独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 10) バガン その2

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7ドルの宿(ゲストハウス)だったが、10ドルのマンダレーのホテルより朝食はよかった、トースト・卵料理・コーヒーとパパイヤ・スイカ・バナナ等豊富な果物がついてるのだからわたしにとっては申し分なかった、ホテルの前の砂地の道に昨日のリキシャマンとその兄弟だというホースカートのガイドが待っていた、早速料金の交渉、後でわかったことだが実はこの二人の若者は兄弟でもなんでもなかった、まぁ彼らの言う兄弟とは友達という意味も含んで使っていたのかもしれないが‥要するにリキシャマンの彼が立ち会ったのはホースカートのガイドから紹介料をピン撥ねするためだったようだ、で相場はいくらなのか知らなかったがその分高めにわたしは払わざるを得なくなったようだ、交渉は難航したが一日(大体8時頃から日没まで)15ドルで決着、ポイントポイントを彼が案内してくれるという、決して高すぎるとは思わなかった、早速馬車に乗り込む、けっこう英語がうまい、というか決してペラペラではないわたしの英語といい勝負、といったところ、だから却ってうまく通ずるところがあり気持ちが伝わった、まったく出会いとは不思議なものだ、彼とは3日間付き合いとてもいい関係を築くことができた、出会いによって旅は決まる、彼は34歳で名前をTUNTUNといった???

 その名前を聞いたとき、これまた偶然を感じた、マンダレーの彼と同じ名前だった、で早速バガンのTUNTUNにその話をすると彼も不思議そうに聞いていた、決してよくある名前ではないという、それから我々はつたない英語でいろいろな話をしながら、のんびり馬車に揺られながら遺跡をあちこち回った、遺跡めぐりをする前に彼はわたしのスケジュールを聞いてきた、それによっていく場所を選定して彼なりの巡回プランを作るつもりだったようだ、逆にわたしはその時点でまだいつここを発つことにするか決めていなかった、その日は1月8日でミャンマーを発つ日が11日、ということは10日か遅くとも11日早朝にヤンゴンに着いていなければならない、バックパッカーとして帰路は当然バスしか念頭になかったのでまずバスの時刻を調べにオフィスに寄ることにした、バスは毎日午後3時にここニュアン・ウを発ち早朝ヤンゴン着、それしかないとのことだった、となると明日か明後日ということになる、うーん迷うところだ、明日では早すぎるし、かといってヤンゴンについてそのまま飛行場へというのもちょっとあわただしい、しかしどちらかしかない、結局10日のバスを予約しバガン見物は2日半ということになった、2日半あれば主だったところは充分に見物できるという、行き先順序はすべてTUNTUNに任せた

 最初に訪れたのはシュエズイゴォーンパゴダでバスのオフィスのあるところからすぐのところにあった、金色に輝く仏舎利塔を有するこの寺院は有名なアーナンダ寺院と並んで現役バリバリ(1000年の歴史を持つが遺跡ではない)でニュアン・ウの代表的寺院、観光客も多く訪れていた、そのあと近くのチャンスィッター窟院を巡って馬車はニュアン・ウからバガンの町に向かって快適に歩を進める、風が心地よく馬車のリズムがなんとも癒される感じだ、と、彼は馬を左手に誘導し道のない砂地を横切ってとある遺跡の前で馬車を止めた、ここからの眺めがよいと言う、上まで登れるから行ってきたらいい、とのこと、早速馬車からおり一人で遺跡の中に入り階段を登って上に出た、そこで前回書いてしまったが、思わず声が出る‘何なんだ、ここは!!!’

