独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 6)サンフランシスコエルアルト San Francisco el Alto、イシムチェ Iximche

 サンフランシスコエルアルトの金曜市はグアテマラで最大規模ではないかという評判は聞いていた、シェラで見た富永mapにもたしかそんな解説が載っていて詳しく地図が描かれていたように記憶している、だから金曜日を狙っていた、そう、今回の旅はそれにあわせて日程を組んでいたのだ、この次はたぶん来年になると思うけど、とアンドレアに礼をいって7時にはCasa Andreaを出た、パルケセントラル脇に停まっていたバスは運よくシェラ行きで待つことなくすぐの発車となった、もう通い慣れた道、しかし国道CA1の148までは、いつ通ってもハードな道だった、そのときも148まで1時間半かかっている、148からこれも通い慣れたクアトロカミノスまでは45分、そこにはサンフランシスコ行きのバスが何台も待機していた、ほぼ満員になるとそのバスも発車して10時にはサンフランシスコエルアルトのバスターミナルに着いていた、すでにターミナル周辺からそうとうな賑わいを見せ、市の中心である教会のある高台へ通じる道も通りをふさぐように出店している屋台・露店で埋め尽くされ、歩くのもままならない、噂に違うことのない人出にしばし驚くことしきり、といってももちろんそれらはすべて地元の人たちで観光客の姿は見られなかった、下のほうは日用品・衣料品等が多かったように思うが、それこそありとあらゆるものがこの市では商いされていた、特に苦労して30分くらいかかって上りついた丘の上では(市でなければ15分の距離)そこはサッカー場がすっぽり入ってしまうほどの広大な空き地になっていて、そこでさまざまな家畜・動物が商いされているのが見ものであった、そのほか珍しかったのはわれわれが子供の頃よく見たミシン(だから50年前頃のシンガーとか蛇の目とか)、またマチェテ(鉈)や昔から使われているトウモロコシを挽くための石盤メタテと楕円形の石棒マノ等のこの地独特の生活用具を扱う店、またわれわれにはその用途がわからないものまで種々雑多、ないものはないといった感じで、衣料品や食料品を扱う店舗は星の数ほどといっていいくらいの賑やかさであった、ま、わたしは品物を探しにきたわけでなく、その市がどんなものかを見に来ただけだったので1時間半くらいうろうろして何も買わなかったが充分に見ごたえはあった、たぶんグアテマラ一の市というその評判は間違いないであろうと思われた、しかしこんな市が毎週開かれてる?いや、いつも各所で開かれている市を見るたびに思っていたのだが、ましてこのサンフラニシスコエルアルトはシェラからでも1時間かからないところにあってその周辺だけでも毎日どこかで市が開かれている、で、いったいどのくらいのモノの動きがあるのだろうか?ただ人のみが動いていて肝心のモノが動いていないのではないか?その辺がちょっと引っかかった、物流がなければ経済は空回りになるのではないか、現実にはそのモノが日によってあっちに行ったりこっちに行ったりしているだけではないか、もしそうだとするとなんという無駄、非効率なことか!?いずれにしろわたしにはモノが過剰、余っているか滞留しているようにしか見えなかった、せっかくのグアテマラ風物のインディヘナの市は経済効果的にみるとそのシステムに問題がありはしないのかと、余計な心配をしてしまうのであった、、、??

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  さて、満員の乗客を乗せたバスは、沿道が混みあっていたこともあって12時すこし前にクアトロカミノスに着いた、前にも述べたようにほんとに奇遇というか、この日3度目にして3度わたしはにここクアトロカミノスでグアテ方面へのバスを待つことになったのだけれど、その時間が3度とも12時ころだったことに変な巡りあわせを感じていた、グアテ市方面のバスは何本も来る、以前もそうだったがここは適当な飯屋がなく(あるにはあったが、ゆっくり食事するところではない)いつもパンを買ってバスを待っていた、この日もパンを買っている間にバスが来た、テクパンまでの料金を確認してそのバスに乗る、テクパンまでは約1時間20Qであった、国道CA1上にあると思っていたテクパンは、そこがテクパンだと言われて降りたったところは、実際はテクパンではなくテクパンの入り口であった、街まではミニバスがあるとのことだったが、それがどこから出ているのかよくわからない、仕方なく街があるという方角に歩き出した、このときもカンは当たったのだけれど結構遠かった、30分も歩いたであろうか、やっと街の中心に出たが、今度はイシムチェに行くミニバスがどこから出ているのかわからない、パルケセントラルと教会はすぐ見つかってグアテ行きのバスもその近くから出ているのはわかった、が、何人かに聞いたけれどイシムチェ行きのバスはやはりヒアリングの問題か聞き取れなかったのだ、というか、それでも20分くらい歩き回ってやっと見つけたその場所はパルケセントラルから少し離れていて、わかりずらく何の変哲もない通りにあったから、説明しずらいところでもあったのだ、で、そこからミニバスに乗って15分イシムチェ遺跡に着いたとき、すでに15時を回っていた、、、

