独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

フィリピン語学留学、その9 ; activity (課外授業)

 グアテマラスペイン語学校でも、実は通常の授業とは別にactivityという名うった、いろんな形の課外授業が企画されていたのだけれど、同じような趣旨の取り組みがここでもあった、、それは三週目の金曜の午後だったが、ひと月いてそれだけだったので、月一回くらいで催されていたのだろうか?、、いずれにせよそのときの企画は、Baguio市郊外にある有機農場<organic farm>の見学、Baguio市の隣街La Trinidaで開催されているAdivay Festivalという催しものの会場によって、帰りにTam Wan Gardenという昔の生活様式を復元展示てしてある公園を訪れるというもので、参加自由&無料、希望者のみということだった、、特別に面白そうな企画とも思えなかったが、知らない街・知らないところへいけるということだけで参加してみた、、で、予想通りそんなに興味深いものではなかったのだが、ひとつのことがわたしの関心を惹いた、、それは、それらの場所へどうやっていくのかという、その行き方の問題だった、、そのactivityの参加者は、だいたい総学生数の半分くらい?40人くらいだったと思う、、で、そのくらいの人数での移動となると日本でなら、ま、普通バス一台の貸切というところなのだが、それがいかにもフィリピンらしく、ジプニーを2台チャーターしてのactivityとなったのであった、、

 そのジプニーJeepnyについて、前回もちょっと触れたので、ここで改めて説明しておく必要があるかと思う、、非常に個人的な趣味といえるかもしれないが、わたしがフィリピンにきて最も感動・感激したのが、この庶民の足ジプニーという乗り物だった、、ちょうどそれはグアテマラの知る人ぞ知るチキンバスと好対照といってよかった、、同じ庶民の足で、その派手さといい安さといい、これほど特異な形態の乗り物はなかなか他ではお目にかかれないと思ったからだ、、チキンバスとの違いを端的にいうと、グアテマラのチキンバスはいわゆるボンネット型のバスで長距離を走るもの、方やジプニーは元々は米軍の大型ジープだったものを改造して公共交通の位置を占めるようになったらしく、だからその大きさはバスの半分に満たないものだったが、それでも20人ほどの客を運べる市内交通機関として、Baguioでは(ほとんどフィリピン全土で)市内路線バスの役目を担っていた、、フィリピンは市内の足としてタクシーも安かったから、例えば学校のあったGreen Valleyから街にでる場合、タクシーでもだいたい3~40分かかったが、メーターだといつも100ペソ(250円くらい?)前後だった、、日韓の物価からすればたいしたことがないから、金持ち学生たちはほとんどタクシーを使っていたけど、ジプニーを利用すれば一人10.0(学生、シニア)~12.75(一般、大人)ペソ、つまり3~40円でいくことができたのだ、、タクシーの1/7~1/10くらいということになるのだけれど、ただし数人でタクシー利用するとタクシー代も一人当たり1/3~1/4になるので、複数で外出するときは躊躇わずタクシーとなった、、それとジプニーの場合は一応路線が決まっていたから、どこを通って街のどこまで行くのか、帰りはどこから出るのかを知らないとなかなか利用しにくかったが、一度それを覚えてしまえば、降りる場所はどこでも好きなところで降りられたので便利かつ重宝な乗り物だった、、ただ、その路線は非常に多岐にわたってて誠に複雑だったので、言葉が通じれば何とかなったかもしれないが、他のエリアを走るジプニーに乗ることは恐らく不可能に近かった、、だからわたしはマニラでは利用できなかったし、Baguioでも着いた二日目に学校のゲート前から街の中心まで乗って、そのルートを覚えたから一人で街に出るときは利用したが、その路線以外のところへいくのに使えるまでは至らなかった、、しかし、もしこの地に住むとなれば、これは必修アイテムといって間違いなかった、、

