独歩の独り世界・旅世界

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カンボジア~ミャンマーの旅 12,バガン その3,バカンの夕陽<sunset>

  Eバイク(電動自転車)でなく、普通の自転車にしたのには理由があった。わたしには行きたいところがあった。それは他でもない前日バッテリー切れで写真が撮れなかった数箇所の寺院で、なおその間、いいところを見つけたらそこにも寄りながら、時間がうまくあえば夕陽の撮れるところとして知られている寺院に登って夕陽の写真でも撮れれば、もうバガンは完璧だというのが、そのとき想いついたアイデアだった。で、ツレもそれに同意して一緒に行くというなら二人乗り用のE-バイクを借りるつもりだったのだが、思った通りの返事だったので、それならなにも高いE-バイクにする必要はない、わたしは自転車で十分だ、と判断して、1/5の自転車を借りたのだが、これは明らかに渋りすぎたようだった。要は、確かE-バイクは一日7000Kくらいで、自転車は1500Kだったと思うが、それは半日でも同額だったから、それなら、より無駄にならないほうの選択をしたというわけだったが、たかが700円だっのだから、やはりより楽なほうの選択をすべきだったことをあとから思い知らされたということだった。ま、それはあとの祭りということで、ともかくわたしは一人自転車で、遺跡のあるオールドバガンのほうへ向ってメインロードのBagan - Nyaung U Rdを漕ぎいでた。

ホテル前の貸し自転車屋、今ではE-バイクの数のほうが圧倒的に多かったImg_1276_640x427


 その道はもちろん舗装路であって通行量も多かった。車がくると自転車は脇によけなければならないが、そこはほとんどが砂地で、それは(メインロードをはずれるとほとんど砂地になることも)わかっていたことなのだが、思いのほか、やはり自転車は難儀することになった。E-バイクも馬車もそこはそれほど苦にならない、だから失敗したことにすぐ気がついたのだけれど、すでに遅しで、その日の午後は悪戦苦闘の自転車によるバガン巡りとなったのである。よく覚えていないが、もしかしたら前回も一時自転車を借りたかもしれなかったが、それは別のところだったか?いずれにしろ最初に寄ったところは、宿からも近かったが前日に寄ってなかったニャウンウ村のシェズィーゴンパゴダShwe-zi-gon-Pagodaだった。ここのパゴダは立派でしかも現役、ヤンゴンのシェズィーゴンパゴダの原型?とも聞いたことがあったが、その大きさ、美しさから、あながち風聞とは思えなかった。もっともここは前回来たときに寄っていたことはちゃんと覚えていて、今回はあくまで証拠写真的撮影をして終わり、そして次に向ったのが、前日にバッテリー切れとなったシェグジーShwe-gu-gyiだった。タラバ門 Tha-ra-ba Gateまではだいたい自転車で30分、門から少し行ったところを左折するとそれはあって、その隣が発掘現場になっていた。その写真も撮ってなかったから、ま、それも証拠写真の域をでなかったが、そのあたりからが昨日の続きとなった。シェグヂーにこだわったのは(もちろんここも前回来ていた)、そこからのバガンの眺めがよかったからで、テラスから寺院に入って暗い階段を登ると上のテラスに出られて、高いところからバガン全体を見渡せる数少ない寺院のひとつだった。あいにく前日は曇天だったが、そのときは天気が回復していたので、再訪した甲斐があったというものだ。そのシェグヂーの前にあたりに、前回寄っておらず知らずに通過した?タンドーヂャThan-taw-kyarの石仏というのがあった。これは堂内にあって、入ってみると、その全身を包帯で巻いたような大仏さんで、それはたいそう珍しく思えた。そこから砂地を少し行くとタビィニュThat-byin-nyuがすぐだった。中は前日に入っていたので、そのときは隣に建つ僧院を訪ねる。そこに日本人戦没者慰霊碑があることをガイドブックで知ったからであった。その本にこの僧院の方々が管理していてくれているとでていたので、最初に犬に迎えられたが、すぐにでてきた僧侶?に多少の心付けを渡し参拝させてもらった。

シェズィーゴォンパゴダ;2枚Img_1210_640x427Img_1212_427x640

Img_1213_640x427タラバー門

シェグヂー前の発掘現場とシェグヂー

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シェグヂーの上部テラスからの眺め;6枚

Img_1219_640x427奥がアーナンダ、手前の白いパゴダは不明

Img_1221_640x427ダマヤンジー

Img_1222_640x427たぶんスラマニ

Img_1223_640x427すぐ隣のタビィニュ

Img_1225_640x427奥はティーローミィンローか?