 イシムチェ遺跡Ruinas de Iximucheはかつてのカクチケルの本丸、首都であったところである、スペイン人の征服史に必ず出てくる有名な話だが、原住民制圧に手を焼いていたスペイン人はその征服のため、当時最大勢力だったキチェと敵対関係にあったカクチケルと手を組んで、キチェを倒すためにカクチケルを利用したのだ、そして首尾よくキチェを制圧するとその後カクチケルも滅ぼしてしまった、そうやって遠征隊隊長エルナン・コルテスの部下だったペドロ・デ・アルバラードは1524年グアテマラ(現在のグアテマラエリアの)征服を成し遂げたのであった(キチェ制圧が1524年、カクチケルを滅ぼしたのが1530年)、そしてそのスペイン人が最初に植民地の首都としたところが、イシムチェ遺跡から数キロの地、今のテクパンのあるところであった、、、この遺跡には結構観光客がいた、いずれも地元の人グアテマラ人であったが、ここは首都グアテマラシティからも近く(約1時間半)比較的アクセスしやすいのと遺跡自体も整備され公園化されていたから、いろいろな意味で歴史の教材となる地であったのかもしれない、、?? 一回りするのに約1時間、興味を引いたのは堅固な石組みの要塞のような遺跡群に囲まれた大きな広場が4~5あって、それぞれに役割があったと思われるが、その最奥に造られていたマヤの祭壇遺跡?これだけが他の建造物とはちょっと異質で、それは今でも機能しているような印象があった、彼らの信仰心?あるいはかつてのカクチケルの首都としてのこの地に馳せる想いは強いのかもしれなかった、、、

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 このバスはチマルに寄りますよね?と聞いたのが間違いだったかもしれない、テクパンのセントロにもどったわたしは、グアテ行きのバスはチマルを通る筈とわかってはいたが念を押してみたのだった、そしたらチマルに行くなら別にバスがあると、そのバスの運転手は親切に数ブロック先のバス乗り場を教えてくれるのだった、別にどっちでもいいのだけれどと思いながら歩いて行き着いた先に確かにバスが一台停まっていて行き先はチマルテナンゴとなっていた、ドライバーも間違いない、とのことだったのでそのバスに乗って待つ、乗客はほとんどいなかった、だいぶ待たされて数人の乗客とともにバスは出た、どうやらそのバスはローカルバスで付近の町・村を経由していくのだとわかったが、ならグアテ行きに乗っていったほうがよかったと思ったときはもう遅かった、グアテ行き直行バスなら30分で着いたはずのチマルにそのバスはなんと2時間もかかることになってしまったのだ、ま、順調にいったとしても1時間はかかったと思われるが、こともあろうに、それまで何十回とチキンバスに乗っていて、初めてバスが途中で故障して動かなくなってしまうという経験をする羽目になった、止まってしまったところは両側畑で何もないところ、幸い路肩が空いていて交通の障害にはならなかったが、ドライバーと車掌で応急処置が始まった、が、こういうとき言葉の不自由は致命的でどうなっているのか、どうしたらいいのかわからない、他の乗客に習うよりなく数人の乗客のうち何人かは後続のバスに乗り換えた、が、それでも4,5人は残って車掌と話している、内容はわからない、わたしの判断はこうだった、急いでいるか金に余裕があるなら乗り換えたほうが良さそう(もちろん乗り換えた場合はまた支払いが生ずる)、乗り換えない人もいるのだからいずれ何とかなるだろう、しかしどのくらいの時間がかかるかは予測できなかった、車掌が通りかかったトゥクトゥクに乗ってどこかへ消えた、どちらにするか決めかねていたが、この顛末の結果もみたかったのでわたしもそこにとどまった、問題はそこが吹きっさらしで少々寒かったことだ、また原因とどのくらい待たされるのかわからなかったことも多少いらだたせた、なす術なくじっと待つしかなかったのだが、やがてトゥクトゥクで戻ってきた車掌は何か液体を抱えていた、かれこれ1時間も費やした故障の原因はどうやらガス欠にあったらしいことがそのときわかった、と同時に呆れるというか、ま、たまたま今まで遭遇しなかっただけで、それはチキンバスに乗る限りついて回る日常茶万事、よくあることのひとつだったのかもしれないと思うのであった、、、

 おかげでチマルについたときはもう日が暮れていて、折からのラッシュアワー?乗り換えのアンティグアへ行くバスは来るバス来るバス超満員で乗ることができない、何台かのバスを見送って、そこでは乗り換え不能ということに気がついた、ならば始発地点まで戻るしかない、そこは何ヶ月前かに初めてチマルにきたときに下車したところだったから、歩いて5,6分だということはわかっていた、そこまで戻ってしばらくバスを待つ、案の定そこでは乗り込めたがすでにそこでもう満員状態であった、ちょうどアンティグアへ戻る通勤時間帯であったのだ、何とかアンティグアに19時半着、その足で田代に、満員だったらドミトリーでOKと覚悟はしていたが幸いに個室が一部屋空いていた、すぐに夜食とビールを仕入れに街に出、部屋に戻って食事、だいぶ疲れているようだった、おまけに少々熱っぽく感じていた‥~