独歩の独り世界・旅世界

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カンボジア~ミャンマーの旅 11,バガン その2,ポッパ山 Mt.Popa

 われわれはホテルPyinsa Rupaのロビーで、TunTunの来るのを待っていた。昨日一緒に食事したHさん、Sさんには、簡単に事情を説明してゴメンナサイさせてもらった。その間ジョージマ君にもことのなりゆきを話していたが、そのときもTunTunを知らないそぶりであった。約束の7時半になっても彼は来なかったので、やはりわたしの聞き違いで、彼の家に7時半だったかもしれないと、当初感じた不安が的中してしまったのだが、今更どうしようもなかった。ホテルから彼の家までは、歩いたらそれでも10~15分?くらいかかりそうだったし、ニャウン ウの夜道は結構暗かったし雨上がりで足元は非常に悪かった。まして彼は車があるというではないか、それがわたしが動かなかった理由だったが、ツレはそもそもの話から、彼は来るわけないだろうと思っていたようだった。ま、そのときはそのとき、という心積もりはできていたが、わたしには彼は約束を守らない男ではないという確信はあったのだ。彼が来たのは8時頃だったか?で、開口一番家で待っていたことを告げられたのだった、、

 5年ぶりの、ま、わたしの入れ込みが大きかったのだが、感動的な再会であった。そういう意味では5年はそれほど長い期間でなかったから、お互いに何の説明も要らず再会を喜び合って、すぐに彼の車で食事に行こうということになった。そのとき彼はジョージマ君と確か会ったはずで、片言の会話を交わしたように覚えているが、親しそうではなかったのは事実だった。彼はわれわれを、最近増えつつあるニャウン ウの比較的新しい店の一軒に連れていってくれた。このときわたしは、うっかりZaw Lwin君のいってた彼は成功者だという言葉を、実際に彼は車で来て、少し高そうな店に連れて行ってくれたことで信じてしまっていた。が、今にして思うと、それは未だ途上にあるという話で、結構厳しい状況にあるのではないかとあとから気がつくのである。ま、それでも直感的に、何でもどうぞという彼の精一杯のもてなしに、われわれはもっとも安そうな焼きそばとビール1本をお願いしただけだったから、せめてもの償いになったかもしれなかった。そしてわれわれも精一杯の土産を(わたしは彼に会えるという確証をもっていなかったから、それを用意してなかったのだが、俄かにいくつか取り揃えたもの、ひとつはツレが喫煙者で日本のタバコを持っていたので、同じく喫煙者だった彼には土産になると思ってそれを2箱、他にはもうあまり使わないと思われたれたヘッドランプと誰にとはなしにいつも土産用に数個持参していたダイソーの100円時計のうちの一個等々、、)を渡しつつ、まずツレを紹介して、ツレにはいかに彼が素晴らしい男で、前に来たときに世話になったかをそのとき初めて語ることになった。で、わたしが彼から聞いた話によると、確かにZaw Lwin君が言ったとおりで、今はhorse cartの仕事はしておらず、彼を慕ってくる外国人観光客は多いので、車で案内をしているとのことだった。もちろん成功したとは思っておらず、これから事業拡大を目指している、というようなことはいっていた。それはいくいくはホテル業をやっていきたいということで、資金をためているが、未だに十分溜まっていない、それでももう少しのところに来ているというような話だった。その話は、もちろん彼も覚えていたであろうが、前回あったときにすでにしていて、実はその話に少しわたしはかんでいたのだ。だから彼はわたしのことを覚えてくれていたのかもしれなかった。で、それについてはあらためて話そうということになり、とりあえずわれわれの今回の予定を聞かれる。そこで、次の日はポッパ山を予定しており、一応明後日が最終日で夕方に発つ予定であるというと、彼は、自分も明日は顧客を連れてポッパ山に行く予定が入っているが、明後日は今のところ予定がないから、どこへでも行きたいところがあれば連れて行く、といってくれたのである。これぞタイミングの悪さであった。そこで正直に、最終日は10時か11時頃にはZaw Lwin君が迎えに来てくれて馬車でミン・ナン・トゥ村経由で飛行場まで連れてってくれることになっているから、特に行きたいところはないが、午前中1~2時間会うことはできるだろうと伝えた。そしたら思いがけない返事が返ってきたのだ。Zaw Lwinにいくら払うつもりだというから、15000Kで話はついているというと、明日彼に5000K払ってキャンセルしろというのだ。そうすれば自分は、他に見せたいところがあるからそこへよって、そのあとミン・ナン・トゥ村によって、空港まで送る。もちろん一銭もいらない、というのであった。そこまでいわれたので、では、明日Zaw Lwin君を探して説明してその方向に持っていくからと約束して、その夜はまた彼の車でホテルまで送ってもらったのであった、、

