派な都会の証といえた。そしてその一角に、わたしが宿泊したホテルはあったのである。だから、そこは街の中心だったし、ということはその街でもかなり高級なホテルにわたしは連れていかれたのであった。が、ほとんど客のいないホテルのフロントでわたしのスペイン語はあまり通じなかったし、相手のスペイン語もよく聞き取れなかった。方言が強かったのかもしれない。部屋は、バストイレ付で80Qとのことで、もう少し安い部屋もあったかもしれないが、それでOKした。そのフロントの男の子に、ここに日本人が泊まったことはある?と聞いてみたが、彼の知る限りはいないとのことであった。その時の宿帳にも、外国人らしいサインは、ほとんど見られなかった。つまり普通の旅行者がくるところではないことが、それだけでもわかった。しかし、その割には大きな街、立派なホテルであった。そのホテルにはレストランも併設されていたのだから、、が、シャワーを浴びてからそのレストランを覗いてみたが、ぱっとしないメニュウ、応対もいまいちだったので、すぐに街に出てみた。パルケの周りだけだったが、商店もレストランも何件か見つけたし、そして例によって屋台もでていた。結局、ビールを買って屋台で焼き肉のtakeoutをし、いつもの部屋食になってしまった。が、ビールが10Qで、焼き肉10Q、ここの名物のようなトルティヤが1Q×2で安くておいしい食事ができるのだから、わたしにはこれがベストであった(ついでながら、この時take out した焼き肉は、今までどこで食べた焼き肉よりもうまかったのと、写真を撮ったがポテトが抜群にうまかった。しかも10Qという信じられない安さ- ふつう安いところでも15Q - は特筆に値した、あとここの名物?のトルティヤもうまかった)。

Img_5330この日の部屋食は24Q?最高!!


 翌朝も少し街ブラ、パルケセントラル一帯は銀行の開き時間を待つ女性の行列(?何で並んでいるのかよくわからなかったが、こういう光景は珍しくなかった)、2~3ブロックいったところあたりのメルカド一帯は朝早くから賑わっていた。ここはどうやら単なる地方都市ではないようであった。この活気は何なんだろうと思いながら、パルケセントラルになかったカテドラルを探してみたが、逆にカテドラルに人はいまいちだった。むしろそのわきに停車していたトラックが、どうやらこの街を象徴しているようだった。そのトラックには物資満載で、それをどこかに収めるために待機しているようだったからだ。ここは地図上は、グアテマラの僻地に位置していたが、どうやらその実際は、物資の一大集積地として役割を担う、一地方の中心といった以上の機能を備えた、やはり都市というのが相応しいような街だった。ホテルのむかえにあった洒落たコーヒーショップで朝食をとった。そこにはグアテで見かけそうなビジネスマンが朝食をとっていた。そのカフェはまるでコバンにあってもおかしくないような素敵なコーヒーショップ兼レストランで、そのビジネスマンたちは同じホテルの同宿者だったかもしれないが、ここはなんか地方色の薄い都会を感じさせる街だったのである。前夜、フロントにいた男の子とその母親らしい支配人の女性に、この街の人口と高度を教えてくれと聞いてみた。そしたらそんなの知らないという答え、それに驚いて、誰か知っている人いないのかとさらに問いただしてみると、その母親がどこかに電話して聞いてくれた。そしたらなんと33万というではないか?聞き違いではないかと思って紙に書いてもらったが、やはり33万とのことであった。確かめなかったが、いくらなんでもそれは多すぎ、グアテマラでグアテ市に次ぐ都会Xelaだってそんなにいないはずだったから、たぶんそれは市の人口でなく、Barillas provincia(郡?)かなんかの数字と思われたが、それでも優に10万は越えていてもおかしくない規模は十分ありそうだった。いったい、それほどの街がどうしてこんな辺境に存在しているのか?、驚きとともに新たな謎として残ることになったが、そんな知らざる街を知るのが旅の面白さの一つかもしれなかった。こうして、改めてこのルートを見直すとともに、さらなる前進をするべく、その日の目的地Playa Grandeまで行く乗り合いバスの乗り場まで、件のフロントの男の子が連れて行ってくれた。その子の親切もとても身に染みた。そんな素朴なところと思ってもいなかった意外性(?都会性)が、この街の印象を特異なものにした。プラヤグランデ行きのバスは、30分おきにでているとのことだった。プラヤグランデまでは4時間、前日のミニバスと同じくらいの20人乗りくらいのバスで、9時にBarillasを発った。

