独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 8, ワシャクトン Uaxactún 1

  フローレスは、確か今回4度目だったと思う。だから、すでに街の概略も安宿もほとんど承知していた。ただ、このとき、わたしは相当疲れていた。たぶんベリーズ以来の暑さのせいだったと思うが、それまで特にゆっくり休みをとっていなかったことも、あるいはその要因になっていたかもしれなかった。で、サンタエレナのターミナルに着いたとき、いずれまたここからバスに乗るであろうから、わざわざツーリストエリアのフローレス島まで行って高いホテルに泊まることもないと考えていた。ならば一番近い安宿まで歩いても5分、しかしこの5分が思いのほかきつかったのである。それでも、たぶんサンタエレナにあってバスターミナルから一番近い安宿Fiestaは、その時間なら空きがあるのはわかっていた。ちょうど前回泊まったときと同じあたりの部屋の鍵をもらい、倒れるようにベッドに崩れ落ちた。天井についたファンをまわしてしばらく仮眠。1~1.5時間ベッドに横たわって少し元気を回復、シャワーを浴びてから荷の片づけをした。なんか気心の知れたところに戻って(やはり、ベリーズは初めてで英語圏ということもあって、少し緊張していたのか?)一気に疲れがでたといった感じだった。

 そうこうしているうちに、もう夕暮れ近くなっていて、ともかくいったん街にでた。まずホテルの前の薬局にいって、あまりにもうるさい呼び込みに文句をつける。これはいつも思うのだが、この辺(広く中米全般をさす)の連中はどうしてこうも騒音に鈍感なのか、ということだった。よく目(耳?)にするのだか、でかいスピーカーを配してボリュームをいっぱいにして、商品(店?)の宣伝をしている光景はけっこう日常的であった。呼び込みが音楽とともによくまぁ、次から次へと宣伝文句を並べらたてられるものだ、と感心したこともあった。それを通行人や一般市民は、特に気にする風もなく、ましてや騒音とは感じていないようなのである。迷惑そうなそぶりも見せない。しかし、わたしは道一本隔て、その上ホテルの庭の奥にある部屋だったから相当の距離があったにもかかわらず、そのおかげでベッドに横になったものの眠りつけなかったのであった。ま、その時間帯なら許される範囲だったのであろうが、わたしはかなり怒り心頭に発して、わたしのスペイン語ではその怒りは伝わらないであろうことはわかっていたが、それでもそのとき、黙ってはいられなかったのである。で、少なくとも怒っているという態度で、もう少しボリュームを下げられないのか?、何時までそこで呼び込みを続けるつもりか?と問いただした。ま、怒っているということは伝わったようで、もう少しで終わるというような返事をもらってその場は収めてしまったのだが‥。少し気持ちも治まったところて、数時間前に降り立ったバスターミナルにいってみる。その時点では次の日の予定が決まっていたわけではないが、漠然と前回来たときを思い出しながら、グアテ市行きのバスやその他のバス会社をチェックして回る。(たぶん前回ここを訪れたのは2年前だったと思うが)最も懐かしく嬉しかったのが、最初にフローレスを訪れたときにはまだなかったのだが、次の年あたりから目にするようになった、いってみればナイトnight屋台村?夕方頃からバスターミナル脇の敷地に出現するバーベキュー食堂?が健在だったことである。何回か利用したことがあったのだが、そこだと、ま、日本風にいうと焼肉セットみたいなものが15Q(ケツァル、グアテマラの通貨単位。前年あたりまでは1Q;約11~12円だったが、円安で今年あたりは1Q;16円?、だから15Qは240円)で食事ができ、これは通常のレストランなんかの半額、市場<mercado>の食堂の相場だった。それが確認でき、しかも、まだ15Qも変わりなかった。きれいなおネエさんが呼び込みをしている数軒あるそんな店の一軒で、煙をもうもうと立てながら肉を焼いているオーナーらしきおばさんに、ビールを持ち込んでいいか聞くと、渋々だがOKしてくれ(前回書いたがグアテマラもビールを食事時に飲むのは一般的でない)、じゃ、買ってくるからといってビールを売っている店を探しにいく。それはすぐに見つかり5QのBravhaグランデ(500ml)を持参して席につく。それで(ビールも入れて)320円は、前日の弁当+ビール小瓶2本12BZ$(US6ドルだから720円?)の半額以下なのである。こんなところ - つまり安心して飯が食え、好きなだけビールが飲めるといったところ - が、ま、グアテマラならでは?わたしが寛ぐ所以であった。