Baguioの中心部に何ヶ所もあったJeepny Stand(乗り場)のひとつ010_640x427

けっこう派手なJeepnyのフロント;2枚044_640x427046_640x427


 そのジプニーはチャーターできたのだった、、一時間いくらくらいだったのだろうか?ちょうど2台でぴったりの人数だったから課外授業にはうってつけの乗り物だったと思う、、しかもそれまで利用していたとき、いつもドライバーの隣の席は(先客がいて)座ることができなかったのだが、そのときは強引にドライバーの隣に座ってしまったから、走ってる道がよくわかった、、実はジプニーの唯一の欠点は後ろの座席は窓の位置が低く外がほとんど見えない点にあって、どこを通っているかの把握がとても難しかった、、この日わたしは、ドライバーの隣のシートに座れたので、外の景色がよく見え、山間のとても入り組んだBaguioの街のどの辺を走って、とっちの方向へいったかがよくわかった、、だから、わたしにとっては、そのほうが(Baguioの街やTrinidaへ行く道を知ったことのほうが)課外授業としての意味があったように思われたのだった‥、、

前のジプニーにもう一グループ20人が乗っている047_640x427

最初に訪れたOrganic Farm;2枚049_640x427061_640x427

次にいったAdivay Festival会場;3枚070_640x427
064_640x427062_640x427

最後に寄ったTam Wan Village入り口071_640x427


  さて、そういう意味では学校主催のactiyity課外授業は、たいしたことがなかったのだけれど、実はその二日後に、より価値の高い課外授業?を受けることになった、、それは学校行事とは関係なく個人のボランティアに参加したのである、、たまたまその何日か前に一人のclass mateから誘いを受けていた、、なんでもその女性は何ヶ月か前からBaguioの孤児院orphnageを訪問して、子供たちと一緒に過ごすボランティアをやっているという話だった、、で、23日の日曜日、よかったら一緒に行きませんか?と誘われたのだった、、そういう経験はまったくなかったし、それでなくとも子供を相手に遊ぶなどということは、わたしの最も苦手とすることだったので、もちろん躊躇いはあった、、が、それは、そんな活動をしている日本人女性がいるんだ、というちょっとした驚きでもあったから、その女性の熱意に押され興味を覚えたといったら適切か?結局同行させてもらったのだった、、当日は9人の日本人学生とフィリピン人の先生一人が集まっていた、、もちろんすでに知っている仲間たちだったが、わたしと同じく初めて参加する人もいた、、そのとき行きは2台のタクシーを使って1時間くらいかかって、その孤児院までいったが(帰りはジプニーを使った)、何とそこは前々日に学校の課外授業でいったTrinidaのフェスティバル会場の近くだった、、そこは一応政府所轄の孤児院で、そのときいた職員は2~3名だったか?現在の入所人数は30人くらいで、我々と一緒に遊べた年長の5~10歳児はその半分くらいと語ってくれた、、孤児になった理由等も説明してくれたが、ま、どこでもある悲惨または残酷と呼べる現実に、それでも彼らは元気いっぱいだったので少し救われる想いがした、、で、我々は彼らに負けず午前中3時間ほど精一杯彼らの遊びの相手になったが、慣れないながらも貴重な経験ができたことを彼女に感謝した、、彼女がどうしてこの活動をはじめるようになったか、どうやってこの施設を知ったか、聞きたいことがたくさんあったが、とうとうその機会を逃して今に至っている、、しかし、勉学に励みながら(彼女はグループクラスで知り合ったclass mateであったが、いつも完璧なLucyといわれたくらい、その成績も抜群だった)そういう熱い想いを行動に移せる人はそうそういない、、わたしが今回一ヶ月のフィリピン滞在中にであった若い人の中で最も輝いていた人だった‥、、

孤児院の建物100_640x427

孤児院の室内及び外の庭で一緒に遊ぶ仲間たち;2枚116_640x427124_640x427

イケメンのlounge mateのHide君も、まだ大学生のKo君も参加(男性は他にBrandon君、女性はLucy,Mako,Lily,Mie,Merryさん達、Lucyの写真は許可がでてないので載せられない)128_640x427130_640x427133_640x427

<日本の男の子だけでなくKoreanの男の子からも絶大な人気・憧れの的だったLucyの許可がやっとでた、、2015,02,03>102_640x427