Img_5332宿泊したホテルの隣が銀行で、朝早くから長い列

Barillasのパルケセントラル付近;3枚Img_5333_2Img_5334Img_5343

街の様子<上>と市場付近<下>Img_5335Img_5336

街の全体感は撮れなかった
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カテドラルImg_5341

ホテル前のカフェで、珍しくまともな朝食をとる;2枚Img_5346
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市場近くに待機していたPlaya Grande行きのバス
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 この間は当然未舗装路であった。が、高度1400mのバリリャスから、低地のプラヤグランデまでは、ことのほか美しい道程だった。ところどころ村落があって、ほとんどの乗客はそれらの住民だったが(だからBarillas ~Playa Grande間を通しで乗っていたのはわたしくらい?)、でこ山道車窓は最初はキチェの山並みを遠くに眺め、だんだん近づく低地熱帯雨林帯を上から眺めながら下っていく雄大なパノラマが、十分にわたしを楽しませてくれた。この時のドライバーもview pointに減速し大変気を遣っマム男は気立てが優しくそれでいて男前のドライバーばかりだった。途中10分くらい休憩した三叉路の村や、ある程度降り切ったところから舗装道路になって、両脇のフィンカや山村の風景、不思議なことにどこも貧しさが感じられなかった。まさに桃源郷?、下はもちろん暑かったが、全体的に明るく開放的な感じを与えていた。どうやっても、ここも辺境の地ではなかった。何しろ30分おきにBarillas~Playa Grande間は車の行き来があるということは、15分に一度は逆行きのワゴン車に出遭うということである。どうしてそんな地が過疎地になり得るのか?ことはまったく逆のようだった、、つまり、この辺りは物資の集積地、グアテマラでも最も進んで豊かな地であったのではないか?ということだった。グアテ市から570kmという標識を目にしたが、グアテの中心からそれほど離れていながら、ほとんど首都には頼らずに、自力で経済を活性化させている?、これはあくまでわたしの推測であった。

Barillas~Playa Grande間の車窓から;5枚Img_5355Img_5358
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途中で休憩した村は、桃源郷のようなところだった;2枚
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Barillas~Playa Grande間のコレクティボとはしきりに行き交うImg_5379Img_5382途中から急に道がよくなる