Img_1226_640x427これも名称不詳、というかこれは向こうの山を狙った単なる遠景写真??、、

タンドーヂャ;2枚
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タビィニュ僧院内にあった日本人戦没者慰霊碑Img_1231_640x427


 そのときはホテルでもらった地図を頼りに自転車を走らせていたが、それほど正確ではないその地図を見ながら、さてそのあとをどう廻るか思案する。その時だいたい3時半頃だった。前日撮り逃したところとしては、主なところはあとシェサンドー Shee-san-daw-Pagoda、ダマヤンジーDhamma-yan-gyi Phato、スラマニSu-la-ma-ni Phatoが残っていた。それらはいずれももうひとつのメイン道路のAnawrahta Rd.から南に位置していて、ほとんど砂地の道を行くしかなかったが、それでも1時間もあれば回れそうだった。そうすると夕陽には間にあいそうで、それではどこから?となると、やはりバガンで最も高い位置まで登れて、夕陽ポイントとして知られていたシェサンドーしかなく、それなら、そこを最後にすればいいのでは?ということになった。で、タビィニュからは最も遠かったスラマニにまず行き、バガンの中でも最もきれいに残っているフレスコ画を撮りたかったのだが、堂内撮影は失敗に終わった。スラマニからダマヤンディーに向う途中、それこそこのバガンは数え切れない無名(名称はついていると思うが)の寺院が、そこらじゅうにあって、時々形の美しさに吸い寄せられるということが何回かあった。このときも地図を見ても名は見つけられなかったが、番号2356あたり(あるいはShwe-nan-yin-taw Complex)かと思う。時間が許す方は、最初の一日、二日は、定番コースをホースカートかタクシーで案内してもらって、あとは気ままにもE-バイクで好きに回るというのが、もっとも賢いバガン制覇?の仕方のように思うのだった。

スラマニ;2枚Img_1232_640x427Img_1233_427x640

名もない寺院群のひとつImg_1234_640x427

 さて、ダマヤンジーも外からその威容を撮影して終わり(だいたいがわたしにとっての写真は証拠写真でしかないので)、、で、そこからシェサンドーに向かうのだが、このときも地図を見ても名が出ていない、その割に大きな寺院を見つける。というかあれだけの寺院で名前が出てないほうがおかしいので、もしかしたらダマヤンジィー近くのNorth Guni、South Guniがそれだったのかもしれないが、寺院が二つ並んでいたわけでなかったので確かではない。均整のとれたその寺院も、上に高く、そしてどうやらその上のほうのテラスに人影らしきものが見えた。あんなところまで登れる?と興味を覚えて早速境内に、上に登る階段を探す。これがなかなかわかりずらかったのだが、漸く見つけてあがっていくとかなりの眺望だった。え、ここも夕陽にいいではないか!?と思うくらい、ちょうど向こうにシェサンドーが見えていて、決してそれに負けないくらいの高さと眺望を持っていたのである。ここは夕陽撮影の穴場?とばかり、すでにそこに陣取って日没を待つ態勢に入っていたヨーロッパ系の若者が何人かいた。が、そのときはそれはまだ少数だったので、わたしもそこで待つことにすれば、それは可能だった。で、迷う、たしか前回はシェサンドーから撮った覚えがあったので、今回はここから撮ってみるか?、しかし結局はシェサンドーに向う。ま、どっちでもよかったのだけれど、そのときかなり単純にそうした。ひとつにはやはりシェサンドーのほうが高そうだったこと、もうひとつは前日にシェサンドーの写真を撮りそこなったからきていたので、ともかくシェサンドーの写真を撮ろうと移動したのだった。思った通り、シェサンドーの最上階のテラスまで登ると、こちらの方がはるかに高度があるのは明らかだった。そしてもうそのとき多くの観光客が、すでに陣取りをしていたのである。流石にこちらのほうは有名なところであって、ありとあらゆるところから来ている顔と言葉がそこに飛び交っていた。それでもヨーロッパ系が多かったか?あるいは中国だったか?、そしてその数は時間とともに増えていった。もしかしたらそのときsunsetまで小一時間はあったかも知れないが(そのときの時間もsunsetの時間も記憶・記録なし)、幸いに確保できた最上階の好位置を失いたくなかったので、結局その場から動けなくなってしまった。そして、移りいく太陽と共に増えてくる群集を眺めながら、無駄な写真も撮り続けてしまった。何故無駄かといえば、カメラの腕?の問題で、結局いい写真が撮れなかった?撮れていなかったからであった、、