これはその夜に撮った写真ではないが、こんな感じである。Img_0637_640x480

 その夜も21時頃には眠ってしまい、次の朝も、どういうわけか習慣化してしまったようで4時頃には目が覚めるといったサイクルに陥っていた。いろいろ思惑をめぐらせてその日の予定らしきものを考えたりしていた。そして7時過ぎに朝食をとりにでかけた。Fiestaは超安宿(一泊60Q<1000円弱>でバストイレつき)だったから当然レストランなんかついてなかったのだけれど、その隣の一見同レベルに見えるホテルContinentalは少し格が上のようだった。それは直感的にわかってたから宿泊したことはなかったが、そこにはレストランがついていた。もちろんレストランは別に宿泊者でなくとも利用できた。しかも表看板のメニューには朝食15Q~となっていたから、それほど高くはなかった。なので初めてそこに入って、ついでにホテルの値段も聞いてみた。一泊シングルで90Qとのこと、ま、そんなところだろうと思った。一番安い15Qの朝食も悪くはなかった。

 さて、まだ時間が早かったが、歩いてフローレス島に向かう。二つの目的があった。ひとつは前回‘ミラドール遺跡4泊5日’のツアーを斡旋してくれたトラベルエージェンシーに顔をだしてみようと思ったこと、もうひとつはフローレス島にはINGUAT(グアテマラ観光局のインフォメーションセンター)があったからである。レイノカン<reinokan>トラベルは、前と同じところにあったがまだ開いてなかった。INGUATは以前はフローレス島とサンタエレナを結ぶレジェノ橋を渡ったすぐのところにぽつんと小屋があったのだが、一本中に入った通りに移ってオフィスを構えてて、すでに開いていた。そこでいろいろ情報をもらう。初老の男性は親切だったばかりでなく流石にフローレスに限らず広範囲の情報をかなり詳しく持っていた。わたしの質問したグアテ市までのバス情報から、Rio Dulce~Rio Polochic~Tacticあたり、つまりフローレスのあるPeténだけでなく、Izabzl,Alta Verapazといった近隣県の質問にも答えてくれたのだった。ただ、もっともわたしが知りたかったのは、ワシャクウトンRuinas de Uaxatúnに関すること、そこまで行くバスについてであった。

 ワシャクトンは、わたしにとって幻の遺跡になりかけていた。最初にティカルTikalに来たときは、そのティカルからバスもあると聞いていたのに、そのバスの時間に合わせられず、次のときはスケジュールに余裕がなく、3回目はワシャクトンに行くつもりで寄ったのに、たまたま次の日からのミラドールツアーがあると聞いてそちらに参加してしまって、とうとう最後のチャンスになっていた(グアテマラも最後かなと思っていたので)。どうしても訪れてみたいと思っていたのには少々わけがあった。前にも述べているが、わたしは素人ながら遺跡ファンを自認していた。またマヤ遺跡のメッカともいうべきこのフローレスの周辺には、大小問わず有名無名を含めるとおおよそ40ほどの遺跡が存在していた。そのうち現在アクセス可能が約半数?で、さらに訪れる価値のありそうなものはその半分くらい?だった。そのなかの名の知られたところはほとんど訪れていた。Tikal,El Mirador,Yaxha,Aguateca,El Cebal,Tayazal‥、、つまりアクセス可能な有名な遺跡で残っていたのがUaxactúnくらいだったのだ(今回調べたかぎりでは、以前訪問可能だったベリーズ国境近くのナクムNakum、ナランホEl Naranjoへのアクセスは今では難しいとのことだった)。それにしてもそこへ行くバスがわかりづらかったのである。サンタエレナのターミナルから毎日14時にバスが出ていると聞いていた。が、前にはあったそのオフィスが前夜いった時には見当たらなかったこと、また以前そのバスを探していたときに知ったことだが、このサンタエレナにはもうひとつ旧バスターミナル?というようなところがあったこと、それで14時に出るバスというのは、いったいどちらから出るのかがわからなかったのである。その確認がINGUATに出向いたもっとも大きな理由であった。しかし、結論的にいうと、その係官のそれについての答えはパーフェクトとはいえなかった。彼はわたしが知らないと思ってかフローレス・サンタエレナの市内地図のコピーに旧ターミナル?の場所をマーカーで色づけして教えてくれ、そこから14時に出るバスがあるというのだった。ま、その答えは間違いではなかったが、実際にはそこからすんなりそのバスに乗れたわけではなかったのだ。それでも、そのときはそれが正しいのだろうと信じて、感謝してそこを去ろうとした。帰り際に、何の気なしにもうひとつだけ聞いてみた。どこかに荷を預かってくれるようなところはないか?と。現在のグアテマラでは(ベリーズもそうだったが)、そういう場所やロッカーなどの設備は全くといっていいほど整っていなかった。たぶん、残念ながら~という答えが返ってくるものと思っていたら、しばらく考えてから、そこで預かってもいい、といってくれたのだ!!。えっ、ホント?一瞬耳を疑ったが、こんなありがたい話はなかった。是非、お願いしたいと断って、1時間後に荷物を持って戻ってくる、そしてワシャクトンからは一日か二日後に戻るつもりであることを伝え、そのオフィスをでた。すぐにサンタエレナのホテルまで歩いて戻り、必要と思われるものを小さなバッグに詰めたが、もちろんトータル的な荷の重量は変わらなかったし、それを背負って30分歩くのは、前はやったが今ではもうきつかった。ホテルをチェックアウトしてトゥクトゥクをつかまえ5Q払ってINGUATまでいってもらい、大荷物を預けることができたのだった。