  写真では見ていたが、実際を見てみたいとあれほど焦がれていた光景が目の前に広がっていた、それまで地上からは見えなかったランドスケープはちょっとした高みに登ると360度遥か彼方までほんとに幾千とあるパコダ群を映し出している、信じられない風景、何枚もシャッターを切るが普通の広角では収まりきらない、しかし見飽きない風景が広がっていた、しばらく呆然とたたずんで脳裏に焼き付けてから下に降りる、そこの寺院の名前を聞いたが控えてなかった、後で調べたが有名なところではなかったようだ、しかしこの村のすべてを知り尽くしている彼は有名無名を問わず素晴らしい眺望の得られるところフレスコ画がきれいに残っているところを隈なく案内してくれるのだった、そしてそこでの時間はまったくわたしの自由にさせてくれ、彼は馬車の中でじっと待っていてくれた、そのようにしてその日有名なところとしてウパーリテェイン、ティーローミィンロー、アーナンダ、ピタカタィ、タンドーヂャー、ゴードーパリィン、シュエグーヂー、マハーボージ、ブーバーヤー、ベビィンチァウン等の主に城壁内のオールドバガンを中心に訪れた、船着場のあるブーバーヤの前のイラワジ川の眺望が素晴らしいレストランで昼食をとっていたとき(ちょっと高そうだったのでためらったが実際はビール飲んで2人で4000Kくらいだったからそんなに高くはなかった)彼は突然船に乗らないかと言ってきた、料金次第だと答えると1時間で10000K、無理には勧めないが川からの眺めもなかなかいいとのこと、高すぎる10人くらいと一緒に乗り込んで一人1000Kkくらいが妥当では?と断ると、その通りだがそんなに人は集まらない、少しまけるからと苦渋の色を隠さずわたしに訴える、どうも様子がおかしい、どういうことかと問いただすと実は船の所有者の中国(系)人から頼まれているらしいことがわかった、もしかしたら彼のホースカートの所有者かもしれない、となるとボートへの勧誘も彼のノルマということなのか?そのうち当の中国系が現れ懇願するようにわたしに乗ってくれと頼まれてしまった、この国の経済は中国系に握られていると聞いてはいたが現実を垣間見ることとなった(きっとこの中国系は金に困っているのかもしれない)TUNTUNとしても断れない何かがあったことが容易に読み取れたので彼のために承諾することにした、ただし1時間6000Kで、交渉は成立しすぐに川辺につながれている船に向かって急な道を下った、船の船頭はまた別にいた、長細い2,30人くらい乗れそうなエンジンつきのその船はわたし一人を乗客に上流に向かって勢いよく滑り出した、しばらく行った川上で一度下船、上陸して木造寺院を見物、その上陸地点にはRoad to Mandalay号イラワジ川を遡ってマンダレーまで行く豪華なクルーズ船が舫われていた、うーん船旅もよさそうだな、そんな思いにとらわれせめてもの代償として短時間のイラワジ川舟遊びを楽しもう、そう思ってみたものの、ほとんど英語はわからない船頭と二人無言の1時間、確かに川面の風はすがすがしく川からの眺めも素敵だったがちょっと複雑な気持ちにさせられた、それを察してか上陸するとTUNTUNはすまなそうに話しかけてきて中国系はあまり好きでない、と詫びるのだった、そして名もないとあるパゴダに連れて行ってくれた、そこからの眺めもいいとのことだった、ちょっと登ってそこのテラスから眺めると明日行く予定のシェサンドゥパゴダ、ザマヤンジーテンプルの威容が美しく聳えていた、とその寺院の中からかなり年老いた僧が一人出てきた、高齢の僧なので当然英語を話す、わたしのわかったことはなんでもヤンゴンの東モールメインの僧で毎年この時期この寺に来て数週間を過ごしているのだという、年齢は80近いとのことだった、なぜこの時期ここへということは聞いた筈だがよく聞き取れなかった、しかしそれほど暑くないこの時期(マンダレーは寒いくらいだったがバガンはけっこう暑かった)素晴らしい眺めのこの寺院で過ごすというのはなんだか納得がいった、たぶん本当の理由はこの寺院に祀られている仏様との関係だったと思われるが‥まだまだ近くにたくさんの寺院・パゴダがあったが明日に回しそこから帰り道となった、彼は道すがら夕陽のきれいに見える寺院によってくれた、そこも誰一人訪れる人のいない無名のところだった、シーズンオフとはいえ世界中からの観光客が途切れることのない大観光地バガンで有名なところはさておき、彼の案内してくれる無名の遺跡はどこもわたし一人の専有物だった、西のイラワジ川の向こうの山波に暮れる日没をしばし眺め、その日の観光を終えた、帰り道雑貨屋で寝酒を仕入れ、うまい飯屋を教えてもらい彼と別れた、シャワーを浴びて真っ暗な砂の道を歩いてバスターミナル前の先ほど教わった飯屋に行った、ビールといつもの定食であわせて2800Kは驚異的な安さだ、もちろん味は言うまでもなかった、ミャンマー料理はわたしにあう、ミャンマー人とも気があった、そしてのんびりとしたスローな時間・馬車がよく似合う、なんて素晴らしいところなんだ、ミャンマーバガン!!

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