独歩の独り世界・旅世界

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独歩亭の独白独語、第2弾、2題、、

~独歩爺さんの独白独語~ゲストハウス独歩亭

前回、独歩亭のHPに上記のコメント枠をつくってもらって、そこに寄せたもの<若い人の活躍にエール ! >をコピーして掲載しましたが、その第2弾です(いや、元々閲覧の少ないブログですが、意外にも何人かの方が見てくれたので、感謝、感謝です ! ! )。で、今回は2回分をまとめてコピペしました、、最初のは2016/03/16、あとのは今日書いたものです、、

なお、元のコラム欄は一度投稿すると修正がきかないとのことで、今日書いたものの中でAdeleのwhen we were youngは原文に間違いがあり、ここで修正しましたが、この一段飛びの文章もどうも、元の設定でこうなってしまっているのかしら?なんとかならないものだろうか??

<1万円の価値>
 今の世の中はすべての価値は相対価値といえるかもしれない。つまり、例えば1万円の価値である。ここに1万円があっても、年収1000万越えの人、あるいは何千万円の資産・預貯金のある人と、年収100万くらいの低所得層のひと、わたしのような150万くらいの年金生活者とでは、その価値が違ってくるということは誰もが知るところである。なので例えば1万円を拾ったときの反応も人それぞれだろうが、やはりその背景によって違ってくるのではないかと思う。では、その背景とは何か、それは所得・資産を背景とした金銭感覚、及びその人の思想的背景?モラル・心情といったもの、端的にいうと心的・経済的余裕、といったものによってそれぞれということだと思う。

 何でこの話かというと、実は半年以上前にわたしは路上で1万円を拾ったのであった。今ではこの1万円が微妙なラインではないかと思う、、1000円札だったら、ま、落としたほうもさしたる痛手ではなく、それはそれで諦めるだろうし、だからそれを逆読みすれば拾ったほうは、90%以上は、ま、ラッキーで終わる話である。では1万円だったら??希望的観測でいえば、50%以上は逡巡してもらいたいと思っているが、今の世の中そんな数字は期待できないかもしれない。逆に最初に出した例でいえば、1万円でも落としたほうからすればどうってことのない人たちも多いかもしれないということでもある。なので、その場合の基準はあくまで自分とするしかないのである。どういうことかというと、わたしの場合、拾った1万円は大変価値が高かったが、だからこそ落とした人にとっても価値が高いと思ったのだ。今ではほとんど届ける人はいないといわれたが、わたしは交番に持っていったのであった。事務的な手続きののち、もし3ヶ月の間に落とし主が現れなければあなたのものになりますといわれ、その場合これを持って最寄の警察署に行くようにと紙切れ(書類?)を渡された。その3ヶ月の間落し主が現れたとの連絡はなかった、ということはその1万円はわたしのものになることになったのであった。
 
 さて、結論的にいうとわたしは、心的・経済的に余裕がある層だったからといわれかねないのだが、現実的には喉から手が出るほど逼迫していた状態であった。が、それでもその日を待っていたように、取りに行くことに躊躇いはあった。最寄の警察署はそれほど遠くではなかったから、行こうと思えばいつでもいけたのだが、逆にいつでもいけるということで先延ばしにしていた。今日たまたま車庫証明取得の用があったので、そのついでに落し物の係に、晴れて1万円というご褒美がもらえるという喜びを抑えて出向いたのだった。で、大事に保管していた書類を係りの女の子に渡すと、返ってきた答えが良かった。ここに書かれてる期間からすでに1ヶ月が過ぎてますから、お渡しできません、、・・??、最近こういうことが多いのである。ちゃんとその書類を見ていなかったのである。地団駄踏んでも遅かったのである、、わたしは決して、心的・経済的余裕があった訳ではなく、どうせ拾ったものなのだから、それはワレのものにあらず、という無執着の心に至っていない、ただ単に修行が足りなかっただけのことであった、、