久人振りに訪れたフローレス島からぺテン・イツァ湖(どうでもいい写真だが、今回掲載写真が少ないので)Img_0543_640x480


 それでも14時まではたっぷり時間はあったし、大荷物から解放されて気分的にもずいぶん楽になっていた。もう一度レイノカン・トラベルに顔をだしてみると、そこには知らない顔があった。それでも来店目的を告げると歓迎してくれ、わたしが世話になった男の名前を思い出すべく、しばし会話に花が咲いた。その店の斜め後ろに、フローレス島にこんな安宿が!、と驚くようなホテルがあった。たしかわたしはドミだったが30Qで泊まったはずだった。そのとき、まだ結婚したばかりの20前後の若夫婦が、オーナーだったのか管理を任されていただけなのかは知らなかったが、そこを仕切っていた。わたしはよく覚えていたのでそこも顔をだしてみると、やはりまったく見知らぬ女性がでてきた。一瞬言葉につまり(どういったらよいのかわからなくて)この宿はいくらか、と聞いていた。その答えは35Qとのことだった。礼をいってそこをで、サンタエレナに歩いて戻る。いつもの銀行(BAM)で残り300ドルとなったT/Cのうち100ドル分を両替、去年あたりで1ドル;7.7~7.8Qだったのが、このとき7.5Qで、それは今回グアテマラ滞在中変らなかった。が、その後多くのところでドル払い可というところがあり(例えば授業料やホームステイ代、出国税など)、そこではすべて1ドル;8Q換算だった。わずかな差とはいえ、この国ではドルキャッシュを常に持っていたほうがなにかと有利なのである。

 その銀行からサンタエレナ地区の市場(Mercado,これも正確には旧がつく)は近かった。その市場の中の、ターミナルとはいえないほどの狭いスペース、片側にコレクティボ、たまにバスも含まれたが4~5台がぎりぎりといった感じで(それが両側だからせいぜい10台くらいのスペース)代わる代わる出入りしているところが旧バスターミナルだった(一応今の大きいほうのターミナルはterminal nueva;新ターミナルで、そこはterminal vieja;つまり旧ターミナルと称されていた)。その場所は以前から知っていたが、ほとんどコレクティボの発着場となっていて、少なくとも旅行者には縁のない近郊へは、むしろ新ターミナルよりこちらのほうが主流となっているようだった。というかコレクティボは、基本的にはどちらが先かは別にして、出るときも戻ってきたときも両方のターミナルに寄っていたから、地元の人たちは乗るのも降りるのも、こちらを利用しているほうが主流だった、ということだ。で、下見をかねてそこをうろうろする。そこにはほとんどバスの影はなかった。ほんとにここからワシャクトンへ行くバスが出るのだろうか?そこはターミナルとは名ばかりで、単なるコレクティボのブース(スペース)があるだけで、建て屋もオフィスもあるわけでなく、ただコレクティボの助手が行き先を大声で叫びながら呼び込みをしているばかり、だから誰かに聞こうにも聞くところも相手もなかったのだ。それでもよくしたもので、その呼び込みたちがdonde va?どこへ行く?と代わる代わる聞いてきてくれる。で、このときとばかりワシャクトンとこたえるのだが、それを聞いて的確に答えてくれるものは少なかったのである。つまり、もしわたしのいう地名が彼らの車がいくところなら早く乗るよう促してくるし、もしそうでなくても彼らの知っている地名なら、どの車が行くかをちゃんと教えてくれるのだった。が、ワシャクトンに限ってはその反応がまちまちだったのである。なかには、その地名を知っていて14時にバスがあると教えてくれた人もないではなかった。しかし、それが一日一本のバスの限界だったのかもしれない。ほとんどのコレクティボは15分おきくらいに発着していて、そのスペース(停車している場所)も固定されていた。だから地名をいえば、すぐにどのコレクティボを利用すればよいか、そこにいる人たちにはほぼ周知のことで誰に聞いても答えは変わらなかったはずだ。ところがワシャクトンに限っては、知らない人のほうが多かったのである。そのうち、今度は確信を持って、ここではないと言いだす人まで現われた。それらの意見をまとめるとほぼ三通りになった。ひとつは、たしかにそこで間違いないというもの、次にこの細いターミナルの路地をでた大通りを14時ころ通過するというもの、最後はここではなく一本向こうの通りから出るというものだった。こうなると、どれが正しいのかわからなくなってくる。それでもそのときまだ2時間も時間があったので、いったんその場を離れ、市場内をうろついて飲み物やフルーツ、昼食になりそうなパンなどを仕入れ、グアテマラ名物のフライドポテト(どこにでもあるフライドチキンの屋台で一緒に売られているもの)をテイクアウトして近くの公園で昼食とし、それから先にいわれた二つの現場にいってみたりしたが、結局わけわからずに元の人と車でごった返しているターミナルに戻ったのであった。それでもまだ時間的には早すぎたようで、午前中の再現となり、疑心暗鬼でその場で待ってみるしかなかったのであった。その時間はとても長く感じられた。そのうち耐えられなくなってきた。で、ひとつの賭け、決断を下した。そのときは13時半をまわっていたが、そこから歩いて10分くらいの新ターミナルに向かったのである。もしかしたらそのバスは新ターミナルにも寄るかもしれない?、その方が確実ではないか?と‥。まぁ、ラッキーだったのかもしれないが、前日に行ったときになくなっていたと判断した、そのバス会社のオフィスに人がいたのである。すぐに事情を話すと、ここで待っていれば大丈夫といってくれ、どこかに電話を入れてくれたのだった。そしてちょうど14時ころそのバスは来たのだが、ターミナル内には入らず通りでわたしを待っていてくれた。だから未だにわからないのだけれど、そのバスは毎日定時に新バスターミナルに寄るのか、あるいはわたしが事情を話して連絡してくれたので、そのバスはそこに寄ってくれたのか、それは不明のままである。

