独歩の独り世界・旅世界

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独歩亭(爺?)の独白独語、その3,独歩亭;ネーミングの由来

 前回のここに、HP独歩亭の‘独歩爺さんの独白独語’から転載する旨お断りしたのだが、その際、コピペするとなぜか行が空いてしまうので見栄えが悪くなっていると書いたかと思う。で、そのあと気がついたのだけれど、それなら逆にすればいいのではないか、つまり、向こうに合ったネタをまずこちらに書き込んで、それを向こうにコピペすれば、それで解決するのではないか?と思ったのだ、、で、それでうまくいくかどうかはわからないが、とりあえず今回の主題を独歩亭のネーミングの由来ということにして、まず、それをここに書いてみることにした‥、、

 さて、独歩亭ネーミングの由来だが、それもCasa Camino Soloというタイトルの中で少し触れたと思うが、そもそもはこのわたしのブログ‘独歩の独り世界・旅世界’からとったもの、つまり長年独歩という名を使ってきたのでそれに愛着があってのことだった。では、そのブログのハンドルネームをどうして独歩にしたかを説明しなくてはならなくなるかと思う。ただ、それもずいぶん前に、たぶんこのブログをはじめた当初に書いた記憶(たぶんニックネームというタイトル?)があって、それを読み返してはいないが、だいぶ時がたってしまったので、そのへんのところをもう一度書いておく必要はあるかと感じているところである。

 単純にいうと独歩は、ひとりで歩くということ、そしてそれはわたしの趣味にかなっていた、ということなのだが、恐らくそれだけでは済まない話だと思う。よく聞かれたのは、独歩としては最も名の通った人物、国木田独歩との関連であった。そしてそのことについても前のときにコメントしていたかと思うが、わたしはその人のことをまったく知らなかったのだった(もちろん名前は知っていた)。だから、わたしの独歩名の由来は国木田独歩からとったものではなかった。では、他に??、もちろんそれはあってそれを説明するのが今日のコラムだが、もしかしたらそれも、そのブログ‘ニックネーム’に書いたかもしれないが、今は思いだせないでいる。ただ、少しだけ記憶に残っていることがあって、確か‘もしかしたら、国木田独歩氏もわたしと同じところから、その名をとったのではないか’と書いたような気がしている(読み返せば早いのだが、それをしないのである)。それは記憶の底に引っかかっていたから覚えているのだけれど、そのときはそれ以上詮索はしなかった。で、今回改めてその説明をする必要を感じたときに、果たしてどうだったのかが気になってきたのだった。つまり、自分のことはさておいて、国木田独歩氏はどこからその名を持ってきたか、ということが‥??、、

 そう、わたしが独歩を名乗のるようになってから、もう7年くらいになるのか?、その間国木田独歩氏はわたしとは無縁の存在だったし、気にもしないでいた。しかし、同名のよしみ?、その人のことを知らなすぎたことで、却って調べてみようということになった。早速図書館であたってみたが、書架にこの人について書かれたものは、他の明治の文豪たちに比べると極めて少なかった。もちろん独歩の作品集は容易に見つけられたが、それは失礼ながらあまり魅力は感じなかった(しかし、その後少し読んでみたが、今読んでもその文体は決して古くなっておらず、いい文章だったので、この人が作家として今に名声を残している理由が十分納得できた)。探し方が悪かったのかもしれないが、その中でやっと一冊だけ、それらしいものがあったので早速借りて帰った。その本のタイトルは‘編集者 国木田独歩の時代’というもので、著者黒岩比佐子さんは、わたしよりちょうど一回り若く、多くのルポ、ノンフィクションを世に送りだしている才女だった。その本の発刊は平成19年で<角川書店>、そこにはかなり詳しい独歩氏の生涯が描き出されていたのだった。

 まず、書き出しの3行はなかなか印象的だった。それを引用する、、

《いまから百年前、日露戦争後の文壇の注目を一身に集めていた作家は、<破壊>を書き下ろした島崎藤村でもなければ、東京帝大の教職を辞して朝日新聞社に入社した夏目漱石でもなかった。意外かもしれないが、それは国木田独歩である‥》

というもので、ここからいっきに彼の生涯を紐解いていく手腕は見事であった。その本のタイトルが‘編集者 国木田独歩の時代’というもので、それまで知られていなかった、むしろ作家としての名声を得る前に、日本の草分けとなる多くのヴィジュアル誌・グラフ誌を発刊、編集者とした活躍した時代があったことを語っており、氏の交友関係の多彩さや、その後大家となる作家・学者・歌人・画家が多く彼の下に集まっていたことを知る。わたしははじめて国木田独歩という人のこと、その偉大さ、多才さ、作品、生涯といったものを知るに至った。そして読み進めていくうちに他人事ではなくなってきたのである。どこかわたし自身に、独歩氏と似ているところがあることを発見し(才能はまったくないが考え方や性格?)、とても親しみを覚え、なんとなくうれしくなってきたのだった。

 この本を読んで、多くのことを知り、またそれを伝えたいのだが、わたしの及ぶところでなく、ともかくこの国木田独歩という人はかなり面白い男だったことと、当時のことだから致し方ないにしろ肺結核という病に倒れ、世に名が知られるようになってこれからというときに36歳の若さで生涯を閉じていたことを記すのが精一杯、で、肝心の名前の由来については、なんと‘鉄斧生’から始まって、‘池別荘主人’まで15,6もの号を用いていたと書かれていたが、25歳ころから主として独歩を筆名にしている、とあったきりで、恐らく独歩氏自身がその由来についてはどこにも記してなかったのではないかと推測された。ということは、その出所はもしかしたらわたしと同じてはなかったかもしれないと思わせもしたのだった。

 ずいぶんと勿体をつけてしまったが、最後にわたしの独歩の由来を記してこの項を閉めたいと思う。それは勿体を付けたくなるような書物であった。その本(岩波文庫)について、またどうしてその本にめぐり会ったか、あるいはその詩の内容についてはまたの機会に譲りたいと思う。よってその本の名とそこに見つけた漢詩の一節のみ記しておく、、その書物は今から900年くらい前?、宋の時代の禅僧、無門慧開によって著された‘無門関’という禅の世界では知らない人はいないという有名な典籍で、その序にあった頌の一節がわたしの独歩の出所であった、、そこにはこういう一節が載っていたのだった‥、、

《大道無門 千差有路 透得比関 乾坤独歩》

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