独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala その2, なぜ最後?やり残したこととは?

 早いもので、5週間35日の旅を終え4月の3日に戻って、すでに一週間が経過してしまった。帰っても特にやることがないからダラダラとした生活になって腰痛が再発したりしているが、そういう意味では旅しているときのほうが心身ともよほど活動的・健康的で(不思議なことに旅してる間、腰痛はまったく発症しない)、今回は体調を崩したこともあったが、老後の生活として、わたしにとってこれ(旅)に優る生き生きとした日々は日本にいては送れないであろうことは、自分でいうのもなんだが、ほぼ確信に近い。が、そうはいっても、さすがに若いときのようなパワーは失せて久しいし、判断力や記憶力の衰えは、自分でも呆れてしまうような、悲しくなるような想いをどれほどするようになったか‥??、それでも一度身についてしまった旅のスタイル - ま、言ってみればバックパッカー貧乏旅派 - は、年老いても容易に変えることができず、今なお現役を自負しているのである。

 さりとて、やはり無理は利かなくなってるし疲れるようになってきている。ま、これも自分でいうのもなんだが、それほどバックパッカー貧乏旅は、体力的にはかなり厳しい旅といってよい(もちろんその理由のひとつが貧乏旅にあって、極力無駄金を使うのを厭うからである)。その片鱗はこのあとの旅録に少しは垣間見られると思うが、それがそろそろグアテマラも卒業ということなのか?というと、それも少なからずあるかもしれない‥??、しかし、もしそういうことだとするとグアテマラだけでなく、バックパッカー貧乏旅派の卒業ということになる。そして、それもそろそろかなぁ、という想いを、やはり65を越えた辺りから感じ始めていたのも事実である。しかし、同じ世代の現役旅ヤさんはまだまだいっぱいいるから負けていられないという気持ちがまだあるのも事実。なので今回で旅の卒業宣言をだすつもりはまったくないし、恐らくチャンスがあれば、またグアテマラへ戻るし、まだまだ旅の現役を続けるつもりではいる。

 さて、では最後のグアテマラ?とは何をもっての宣言なのか?を自分にも納得させるつもりで、この5年を振り返りながら記してみたいと思う。はじめ5年前は、仕事をリタイアして、わたしはこの国に住んでもいいかな、という想いでグアテマラにやってきた。どうしてグアテマラだったのかは何度も書いたと思うので繰り返さないが、この国を選んだ直感に間違いなかったという確信は最初から崩れることがなかった。が、結局わたしは住みつかなかった。それは、わたしの優柔不断の性格が禍したのか、幸いしたのか?要するに、住むとしたらここがいいという場所まで決めていたのだが、家を借りることも買うこともなかったのだ。もちろんグアテマラの物価なら、そうしようと思えばそれはできたし、永住権もわりと簡単に取れることも聞いていたのに、である。どうしてそうしなかったのか?そうしたほうがよかったか?は、なんともいえないし、わからない‥、、その代わり、わたしはその後5年間毎年通い続けてきた。その間グアテマラ事情もだいぶわかってきたし、グアテマラ全土をほとんど旅することができた。そしてますますグアテマラが気に入っていった。知り合いもでき、なじみの宿もでき、日本にいるよりよほど快適に暮らしていた。日本と行ったりきたりでも悪くないではないかと思っていた。が、しかしである、去年あたりから - 贅沢いってる - といわれるかもしれないが少し飽きてきた、そして道中が長く(遠く)感じるようになってきた。しかるに今年は、やり残したことがあったので、それをクリアさせたら、しばらくグアテ離れしてみようという気持ちになっていた。ま、5年通ったのだから、グアテマラへの義理立ては一応果たせたのではないかという想いもあった。もちろん、今そこから戻って、未だにわたしのこの国にたいする熱い想いは変わらないし、今後ともこの国の宣伝に勤めていきたいという気持ちも変わりはない。ただ、いったん区切りをつけてみるか、というのが今の心境といったところか‥??。

 では、やり残してきたこととは何だったのか?、これについては、すでに前々回の‘グアテマラで、ひきこもる’の中で、今回の旅の目的というかたちですでに述べているので、それも繰り返さない(その言は少々誤解されることもあるかもしれないが、そういう意味ではわたしは日本にいるときのほうがひきこもりである)。そしてそれも一応の達成をみているので、来年、あるいはもう一回行かなくては、といった義務感?や未練のようなものは一切なくなっている。もちろん知人達にはまた来る、といって別れてきたので、またいつか戻るときが来るだろう。しかし今はその日がいつになるかまったく未定だし、少なくとも来年はなさそうである‥。