 こうして、なんとか幻のワシャクトンにはならずに済んだようだった。そして、そのバスはそのあとに旧バスターミナルに寄ったのである。14時15分について20分くらい停車して、客待ちというより荷物を大量に積みこんでいた。そのバスは要は生活バスで、ワシャクトンの村の生活物資を毎日運ぶ重要な<トランスポーテーション>交通機関だったのである。ならばこの市場のターミナル発着が必然ということであった。が、そのときわたしは、果たしてここで、確信が持てぬまま14時になっても来ないバスをじっと待ち続けられたであろうか?と思わずにいられなかった。それは極めて精神衛生に悪い、耐え難い試練になっていたように思われた。そんな現実をあのINGUATの何でも知っていたオジサンは知っていたのだろうか?だからわたしは彼の答えはパーフェクトでなかった、といったのである。

 新バスターミナルで、わたしが乗車したあとに、その経緯は定かではないがヨーロッパ系のカップルが、追いかけるようにしてこのバスに乗り込んできて、乗客が4~5人になったのだけれど、旧バスターミナルを出たときはほぼ満員になっていた。14:35にでたバスは、1時間半くらいでティカル手前のゲートで停まり、わたしとそのヨーロッパ人カップルは入域料?ticketを買わされた。彼らは一人100Q、つまりティカルの入場料、わたしは50Q、即ちワシャクトンの入場料を払い、ティカルのメインゲートには16:15に着いた。すぐに出ると思ったバスはそこでしばらく停車していた。そのわけはやがて判明する。そう、ティカルで働くワシャクトンの従業員を待っていたのである。帰宅する彼らを待って16:35にでたバスは、そのあと1時間ほどジャングルの底、カルスト地形を掘り込んで切り開いた悪路(ティカルまでは快適な道だったが)、かつ途中は人間が住んでいる痕跡がまったくなく、木々に遮られ視界もまったくきかないジャングルのトンネル、かつ対向車も来ない一本道(枝道もなし)をひたすら走りつづけた。と、突然のように視界が開け、広大な野原のようなところでた。そこがワシャクトンだった。そのときわたしは、もうひとつの重大な錯誤に気づいていた。

ティカル・メインゲート手前の料金所付近(これもどうでもよい写真だが、今回写真が少ないのと、ティカル付近のジャングルの様相がわかるかと思って)Img_0547_640x480

最初に来たときに建設中だった、日本が建てた博物館(研究センター?);2枚<2枚目は帰路に写す>Img_0548_640x480Img_0625_640x480

ティカル;本ゲート付近、ここでヨーロッパ人は降り、ワシャクトンに住む数人の従業員が乗ってきた。Img_0549_640x480

ジャングルの底はこのようなカルスト地形。Img_0551_640x480

突然開けた野原にでた。実はこれは昔の飛行場あと、その説明は次回。Img_0567_640x480Img_0568_640x480

<ワシャクトンは最初一話にするつもりだったが、長くなりすぎたので、もう一回、次回に続きます>