だいぶ下まで降りて河が見えだす、Finca<農場>が両脇に続き、明るく豊かな土地柄が偲べた;2枚Img_5383Img_5384

どこかの村で屋根上の荷を下ろしていた、ここも明るい土地柄だった、遠くに下ってきたSierra<山並み>が見えていた;2枚Img_5385Img_5387_2

Img_539112時半にPlaya Grande(別名Ixcan)のターミナルに着いた

 4時間(50Q)と聞いていたプラヤグランデに3時間半で、12時半に着いてしまった。意外とあっけなかった。もっと悪路の連続かと覚悟していたがむしろ快適だった。親しくなったドライバーとその助手に十分礼をいって(ちょっとした日本の土産をあげた)、プラヤグランデのターミナルでホテルの場所とか、コバンCoban行きのコレクティボ<乗り合いワゴン車>乗り場の場所を教えてもらって別れた。で、早速ターミナルの一角にあったホテルにいってみた。まだ、昼を過ぎたばかり、なのでそこからコバンにでようと思えば、その日のうちにコバンまでいけそうだった。が、いくら見どころはなさそうとはいえ、せっかく秘境と思っていたプラヤグランデまで来たのだから、せめてラグナレチュアLaguna Lachuaへは行ってみようと思っていた。そのためにはどこかに宿をとる必要があった。ま、手っ取り早いところでターミナルにあったホテル(バスターミナル内にはそのホテルしかなかった)に早速部屋の確認に出向く、が、もちろん部屋はあったが高すぎた。ベッドがあるだけの部屋が60Q、最初は冗談かと思った。前日のバリリャスの高級ホテルが80Qで、プラヤグランデの安宿が60Q?それはないだろう、せいぜい30Qでないの?と交渉してみたが無駄だった。相手の言い分はわかった、要ベッドが二つ一人泊ま二人で泊まベッド二つ分は払っ50Qな交渉決裂し仕方く街<セントロ>戻るターミナル街か10分少々暑いい荷は半分4~5kgだったら方向だけ聞いて歩いた。一軒の宿をすぐに見つ、が今度高級す一番の宿で部屋で125Qと交渉安宿他に聞く一軒教え5分テレビなしなシングル30Qでいいという。これはまた極端に安かった。もちろんベッドがあるだけ、バスもトイレも部屋にはついてなかった。しかし、これまでにそんな部屋にどのくらい泊まってきたか(それでも最低価格だったかもしれない)?むしろ歓迎、即決する。簡単にシャワーを浴びてから外出した。この街の構造はすでにだいたいつかんでいた。先の高級ホテルがあった辺りが、街の中心で(ここはパルケセントラルもカテドラルもなかった、いやあったかもしれないが見つけられなかった)、その近くからコバン行きのコレクティボ、ラグナレチュア行きのコレクティボが出ていることも、すでにわかっていた。で、ラグナレチュアの入り口を通るというそのコレクティボに確認して乗り込む。20分おきくらいにでているというそのコレクティボで、ラグナレチュアのの入り口までは30分、いわれるまま10Q払ってしまったが、たぶん5Qくらいの距離だった。

Img_5395街一番のホテルは街の中心にあった。Img_5394上のホテルから少し歩いて写真左に安宿Img_5397上の高級ホテルの前辺りが、コバン行きコレクティボ乗り場

Img_5398その向こうの角がレチュア湖へ行くコレクティボの乗り場だった


 確か、14時半ころに国立公園Lagna Lachuaの入り口に着いていたと思う。ここが、入り口というとこで降ろされたが、グアテマラの国立公園らしく、ちゃんと看板や注意書きがあって、オフィスのようなところもあった。外国人料金50Qを払う。といってもそこがどんなところかよくわかってなくて、その時間から何もわからずに入って戻ってこられるのか少々不安であった。わたしが知っていたことといえば、自然保護区になっているその公園内には、Lagna<湖>が湖畔キャンプサイトキャンプを園内歩く持っ以外に何も地図さ係官が説明し畔ま4km;1時間、そこからは湖畔に沿って、左手に1kmくらいいったところにキャンプサイトがある、道は一本道だから、道から外れない限り迷いようはないというものだった。ま、往復2時間半くらいで戻れるだろうという話だったから、ならばと、少々急ぎ足でジャングルの中の道を辿った。ま、時間も時間だったから、公園内に人の気配はなく(危険な動物の気配すらなかった)、周りはかつてよく知るジャングル相(ミラドールで経験済み)だったが、不安はまったくなかった。却って途中で突然現れた、葉の束を背負うおじさんにびっくりさせられたくらいだった。ちょうど1時間くらい歩いて湖にでた。そこは静まりかえって、あまりの静寂さと動きのなさが、神秘というのか(ちょっと違う気がするが)、今までに出遭ったことのないような風景<sceneシーン?>として現前していた。感動はない、絵に何かが足りなかった、そう、アクセントが一つ欲しいところ、そんなことをつぶやきながら一応カメラに収めた。そして、とりあえずといった感じでキャンプサイトへの道をたどってみた。途中で一組だけ、出口に向かうグアテマラ人ファミリーと出会った。キャンプサイトも、これまたお馴染みの、つまりミラドール行の時に利用したような、いかにも風情を感じるつくりのキャンプ場で、自炊設備もしっかりしていたし、バス・トイレ完備のいわゆるホテル形式の部屋もあるようだった。そこには誰もいなかったが、そこから湖畔にでてみると、そこにその日の数組のゲストたちが、思い思いにくつろいでいた。泳ぎも沐浴もできるようになっていて、確かに楽園を絵にかいたようなところだった。そこに一人の美女がいて、話しかけるとキレイナトコロと日本語が返ってきた。フランスの女の子で、一人旅、日本語を少し習ったことがあるといっていた。その夜はもちろんここのキャンプ場の主役になることであろう、と思われたが、といってもあともう一組グアテマラ人のファミリーがいただけだったから、ま、ちょっと寂しいさは否めなかった。カップルで来るならいざ知らず、一人で来ても面白いところではないように思われた。