 ポッパ山は、ま、ジョージマ君の(ホテルの?)副業みたいなもので、宿泊客を募って彼がツアーを組んでくれて、彼の知り合い(またはホテルの専属?その辺のところはよくわからない)のワゴン車で連れて行ってくれるというものだった(TunTunもその日同じことをやっていたのだ)。当初ポッパ山の情報は少しはもっていたが、あまり面白くはなさそうだったので気乗りはしなかったが、その金額はそれほど高くはないと思われたので(一人9000Kだった)、参加してみることにしたのだった。朝食後8時半ごろ出発ということでロビーで待機していると、ジョージマ君から、今朝着いたばかりというChieさんを紹介された。京都出身の独身美女だった。着いた早々に、ジョージマ君から勧められていってみることにした、とのことだった。そのころはもうNanaちゃんとはほとんど会うこともなく、また他の日本人男性たちはすでにポッパ山巡りは終えていたようで、その日のツアー客は同宿のドイツ人の若者3人とわれわれ3人の計6人のようだった。その朝、ジョージマ君には、昨日のTunTunとの一件は話してあって、Zaw Lwin君と連絡をとってくれないかと頼んであった。で、Zaw Lwin君も出発前に顔を出してくれた。そこで彼には、昨日TunTunに渡したものと同じ時計と5000Kでもって明日のキャンセルをお願いした。一日前の通告だからそれで十分と思っていたら、かなり渋られた。すでに他にも客がいたのに、それを逃してしまったとか何とか、ゴネルのである。ま、それほどホースカートドライバーにとっては、外国人観光客はいいお客だったから、その痛手は大きかったかもしれないが、わたしはそれ以上面倒見る気はなかったので突っぱねた。そしてホテルの用意したワゴン車に乗り込んでポッパ山に向かった。

 道中Chieさんとは、それぞれ自己紹介、旅紹介をしてすぐに打ち解け、その日は昼も夜も一緒に食事する仲になった。30代といっていたか?、どうしてこんな美人が独身でいるのか不思議だったが、さすがにキャリアで、けっこう自由が利く仕事をしているから、旅暦もベテランのようで、今回はタイから入って年末はインドというような話をしてくれた。また、カメラに凝っているらしく、先生について学んだとか?、相当人生の楽しみ方を知っているといった風に見受けられ、話があわないわけがなかった。その上美人である。美人でいて気さくだったからツレとも気があって、わたしも彼女と話していて途中の景色はほとんど覚えてないということに相成った。それでも途中一ヶ所寄り道したところは興味深いところだった。よく団体ツアーで旅すると免税店とかに連れて行かれるのと同じパターンかと思われたが、そこは素朴な民家で、そこで菓子や酒を作ってて、同時に販売もしているといったところだった。その実演風景やさまざまな器具・装置が見られ、そこで作られたものを販売していた。それらはすべて試食・試飲可で、普段こういうところで買い物はほとんどしないのだけれど、ついつい財布の紐を緩めてしまった。ひとつにはゴマ菓子をChieさんに食べてもらいたいからでもあった。そこで買ったのはゴマの菓子とタマリンドの菓子とお酒で、お酒は竹で編んだ籠に瓶が収まっていて、安くていい土産になった。