<風が吹けば・・式に、引越したら洋楽が楽しくなった、、>
 これは引越しと洋楽がどうして繋がるかの話ですが、ま、風が吹けば桶屋が・・ほど迂遠ではありません。きっかけは旧居を引っ越すときにプロバイダーをいったん解約しなければならなくなったことに始まります。同じプロバイダーで継続するつもりだったので、いったん解約手続きして再契約してくださいといわれ、面倒だなと思いつつもいわれた通りにしました。多少費用もかかったので、いまどきそんなことあるのか、とそのプロバイダーにちょっと不信にもなったのだけれど、あとで思いがけない特典がついていたのに驚かされました。なんとiPadの無償貸与、というものでいくいくはわずかに金額で買い取りも可能になるとのことでした。
 恥ずかしい話、実はわたしはiPadなるものがどんなものか知らなかったのです。しかし耳には聞いていて、多くの方が使っている、新製品の発売には徹夜組もでる、といった話は聞いたことがありました。それでもわたしはこれまでのPCでいいか、それさえ十分に使いこなせていないのだから、それほどのものを(貸して)いただいても結局宝の持ち腐れになるのではないかと、、事実それが手元にきて2ヶ月くらいたちますが、それはその通りになってます。
 で、当初製品が届いたとき、非常に驚いたのだけれど、その梱包にはトリセツが入っていなかったのです。それで信じられないかもしれないが、電源の入れ方ひとつわからず、扱い方がまったくわからなかったのです。しかし、そのまま仕舞い込むのももったいないかと、いろいろ調べてAppleの問い合わせ先を知り、そこに電話して電源の入れ方から教わりました。そこにはもう何回電話で扱い方を聞いたかわかりませんが、いずれのときも非常に親切に丁寧に教えてくれたことはとても印象てきでした。
 さて、それでも未だ宝の持ち腐れ状態が続いているのですが、ひとつだけ扱い方がわかってそれ以来ハマってしまったことがあったのです。それが今日のテーマの洋楽でした。わたしは昔からほとんどテレビを見ないのですが、それでも若い時分ラジオはけっこう聞いていた記憶があります。そしてその頃主に聞いていたのは断然洋楽でした(そういえばAppleにパスワードを登録する際、忘れたときのための質問というのがあって、そこに最初に買ったアルバムというのがあったのです。これはいまどきの人を想定しているから、その質問には容易に答えられるでしょうが、わたしの場合は50年以上前の話になります。なので正確ではないかもしれませんが、そこにはプラターズのonly youと書いておきました。これを知っている人は年代が想定できますが、そのころのことを想い浮かべたら涙がでてきました、、)。ついでながらもっとも好きな歌手はと聞かれたら、ナット・キング・コールと答えています。
 そう、そういう意味では50年のときを越えてiPadから今の洋楽が聞けるようになり、耳が慣れてくるにつれて、心地よく、今ではつけっぱなしにしている状態が続いているのです。そして、それこそ若い人にはすでに馴染みのいまどきの歌い手さん、素晴らしい楽曲を知るようになりました。今、わたしの好みの歌い手さんと楽曲を記してこの項を閉じようと思ってますが、そこにも奇妙な巡りあわせがありました。実は、前回このコラムで‘若い人にエールを・・’といったタイトルでコメントを書きましたが、今とても印象に残っている楽曲のひとつはタイトルが‘we are young’というもので、もちろんはじめて知る歌い手さんはFunという男性でした。また、もうひとつ印象的だなぁと好きになった曲は‘when we were young’といってAdeleという女性、この方は相当有名な方かもしれませんが、今回はじめて知りました。他に気に入っている曲がEd Sheeren‘photograph’、Meghan Trainor ‘like I'm gonna lose you’、同じくMeghan TrainorとCharlie Puthの‘Marvin Gay ft’等々、歌い手さんでいうとRachel Platten、John Legend 、Jason Mra'z、Shawn Mendesといった人たちをはじめて知りました。みんないい歌を歌ってます、、ということで、これは引越しのおかげ、Appleさんのおかげ、ということになるのかしら・・??、、