国立公園Lagna Lechua入り口付近;4枚Img_5399Img_5400Img_5428Img_5402


ジャングル道;3枚Img_5405Img_5403Img_5404

湖畔で出る;3枚Img_5407Img_5408Img_5410

キャンプサイト;4枚Img_5412
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この日のguest;3枚Img_5416Img_5418Img_5419

最初湖畔にでたときは見えなかったキャンプサイトを帰りにもう一度よって望遠で探してみた、、Img_5424

 4時近くになってしまって、大急ぎで来た道を戻る。ま、日が暮れない限り安全なのだが、ジャングルというのは開放感がなく、寂しさがつきまとうのである。ちょうど5時に出口に着いたが既に係の人は誰もいなかった。さて、このLagna Lechuaの入り口は、コバン~プラヤグランデを結ぶ幹道に面していたが、その時間コレクティボの往来は極端に少なくなっていた。プラヤグランデ方面に向かう車なら、どれでも乗せてくれたと思うがそれがなかなか来なかった。入り口前で待つこと数十分、あきらめて歩きだした。もちろん歩いて帰れる距離ではなかったが、じっとしているより、歩きながらヒッチしたほうがよさそうだと思ったからだ。が、こういう幸運は珍しいと言わざるを得ないが、その時最初に来た車が停まってくれたのだった。結局数百m歩いただけで、わたしはプラヤグランデまで、ヒッチできたのだった。その間、彼Rodriguezロドリゲス君とはスペイン語と英語ちゃんぽんで、それでもかなりの話ができた。彼は、チマルテナンゴに居があって、まだ30代ながら、全国にドラッグストアfarmaciaを展開する若手実業家であった。ま、やり手はどこにでもいるもので若いにもかかわらずしっかり者、もっと成功したら日本に来るようにとわたしの名刺を渡しておいた。たいそう興味を持ってくれて、このわずかな邂逅を楽しんだ。が、その日の夕食までは話は及ばなかった。こういう場合、もしわたしがもう少しスペイン語か英語が流暢であったなら、そして貧乏旅をしていなかったら、わたしが招待したであろう。が、その時の状況からして飯を食おうとなったら、彼の出費が目に見えていた。それをわたしは好まなかったからだ。安宿の近くで、ここがわたしが泊まっている30Qのホテルだ、といったら彼は驚いていた。どこかでまた会おうと十分に礼をいって別れた。しかし、お互いに印象に残る出会いだった。

 その日の夕食のプランは実はできていたのだった。わたしは魚が食べたかったのである。この街の不思議の一つは、なぜここがプラヤグランデ<大きな浜>という名になっているかだった。わたしはその名からして、きっと大河が流れていて、その岸辺が発達して街になったものと想像していた(例えばSayaxcheのようなところ)。だからどこかに大河ががあるはず、そしたら魚が食べられるはず、といった単純連想?でずっと思っていたのだ。で、河はあった(その話は次回)が、浜はどこにもなく、この街自体が河から遠く離れたところにあった。だから相当イメージを補正しなければならなくなったが、しかし、ここも物資の集まるところに変わりはなかった。街のいたるところ活気があって、物は豊富だった。当然魚を食べさせるレストランもあったのである。が、そのレストランには入らなかった(ま、レストランなら50Q)、屋台のtake outなら15Qだったからだ。その前に市場で野菜を仕入れ(3Q)、パンを仕入れ(1Q)、ビールはこの日はBrahvaの安いロング缶(一缶5Q)を2本、そしてmojarra fritaのtake outは15Q、計30Qであった。ベッドのほかに何もなく(机はあった)、WiFiの設備もなく、ただ外からは隣のエバンヘリコのけたたましい音楽が、まるでディスコでもあるかの如く鳴り響く部屋での部屋食は、また楽しからずや、なのであった、、

Img_5392何もない30Qの部屋Img_5430そこでの晩餐?しかし毎日肉ばかり食べているとこの魚のうまさは特別なのだった!!