ダマヤンジーImg_1235_640x427

名称不明の、しかし夕日スポットの穴場たる寺院(どなたかここの名前を知っている方がいたら教えて下さい)、とその上部テラスからの眺め;3枚Img_1236_427x640

Img_1239_640x427ダマヤンジーとはこの近さ、、Img_1237_640x427右の黄金のパゴダはダマヤッズイカDhamma-ya-za-kaか?Img_1238_640x427左がシェサンドー、右にタビィニュ

Img_1240_427x640シェサンドー、下から、、

上まで登るともうこんな感じだった、、
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シェサンドーの一番上のテラスから;3枚

Img_1241_640x427左タビィニュ、右がアーナンダ
Img_1242_640x427ダマヤンジー

Img_1244_640x427そのころの太陽の位置

 それでも一つのショー(まさに!)見物としては、やはり見事という他はなかった。やはり背景が素晴らしいからか?、これだけの観客が集うのも当然・自然、下を見れば観光バスが列をなして駐車しているほどであった(いわんやタクシー・小型自動車、E-バイク、自転車の数をや、である)。そしてその群衆の中に、S氏もChieさんも、そして同宿の日本人何人かもその場にいたことをあとから知ることになった。ショーが終わるとすぐに黄昏がやってくるので、急いで自転車に乗って帰りを急ぐ。自転車の失敗をもっとも強く感じたのがこのときだった。いや、けっこう遠かったのである。どんどん回りは暗くなってくるのに自転車の速度が追いつかない。そんなとき後ろから、わたしの名前を呼んで、さっと追い越していったのがE-バイクに乗ったS氏とChieさんだった。二人はS氏が案内する形で、Chieさんの夕陽撮影のサポートでシェサンドーにいっていたことをあとから聞く。結局わたしは彼らより30分ほど遅れての帰着となった。もっともわたしは、今やミャンマーの酒これにて決まり、の感があった例の安ウィスキーを探しながらの帰り道でもあったからだった(これがそう簡単に見つけられなかった)‥??、、

逆光でわかりにくいかもしれないが、駐車場はこんな感じImg_1249_640x427

観客の様子;3枚Img_1250_427x640Img_1251_640x427上にいる人たちはその後係りの人が来て下に降ろされる
Img_1259_640x427この人たちと次の写真は、わたしの後方、、Img_1245_640x427この写真の寺院が、先に見つけたもう一箇所の展望のきいたところ、、

sunsetの失敗作;3枚
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 帰るとすぐに、すでに決めてあった最後の食事会の場所の検討になった。左隣にホテルと同名のレストランPyinsa Rupaがあったが、われわれは利用したことがなく、ほとんどその辺はS氏H氏の経験と意見を尊重し彼らに任せた。で、どちらかというと右隣のタイレストラン(だったか?)のほうがいいだろう、ということになり、すぐにみんなで出かける。メンバーは、H氏、S氏、Chieさん、それとわれわれであった。その夜のバスでヤンゴンに発つS氏の送別会とChieさんの歓迎会をかねていた。バスのpick upは7時頃来るとのことだったので、来たら呼びにきてくれるようジョージマ氏に頼んであった。聞くところによると同じバスでNanaさんもヤンゴンに向かうとか、そして気がつけばNanaさんグループも隣のテーブルで送別会を開いているではないか!!、彼女の他はすべてヨーロッパ系の若者たちで、その数は我々よりも多く、我々よりもにぎやかだった。時間があまりなく、せわしなかったと思うが、こうして我々は二人の旅仲間を、同じ場所で同じ時間に見送り、バトンタッチの儀式(酒宴)を終えた。つまりS氏からChieさんに情報が伝わり、Chieさんがまた次に来た人に、という具合にである。それでもこういう儀式ができることは稀である。旅の楽しさの一つであるが、それは時と場所とそのときのメンバー次第である。だからこういうところでこういう場がもてたということは、われわれの今回の旅も幸運に恵まれたということであった。そして次の日の夕方にはわれわれが、夜にはH氏が、そこを去ることになっていたのだった‥、、