ごま油をとっているところ?ツレとChieさんが写っているImg_1179_640x427_2

この素朴な土産物屋はなかなか良かった、、Img_1180_640x427_2


 その間30分ほど?、その時間を除けばニャウン ウ~ポッパ山は約1時間半?ニャウン ウから1時間くらいメッティーラに至るメイン道路を行って、左折して山に向かう。山の麓はちょっとしたリゾート地といった感じ、そして山登りしていわゆるポッパ山に着いたのだけれど、そのときはこの奇岩といってもいい岩峰をポッパ山というのか、あるいはその辺いったいの山稜をポッパ山というのか知らないでいた。さらに正直に言うと、いったいそこがどんなところなのかもよくは知らなかったのだった。だからあれが目指すところといわれたとき、そこで見た異様な光景に、驚きと共に納得感があったのであった。あ、ここは面白そうだ、と‥、、ホテルに帰ってからK氏が借りていたガイドブックを見てわかったことは(ガイドブックを事前に見ることはほとんどなかった)、それこそ偉容とも称えられそうな岩峰をタウンカラット Taung Kalatといって、そこはナッ信仰の聖地ということだった。だから、あとから納得することになるのだけれど、何しろそのとき目にした岩峰の頂上につづく階段、その頂上に建つきらびやかな寺院群、そこに押し寄せる人々(たぶん外国人観光客と地元民の比は2:8or3:7くらいだったか?)、そこへは車でしか来られないからタクシー・ワゴン車・大型バスの数々、その入り口一帯に軒を並べる夥しい数の飲食店・お土産屋・宗教関連の店々が、そこが一大観光地であったことを、そしてそのわけをわたしに教えてくれたのだった。で、もちろんその急峻な階段を登って上まで行かずにはいられない気持ちになるのだが、わたしのツレは、以前よりひざを悪くしていたため、ゆっくり行けば問題ない(屋根が設えてある階段で危険はなかった)といってはみたが、下で待っているというので無理強いはしなかった。おかげでわたしはずっとChieさんと行動を共にすることができたのであった。

このTaung Kalatが一望できるところで停まってくれた。ここで、初めてここがどういうところかわかったのである、、;2枚Img_1181_640x427Img_1182_640x427


 ま、立地そのものが聖地に相応しいといえたと思うが、頂上からの眺めはさすがに素晴らしく、またそこにはミャンマー特有のきらびやかな寺院が、所狭しと建ち並び、また仏様はもちろんのことよくわからない偶像が多数祀られていて、参詣者の数も多かった(ほとんど上りは数珠繋ぎでの登っていく感じだった)。この岩峰への上りは20分くらいで、上で写真を撮ったりして降って約1時間といったところ(ここは入場料はなし)、下に降りてツレの待っていた茶屋(食堂)で、早めの昼食をとって、そこの出発がちょうど12時頃だったから、現地滞在は約1時間半というところだった。その間に他のドライバー仲間と客待ちをしていたTunTunと会うのである。そしてZaw Lwin君との約束はキャンセルしたことを伝えると、明日(12/5の最終日)は、10時半から11時頃に迎えにいくから、その時間にホテルで待っていてくれとのことだった。12時頃現地を発ったわれわれの車は、13時半にはホテルに着いていた。いや、行く前はよくわかってなくてほんとに9000Kの価値があるのか疑っていたが、どうしてどうしてけっこう楽しめたので、このツアーはお勧めというか、9000Kなら安いくらい、お得なone day tripといえたのだった。ただ、思ったより早い帰着だったので、さて、それからどうするか?ということになった。丸々午後があいたので、少し思案の上、新たな行動にでることにしたが、もちろんツレは辞退することはわかっていた。で、やっと一人になって再度のバガン巡りを今度は貸し自転車ですることになったが、少し長くなりすぎたので、その模様は次回とさせていただく。いずれにしろ、このカンボジアミャンマーの旅もあと一回、場合によっては二回で終ることになるはずである‥??、、

上からの眺め;5枚Img_1185_640x427屋根つきの急峻な階段Img_1190_640x427この仏塔群はどっちの方向だったか記憶が薄い、、

Img_1205_640x427この岩峰への上り口となる街道筋、ここはいわゆる門前街とでもいったら適当か??

Img_1184_640x427北方に聳え立つ山塊がポッパ山??

Img_1188_640x427バガンからホッパ山は見えるが、もちろん逆は無理だった(バカン゛の方角)、、

頂上寺院には夥しい数の仏、及びミャンマーの神々、ナッ神、聖人像が祀られていた;4枚Img_1203_640x427Img_1193_640x427Img_1194_640x427Img_1197_640x427

金ぴかの仏塔が頂上に聳える;4枚Img_1199_427x640Img_1207_640x427Img_1196_427x640Img_1206_640x427背中の黄色いバッグはChieさん